![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/23/a22859d14abe1371f7fb5787e7425871.jpg)
アキが転校してきて、ぼくの隣の席に座るようになったのは、たまたまそこが生徒がいない席だったからだ。だが、その偶然はぼくを幸福にした。アキはどこか寂しげな翳りがあったが、とても綺麗な子だったのだ。
アキはおとなしいが、勝気で、勉強もよくできた。ぼくは、アキをミセス・
キャンベルの教会のバイブル・クラスに誘った。アキは、ミセス・キャンベ
ルに英作文をとてもほめられた。前に住んでいた炭鉱町のボタ山にも、春に
なると、すみれが咲くという、わかり易い英語の文章だった。
夏に近い頃、アキを裏の丘の散歩に誘った。雑木林を過ぎると、丘の端に出る。そこから町が一望できた。
「この辺は春にはすみれがいっぱい咲くんだよ。来年、ここにすみれを見にこよう」
ぼくたちは草の上に腰を下ろし、町を眺めた。駅から汽車が出てゆくところだった。
夏休みはしばらく会わなかった。ホテルのバイトをしていたというアキは、
日焼けした白い歯で笑った。すごく綺麗だった。
秋の学園祭は、アキもぼくも図書係なので、すみれとシェイクスピアの関係をパネルにして展示した。ミセス・キャンベルは講評のなかで高校生にしては着眼点がいいと書いてくれた。しかしオフェリアの埋葬の場面で「彼女の美しい清らかな身体からすみれが咲きますように」と祈るところで、アキが泣いたことは、パネルを一緒に作ったぼく以外は誰も知らなかったろう。
学園祭が終わって冬に入った頃、卒業を待たず、アキは学校を去った。
アキが町をたつ前の日、ぼくらは丘に登り、町の見える丘の端にいった。雪が町を覆い、屋根に白く雪の積った汽車が駅にとまっていた。
「すみれが見たかったわ」
アキが言った。
「咲いたら押し花にして送るよ」
ぼくはアキと指切りをした。
アキが去ってから、ぼくは約束どおりすみれを送った。アドレスは北のほうの見知らない町の名であった。
その後、ぼくがミセス・キャンベルの故郷への留学から帰ってきたとき、
アキと別れて8年たっていた。ぼくは、すぐに、明日にも会いたいと手紙を
出した。返事はなかなか来なかったが、見知らぬ人の名前からの手紙には、
アキが二年前に亡くなったこと、ぼくへの手紙が託されていることなどが書
かれていた。
ぼくは呆然としてアキの手紙をひろげた。アキは細かい字で英語の時間の思い出、ミセス・キャンベルのこと、丘のすみれが見たかったことなどを書いたあとで、こう続けていた。
「私ね、父に死なれたり、病気になったり、運が悪かったけど、あなたに会えたことだけは運がよかったのよ。それ一つだけで幸せよ。いい方を奥さんにしてね。でも、私のこと忘れないで。すみれが咲いたら思い出して」
そして手紙のなかにいつかの押し花が入っていた。
辻邦生 「花のレクイエム」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/35/7db09f9d791e64753b8f0c15b0dc246d.jpg)
◇ 3、4年前、読んで泣けました。
なぜかはよくわからないのですが、ただ涙が勝手に、男なのに。
今も心が揺さぶられます、この話・・・・。
with F.Chopin's Waltz No.9 in A flat major,op.69 No.1 "L'adieu"
美しく悲しい涙は心が洗われますね。女は上手に泣いて、心の均衡を保っているところがありますよね。男の方ももっと泣いたらいいのにって思います。目のためにも、たまには泣くほうがいいらしいです。知り合いのお年寄りが泣いたことがないので、涙腺がつまっていると眼科で言われたそうです。
しみじみと、いいお話ですね。アキという名前で、「世界の中心で愛を叫ぶ」を連想しながら読みました。亜紀とは、城山に紫陽花を見に行くんじゃなかったかしら。映画も観たんですが、大人になった主人公が写真館の柱にもたれて泣くところで、呼吸困難なほどもらい泣き。男が泣くとすごくかわいそう・・・。
でも、とっても美しい文章に優しくつつみこまれたような
心地よさも感じています。
夜寝る前に、必ず何かしら本を読むようになったのは
随分前のことです。
宮本輝の「錦繍」も泣けました
何度も読んで、何度も泣きました。
たくさんある本の中から、そういう本に出会えたことを
とても幸せに感じました。私の宝物です。
「花のレクイエム」さっそく読みます。
山本容子さんの銅板画も大好きなんです!
表紙はクレマチス・・・でしょうか?
