Music Mania

No Music No Life

ラーメンの値段

2023年01月14日 | 食べ物
最近ラーメンの値段についてちょっとした物議がある。
まずは本田圭佑がこんなツイートをした。

ラーメン屋。あの美味さで730円は安すぎる。もうちょっと値上げするべき。ってか色んな業界がもう少し値上げするべき。高すぎるか安すぎるかの両極になり過ぎ。次ラーメン食うときは2000円支払います。必ず。

という内容に対して内山信二はこう言った。

みんなラーメンって昔から食べてるじゃないですか。金額がいくらまで出せますか?というのがあると思うんですけど、僕は大盛りやトッピング込みで1200円がギリギリラインなんですよ
ラーメンって誰でも平等においしく食べられるものであってほしいと思うから、これ以上の値上げはやめてほしい

この発言に対してひろゆきはこのようなことをTwitterに投稿した。

金持ちが『高い金を出したくないから、お前らは安売りして、低い給料でラーメン作って働き続けろ』と言ってるのを“平等“とか“良い話“として理解してる人達。
奴隷根性が染み付いてて面白いなぁ。

まず本田圭佑だが、彼は海外生活が長いので、日本のラーメンの美味さとその値段の安さに驚いたんだろう。
おそらく日本の平均所得の低さも知っていて、こんな美味しいものをこんな安価で提供してたらダメだ、本当にいいものにはそれなりのお金を払おうよ、と言ってるんだと思う。
僕は間違ってないと思う。
ただ、最後の「次ラーメン食うときは2000円払います。必ず。」なんてのは余計だ。
店側としては、気持ちは嬉しいけど困ったことになるだろう。

内山信二の発言もよくわかるし、間違ってもいない。
彼のタレントとしての立ち位置からしても庶民の味方であるべきだし、今現在の日本人の所得からしたら、僕だってラーメン一杯の値段は1200円くらいが限界だと思う。
30年前は標準的なラーメンの値段は300円〜500円くらいで、安さを売りにしてるところだと200円代だった。
今現在標準的なラーメンはだいたい600円〜700円くらいだろうか。
牛丼やノリ弁当と比べれば、ラーメンは安いとはいえ、値上がりしてるのだ。

で問題はひろゆきである。
内山くんの話をわざと悪く解釈して奴隷根性とか言ってるのだ。
安すぎる(本当にそうなのかどうかは知らないが)価格は、きちんと利益が出る適正価格にした方がいいと思うが、ラーメンの値段を上げたからといって店員の給料が上がるわけではない。
値段を上げても客足は落ちず、儲かった分は従業員の給料に反映する、なんてのは机上の空論にすぎず、ほとんど場合はそうならない。

こういうのは店舗側だけでなんとかなるものではない。
まずは従業員の給料を上げる。
上げて経営が厳しくなったら、その分国が補助金を出す。
その後に値上げだ。
値上げしても客足が落ちなければいずれ赤字は解消され、補助金の必要もなくなるだろう。
で、そもそもラーメン屋って多すぎることはないだろうか?
一部の人気店は行列が出来るけど、いつ見てもほとんど客がいるように見えないところもけっこうある。
仮に100円値上げしたら客が来なくなりましたってところは、潰れるしかないないだろう。

まあ、ひろゆきは元々こういうものの言い方をする人なので、それはまあいい。
それよりも、ひろゆきの発言に対して、考えもせず「そうだそうだ、ひろゆきが正しい」と連呼している連中だ。
じゃあ。チミたちはラーメン2000円になっても食べに行くんか?
絶対行かないだろうな。

千代に保て

2023年01月08日 | 日常
お千代保稲荷へ行ってきた。
初詣のつもりではないのだが、時期的に初詣と思われても仕方ないだろう。
お千代保稲荷というのは、平安時代、源義隆が父である源義家から「先祖の御霊を千代に保て」と祖神と共に宝剣と義家の肖像画を受け賜わったことが始まりで、「千代まで保つ」を略して千代保と名付けられたらしい。
源義隆自身は平治の乱で戦死しているが、その子孫は生きながらえていて、室町時代に神社として現在の地に祖神を祀ったという。
ちなみに治承・寿永の乱の激戦地の一つである墨俣川の戦いの場所はここよりもう少し北の方になる。

さて、神社近くの商店街は昭和の風情があり、正月明けということもあって大賑わいである。
とくに目につくのは、ナマズと串カツと草餅の店で、いくつものこれらの店があり、どれも賑わっていた。

この辺りは昔から川魚をよく食べるようで、なかでもナマズの蒲焼きは絶品とのことだが、あいにく昼食を済ませた後だったので食べることはなかった。
ウナギよりも美味しいと評判なので、いつかゆっくり訪れたい。

