今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

システム2を構成するモニター/想念機能

2024年12月07日 | 心理学
私の「心の多重過程モデル」が、心を単一の現象ではなく多重過程とみなすように、そのサブシステム(システム0〜3)もまた単一過程を前提としない。
自分の心が1つだと考えているのはシステム2(明晰意識)だけを経験している自我の思い込みである。
その「自分の心」に一番近いシステム2が単一過程でないという問題に注目する。

確かに自我は自分の心(明晰意識)をリアルに経験している。
その経験そのものが、経験する自我と経験される意識の2つ過程の照合なのである。
この2つの過程を「モニター機能」と「想念機能」としてみる。
モニター機能は、知覚、行動、想念などへの集中(モニター)を配分する活動。
想念機能は、システム2特有の思考やイメージ表象活動。

この2つは、日頃は連動しているが、本来的には相互に独立して作動できる。
つまり、この2つの機能は日常では一体化しているため、素朴な態度では1つの心(システム2)として認識されるが(なもので同時に作動しているシステム0やシステム1に気づかない)、さまざまな場面で、一体でない状態が経験されうる。
それらを簡単に列挙してみる。
1.モニター主導で、想念を作動させる:モニターが思考・表象活動をしっかり制御している、最も普通の状態。
2.モニターがオンの状態(オフになりかけ)で、想念が自律運動し始める:想像から夢への転換時(入眠時幻覚)。あるいは死に直面して、過去の思い出が走馬灯のように心に浮かぶ。
3.想念がオンで、モニターがそれに従属:レム睡眠での夢→下で説明。
4.モニターがオフの時の想念オン:寝言→関連記事
5.モニターが想念をオフにしたいが、想念が勝手に作動:瞑想初心者の状態
6.モニターが想念をオフにしたく、想念がオフになる:正しい瞑想。システム2が休止状態になり、システム3が作動可能となる。
7.モニターが想念を作動させたいが、作動しない:緊急事態などのシステム1(システム2に優先する)主導時に「頭が真っ白」になっている状態。
8.モニターがシステム1に対処している間、想念がオン:上とは逆に、緊急時に第三者的に自己を眺めている乖離的想念の状態。
9.モニターが想念の自律運動に半ば身を委ね、制御しようとせず、想念の行き先がモニターに予想できない:思索に耽る状態。

以上、基本的にはモニターと想念は連動し、睡眠・瞑想などの時に多少不一致を経験する程度である(重篤な問題とならない)。

日常的にモニターと想念の統合が失調するのが「統合失調症」といえる。
想念がモニターの制御から独立して作動してしまう現象が基本症状である。
その失調の原因として、モニター制御機能の弱化と想念機能の暴走の2種が考えられる。
このアンバランス状態は健常者では上の3(レム睡眠での夢)に近い。
夢を構成するのは活発な想念で、その夢をあたかも現実として受動的に巻き込まれるのがレム睡眠中に作動しているモニターである(睡眠そのものはシステム0の作動)。
一方、ノンレム睡眠や入眠時は想念機能が自発的ながらも弱いため(内容に乏しく)、モニターも想念を知覚対象として距離をおいている。
健常者の夢見が統合失調症と異なるのは、前者では睡眠中であるため行動に反映されない点、アンランス状態が覚醒によって可逆的に解消(回復)される点である。
ちなみに9は、理論的考察を進める場合に私もよく経験し、予想外の結論に達する楽しみがある。
ただし、自我が思想(しかも極端な)に引き摺られ、思想(妄念)の奴隷と化す現象にも通じる。

仏教は、このシステム2の欠点(想念の暴走、自我の実体視)を苦の源泉の1つとし、それを超克する=システム3を作動させる方法を提案している。
それが瞑想である。