今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

東京の国会図書館であんかけスパ

2025年03月07日 | 生活

東京にいるときは、午前中から(国会議事堂の隣にある)国会図書館に通っている。
昼食は館内にある3つの飲食店のうち、ほとんどの場合は旧館3階の「NORTH CAFE」を利用する。
ここはスープカレーを筆頭とした北海道テイストの定番メニューに加え、毎日3種類のランチがあり、バリエーションが豊かだからだ。

そして本日のパスタ、Cランチ(700円)は、なんと「名古屋風あんかけスパ」!
私が一番好きな名古屋メシであるあんかけスパが、東京の、しかも毎日通っている図書館で食べられるなんて!
それを知った昨日から楽しみにしており、今日は早めに入館して、開店時間早々に店へ向かった。

Cランチなので、最初にいつものスープとサラダが運ばれてくる。
それらを食べていると、鉄皿に盛られた焼き立てのあんかけスパが到着。
そう、あんかけスパは、まずスパゲッティをフライパンで軽く焼くのが特徴だ。
その上に特有のあんと具材が載る。具材はウインナー・マッシュルーム・玉ねぎなどで、これは名古屋のあんかけスパの定番「ミラカン」風だ(私の好み)。

あんの色がやや濃いのが気になったが、見た目は確かに「あんかけスパ」。
フォークでスパと具、あんを絡めて口に運ぶ。

──しかし、味が違う。

名古屋のあんかけスパは、「ヨコイのソース」という専用ソースがベースになっているのだが、ここのあんにはその風味がまったく感じられない。
既存のナポリタンを粘り気のあるソースで絡めたような味わいで、あんかけスパ独特のスパイシーなコクがない。
このようにベースの味付けが名古屋のものと根本的に異なるため、名古屋のあんかけスパ専門店では、あんかけスパだけで豊富なバリエーションが成立する。
あんかけスパが、ほかのパスタとは一線を画す、独自の領域であることを改めて実感した。

あんかけスパに挑戦したお店の意気込みは称賛したいが、見た目を名古屋風に寄せるのが精一杯だったのだろう。
やはり、本物のあんかけスパは名古屋でしか味わえないのかもしれない。

次回は、ここでお気に入りの「オムナポリタン」を食べることにしよう。


確定申告終了

2025年03月05日 | 生活

昨日帰京し、雪上がりの冷たい雨が降る東京の自宅で、確定申告を済ませた(今年の締切は3月17日まで)。
毎年記事にしていることだが、最近はe-Taxというネット申告ができるので(スマホとパソコンとマイナンバーカードが必要)、とても楽でしかも間違えが起こらない(昔は自分で計算して申告書類に記入したので、間違えると後日、税務署から連絡が来た)。
※:以前の紙で税務署に提出していた頃に比べると「とても楽」だが、スマホアプリの「マイナポータル」でマイナンバーカードを読み取り、パソコンのe-Tax画面と連携させるのに手間取った。問題はマイナポータル(アプリの評価ランクが1点台と低い!)の画面の使いづらさで、e-Tax画面にあるチュートリアル映像を見ながら操作するといい。

個人事業主でなくなり、単なる単一給与生活者になって数年になるが、その間一度も休むことなく、毎年確定申告をしている。
なぜなら、毎年「還付金」をゲットできるから。

普通のサラリーマンであっても、私のように医療費控除と生命保険控除、寄附金控除の対象者は、勤務先が代行してくれる「年末調整」で終わらせるのではなく、きちんと確定申告すれば、その分、お金が手に入る(本当は天引きで取られすぎた税金の一部が戻ってくるだけ)。

私のように扶養家族の老母がいると、二人合わせて支払った医療費(薬代も含む)が毎年10万円を超える。
それに私個人の生命保険控除と寄附金控除を加えると、今年は5万円弱の還付となった
(還付金は4月にこちらが指定した口座に振り込まれる。この仕組みを知らない=確定申告をしたことがない人が、還付金詐欺に遭う)。

医療費の場合は一年分の領収書を対象機関別に集計してファイル添付する必要があるので、それらの準備作業はあるが、寄附金などは相手先から確定申告用の書類があらかじめ送られてくる。
これらの準備を含めても、申告作業自体がとても簡単になったので、時給1万円のネット入力バイトをしたようなもの(ネット申告なら、こちらが時間がある時に申告できる)。