ちなみに、ドラえもんなどのアニメでも
泣いちゃう私ですから、
この本は、かなり「やばい」かも・・・。
素敵だなと・・・
そしたら、真剣にお話に入ってしまって
読み終えた後、またスミレの写真をじっくりと
眺めました・・・
このお話のスミレって、きっとこんな花
だったのでしょうね!
とっても優しい、そして切ない話ですね、
心が温かく包まれた感じがしています・・・
と同時に、胸の震えが、こころを揺さぶります・・・
この本は知らなかったですが、辻邦生なんですね。
是非読んでみます、でも、涙の用意が半端じゃないかも・・・
ホントに涙もろくて困るほどなんですよ。
折節さんって、ロマンティストで文学青年(青年??)と
思っていましたが、やはり予想通りに・・・
でも、この紹介の仕方も心憎いほど!!
素敵な朝になりました。
もしかしたら、ここから来てるのかしら?
先ほどから太陽が出てきて穏やかな天気になりましたよ。
「花のレクイエム」持っていますよ。
大好きなお花のお友達(ん?)お花の大好きなお友達にプレゼントしていただいたんですよ。
本当に素敵な本ですよね。お気に入りです。
すみれ・・胸がジーンとしました。
折節さんは感じる素敵な心を持って素晴しいですね。
年を幾つ重ねても(?)その心は持ち続けていきたいなと思っています。
見かけは年相応でも?心は万年青年、万年少女・・そうありたいですね。
辻邦生さんさんの他の作品も読んでみようと思いました。
ありがとうございました。
私なんかも、なかなか涙は出てこない方だとは思いますが、
最近はそうでもないかもしれません。
まあ、どちらかと言えば、やっぱり心で泣いているというのが
ぴったりとしてると、これはあくまで私ですが、そう思います。
つい最近、ふとしたことでポロッとしてしまいましたが、これは何と言うか、
ある感動を含んだ心の揺らぎみたいなもの、人前ではなくてホッと・・・・。
私の場合は、そんなかわいそうな風には見えないはずです。
人と同様、本も出会いですね。
私は、以前は同じ本を読み返すことって、めったにありませんでした。
だから、自分にとってよい本は、まさに一期一会の世界みたいなもの、
一度きりだから、しっかり読もうとしてました。
今は、ずいぶん読み返すことも多くなりました。
私は、文章の美しさに特に惹かれます。
言葉の美しさもさることながら、文章や小説そのものの構成のすばらしさ。
そんな小説なんです。
私は古風なのかもね、だから、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫・・・・。
いわば文豪の小説、私のこれまでの人生(?)から切り離すことができません。
これからもきっとそうでしょう。
そして、宮本輝氏、ずいぶんと性根を据えて読み続けた記憶があります。
読みながら泣いたこと、あったかもしれませんね、きっと。
理想の女性像を重ねたこともあったような・・・・。
錦繍って、蔵王での再会の話?手紙かな??
(あ~ぁ、忘れた、全~ん部! 夕べ何を食べたかも・・・・少し読み直そう)
そうそう、表紙はクレマチスです、どなた様もお持ちですね、うらやましい。
山本容子さんのその絵だけで、私が我慢できるか、これから試練の日々が。
短編では「クレマチス 五月」ですよ。
まだお読みでなかったら、是非読まれてください。
クレマチスのお話もいいですが、萩、クリスマスローズ。
心が自分の涙で洗われるようなお話ばかりです。
私は、秋にこぼれるように咲く萩の花も好きなんです。
若い頃から(!)、辻邦生さんの作品に傾倒していました。
しっかりとした、純文学というのは落ち着くのです。
いまも時折読んでいます。
「天草の雅歌」もよかったですよ。
すみれ、きれいな鉢が買えて、ほんとうによかったです。
すみれ花は、私の若い頃の想いにもつながるものがあります。
紫色の野のすみれですけどね。
この話も重なるような思いがありまして、風がなくとも気持ちが揺れます。
私は、花のこと、良く解らないでここまで来ました。
昔から細々とは栽培してたのですが、実際知らなかったのです。
ただ、少しばかり本を読んでますと(ここの小説みたいな)、必ず花の出てくるお話があるのです。
そうして、そっちの方から実際の花に出会って、新鮮な驚きを感じることがあります。
二月のアネモネ、三月のすみれ、五月のクレマチス、十二月のクリスマスローズ。
全部、今年になって、私は一種の言い知れない感慨をもって、こうした花に接することになりました。
プレゼント、よかったですか。
きっとこれらの花の見方が、ちょっぴりかもしれませんが、別の意味で、生きて輝いているように見えるかも。
そして、花が美しいと感じる心、私も少しずつでいいから、
持ち合わせていけたらなと思います。