紫外線の悪影響はマスコミで騒がれるものの、では自分が今現在浴びている紫外線量はどの程度なのかというと、誰も知らない。
気象庁のサイトには「紫外線情報」があり、全国の紫外線量の分布が載っているが、気象庁が実際に紫外線量を観測している場所は、なんと日本でたった3ヶ所だけ。
なので、他の地域は天気などからの予測値にすぎない。
しかもネットでの値の更新は1時間おき(1時間内に紫外線量は変化する)。
そこで、名古屋と東京に設置しているわが「私設気象台」で10分ごとのUVindex(有害紫外線量の指標)を常時観測・配信をしている。
さらに名古屋の2ヶ所(星が丘、日進)では、被曝累積値であるUVDoesの10分間の値も配信している。
この累積値が1になると、日焼けを起こす。
とにかく、まずは観測なのだ。
だがその観測値を盲信するのも問題だった。
わが「私設気象台」でのUVindexの日変化をみると、いつも日の出後と日没前の1時間は値が0のままとなっていた。
その間、日射量はちゃんと値があるので、日差しはあるはず。
この観測現象については、太陽高度角が低いと、紫外線を吸収するオゾン層を通過する距離が増えるので、日射量の割に紫外線の到達量が減るという理屈で納得していた。
同様の観測値を得ているためか、気象庁の紫外線情報でもそのような値になる。
先日、携帯できる簡易紫外線測定器を入手した。
表示精度は低いが、どこにいても計測できるのがいい。
そいつで、日没直前の18:30(日没は18:57)、太陽へ向けて測ったらUVindexは2を示した。
ところがその時の「日進」のUVindexは18:30現在で0(17:00で1を切っていた)。
おそらく、「私設気象台」では測器の設置位置の制約で、太陽高度が低いと直達光から外れるため、測定不能になっていたのではないか。
すなわち、日差しを浴びていれば、夕方であっても紫外線を被曝する、という常識的思考が正しかったのだ。
もちろん、この実感を確認できたのも、観測によるわけだが。
勝手な理屈で納得する前に、きめこまかい観測こそすべての始まりであることを痛感した。
これからは、紫外線測定のオニとなって、いろんで状況で測りまくってみる。
気象庁のサイトには「紫外線情報」があり、全国の紫外線量の分布が載っているが、気象庁が実際に紫外線量を観測している場所は、なんと日本でたった3ヶ所だけ。
なので、他の地域は天気などからの予測値にすぎない。
しかもネットでの値の更新は1時間おき(1時間内に紫外線量は変化する)。
そこで、名古屋と東京に設置しているわが「私設気象台」で10分ごとのUVindex(有害紫外線量の指標)を常時観測・配信をしている。
さらに名古屋の2ヶ所(星が丘、日進)では、被曝累積値であるUVDoesの10分間の値も配信している。
この累積値が1になると、日焼けを起こす。
とにかく、まずは観測なのだ。
だがその観測値を盲信するのも問題だった。
わが「私設気象台」でのUVindexの日変化をみると、いつも日の出後と日没前の1時間は値が0のままとなっていた。
その間、日射量はちゃんと値があるので、日差しはあるはず。
この観測現象については、太陽高度角が低いと、紫外線を吸収するオゾン層を通過する距離が増えるので、日射量の割に紫外線の到達量が減るという理屈で納得していた。
同様の観測値を得ているためか、気象庁の紫外線情報でもそのような値になる。
先日、携帯できる簡易紫外線測定器を入手した。
表示精度は低いが、どこにいても計測できるのがいい。
そいつで、日没直前の18:30(日没は18:57)、太陽へ向けて測ったらUVindexは2を示した。
ところがその時の「日進」のUVindexは18:30現在で0(17:00で1を切っていた)。
おそらく、「私設気象台」では測器の設置位置の制約で、太陽高度が低いと直達光から外れるため、測定不能になっていたのではないか。
すなわち、日差しを浴びていれば、夕方であっても紫外線を被曝する、という常識的思考が正しかったのだ。
もちろん、この実感を確認できたのも、観測によるわけだが。
勝手な理屈で納得する前に、きめこまかい観測こそすべての始まりであることを痛感した。
これからは、紫外線測定のオニとなって、いろんで状況で測りまくってみる。