今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

念願の”まんだら堂やぐら”訪問

2024年10月20日 | 東京周辺

高校時代に"鎌倉"を好きになって以来、鎌倉の名所(寺社)は、北は今泉不動、東は十二所神社、西は龍口寺、南は光明寺に囲まれた内側の、道脇の祠から、民家風の小さな寺までほとんど行き尽くしているのだが、唯一行きそびれていた所がある。
南の逗子との境にある「まんだら堂やぐら」(写真)。

鎌倉地方でここかしこにある”やぐら”(鎌倉石を掘削した墓地)が密集した、いわば中世の共同墓地(霊園)で、鎌倉で最大のやぐら群を形成している(国史跡)。

高校時代からその存在は知っていて、まず名前に惹かれた。
そしていつしか、その地に、人々が気楽に立ち寄って自己を見つめ直せる「まんだら堂」を建てたいという夢さえ持つようになった。

かように私の心の中に確固と存在感がありながら、なぜ最後まで行きそびれていたかというと、
鎌倉市と逗子市の境の丘陵地帯というポツンと離れたロケーション的な要因が行くのを阻んだ第一要因だった(駅から遠く、一緒に巡る所もない)。

その間、おそらく夢で見たのだろう、「まんだら堂」がその地に建てられ、人々が集まっている、という認識が出来上がってしまった。

それでグズグズしている間に史跡維持のために非公開になってしまったのだが、つい最近、初夏と秋に限定公開されることを知った。
秋は10月19日から12月16日までの土日月。
幸い私の帰京の日程と合う。


ということで天気が回復した10月20日(日)、念願の地を訪れることにした。
11時前に鎌倉駅に降り立ち、昨日ネットで現地のアプローチと詳細地図は入手していたものの、
念の為駅前の観光案内所で、まんだら堂やぐらへの道を尋ねた。
係の女性は、鎌倉市の広域観光地図を渡してくれて、スラスラとバス停からの道を説明してくれたが、
別の人が、まんだら堂やぐらの詳細地図を出してくれた。

それによると、まんだら堂やぐらへは今から行く南のバス停からの道の他に、東の逗子から上がる道、西の安国論寺から上がる道(大町口)、さらに北の滑川から衣張(きぬばり)山を経由する巡礼道と四方からつながっていることがわかる。
ちっとも行きづらくはなかったのだ。

鎌倉駅からの最短ルートは3番乗り場から「緑ヶ丘入口」行に乗って終点で降りる。
便は1時間に2本の頻度。
山の中の谷間の終点で降りて、案内所で言われた通りに車道を少し戻る。
そこに「風麺」という山小屋風のラーメン店があり、ここで予定通り昼食をとる。
ネットでチェックした時は、かた焼きそばを予定したが、値段(予想の1.5倍)と時間がかかる理由で、一番シンプルな醤油ラーメンにした(830円)。
ラーメンは本来なら選択肢外なのだが、焼きそばとかチャーハン(せめてタンメン)がないので仕方ない。
だが久々に食べたラーメンは、それなりに美味しく、2枚のチャーシューが厚かった(ラーメンで困惑するのは一番味わいたいスープを飲み干せないこと)

さて、いよいよ目的地に向かう。
道路左側に広い石の階段があり、それが上り口。
階段を上がるとその先からは細い踏み跡で、急に心細くなる。
周囲には誰もいない。
観光客がオーバー気味の鎌倉だが、こんな所もあるのだ。
平坦で広い場所に出たので、「まんだら堂」を建てるならここがいいかなと思う。

水平の道と合流すると、右側に人一人がやっと通れる深い切通しがある(写真)。
名越の切通し」の第一切通しだ。
この水平の道が、幕府のある鎌倉から三浦半島に南下する古くからの道だったわけだ。
目的地は鎌倉側の左の道でそちらを進み、第二切通しを抜ける。
そして分岐を右に上がると鉄門が開いていて、目的地・まんだら堂やぐらに達する。

そこには受付のテントがあって、まんだら堂やぐらの最も詳しい地図と逗子市の観光地図を渡してくれた。
まんだら堂やぐら自体は逗子市に入るから。
入場無料だが、史跡管理のための寄付の箱があるので100円入れた。

目の前に広がるやぐら群(掘られた洞窟の中に五輪塔が並ぶ)を眺める(写真)。

説明によると、やぐらの穴だけで150以上あるという(埼玉の吉見百穴より多い?)。
A群からE群まであり、公開しているのはA・Bのみ。
江戸時代にすでに「まんだら堂」という地名になっており、建物の痕跡はなかったという。
また埋葬者には首を切られた人の骨もあったという。

背後の展望台に上がると、やぐらが上下に層構造になっているのがよくわかり、わが菩提寺の五百羅漢寺の霊廟の構造を思い出した(写真)。


やぐらを後にし、北に伸びる鎌倉市と逗子市の市境の山道を進む。
大町口の道から子どもたちを連れたママグループが登ってくる。
石製の廟が2基ある広場を越え、逗子の海が見える長い切岸(石切場跡)を越える道はハイキングコースなので、上の母子グループ以外はちゃんとしたハイク用の靴で歩いている(私はそうでない)。
周囲一の高点である「パノラマ台」に上がると、西に七里ヶ浜と稲村ヶ崎と江ノ島が直線上に並んでその上に箱根山が聳えている。

ここから往路を戻って、石廟の先で道標に従って左折し、逗子側の法性寺に降りる。
鎌倉側で法難に遭った日蓮が逃げ延びた(ママグループの来た道がその逃避ルート)という法性寺の奥の院を参拝し、そのまま道を下って逗子駅に達する。
帰りは気分を変えて京急で帰った。

これでやっと鎌倉は行き尽くしたといえる。



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