なので、やらないともったいない(きちんと納税している国民の権利)。
だから皆さんに勧めるためにも、こうして毎年記事にしている→みんな確定申告すればいい


新たな霊探知機を装備

2025年03月04日 | 計測

私は、目に見えないものを測る「計測マン」でもある
※:”目に見えないものは存在しない”という主観主義とは正反対の、科学的かつスピリチュアル的態度。

主な計測対象は、大気状態、放射線、電磁波、水質(温泉)、人の心、パワースポットのパワー(とやら)、そして霊。

もちろん、それぞれに対する相応の計測器が武器だ。

その中で、霊については、「ばけたん」(お化け探知機)がメインで、
また音で探知する「スピリットボックス」も装備済み。

そして今回、新たにラジオ波マイクロ波を計測する装置が加わった。
これは、いわゆる電磁波計の一種。
もともと霊は電磁波と干渉するようだが(経験済み)、通常の家庭内の電磁波(ELF:超低周波)ではなく、より高周波のラジオ波(RF)やマイクロ波のほうが霊と相性がいいらしい。
言い換えればELF対象の電磁波計だと、電気製品(50-60Hz)に反応してしまう一方、霊を捉えるには周波数が低すぎるようだ。

ELFと可視光の間のマイクロ波は、携帯電話や電子レンジの周波数帯に該当する。
そこで電子レンジを作動させて扉近くでマイクロ波を測ったら、針が振り切れた。
これから電子レンジ以外で、針が反応する場所を探してみたい。


恵那峡国際ホテルの温泉計測

2025年03月03日 | 温泉

東濃の恵那峡の辺(ほと)りにある「恵那峡国際ホテル」※は、このブログでも2度も見直した評価上昇の宿なのだが、
その高評価の一番のポイントである温泉の”濃さ”ついて、その指標の1つの電気伝導度の値は、過去の記事では当時使っていた水質検査器の都合で”計測不能”だった結果のままになっていた。→その記事
※:「湯快リゾート」という安宿チェーンの1つだったが、「湯快リゾート」が「大江戸温泉物語」と合併して「大江戸温泉物語」のチェーンの1つとなった。サービスに大きな変更はないがビュッフェバイキングは質素になった感。

その時の測器は通常(低張性)の温泉用で、ここのようにとりわけ濃い(高張性)と桁が違って計測範囲外となってしまうのだ。

そこで、計測範囲が広い水質検査器を購入し、本日、年度末の慰労の温泉旅としてこの宿に投宿したので、早速、大浴場の湯口でサンプルを取って計測し、その結果を示す。
まず温泉の泉質は「カルシウム・ナトリウム塩化物泉」。
大抵”高張性”の温泉はナトリウム泉だ。

実際、湯に口をつけると、それだけで塩っぱさを感じる。
なのでまず知りたい塩分濃度は1.68%(計測時の水温は28.8℃)。
この濃度は味噌汁だと濃すぎる値(煮物に匹敵)。

酸化還元電位(ORP)は、+803mV と酸化側に傾いている。
ただ酸度(pH)は7.16とど真ん中で中性(源泉は弱アルカリ性なのでこれらは殺菌のための塩素混入効果だと思われる)。

そして前回計測不能だった電気伝導度(EC)は、通常の単位のμSではなく、その千倍のmS単位に自動変換されて28.9と出た。
すなわち他の温泉と同じ単位で示すと、28900μSとなる(他所より1桁多い)。

温泉の濃度は溶存物質の量で決まるので、その値である総溶解固形物(TDS)は、これも通常の単位ppmではなくその千倍の単位で14.4pptと出た。
ppmで示すと14400ppm(これも1桁多い)。

以上の温泉の濃さの指標(EC,TDS)では、ここの温泉の濃度は、私が気に入っている同じ東濃の中津川温泉より5倍は濃い。
日本の温泉で最も多い「単純泉」、すなわちそこらの日帰り温泉の10倍は悠にある。
簡単に言うと、”味噌汁より濃い”温泉なのだ。
ただ、注意してほしいのは、同じ”恵那峡の温泉でも宿ごとに源泉をもつため、宿によって濃さが全然違う。
私があえて宿名をタイトルに挙げているのはそれが理由。

温泉がここまで濃いと、浸透圧がすこぶる高いので、湯の成分(カルシウム、ナトリウムなど)が肌から体内に浸透していく。
というわけで温泉目当てなら、あえてここに泊まる価値がある
※:ただし食事は(バイキング)については、伊豆・関東メインの安宿チェーン「伊東園」に逆転され、さらに差が広がっている感。


常滑を歩く

2025年03月01日 | 名古屋周辺
年度の業務をほぼ終えて名古屋にいる週末の3月1日。
しかも今日は4月並みに暖かくなるという。
せっかくなので日帰りで愛知県のどこかを訪れたい。
候補に上がっていたのは、名古屋の南に伸びる知多半島の伊勢湾側にある常滑(とこなめ)市。
 
