今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

寝言を言う主体:追記

2024年12月02日 | 心理学

愛聴しているラジオ番組「安住紳一郎の日曜天国」で、ここ2週間、視聴者の寝言が話題となっており、寝言録音アプリで録音された実際の寝言の音声が紹介されている。
それを聞くと、口調はもちろんのこと言っている中身が理路整然としていて、単なるうなり声ではない。
ところが、夢と違って本人は全く覚えていない。

研究によると、寝言は夢と違ってノンレム睡眠中の現象で、夢の中で喋っているのではない(夢の中の発言なら、寝言はずっと続いているはず)
確かに夢見のレム睡眠中は、体中の筋肉が弛緩して(口を開けて)いるので、金縛りの時がそうであるように、声を出すことも喋ることもともできないはず。

「心の多重過程モデル」を構築中の私は、夢は無意識ではなく、自我以外のシステム2(意識)が見せている見ているのは自我)と思っている。
なぜなら、夢のストーリーの創造性は動物的な無意識(システム1)では不可能で、人間固有の創造的表象能力の発現とみなすから。

では寝言現象はどう説明できるか。
やはりこれも、システム2の言語能力の発現現象と見なせる。
ただしこちらは自我が停止中で関与しないので、自我が言ったのではないし、聞いたのでもない。
寝言を言ったのは、自我でない別の言語的思考の部分。

すなわち、システム2の二大能力である言語的思考と創造的表象力がそれぞれ睡眠中に、別個に発現するのだ。
これは睡眠中のシステム0による体動(寝返り)と同じく、長時間に及ぶ睡眠という心身の整備中の作動チェックのためだろう。

また寝言現象からも、自我はシステム2の一部であって、決して中心的機能ではないといえる。
システム2=自我+αなら、そのαは自我にとっては同居する”他者”に相当する。
しかもその”他者”は自我とともに”私の意識”を構成しうる
※:システム1は覚醒意識を構成して、システム2の自我意識を可能にしている。
ここまでくると、心の問題に詳しい人なら、”人格解離”現象を思い浮かべるはず。
私は、解離を可能にするベーシックな現象はもっと頻繁に起こっているとみなしている。
その”他者”の正体を探るのが「心の多重過程モデル」の課題の1つだ。

※:心=多重過程という図式自体が、自己・意識の多重性を含意している。


追記:寝言は自我が預かり知らぬ言語現象であることから、落語「天狗裁き」の主人公は、寝言は言ったが夢は見ていない。だからこそあれだけ酷く問い詰められても夢を見たとは言えなかったのだ。

 


2つの運慶展をはしご

2024年12月01日 | 東京周辺

いよいよ12月(師走)となった日曜。
昨晩の高校同窓会の酔いもすっかり醒め、予定通り、神奈川で開催されている「運慶展」を見にいく。
この展示は横須賀美術館と金沢文庫(写真:ポスター。運慶作大威徳明王)との共同開催なので(あと鎌倉国宝館も協力)、その2箇所に行く。

運慶は奈良(大和)出身ながら、鎌倉武士たちの支援を受けて、東国鎌倉周辺の地にも作品を残しており、それらが一堂いや二堂に会するのだ。


まずは三浦半島突端の観音崎に程近い、横須賀美術館
京急の馬堀海岸駅からバスで向かう。
房総半島の富津岬・東京湾観音を対岸に望む東京湾の要衝・浦賀水道を見渡せる公園にあるので、芝生に寝そべるだけでも来る価値のありそうな所。
しかも併設のレストランも人気。
あと週刊新潮の表紙で有名だった谷内六郎館も併設。

もっとも私は運慶展を”はしご”するので、同時開催の他の特別展には目もくれず、地元に縁のある画家たちの展示を足早に見て、いよいよ「運慶展:運慶と三浦一族の信仰」の展示室に入る。
※12月22日まで
そこにあるのは市内浄楽寺の運慶仏5体(阿弥陀三尊+不動明王+毘沙門天:いずれも重文)。
実は、この5体は2019年の開帳の時に浄楽寺に見に行った(→記事)。
こちらは美術館なので、説明のパンフとネットアプリ「ポケット学芸員」を使っての解説(運慶展に限って音声案内)が加わる。

この地で活躍した時の運慶は30代だから(東大寺の仁王は50代の作)、大御所というより東国武家の新時代にふさわしい新進気鋭という状態だったようだ(上の大威徳明王像は最晩年の作)。

運慶仏以外に、片膝立てた中国南宋の観音像、和田義盛の身代わりに傷を負ったという平安中期の薬師如来像など横須賀の他の寺からの出品もある。


バスで馬堀海岸まで戻って京急に乗って、金沢文庫で降りる。
ここから東に10分ほど歩いて、県立金沢文庫に達する。

金沢文庫は、元は金沢北条氏が集めた貴重な文書の文庫(学問所)だが、今は県立の博物館になっている。
ちなみにこの地は横浜市金沢区なので相模ではなく武蔵の国。

共同開催の横須賀美術館の半券を見せると団体料金になる(私の場合は年齢割もあってたった100円)。
こちらの運慶展は「女人の作善と鎌倉幕府」というテーマ
※:2025年2月2日まで
すなわち北条政子などの女性支援者と関係のある展示。
こちらの運慶仏は小ぶりな念持仏サイズで(上写真の明王もその1つ。もちろん造りに妥協がない)、他は彼が指導した工房作が中心。
その中で個人蔵の展示は貴重。
特に憤怒像における顔面の筋肉の盛り上がりのリアリティは、”存在”のリアリティに直結し、「本当にいるんだ」という気持ちにさせられる。

ところで美術展に行くのはもちろん観たい作品があるからだが、そこで販売されている図録を買うことはほとんどない。
今回も一瞬迷ったが、手を出さなかった。
なぜなら、過去に買った図録は、たった1回読んだだけで、あとは全て本棚の肥やしになっているから。
しかも図録なので分厚い。
古書に出しても歓迎されそうもないし。
とうことで、よほどの事でない限り、手を出さないことにしている(電子書籍版にしてくれるとありがたい)。

館外に出ると向いは庭園のある称名寺
銀杏の黄葉が盛りで、ここかしこで和服女性の撮影会。
撮影会の隙間を縫って、本堂に参拝。
あとは往路を戻った。