串カツは揚げたてを店先で売られていて、1本から食べることが出来る。
ガッツリ食べたい人は店内で座って食べることも出来るのだが、僕は1本食べればOKだったので外で立ち食いすることにした。
たくさんの人が並んでるっぽいのだけど、行列というよりただ混雑してるだけで、わけがわからない。
なんとか食べられたのだけど、揚げたてでとても美味しい。
元々1本食べるだけのつもりだったし、あまりにも混雑で後ろの人を待たせるわけにもいかないのですぐにその場から抜け出る。

草餅は、この辺りは良質のヨモギが取れるらしく名物となってるが、どの店で買えばいいのかわからない。
たぶんどの店の草餅も美味しいんだろう、ということで適当に老舗っぽい感じの店で6個入りのを買う。
味はヨモギの味がしっかりしているのと、餅が柔らかいこと、そして餡が甘すぎないことで、とても美味しい。
その気になれば一人で6個全部食べられそうだ。

お千代保神社は稲荷神社なのだが、油揚げを買って賽銭として投げるという一風変わった文化がある。
キツネは油揚げ好きというのは、その由来を調べると面白いことがわかった。
ここでいう油揚げとは、豆腐を揚げたものではなく、ネズミを油で揚げたものらしい。
日本では古くから農耕をしていたので、農作物を荒らすネズミは迷惑な存在で、そのネズミを好んで食べる狐は人々から崇められていたという。
地域によっては狐の巣穴の前に、狐の好物であるネズミを油で揚げた「ネズミの油揚げ」を置いていく習慣があったらしい。
その後、538年に仏教が日本に伝来し、肉食や殺生は良くないという思想が広まり、ネズミを油で揚げた「油揚げ」ではなく豆腐を薄切りにして油で揚げた「油揚げ」を供えるようになったそうだ。

ロックが死んだのではなくオマエが死んだだけ

2023年01月06日 | 邦楽
昨年末くらいにみのミュージックで「ロックは死んだとかいってるやつへ」という動画がアップされた。
内容は、巷にいる「ロックは死んだ」とかいってる古いタイプのロックが聴きたい人に対し、こういうのが聴きたかったんでしょ?と2022年に発表されたオールドテイストのカッコいいバンドを紹介するというもの。
まずは、その動画を見ていただこう。

ロックが死んだとか言ってるやつへ


動画見ましたか?
見てないですよね、わかります。
だって面倒くさいもんね。
たとえ見たとしても、これはマジカッケーから聴いてみてと言われても聴きませんよね。
わざわざアーティスト名から検索してサブスクとかYouTubeで聴いてみるのって超面倒くさいから。
たぶん、ここを読んでる方で、ここで紹介されてるアーティストを実際に聴いてみた人って10人に1人くらいだろう。

動画で紹介されたアーティストは以下の5つ。
彼らの一番新しいアルバムをDLして全曲聴いたところ、どれも60年代から70年代のテイストを色濃く感じるサウンドで、なかなか面白いと思った。

・家主
・ゆうやけしはす
・すばらしか
・フーテン族
・工藤裕次郎

家主「DOOM」、1曲目のヘヴィなイントロにまず期待感が高まるけど、ボーカルがちょっと弱い。
この傾向はどの曲にもいえることで、曲そのものやアレンジのセンス、とくにディストーションギターのカッコよさは相当なものだけど、ボーカルの弱さが気になった。

ゆうやけしはす「怨恨戦士!! ルサンチマンvsシューマイ少女と神谷組 第一回戦 シケた街から風のように去れ!!」。
長すぎるし意味不明な題名、それだけでインパクトがあるが、中身は濃すぎるくらい濃い。
まるで60年代後半から70年代初めくらいのブリディッシュロック、というより昭和40年代の汗臭いロックと言った方がいいかもしれないオールドなサウンドだ。
とくにオルガンの音がレトロチックで、とても味がある。
ギターもファズが効いててよろしい。
曲はサイケやロックンロール、ブルース、フォークなどなかなかバラエティに富んでいる。
そして何よりロックしている。
メンバーの見た目も、昭和40年代の映画に出てくる素行の悪い若者のようである。

すはらしか「すはらしき」。
これは和製ローリングストーンズといった感じで、力強いブリテッシュロック風だ。
歌詞の世界観はちょっと忌野清志郎を感じさせる。
今もこんなに汗の匂いを感じさせるロックンロールをやってるバンドがあったなんて、少し驚きである。
ブルース風の曲も、黒人のソレというより、ストーンズがカバーしてるような雰囲気だ。