歴史的に焼き物の重要な産地である愛知(尾張・三河)では、北の瀬戸焼に次いで有名な常滑焼の産地。
瀬戸焼は陶器のいわゆる”瀬戸物”だが、常滑焼はお茶を淹(い)れる茶色い急須が有名。
瀬戸は東濃への温泉旅でよく通り、棲み家から近くなので焼き物市にも行ったが、常滑はまだ。
行かなかった一番の理由は、自分が使う器(うつわ)類は焼き物(陶器)ではなく木製を好んでいるから。→木製化計画
私が焼き物を所持しない理由は、落として割れた時の喪失感が辛いからで、
木製を選ぶ理由は、落としても割れず(喪失感を体験しない)、触感がソフトだから。
なので私は木曽路で買った木製の器に囲まれていて、瀬戸焼すら使っていない。
という個人的相性の悪さがあるものの、そこは”ものづくり愛知”の拠点の1つとして、第三者的視点での観光対象となる。

常滑駅には、名古屋から名鉄特急で30分で着く。
それなりの観光地だと思っていたのだが、降りた乗客はまばらで、
車中のほとんどの客は終点の中部国際空港に向かうようだ
※後述するルートを回るなら車で訪れた方が楽かも。Aルート内に有料駐車場がある。ちなみに常滑の車も「名古屋」ナンバー。
改札を出ると、建物内に続く通路の両側の店舗スペースはことごとくシャッターが下りたまま(土曜昼だから定休日でないはず)。
てっきり駅に観光案内所があるかと思ったが、それどころではない閑散とした状態。
まずは駅前で昼食をと思っていたが、それらしき店もない。
要するに、名古屋から離れた所に点在する、やや寂れた郊外の1つの風景。
 
気を取り直して、町中方向に歩き出すと、路上の案内図の所におじさんが1人立っていて、道案内をしている。
そのおじさんに、最初に向かうべき場所として「陶磁器会館」を指示される。
指示に従って半島内陸部に向かう通りを上り、上に巨大な招き猫の象がある歩道橋をくぐると、陶磁器会館の建物がある。
まずは館内で観光地図(街中の散策図)をゲット。
もちろん館内には、常滑焼がずらりと展示販売してあるが、上述したように焼き物に所有欲がなく、急須すら木製にしている私は、それらを一瞥しただけで、地図を頼りに「Aコース」という常滑中心部の散策コースに出る。
細い道を進むと左右に常滑焼のギャラリーが点在するが、全て素通り。

常滑焼が敷き詰められている道沿いにある廻船問屋瀧田家の古民家を見学し(300円)、有名な撮影スポット「土管坂」を通り、文化財となっている「登窯」に達する。
付近は煉瓦造りの煙突が立ち、常滑焼の窯が集中している中心地帯(写真)。
黒い木の建物が続いているが、いわゆる製作所≒工場なので、風情はない。
常滑観光の中心部を巡るAコースの半分以上を過ぎたところで、空腹を満たすためルートを外してスーパーで菓子パンを2つ買い、店前のベンチに座って口に入れる
※:私にとって昼食はこんな軽めでよく、観光地のレストランのランチは不要。
この後も続く小さなギャラリーを見ても買う気はない身には、Aコースだけだと物足りない。
なのであえてAコースから離れて、常滑焼の基本情報を得るために「とこなめ陶の森資料館」に向かう。

資料館(無料)は、常滑焼の歴史から現代の活用までと、常滑焼の作業手順の展示(2階では講演会)。
それによると、愛知の焼き物の最初の産地だった猿投窯(さなげよう)から、平安期に北の瀬戸と南の常滑に分かれた。
南の常滑は、瀬戸と違って大型の甕(かめ)の生産がメインとなり、その技術の高さから常滑産の甕が全国に伝わる(関東の郷土資料館でも再三、常滑産の甕の展示を見た)。
その後、港が近い利点もあって、江戸に廻船で甕などの常滑焼が広がる。
ところが、一足先に江戸に広がっていたのが瀬戸焼だったため、扱ったのは「瀬戸物屋」(常滑の人たちはさぞ悔しかったろう)。
ちなみに、常滑で急須の生産が急増したのは、煎茶が庶民に普及した1820年代以降という。
というわけで、我々は常滑焼を使いながら、その存在を知らなかったのだ。
 
常滑焼には急須の他にもう1つ、名物がある。
地中に埋めてある茶色い土管(ドラえもんに出てくる公園の白い土管はコンクリ製)
常滑焼の土管は、水分を吸収せず、塩害に強く、堅牢なため、明治以降、水道管として全国的に使われた。
さらに今では、多孔陶管という形状の最新式の土管が地下ケーブルを通す管として、空港・高速道路のトンネル、発電所などに使われているという。
なぜなら上の性質だけでなく、火(熱)に強く、飛行機の重さにも耐えるので滑走路の下にも使えるから。
というわけでなんと常滑焼は日本各地の地下で我々の日常生活を支えるインフラとなっているのだ。

