遺構という言葉は何年前の物から使って良いのだろう

2014-11-06 23:01:53 | その他旅行き
敦賀の町の鉄道遺構を訪れた。
敦賀駅から今は使用されていない線路が北へ伸びているのだ。
通称敦賀港線。
敦賀港駅まで一駅だけの貨物線。
廃線になって沿線の踏切の遮断機は撤去され、道路側が通行優先、白い柵が線路を跨いで設置されていた。
変な眺めだ。



終点の敦賀港駅は駅自体は存続しており、コンテナが沢山積まれていた。
トラックでの輸送に切り替え営業している様だ。
使われなくなった側線が錆び、雑草が生える様はうら寂しい。
お休みの日で、作業は無いから構内に入ってもいいよと係りの方に許しをいただき、少し撮影させて貰った。



敦賀港駅は開業当初金ヶ崎駅という名だった。
その頃に建てられたランプ小屋が敷地の隅に遺されていた。
レンガ製の小さな小屋で、カンテラを灯すための燃料を保管しておく用途に使われていたそうだ。



駅から西の方に少し離れ赤レンガ倉庫のある辺りに、昔の敦賀港駅を模して復元した駅舎がある。
中は無料の鉄道資料館になっていた。
係りの方にお聞きすると、昔の駅舎は太平洋戦争時に空襲で焼けてしまったらしい。
なので本当に使われていた用具は残っておらず、展示資料は模型や写真、寄贈された物品中心となっているそう。



私の見た遺構はこの三つ。
三つ目は遺構とは言わないのだろうけど。
敦賀は日本の鉄道の歴史上、とても重要な都市に位置づけられる。
以前長浜を訪れた時、明治の頃敦賀~長浜間は全国でもとても早い時期に開通した鉄道路線だと知った。
日本海側の海運の拠点であった敦賀と幹線東海道との旅客貨物の物流経路を確立する必要があったからだ。
旧敦賀港駅の資料館には昔あった鉄道施設の展示として、京都の梅小路蒸気機関車館にあるような、半円形の転車台付き機関車庫の模型があった。
こうしたものが現在まで保存されていれば、その頃の活気あふれる港の様子をより具体的に感じる事ができたのに、惜しいなあ。
でもそんなこと、今の日本ではとてもとても難しいことなんだろうな。
今は静かな港町を歩き、賑やかだっただろう時代に想いを馳せた。