年度の業務をほぼ終えて名古屋にいる週末の3月1日。
しかも今日は4月並みに暖かくなるという。
せっかくなので日帰りで愛知県のどこかを訪れたい。
候補に上がっていたのは、名古屋の南に伸びる知多半島の伊勢湾側にある常滑(とこなめ)市。
歴史的に焼き物の重要な産地である愛知(尾張・三河)では、北の瀬戸焼に次いで有名な常滑焼の産地。
瀬戸焼は陶器のいわゆる”瀬戸物”だが、常滑焼はお茶を淹(い)れる茶色い急須が有名。
瀬戸は東濃への温泉旅でよく通り、棲み家から近くなので焼き物市にも行ったが、常滑はまだ。
行かなかった一番の理由は、自分が使う器
(うつわ)類は焼き物(陶器)ではなく木製を好んでいるから。→
木製化計画私が焼き物を所持しない理由は、落として割れた時の喪失感が辛いからで、
木製を選ぶ理由は、落としても割れず(喪失感を体験しない)、触感がソフトだから。
なので私は木曽路で買った木製の器に囲まれていて、瀬戸焼すら使っていない。
という個人的相性の悪さがあるものの、そこは”ものづくり愛知”の拠点の1つとして、第三者的視点での観光対象となる。
常滑駅には、名古屋から名鉄特急で30分で着く。
それなりの観光地だと思っていたのだが、降りた乗客はまばらで、
車中のほとんどの客は終点の中部国際空港に向かうようだ※。
※後述するルートを回るなら車で訪れた方が楽かも。Aルート内に有料駐車場がある。ちなみに常滑の車も「名古屋」ナンバー。
改札を出ると、建物内に続く通路の両側の店舗スペースはことごとくシャッターが下りたまま(土曜昼だから定休日でないはず)。
てっきり駅に観光案内所があるかと思ったが、それどころではない閑散とした状態。
まずは駅前で昼食をと思っていたが、それらしき店もない。
要するに、名古屋から離れた所に点在する、やや寂れた郊外の1つの風景。
気を取り直して、町中方向に歩き出すと、路上の案内図の所におじさんが1人立っていて、道案内をしている。
そのおじさんに、最初に向かうべき場所として「陶磁器会館」を指示される。
指示に従って半島内陸部に向かう通りを上り、上に巨大な招き猫の象がある歩道橋をくぐると、陶磁器会館の建物がある。
まずは館内で観光地図(街中の散策図)をゲット。
もちろん館内には、常滑焼がずらりと展示販売してあるが、上述したように焼き物に所有欲がなく、急須すら木製にしている私は、それらを一瞥しただけで、地図を頼りに「Aコース」という常滑中心部の散策コースに出る。
細い道を進むと左右に常滑焼のギャラリーが点在するが、全て素通り。

常滑焼が敷き詰められている道沿いにある
廻船問屋瀧田家の古民家を見学し
(300円)、有名な撮影スポット「
土管坂」を通り、文化財となっている「
登窯」に達する。
付近は煉瓦造りの煙突が立ち、常滑焼の窯が集中している中心地帯(写真)。
黒い木の建物が続いているが、いわゆる製作所≒工場なので、風情はない。
常滑観光の中心部を巡るAコースの半分以上を過ぎたところで、空腹を満たすためルートを外してスーパーで菓子パンを2つ買い、店前のベンチに座って口に入れる※。
※:私にとって昼食はこんな軽めでよく、観光地のレストランのランチは不要。
この後も続く小さなギャラリーを見ても買う気はない身には、Aコースだけだと物足りない。
なのであえてAコースから離れて、常滑焼の基本情報を得るために「とこなめ陶の森資料館」に向かう。
資料館(無料)は、常滑焼の歴史から現代の活用までと、常滑焼の作業手順の展示(2階では講演会)。
それによると、愛知の焼き物の最初の産地だった猿投窯(さなげよう)から、平安期に北の瀬戸と南の常滑に分かれた。
南の常滑は、瀬戸と違って大型の甕(かめ)の生産がメインとなり、その技術の高さから常滑産の甕が全国に伝わる(関東の郷土資料館でも再三、常滑産の甕の展示を見た)。