資料館の隣に「陶芸研究所」なる洒落た建物があり、そちらも見学する(無料)
研究所の研修生たちによる陶芸作品が展示されている(プロでないから、値段はついていない)。
ここでわかるのは常滑焼は甕と急須と土管という実用品で終わらいということ。
常滑焼の個性を活かした、具象的/抽象的、そして実用品としての芸術作品に目を開かれる。
土と火の微妙な調合によって生まれる焼き物は、我々の生活を便利にしてくれるだけでなく、美術工芸品として美意識をも豊かにしてくれる。
常滑焼もそうだった。
この地を訪れる前は、”常滑焼って急須でしょ”程の認識しかなかったが、この資料館と研究所で、常滑焼の現状と可能性を含む全てが分かった。

ここからさらに歩いてINAXライブミュージアムに行く(700円)
ここを見て知ったことには、INAXという有名な会社は元は「伊奈製陶所」という常滑焼の会社だったのだ。
大正時代に東京の帝国ホテルの設計を担当したフランク・ロイド・ライトは、地震国日本でのホテル建築の素材として黄色いレンガを求めたのが、それを提供できたのが常滑の伊奈氏だった。
そして常滑焼の柱を使った東京帝国ホテルは完成直後にM7.9の関東大震災に遭ったものの、びくともせず、そして地震以上に東京を破壊したその後の火災にも耐えた(常滑焼の堅牢性と耐火性が発揮!)。
その建物の玄関部は今は明治村(愛知県犬山市)に移築されて、私の勤務先の1年生の遠足先となっている(明治村では必ずここを訪れていた。そして今回、私が1年生に説明する内容が増えた)。

ここから駅まではバスの便があるが、テラコッタ(建物の装飾)や世界のタイル展示などを見ている間に時刻が過ぎてしまったので、25分かけて駅まで歩いた。
※:エジプトやメソポタミア出土のタイルを見ると、焼き物は割れさえしなければ、数千年はもつことがわかる。木は乾湿の変化に弱く、食器として使っていると劣化が早い。
途中の街中は至る所に常滑焼のプロの作品が配置されていて見飽きない(写真)。
 
常滑は、駅前こそこれみよがしの観光風景はなかったが、駅から離れた町全体が常滑焼と一体化していて、「ものづくり愛知」を代表する誇らしい地の1つだ。
そもそも常滑焼自体が、急須だけでなく人々の生活を多方面から支える幅広い”もの”であることが分かった。
 
愛知は「観光資源が乏しい」と県外から言われているが、このように他県にはない「ものづくり」という視点で訪れれば、観光になる所がいくつもある(瀬戸、則武高浜、半田、豊田など)。
※:豊田にはトヨタの本社と工場があるが、関連ミュージアムがあるのは名古屋と長久手。また創業の豊田家は遠州出。

杉並・妙法寺界隈の寺巡り

2025年02月23日 | 仏教・寺巡り

昨日、東京23区の各区ごとの「一寺リスト」を作成した結果、
杉並区代表に選んだ妙法寺(お祖師様)※にまだ行ってないことに気づいた。
※:日蓮宗の本山の1つ。
そして翌日の今日23日は、妙法寺境内にある「二十三夜尊」の縁日ということなので、早速行くことにした。

付近の地図を見ると、妙法寺界隈(杉並区松ノ木、梅里、堀ノ内)は寺町を形成している。
なので界隈の各寺もまわってみる。


地下鉄丸の内線の「新高円寺」で降り、まずは地元の町中華(杏杏)で「五目焼かたきそば」を食べる(ランチセット800円)。
ここを出るとすぐに寺町が始める。

各寺の入り口には区の案内板があるので、寺の歴史や本尊・所蔵文化財などがわかる。
案の定、ほとんどの寺が江戸時代は江戸市中(浅草・上野界隈)にあったが、
大正時代に東京市の拡張によって、この地に移転してきたもの。
同じような寺町は、世田谷区の千歳烏山にもある。
※:江戸時代にも大火の後など寺が一ヶ所に集められ、それが谷中(台東区)・高輪(港区)などの初期の寺町を形成した。
ただ、この地で関東大震災と空襲に遭い、いずれか一度は灰燼に帰したようだ。
関東大震災(震源地は小田原沖)の被害は、東京下町(これらの寺が元あった所)だけでなく、
移転先の武蔵野台地のこの地にも及んでいたことを改めて知った。

以上の理由もあって、寺の建築に歴史を感じるをことはできず、また境内に見るものも少ない。
その中では、華厳院(天台宗)の本堂右の大きな閻魔像、西方寺(浄土宗)の石仏群などは見るに値する。


