不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

Music Mania

No Music No Life

岡林信康の歌

2014年03月22日 | 邦楽
岡林信康というシンガー・ソングライターをご存知だろうか。
数年前に当ブログのコメント欄でこの人を知ったのだが、曲を聞いてちょっとした衝撃を受けた。
歌詞の内容があまりに生々しいというか、悲しい内容だったからだ。

岡林信康氏は60年代後半、フォークシンガーとしていくつものヒットを飛ばす。
歌詞の内容は、労働者や貧困層の目からみた反体制的なもので、フォークの神様とまで言われるようになる。
70年代に入ってからは、ロックをやったり、演歌をやったり、あるいは田舎で農作業をしたりするなど、よくわからない活動をしていた。
その後キング・クリムゾンのロバート・フリップから「日本人なら西洋のマネごとではない、日本独自のロックをやれ」といわれ、試行錯誤の末、民謡のリズムを取り入れた「エンヤトット・ミュージック」を考案する。
最近のコンサートでは、フォークの部、ロックの部、エンヤトットの部と3部構成のライブをしているらしい。

なんだかんだで活動暦の長い岡林氏だが、代表曲となると、初期の「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」「手紙」の3曲だろう。
本人としては、最近の曲が評価されず(とくにエンヤトットが理解されず)、いつまでたっても初期の曲がクローズアップされるのは面白くないに違いない。
それでも、インパクトという点で、初期の曲を超えていない、いや超えることが出来ないのはよくわかっていると思う。

では初期の曲から「手紙」



自殺した女性の遺書を元に書かれたと言われる歌詞は、あまりに衝撃で、放送禁止曲に指定される。
それも「要注意歌謡曲Aランク」というもっとも厳しいものだ。
これは、現代社会のタブーとされる被差別のことを扱った歌だからだ。


手紙

わたしの好きなミツルさんは
おじいさんからお店をもらい 二人一緒に暮らすんだと 嬉しそうに話してたけど
わたしと一緒になるのだったら お店をゆずらないと言われたの
お店をゆずらないと言われたの

わたしは彼の幸せのため 身を引こうと思ってます
二人一緒になれないのなら 死のうとまで彼はいった
だから全てをあげたこと 悔やんではいない 別れても
悔やんではいない 別れても

もしも差別がなかったら 好きな人とお店がもてた
に生まれたそのことの どこが悪い なにが違う

暗い手紙になりました
だけど、わたしは書きたかった
だけども わたしは書きたかった


全国的なことは知らないが、関西、東海地区ではいわゆる地区がある。
表立った差別はない。
ただ、結婚となると難色を示す人はいる。
極めて根の深い問題だと思う。
コメント (6)