5月12日放送のNHK歴史探偵は、池田屋騒動の真相ということで、最新の資料による検証が行われ、改めて池田屋騒動とはなんだったのかを考えるものだった。
まず、死者数。
新撰組局長、近藤勇の手記によると7名を切り殺したと記されているが、土佐藩の報告書のよると5人となっている。
また、長州藩も正式な報告書を作っていて、こちらも5人。
おそらく近藤の手記はやや武勇伝として盛ってるところがあるとされ、真相は5人説が有効とされる。
そして、池田屋に切り込んだ新撰組は4人、対して長州派の人数は現在も不明である。
そこで、最新のコンピューターを使用してシミュレーションされる。
新撰組4人、全員剣の名手で場慣れもしている、士気も高い、対して長州派は不意打ちを喰らう、武士ではない人もいた、結果死者は5人という条件を入力して5万通りのシミュレーションをする。
結果、長州派は11人だった可能性が極めて高いとされた。
さらに、この時の長州派の生き残りの人の自伝が発見されて、よりいっそう真相が明らかとなる。
この日池田屋に集合した長州派は、1階と2階にわかれた。
このとき、刀を入り口付近にある刀置きに置いて部屋に入る人もいた。
自伝の本人は1階にいて、尊王攘夷の話や捕縛された古高俊一郎のことは置いといて、まずは酒を飲んで宴会をしていたという。
そこへ新撰組がやってきて、まず刀置きにある刀を全て捕獲する。
そして2階へ上がり戦闘が始まる。
このとき1階にいた人は、まだ新撰組がやってきたことを知らず、2階の連中は酒が回って暴れてると思ってたらしい。
やがて事態がわかった1階メンバーは、床下に隠れた。
静かになった頃合いをみて床下から出たところ、入り口付近にはまだ新撰組がいて捕獲されるのだが、自伝の主は風呂に隠れて難を逃れたのだった。
この後、新撰組は池田屋を出て京都中の長州派を捕縛すべく朝まで奔走する。
結局彼らの目的はなんだったのか?
当時の各藩の気持ちとしては、他所の藩との戦争だけはどうしても避けたかったといわれる。
そんな中、会津藩は新撰組に長州派を一掃させることにより、長州藩との全面戦争の決意をしたとされる。
その後、蛤御門の変に始まる長い武力衝突の時期に突入することになった。
近藤勇はどこまでこの辺の事情を知っていたのか知らないが、案外になにも知らされていなかったのではないだろうか。
と、僕は思う。
浪士で結成された新撰組も、コマの一つに過ぎなかったのではないか、と。
まず、死者数。
新撰組局長、近藤勇の手記によると7名を切り殺したと記されているが、土佐藩の報告書のよると5人となっている。
また、長州藩も正式な報告書を作っていて、こちらも5人。
おそらく近藤の手記はやや武勇伝として盛ってるところがあるとされ、真相は5人説が有効とされる。
そして、池田屋に切り込んだ新撰組は4人、対して長州派の人数は現在も不明である。
そこで、最新のコンピューターを使用してシミュレーションされる。
新撰組4人、全員剣の名手で場慣れもしている、士気も高い、対して長州派は不意打ちを喰らう、武士ではない人もいた、結果死者は5人という条件を入力して5万通りのシミュレーションをする。
結果、長州派は11人だった可能性が極めて高いとされた。
さらに、この時の長州派の生き残りの人の自伝が発見されて、よりいっそう真相が明らかとなる。
この日池田屋に集合した長州派は、1階と2階にわかれた。
このとき、刀を入り口付近にある刀置きに置いて部屋に入る人もいた。
自伝の本人は1階にいて、尊王攘夷の話や捕縛された古高俊一郎のことは置いといて、まずは酒を飲んで宴会をしていたという。
そこへ新撰組がやってきて、まず刀置きにある刀を全て捕獲する。
そして2階へ上がり戦闘が始まる。
このとき1階にいた人は、まだ新撰組がやってきたことを知らず、2階の連中は酒が回って暴れてると思ってたらしい。
やがて事態がわかった1階メンバーは、床下に隠れた。
静かになった頃合いをみて床下から出たところ、入り口付近にはまだ新撰組がいて捕獲されるのだが、自伝の主は風呂に隠れて難を逃れたのだった。
この後、新撰組は池田屋を出て京都中の長州派を捕縛すべく朝まで奔走する。
結局彼らの目的はなんだったのか?
当時の各藩の気持ちとしては、他所の藩との戦争だけはどうしても避けたかったといわれる。
そんな中、会津藩は新撰組に長州派を一掃させることにより、長州藩との全面戦争の決意をしたとされる。
その後、蛤御門の変に始まる長い武力衝突の時期に突入することになった。
近藤勇はどこまでこの辺の事情を知っていたのか知らないが、案外になにも知らされていなかったのではないだろうか。
と、僕は思う。
浪士で結成された新撰組も、コマの一つに過ぎなかったのではないか、と。