そして界隈の中心的存在の妙法寺に達する。
門前にはスーパーがあって、現代的な門前町の賑わい。
縁日のためか、門前には数軒の出店も出ている。
山門を抜けると、まずは祖師堂がある。
祖師堂は奥の本堂よりも立派で、屋根の破風が金色に輝いている(写真)。
堂内に入ると、中も金ピカで(撮影不可)、日蓮聖人が本尊として祀ってある。
向かいの庫裡では「堀ノ内寄席」が開催されている。

本堂の奥にある小さな二十三夜堂に行くと、中で僧侶が一人読経しており、
参拝者は一人ずつ狭い堂内に入って本尊(月天?)を参拝する。
左下を見ると、見事な蛇石(大石の中に蛇の紋様)があった。

さらに境内最奥には、幼児を抱いた子育て観音の石像が建っていて、その美しい顔立ちは私の「美仏リスト」に入れたいレベル(写真)。


妙法寺を出て、環七沿いに北上すると、眞盛寺(天台宗)という立派な寺がある。
滋賀の天台眞盛宗総本山・西教寺の東京別院で、西教寺は明智光秀の菩提寺で、数年前に訪れた。
あちらは 境内を観光できたが、こちらは観光対象でなく、ひっそりしている。
だが、境内には竹林や茶室、池もあって風情があり、近所にあったらぜひ散歩コースに入れたい所。

この寺の真横が実際に梅里公園になっていて、そこから環七を歩道橋で渡り、
蓮光寺(日蓮宗)でチャンドラ・ボースというインド独立運動の旗手の像を見て、
蚕糸の森公園を抜け、丸の内線の東高円寺駅に着いた。

以上の寺町は、谷中のように外から観光客を呼ぶ要素はないものの、
寺と公園が点在する落ち着いた所だった。


東京一区一寺選抜

2025年02月22日 | 東京周辺

東京で寺巡りをする際、どの寺を訪れるか決める基準がないため、思いつく範囲で選んでしまうことが多い。
そうすると、頭に浮かばない寺は候補から外れてしまう。
そこで、より客観的な基準でリストを作成してみることにした。
例えば、23区それぞれから1つずつ寺を選ぶ方法である。

選定基準は、宗教的な価値(寺格)と観光的な魅力(境内の見どころ)のバランスとした。
その結果は右表のとおりである。

まず千代田区では、すぐに思い浮かぶ寺がなく、地図を頼りに区内でほぼ唯一と言える寺を見つけた。
その後、ネットで情報を収集したところ、やはり由緒ある寺であることがわかった。
中央区では真っ先に築地本願寺が思い浮かんだ。
※京都・西本願寺の東京別院
ただし、本来は他所に本院がある「別院」は除外したいところだ。
しかし、築地本願寺は建物が国の文化財であり、東京を代表する寺の一つであるため、例外的に採用した。

迷ったのは台東区。
寛永寺(天台宗)を外すのは徳川家に申し訳ない気もしたが、今回は江戸時代よりはるか前、飛鳥時代に創建され、現在もトップクラスの人気を誇る古刹を優先した。
徳川将軍ゆかりの寺については、港区の増上寺が選定されているため、そこでバランスを取った。

江東区では、賑わいの点で深川不動(真言宗)が優勢だったものの、成田山新勝寺(千葉県)の別院であることから、地元の独立した寺を優先した。
渋谷区では法泉寺(天台宗)も候補に挙がったが、23区内候補で唯一の臨済宗の寺を優先した。

宗派ごとの内訳は、真言宗7、浄土宗6、日蓮宗4と、真言宗が最多であった。
また、「本山」級の寺も7つ入っている。

このうち、私がまだ訪れていないのは千代田区の心法寺、杉並区の妙法寺、江戸川区の善養寺の3つである。
※:文京区の護国寺(大本山)の末寺だが別院でないので採用
今後の寺巡りでは、これらを優先的に訪れる予定だ。
実際に選んでみて、神社編のほうが選定は楽かもしれないと感じた。


以上の文章は、 ChatGPTでの校閲を受けて修正したもの(ただし一部自分で再修正)→生成AIの校閲比較
文体の個性は尊重されているものの(他の生成AIでは破壊される)、私の原文より、説明が丁寧になっている。
言い変えると、私の文章は、”流れ”を優先するため、論理を飛ばす傾向があるようだ(自分本位な文章になりがち)。
ブログ記事は他人に読んでもらうためのものなので、これからは”校閲”を通したい。


