3つの変化

2011-09-30 00:32:56 | その他旅行き
今年のお彼岸の帰省は、実家で特に変わった事をした訳でなく、行き帰りの道中にしか話題がありません。
大阪への帰り道では見慣れた風景に変化がありました。

帰省に利用するルートはいくつかあり、その時の気分や時間的制限から決定します。
今回は伊勢道から名阪国道に入り、伊賀上野から国道163号線に降りて、四条畷に出るという道を選択。
頻繁に利用するルートですが、前回通ってから一年弱経ってしまってました。
163号線を走る時、いつも目に留めていたものが、いくつも変化してしまってました。

まずはシケイン。
加茂の町に入る手前、最初右へその後左へ、直角に折れ曲がったカーブがあります。
路面には急カーブ注意を促す黄色い縞々のラインが書かれ、ぐっとスピードが落ちる所です。
道を折れ曲げさせた山にトンネルが抜かれ、そちらが本線になっていました。
何も知らずに走っていたら突然見慣れぬ道になり、こんなトンネルなかったよな、とキョロキョロ。
トンネルを出ていつもの道に戻り、新道ができてた事に気付きました。
そういえばトンネル工事していたような気もします。
これで事故が減る事でしょう。

次は木津にあるファミリーレストラン。
コンビニに替わっていました。
学生時代よく見たファミレスで、関西ではあまり見かけないので、横を通る時懐かしさを感じていたのですが…。
どこも経営は苦しいのでしょうね。

最後はガソリンスタンド。
生駒に163号線を挟んで、二軒のガソリンスタンドが営業してました。
ずっと、
 熾烈な顧客獲得競争が繰り広げられてるんだろうな
とか、
 両店の従業員の仲はどうなんだろう
とか、通りかかる度、いらぬ想像をかきたてられた所です。
とうとう勝敗?が決し、片方のスタンドがあった場所は更地となってました。
残ったお店はライバルがいなくなって淋しそう。
なのかな?

四条畷の街へと下る急坂から大阪平野の夜景を眺めると、「帰ってきたな」と思います。
100万ドルの夜景とまでは行きませんが、なかなかきれいです。
ずっと暗い田舎道を走ってきたので、余計にそう見えるのかもしれませんが…。
(あれ? 前にも書いたかな…。)

2011-09-29 00:37:12 | その他旅行き
前回の続き。

穏やかな時間を満喫し、ファームガーデンを出発。
村内案内板があったので見てみると、林道で細そうですが三重県側への近道を見つけました。
やめて置けばいいのに、いつも同じ道はつまらないと、そちらに向う事に。
倶留尊山の方へ上って行くと、ある地点から急に道は細くなり、さらにでこぼこしてきました。
杉の葉が一面に散らばっていて、台風が通ったばかりである事を思い出しました。
道の不安がない時にすれば良かったかな。

近道は途中で分岐、より近い方を選択して更に奥地へ進みます。
車が転回できるスペースは無くなりドキドキしてきました。
大丈夫かしらん。
さらに分かれ道があり曲がった先は、横の壁から流れ出した泥がコンクリの舗装を覆いひどい状態。
それを見てその先に進む気を無くし、分かれ道までバックして方向転換しました。
次に近い道の方へ。

こちらは道幅も広く、気分的にも余裕が戻ってきました。
牧場の横を通って行くのですが、何ヶ所か進入を躊躇わせる、鋼鉄パイプで作られたバリケードが車線の真ん中に置かれています。
牧場側からやって来る人に「この先行けないよ」、と教えていました。
あのまま行かずにおいて良かったのかも。
バリケードの間を通り抜け、牧場を後にし、さて国道に出ようと走って行くと国道側へ下る分岐にまたしてもバリケードが。

あれ、ここも駄目なんだろうか。
でもこれを降りないと山に入り込んだ意味が無くなるなあ、と様子を伺いに入ってみました。
すると前方にテレビで見たような光景が広がりました。
植林されたV字谷の右手の斜面が深層から崩れ、谷の底を走る道路を土砂と倒れた杉の木が埋めていたのです。
杉の木は青々とした葉を付けたまま薙ぎ倒され、ゴミ箱に都度都度捨てられた割りばしの様に、秩序なくあちこちを向いて絡まっています。

これはまた…。
こんな光景は自分の目で見なければ、起こった事象を理解できないんだ、とその時悟りました。
目の前の出来事はそれほどに衝撃的。
映画やドラマで架空の世界を見慣れた頭では、ニュースの実況であってもTV画像というフィルターを通すと、実態を感じとる事ができなくなるのだと分かりました。
天災発生時、各所の長や立場ある人が被災地を訪れますが、その訳が理解できます。
実態を見ずして事に当たれないのでしょう。
せき止め湖の土砂崩れはこの比では無いし、震災津波の跡なんて本当に想像を絶するのでしょう。