フーテン族「フーテン族の世界」は路線としてはゆうやけしはすに似ているが、こっちの方がよりロックンロールな感じがあり、すばらしかほどではないけど、ストーンズっぽくもおる。
なかにはギター弾き語りな曲があったり、ファンク調の曲があったりなど、表現の幅が広いのもいい。

工藤裕次郎はギター一本弾き語りで、歌メロやコード進行は70年代フォークそのものだ。
一曲がとても短いので、あっという間に全部聴いてしまう。
わりと好き嫌い分かれるタイプだと思うけど、好きな人はツボにハマると思う。

今回紹介されたアーティストおよびアルバムは、あくまでも古いタイプのロックが聴きたい人向けなので、別にこういうのが流行ってるわけではない。
そして、これが重要なところだけど、彼らは別に中高年向きにこういう音楽をやってるわけではなく、あくまでも同世代やもっと若い人に聴いてもらいたくてやってるのである。
若い人からすると、逆に新鮮に聴こえることもあるだろう。
興味のある方はYouTubeかサブスクで検索して聴いてみてはいかが?

話は「ロックは死んだ」に戻す。
少し前にSNSの某コミュニティで「私たちの世代は血の通った音楽を聴いてきた世代だから、最近のは受け付けない」と言ってる人がいた。
これもロックは死んだと同じようなものだろう。
つまり、今の音楽を聴かない自分は正しい、だって今のロックは死んでる、あるいは血が通っていないのだから。
と、正当化しているのである。
誤解してほしくないのは、中高年が今の音楽を聴かないことそのものは別に問題はないということ。
30歳すぎると人は新しい音楽を聴かなくなる人が多いという統計結果も出ている。
なので、自分はもう歳だから新しい音楽にはついていけないんだ、というのは普通のことであり、なんの問題もないことなのだ。
それなのに、今の音楽は死んでるとかいって自分を正当化しているのは、リスナーとして死んでるようなものなのだ。
ロックが死んだのではなくオマエが死んでるのだ。

年越し出来ない人

2023年01月01日 | 日常
大晦日の夜にニュースを見てたら、どこかの蕎麦屋さんで年越しそばを買う人の様子が映し出されていた。
そこにいた老人は言う。
「ここの蕎麦を食べないと年が越せないんだよ」
今日はこれについて考えてみたいと思う。

蕎麦を食べないと年を越せない。
年を越せないとはどういう状態なのだろう。
12月31日の11時59分59秒で時が止まり、2023年に入ることが出来なくなるのだろうか。

2023年1月1日の朝、家族は老人がいないことに気がつく。
「あれ?おじいちゃんがいないわ!」
「もしかして年越し蕎麦が食べられなかったんじゃないのか?」
「そうよ、そうに違いないわ」
その頃、今も2022年に留まっている老人は必死で年越し蕎麦を探していた。
しかし、家にはすでに蕎麦はない。
なぜそうなってしまったのだろう?
そうだ、NHK紅白歌合戦を見てた孫がとつぜんお腹が空いたとか言い出したので、つい自分の分の年越し蕎麦を食べさせてしまったのだ。
それで、家族で自分だけ蕎麦が食べられなかったのだ。
あゝなんてこった。
こんなことで家族と離れ離れになってしまうなんて。
もう会えないのだろうか。
自分はこのまま2022年のまま取り残されてしまうのだろうか。
そして孤独のまま死を迎えるのだろうか。
いやだ、もう一度みんなに会いたい。
老人は蕎麦を食べなかったことを心底悔やんだ。
知らない間に目から涙がこぼれていた。

老人は途方に暮れていた。
こんなことになったらもう酒でも飲むしかない。
肝臓に悪いからと制限されているが、そんなことはもうどうでもいい。
気の済むまでたらふく飲むのだ。
老人はトボトボと台所へむかった。
シンクの中には蕎麦を茹でた鍋が洗われずにそのまま残っていた。
後片付けくらいやっとけよ、全く。
そういえばいつも家事は妻に任せっきりだった。
ごめんな。
老人の目に妻の顔が浮かぶ。
仕方のないやつだな。
でもいいよ、今夜は俺が洗うから。
老人は鍋の中に水を入れようとしたとき、ふと目につくものがあった。
そこにあったのは、一本だけ残った蕎麦だった。
これは、もしかして…。
これを食べたら自分も2023年にいけるんじゃないのか。
老人は唾を飲み込み、指先で一本の蕎麦を持ち上げた。
そしてそのまま口に入れた途端、気を失った。

老人の目が覚めたとき、家族は雑煮を食べていた。
「今日は何年の何日だ?」
「は?寝ぼけてんの?2023年の元旦じゃないの。まさかボケがはじまったの?」
あれは夢だったのだろうか。
老人は妻が入れてくれた熱い茶を一口飲み、窓の外を見た。
2023年の元旦は晴天だった。