霊が見えるという現象についての2本目の論文

2025年02月19日 | 心理学
「霊が見える」という現象についての私の2本目の論文「霊視認現象についての態度調査と視認事例の追加」が公開された。
 
この論文は、霊が見える人の出現率を調べることと、その経験(者)に対する当事者とそうでない人の態度を調査するのが第一目的で、その現象の追加例の採取が第二の目的である。
また、この現象を説明する心理学的見解を批判的に検討した。
ここではその概略を示す。

まず、視覚経験として霊が見えるという現象を、今回から「霊視認」と表現し直した。
前回の論文(山根,2024)では、「霊視覚」と称していたが、この経験は感レベルではなく知レベルの現象であり、また霊を「視認する」という動詞形における適合性から、「霊視認」と改称した。
 
調査は186名(全員女性)の回答を得た。
うち「霊を見たことがある」という回答者は17名、すなわち約9%に達した。
ただし、その回答者たちに、面接をして詳しく話を聞きたいために任意で記名をもとめたのだが、記名したのは6名で、さらに面談を実現してイラストを含めた視認情報を得られた、すなわち「霊視認者」と認定できたのは2名(1%)だった。
※:明らかな幻視の可能性、すなわち統合失調症、薬物依存、視神経・中枢神経系の障害がないことを前提とする。調査の回答だけではこの確認ができないので、それだけで霊視認とは認定しない。
 
また17名のうち視認経験についてのさらなる質問に回答したのは15名で、うち8名は1回だけで、数回も6名であり、頻繁に視認できると回答した者は1名しかいなかった(ただし上の認定者ではない)。
つまり霊視認のほとんどは1回程度の経験である。
そして視認者自身、その時の経験に対して錯覚や幻覚の可能性を否定していない。
また霊視認経験自体を快適に思っておらず、誇らしくも思っていない。
残り大多数の非視認者にとっても、見えるようになりたいとは思わない傾向が示された。
すなわち、霊視認に対する態度は視認者も非視認者もほぼ同じだった。
 
2名の視認事例は、いずれも10年以上前の経験で、内容は見える霊との間に交渉がなく、声・音を伴わない、いわゆるシャルル・ボネ症候群(視野欠損症の一種)での幻視と同じパターンであることから、前稿の事例を含めてこれを霊視認の定型として「シャルル・ボネ型(霊)視認」と命名した。
 
霊視認についての心理学的説明の可能性を探るため、この現象を言及している過去の心理学者としてW.JamesとC.G.Jungについて調べた。
Jamesは英国心霊協会の会長まで務めるほど心霊科学に関わっていた(ただし霊の存在については懐疑的)
Jungは英国滞在先で霊を見ている(怖気づいて翌日退去してしまった。心理学者ならそこは知的好奇心が勝ってほしかった)
ただ両者とも霊視認を意識下・無意識の現象とみなし、意識レベルの視覚現象とは認めない点で、筆者にとっては参考にならなかった。
「無意識」という便利で実証不可能な概念装置に頼らないのが、心理学における筆者のアプローチだからである。
そして生半可な段階で解釈・説明に走る前に、当面は事例を積み重ねることを優先する。


慰労の熱海温泉:追記

2025年02月18日 | 東京周辺

わが職場は実質春休み前半(3月中旬に集中的に仕事がある)、すなわち”年度末”に入ったので、慰労の温泉宿として、最近は東京からはここ一択になっている熱海の「ホテル大野屋」に泊まる。

前の記事(熱海の大野屋に泊まる理由)に示したように、熱海自体の価値とこの宿の価値が合わさっているため。

その記事で示し忘れた”理由”を1つ追加する。
JR東日本のジパング俱楽部に入っていると、その鉄道で往復200kmを越えると運賃が3割引となる。
片道100kmの熱海はこれにギリギリ該当するので(1つ手前の湯河原は非該当。1つ先の函南はJR東海なので対象外)、往復切符が使える1泊にすると、運賃が1300円ほど安くなるのだ。
これもインセンティブ(誘因)になる。


さて、その熱海に早めに着いたので、まずは街中を歩いて宿に向かう(Googleマップだとホテルまで所要18分)。
熱海の街は一時期の危機を脱しつつあって、あちこちの店に行列ができている。
熱海は規模のある繁華街と温泉宿が渾然一体となっている珍しい所で、旧温泉街の風情と新興の個性ある店が合わされば、街自体が観光対象となろう。

