今年の秋から冬にかけて、若い頃公開されたSF映画の続編が続々公開される。
続編っても、何作目なんだってくらい続いている映画もあれば、これが2作目ってのもある。
夏にそのことを知って、きっと観に行っちゃうんだろうなあと思ったけど、こないだまで忘れてた。
慌てて調べたら意中の3作の内1作はすでに公開されていた。
まずい、もうそろそろ上映終了しそうな時間割だった。
てことで「エイリアン・コヴェナント」、観てきた。
その感想を。
もう公開終了間際だからいいんだろうけど一応、以下ネタバレ注意。
いつものごとく、どんな位置づけの作品かはまったく知らないまま鑑賞。
話の途中から、「プロメテウス」の後日譚であることが分かってきた。
プロメテウスで最後まで生き残ったショウ博士とアンドロイドのデヴィッド。
そのデヴィッドが再登場。
前作でデヴィッドを助けたショウ博士。
それが仇になった。
そもそもショウ博士の恋人のホロウェイ博士を殺したのはデヴィッドだ。
間接的に人を殺してしまう行動原理を持ち合わせてしまったアンドロイド。
そんなアンドロイドを修復してしまった優しさがさらなる悲劇を生む物語。
エイリアンといえば恐怖を味わう映画であるが、今作のコヴェナントは趣きを異にしている。
もちろん化物怪物の類が出てくるので怖いのは怖いが、これまでの作品で何度も見ているし正体不明の恐ろしさはもうない。
それでもこうして続編が作られるのは謎が残っているからだろう。
それはどうやってそんな化物が「できあがった」のか。
それは自然発生し得るものなのか。
その疑問はエイリアンに限らず我々人類に向けてもおかしくないもので、それを想像した結果のひとつが前作プロメテウスで描かれている。
誰が人を創造したのか。
ウェイランド社長が追い求めた人類の起源。
その社長が造ったアンドロイド、デヴィッド。
コヴェナントではエイリアンの生みの親について解き明かされている。
自らは生命を創り出すことのできないアンドロイドが、自分も何かを創造したいという欲求が、異星人の生物兵器という特殊な種を得ることで、宇宙最強の生命体を遺伝子操作で創り出してしまう。
新たな動機を既にある素材に掛け合わせ、うまいこと物語にしたなというのが鑑賞後の感想。
さらに同じ思考で遡れば異星人の創造主は誰なのかということにつながる。
それを表そうとするのかどうかは知らない。
ハリウッドの創造者(想像者?)にすれば可能なのかもしれないが、それが面白い物語となるかどうかは疑問だ。
次作も作成されるようだが、さて次の視点はどんな新しいものになるのだろう。