ショッキングな光景ですが、透明な秋の日はそんな事を意に介せず、崩れた跡をくっきりと照らし出していました。
ひと気の全くない事も非現実感を高め、気の弱い私は長くその場にいられず、早々に引き返しました。
結局、いつもの降り口近くから幹線道路に出て帰る事に。

その後も二ヶ所で道がふさがれ、工事中。
現場は見えませんでしたが、小規模のようです。
村内の細い道へ迂回を指示されました。
山の中ですが幹線道路なので、復旧を急いでいるのでしょう。
先ほどの大崩落地点は利用頻度が低そうな道だったので、しばらくは放置、場合によっては廃道になるかもしれませんね。

2011-09-27 00:32:22 | その他旅行き
お彼岸は三重へお墓参りに帰省しました。
その道中のお話を…。

先週、台風が湿った空気を北へと持ち去り、急に涼しくなって迎えた週末。
お天気いいのが約束された秋晴れの日。
窓を開けてドライブできる気持ち良い日でした。


いつものように途中、奈良県は曾爾村か御杖村で地の野菜を安く手に入れお土産にしようと考え、名阪国道から下道に降りました。
小倉ICから通称やまなみロードを室生寺横まで走る。
このやまなみロードは山中にうねうねと敷かれたアップダウンの激しいワインディングロード。
車は少なく、道幅広く、いつも快適に走れます。

室生でやまなみロードは終わり、そこから曾爾村への途中、杉林を抜ける細い道があります。
木々の間から差す光がまぶしく、木や葉の作る影との明暗差が激しくて目が眩み、対向車が来ているのか視認できないほど。
秋の日差しの透明さを感じてしまいました。

そんないつもと違う道中、道路上に木々の枝葉がやたら落ちてる。
法面が崩れている所も。
そういえば紀伊半島は台風の影響をもろに受けたんだった。
南部の深刻な被害地よりだいぶ北の方だけど、この辺りも被害を受けたんですね。

さて、到着したのが遅かったのか、曾爾高原ファームガーデンの野菜売り場はほぼ売り切れ。
残念。
もっと早く来ないといけない。

お腹が空きました。
米粉のパンを買ってお昼にすることに。
Tシャツだったのですが、日向だと暑く、日陰だと寒い困った気候。
ベンチで半分影から体を出して、暖まりつつ涼んで、パンをいただきました。


水路閣

2011-09-24 07:38:55 | その他旅行き
前回の続き。

蹴上インクラインの上部をネジリマンボ側に戻りつつ、疎水をたどって行くと、巨大な門扉を備えた発電施設があります。
施設の周りに沿って細い通路を歩くと、疎水は山裾に長く伸びる水路へとつながっていました。
行き先は山の向こうに回り込んで見通せませんが、南禅寺の方角に当たるので、このまま歩けば目的地の水路閣に行き着きそう。
でも行き止まってたり、別の場所に連れて行かれたら、戻って来るのに疲れそう。
反対側から歩いて来る人もいるし、行き止まりではなさそうなので、ドキドキしながら進んでみました。

この辺りは京都の街の東の外れです。
水路は緑深い山の腹を流れ、山中を歩く雰囲気。
人工物なれど苔で覆われ自然と一体化しつつあります。



向こうの方が賑やかになったなと思ったら、果たして水路閣に到着。
ネジリマンボまで戻るよりずっと近かった。
よかったよかった。



さて水路閣ですが、レンガで出来た重厚な水道橋です。
橋脚と橋脚の間は丸くアーチを描き、欧州の山中にある鉄道橋を彷彿とさせます。
染みだした水がレンガの色を変え、白っぽく黒っぽくみんな違う顔をして並んでいました。
時を越えて今後もずっと残っていって欲しいですね。



蹴上インクライン

2011-09-22 01:08:47 | その他旅行き
昨日の続き。

ネジリマンボは蹴上(けあげ)インクラインをくぐるトンネルでした。
トンネルを出て右へ向うと右手の土手の上に幅のやたら広い軌道が出現。
これかあ。
想像していたのとだいぶ違う。

蹴上インクラインと言う呼称は何度か聞いたり読んだりしていましたが、疑問に思った時に調べない生来のずぼらさで、レールが敷いてある遺跡という知識しかありませんでした。
ネットで調べれば、写真付きで様子が分かるのに。
まあ、最小限の予備知識で訪れたため、こんなところかあ、と初めて知る景色に出会えた訳で、全然問題はなかったのですが…。