銀座通りを横断して、糸川遊歩道に出ると、そこは今が盛りの梅の木が並んで、内外の観光客が記念写真を撮っている。
さらに進むと市内の名所の1つ「起雲閣」に出る。


起雲閣は東武の創設者・根津氏などが所有した大正時代の別荘で、その後旅館となり、幾多の文豪が訪れた。
幾棟ある和洋建築と庭園が見学できる(610円)。
増築された旅館部分に行くと、ゆったりとした客室で庭に面した空間にソファがある。
もちろん風呂は温泉で、明るい部屋から広い起伏のある庭を望んでの滞在執筆に私もあこがれる。
ここに太宰治が滞在してあの『人間失格』を書いたという。
作品に通底する絶望感とそれを執筆した空間の明るさのギャップに戸惑うが、それがプロの作家なのだろう。
また三島由紀夫は新婚旅行で泊ったという。
そして、ここに元祖「ローマ風呂」がある。
そう今晩泊る大野哉のローマ風呂につながるそれ。
といってもこちらはこぢんまりした箱形の浴槽だが、内側は金色になっていた(写真)。

庭に出ると、和風建築と洋風建築がならんでその横に今晩泊る宿の看板が見える。


その宿にチェックイン。
今回は、最安値のビジネスルームではなく、さっきの「起雲閣」の大宰が泊った部屋と同じ感じのゆったりした和室。
1泊の私は、ここで執筆というわけにはいかず、このブログの記事を書く程度。

ここの宿の温泉は、成分の濃さが日本で珍しい”高張性”に達するレベルで、改めて計測でそれを確認(貸切風呂の黒い湯では電気伝導度が10000μSを超えた)。
濃度が高いほど、浸透圧が高く、温泉成分が体内に吸収されるのだ。
実に入り甲斐がある。
※:日常使用の伝導度計だと針が飛んで計測不能となる濃度。ナトリウム系の温泉は、このような極端に高い値が出るが熱海でもそう多くない。宿の船室を確認しよう。

夕食は、アルコール飲み放題付きの食べ放題。
昼、熱海の街中を歩いている時は、食べる店がこんなに多いから、次回は素泊りにして食事は外の店という旅もいいかなと思ったが、少なくとも伊東園系列の宿で素泊りという選択肢は”愚行”でしかないことを痛感。


19日追記

翌日、チェックアウトして、近くの「熱海山口美術館」に立ち寄った(1400円)。
ここは体験型の美術館という。
住人がいるマンションの1−2階フロアを改装しての館内なので、真面目な美術館なのかどうか、一瞬入るのに戸惑った。
ところがコレクションは一流で、ルノアール、ピカソ、岡本太郎などの作品があり、重要文化財の仏像もある。
その中で驚いたことに、あの細川護煕元総理大臣が、今では立派な陶芸家となって作品を展示していた。

鑑賞が終わって受付に戻ると、小皿に絵付けの実技が待っていた。
しかも、人間国宝の作品でお茶を飲める(いずれも入館料に含まれる)。
白い小皿にペンで絵を描き、裏にサインを入れ、10分ほど間って(その間に喫茶)、仕上がりを受け取る(写真:思いつきで適当にヒョウタンとキノコを描いた)。

熱海の美術館といえば、まずは MOA美術館(→記事)だが、ここはその次に訪れるべき所だ。


東京のゴーストスポット巡り

2025年02月16日 | パワー・スピリチュアル

実質春休みに入り帰京して迎えた日曜。
暇にまかせて、都内のゴーストスポット巡りに行く。
情報源は、昨年夏に国会図書館で読み漁った『魔百合の恐怖報告』シリーズ(山本まゆり、朝日出版)。→記事
読んだ当時の夏は出歩く気が起きなかったが、今日は3月並みの陽気なので絶好の外出日和。

いずれも場所は家から電車を乗り継いで30分で行けるので、一気に周ってしまおう。
装備として、カメラを持参し、霊の探知機「ばけたん霊石」を首から下げる。


まずは東武スカイツリー線の「曳舟駅」に初めて降りる。
駅舎のビルは病院にもなっている。
駅前には、今では珍しい「ヨーカドー」があって、その周囲は新しい高層アパートが連なっている。
そして南の空には一駅先の間近なスカイツリーを見上げる。

人で賑わうヨーカドーを過ぎて、京成曳舟駅の南側の道路を進む。

ここにかつては人だけがやっと通れるガード下があって、そこが「鬼のスポット」と呼ばれていた(『目覚めた英霊』所収)。
鬼(低級霊)にそそのかされた自殺の名所だったという。

ところが、今は広い道路で、京成線もさらなる高架となって、当時の面影が全くない明るく開放的な空間になっている。

古く狭い木造家屋が密集するいわゆる下町風情は跡形もなく、街全体がまるで郊外の新興住宅地のよう(悪く言えば無機質)。
まるでスカイツリーから照射される強力な電波によって、半透明のひ弱な浮遊霊の類など追っ払われてしまった感じで、欲も悪しくも霊とは共存できない雰囲気。
もちろん”ばけたん”も無反応で、私の心も無反応なのでデジカメで撮影する気も起こらない。
何もせず引き返す。