その後、港が近い利点もあって、江戸に廻船で甕などの常滑焼が広がる。
ところが、一足先に江戸に広がっていたのが瀬戸焼だったため、扱ったのは「瀬戸物屋」(常滑の人たちはさぞ悔しかったろう)。
ちなみに、常滑で急須の生産が急増したのは、煎茶が庶民に普及した1820年代以降という。
というわけで、我々は常滑焼を使いながら、その存在を知らなかったのだ。
常滑焼には急須の他にもう1つ、名物がある。
地中に埋めてある茶色い土管(ドラえもんに出てくる公園の白い土管はコンクリ製)。
常滑焼の土管は、水分を吸収せず、塩害に強く、堅牢なため、明治以降、水道管として全国的に使われた。
さらに今では、多孔陶管という形状の最新式の土管が地下ケーブルを通す管として、空港・高速道路のトンネル、発電所などに使われているという。
なぜなら上の性質だけでなく、火(熱)に強く、飛行機の重さにも耐えるので滑走路の下にも使えるから。
というわけでなんと常滑焼は日本各地の地下で我々の日常生活を支えるインフラとなっているのだ。
資料館の隣に「陶芸研究所」なる洒落た建物があり、そちらも見学する(無料)。
研究所の研修生たちによる陶芸作品が展示されている(プロでないから、値段はついていない)。
ここでわかるのは常滑焼は甕と急須と土管という実用品で終わらいということ。
常滑焼の個性を活かした、具象的/抽象的、そして実用品としての芸術作品に目を開かれる。
土と火の微妙な調合によって生まれる焼き物は、我々の生活を便利にしてくれるだけでなく、美術工芸品として美意識をも豊かにしてくれる。
常滑焼もそうだった。
この地を訪れる前は、”常滑焼って急須でしょ”程の認識しかなかったが、この資料館と研究所で、常滑焼の現状と可能性を含む全てが分かった。
ここからさらに歩いてINAXライブミュージアムに行く(700円)。
ここを見て知ったことには、INAXという有名な会社は元は「伊奈製陶所」という常滑焼の会社だったのだ。
大正時代に東京の帝国ホテルの設計を担当したフランク・ロイド・ライトは、地震国日本でのホテル建築の素材として黄色いレンガを求めたのが、それを提供できたのが常滑の伊奈氏だった。
そして常滑焼の柱を使った東京帝国ホテルは完成直後にM7.9の関東大震災に遭ったものの、びくともせず、そして地震以上に東京を破壊したその後の火災にも耐えた(常滑焼の堅牢性と耐火性が発揮!)。
その建物の玄関部は今は明治村(愛知県犬山市)に移築されて、私の勤務先の1年生の遠足先となっている(明治村では必ずここを訪れていた。そして今回、私が1年生に説明する内容が増えた)。
ここから駅まではバスの便があるが、テラコッタ(建物の装飾)や世界のタイル展示
※などを見ている間に時刻が過ぎてしまったので、25分かけて駅まで歩いた。
※:エジプトやメソポタミア出土のタイルを見ると、焼き物は割れさえしなければ、数千年はもつことがわかる。木は乾湿の変化に弱く、食器として使っていると劣化が早い。
途中の街中は至る所に常滑焼のプロの作品が配置されていて見飽きない(写真)。
常滑は、駅前こそこれみよがしの観光風景はなかったが、駅から離れた町全体が常滑焼と一体化していて、「ものづくり愛知」を代表する誇らしい地の1つだ。
そもそも常滑焼自体が、急須だけでなく人々の生活を多方面から支える幅広い”もの”であることが分かった。
愛知は「観光資源が乏しい」と県外から言われているが、このように他県にはない「ものづくり」という視点で訪れれば、観光になる所がいくつもある(瀬戸、
則武、
高浜、半田、豊田
※など)。
※:豊田にはトヨタの本社と工場があるが、関連ミュージアムがあるのは名古屋と長久手。また創業の豊田家は遠州出。