Music Mania

No Music No Life

フィリピンで死んだ男

2014年03月02日 | 日常


昨年末のことだが、友人から百田尚樹「永遠の0」は素晴らしい作品だから是非読んでほしいと言われた。
ちょうど、これの映画版が話題になっており、僕のまわりでも絶賛されていたから、読んでみたいとは思った。
しかし、戦争小説、それも第二次大戦ものというと、僕はちょっと気が進まない。
他にも読みたい本があったので後回しにしていたら、昨日LINEで「永遠の0どうだった?良かったでしょ?」と入ってきたので、半分仕方なく小説を購入した。

150ページほど読んだ。

これは、もしかすると、かなり面白いかもしれない。
僕が思っていたのと違っていて、残り430ページを読むのが楽しみになった。

ここまでの内容は、現代人の青年が、戦死した祖父がどういう人間だったのか、どう戦ったのか、を知るために調査をするというもの。

そういえば、僕の祖父も戦死しているのだが、どういう人物だったのか、ほとんど知らない。
写真が数枚残っているくらいだ。
僕も「永遠の0」よろしく、ちょっと祖父について書いてみよう。

子供の頃、家の仏壇には、祖父の写真と奇妙な石ころが置いてあった。
その石ころは、戦死した場所にあったものとのこと。
そのほか、形見らしいものは何もなかった。

いつだったか忘れたが、昭和の終わりごろ、80年代後半くらいだった気がする。
一人の老人が家を訪ねてきた。
なんとその人は、祖父の戦友で、死に様を伝えにきたという。
なんで今頃?と思ったが、家族でその人の話を聞いた。

陸軍の通信兵だった祖父は、フィリピン戦線で戦っていた。
フィリピンの戦いは壮絶なもので、日本軍は大敗し、昭和20年の初め頃には全滅に近い状態だったという。
そんな中、祖父はまだ生きていて、ジャングルの中でゲリラ戦をしていたそうだが、終戦間近の7月、通信のためのケーブルを張るため木に登っていたところを、軍艦からの艦砲射撃で跡形もなく吹っ飛んでしまったという。

もし、終戦があと1ヶ月早かったら、祖父は生きて帰ってきた可能性が高い。
そうなると、祖母や父の生活、人生は大きく変わっていたかもしれず、それは当然、僕にも影響していただろう。
僕自身が存在していないかもしれないが。
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