曳舟駅に戻って、東武接続の半蔵門線(中央林間行き)に乗る。
青山一丁目で銀座線に乗り換え、1つ目の「外苑前」で降りる。
今の東京は、環状線の外側を走る私鉄が悉(ことごと)く環状線の内側を縦横無尽に走る地下鉄のどれかと接続しているため、 環状線を跨いだ都区内の移動がとても楽になった。


大勢の人と一緒に地上に上がると、まずは秩父宮ラグビー場へ入る客たちと別れる。
さらに北上して、2つある神宮球場へは誰も行かず、その先の国立競技場はすでに観客の歓声が響いている(Jリーグの東京V―清水戦)。
その向かい側の都立明治公園では、子ども連れが楽しそうに集まっている。
かように、都心部でありながらのびのびした空間であるここ神宮外苑。
その西端の谷状になったところが仙寿院交差点(写真)。
交差点の向こうにはビクタースタジオのビルがある(写真左手前)。
ここが二番目のゴーストスポット(『黒い影の男 』所収)。

このような人が集まる場所がゴーストスポットなのかと訝(いぶか)人がいそうだが、霊は人が集まる所が好きなのだ。
そして昼の方が人が集まるから、こうした休日の昼の方が霊が集まりそう。

ここが曳舟と違うのは、再開発は今後の案件であって、昔から人が集まる空間であること。
こちらは”可能性”を感じたので、カメラを取り出し、ファインダは覗かずに適当なタイミングでシャッターを押しながら歩く。
ただし”ばけたん”は無反応。


さらに交差点を過ぎてビクターのビルをすぎると、上が墓地になっているトンネルとなる(上の写真中央奥)。
ここが三番目のゴーストスポット「千駄ヶ谷トンネル」(同上)。
このトンネルには歩道もあるので、カメラのシャッターを押しながらトンネル内を進む。
トンネルの中央部で、ばけたんの探知ボタンを押すも反応なし。
※:ばけたんは基本は自動探知であるが、あえて”ここ”で探知(評価)してほしい場合用のボタンがある。
トンネルを出た先の横断歩道で反対車線側に渡り、今一度そちら側のトンネル内を上と同じ行動をして歩く→あるものが映っていた(下の記事)

そもそもトンネル上の墓地が気になるので、交差点脇から上にある仙寿院という寺に行く(上写真右の三角の屋根)。
この寺は、日蓮宗の由緒ある寺で、すでにあった墓地の下に後からトンネルが掘られたようだ。
しかも墓地は綺麗に整備されていて、いずれの墓も立派で手入れも行き届いている(無縁仏などはいない)。
また神木的な木が複数立っていて、神聖な空気こそあれ、禍々(まがまが)しさは感じられない。
立派な万霊塔があり、背景がビクターのスタジオだったので写真を撮ったが何も映っていなかった。

これでスポット巡りはおしまい。
ここまで、別段何もなかった。
あとは最寄りのJR千駄ヶ谷駅まで歩く。
途中、禅宗寺院の瑞円寺に立ち寄り、1箇所に集められた無縁仏の中に端正な美仏を見つけた。
その先の鳩森八幡神社に立ち寄り、参拝して、さらに境内にある大きな富士塚に登って(「六根清浄」と唱えながら)、自分を浄化した。


帰宅後、撮った写真を見直したら、三番目のゴーストスポット・千駄ヶ谷トンネルで撮った写真(仙寿院交差点側の出口付近)に、緑色のオーブが映っていた(写真:左上部の緑色の楕円。本当は二重になっている。またその下にほぼ透明の大きな円形のオーブがある)。

同じ写真でその部分を拡大したものを下に示す(緑の楕円が2つ重なっているのがわかる。その真下にほぼ透明ながら綺麗な円が見えるだろうか)。
緑のオーブは同じ場所の次の写真にも映っていた(いずれもストロボ不使用)。
天井照明の類でないことは写真でわかる。
もちろん本日撮った他の場所の写真(同じトンネル内も)には映っていない(=レンズ上の汚れではない)。

オーブ写真の経験は過去にもある。
前回のオーブ写真は富士塚の上だった。→「高田富士のオーブ写真

オーブは直接的にはデジカメ固有の光学現象(≠心霊現象)だと思う。
でも頻繁には起きず、なぜそれが起きるのかは不明
※:雨中の屋外でストロボを焚くと、画面のあちこちにオーブ様の図形が映ることがある。ただしこのような人工的な操作は「オーブ写真」とは言わない。

私の過去のオーブ写真はいずれも寺社内あるいは天然のパワースポットだ(ゴーストスポットは今回が初めて)。