今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

八甲田雪中行軍遭難を思う

2013年01月27日 | 歳時
1月下旬は、統計的にも一年で一番寒気が強い時期。
たとえば日本最低温記録の旭川の-41.0℃は、1902年(明治35年)の1月25日だ。
実は、丁度その時、青森の八甲田山に青森5連隊が、雪中行軍を挙行し、
猛吹雪の中、山中を数日間彷徨し、210名中199名が死亡という、大惨事を起こした。

この大遭難事件は、山岳小説家・新田次郎の手によって『八甲田山死の彷徨』としてまとめられ(氏名は変更)、
それを原作とした映画『八甲田山』もヒットした。

私は、毎年この頃に映画『八甲田山』のDVDを観ることにしている。

以前青森に旅行した時、遭難者の墓地がある向畑の記念館やその他で現地の資料も入手した。
また初夏のレンタカーであるが、道を失うまでの行軍ルートも通ってみた。

まず、よりによって100年に一度以下の稀なる大寒波の中、生を拒む領域に入った事自体が、
当時の気象情報レベルから言って不運だった。
そして、”冬山”というものが、どういうものか、
アルプス由来のスポーツ登山が定着していない時代だっただけに、無知に等しかった。
すなわち無謀の一言。
もちろん、山中で彷徨してしまう行動自体、登山の常識を無視している。
逆ルートを通った弘前31連隊は少数精鋭のためほとんど無傷で走破したのと対照的で、
この2隊の行動の違いが、新田次郎の作品でも対比的に描かれている。

それと、危機に陥った時の心の弱さ(自暴自棄になる)
が指導者に現れてしまったのが悲しい。
この弱さは残念ながら日本人のメンタリティとなっている。

どんな絶望的な状況になっても、冷静になって生き抜いていくという
タフさは、むしろ江戸時代の海洋遭難者の中に見つけることができる。

たとえば、無人島に漂着し、その十数年間のうち1年強をたった1人で生き抜き、
生環した土佐の長平のように(吉村昭が『漂流』で小説化した)。