説明板などを読んでみて、施設の成り立ちをようやく知りました。
明治の時代、琵琶湖の水を京都に引き込み利用しようと建設されたのが琵琶湖疎水。
疎水は水運にも利用され、船が往来していたのですが、水路の標高差から船の通れない区間があり、そこだけ陸送になるため効率が悪かったそうです。
それで設置されたのがインクライン(傾斜鉄道、貨物用ケーブルカー)。
斜面に線路を敷き、船に荷物を積んだまま台車に載せ、ワイヤーで引っ張って上げ下ろしするのに使用したらしい。

緩やかな長い斜面にレールが4本、延々と伸びていました。
脇には桜の並木があり、花の頃はとてもきれいだそうです。
上部の遺構だけ見て回ったのですが、船溜まりに復刻された木造船が設置されてたり、今も流れる疎水の制水施設があったり、被写体に恵まれた場所です。



苔むした木肌がなまめかしい公園もあり、憩えました。
街で聞けなくなったミンミン蝉がまだ鳴いていて、暑い日でしたけどね。



続く。

レンガレンガレンガ

2011-09-21 06:28:53 | その他旅行き
京都へ撮影旅行に行って来ました。
近くて遠い京都。
…意味が少し違いますね。
近いが故にわざわざ旅を計画して行く気にならない京都。
なんどか観光に訪れた事はありますが、まだ行った事のない場所はたんまりとあります。
国内でも有数の観光地が近くにあるのに、もったいない話。
という事にふと気付きました。

でも神社仏閣そのものにあまり興味は無いので、面白そうな被写体のあるところが旅先になります。
面白そうな所、見つけました。
東山の麓は南禅寺にある水路閣。
明治時代に建造されたレンガ造りの用水路の橋です。
今も水を通しているらしい。
古いレンガの醸す雰囲気に弱い私にぴったり。
また見学の道中を分割紹介したいと思います。

車で遊びに行ったら大変な事になる京都。
当然鉄道利用、電車で向かいました。



京都市営地下鉄東西線の蹴上駅で下車。
地下から地上へ出ると、蹴上の駅からして外観がレンガで作られてました。
いいなあ。


まずは駅の横を通る蹴上インクラインを見学しようと歩道を歩くと、レンガ造りのトンネルが…。
ネジリマンボという名が付いてました。
確かにレンガがねじれて積まれ、トンネルが作られてます。
なんでマンボなんだろう?


ここで早くも足止め。
時代を経たレンガをいろいろと撮影して楽しみました。


続く。

復刻

2011-09-17 01:52:38 | Weblog
「地底の太陽展」では、岡本太郎の作品のミニチュアが全8種、ガチャポンで手に入れられます。
一回400円。
いい値がしますが、プラスチックの安っぽい感じでなく、持ち重りのするなんとか言う素材で出来ていて、良い品のよう。
童心に返って2回もガチャガチャやってしまった。



<太陽の顔のマケット>





<飛行船>

太陽の塔三つの顔

2011-09-16 00:22:00 | その他旅行き
また、お腹出さないと眠れない夜が戻ってきました。
お月さんは秋なのになあ…。


さて、前回の続き。
見学に疲れた私は、公園内の芝生の上で昼寝でもしようと場所探し。
パビリオンから太陽の塔の後ろを通り西の方へ。
その日、模型や写真でたくさん目にした「黒い太陽」の実物を見上げる。


お休みという事もあって、公園内は家族連れなどで賑わってました。
フリーマーケットが立ってたりして。
大阪府民の憩いの場ですね。
しかし日差しがきつい。
ジリジリと肌が焼かれ、汗がシャツを湿らす。
木立の下に涼を求め、道を外れ、腰を落ち着けました。
買ってきていたお昼ご飯を広げ、ランチタイム。
ランチと言う響きに不似合いな助六ですけど。


頭上の葉っぱや散歩する人、園内を周回する汽車形電気自動車?なんかを眺めて一休みしたら、またぞろ撮影欲が復活してきました。
夏を終えたひまわり畑があったので、種を付け頭が重くなった様を撮ってやろうと近づくと、その向こうに「黄金の顔」が見える。
目に入ると、むむっ、と注目してしまう存在感は凄いですね。



昼寝をしようとするものの、近くで遊ぶ子供の声が耳につき、眠れないので諦めて、帰る事にしました。
大阪モノレールの万博記念公園駅へ向うべく、再び太陽の塔のすぐ脇を通り抜けます。
でっかい「太陽の顔」を最後に拝顔し、公園を後にしました。


ボリュームたっぷり常設展

2011-09-15 00:27:21 | その他旅行き
EXPO'70パビリオンでは、「地底の太陽展」だけでなく、常設展も合わせて見学しました。

「地底の太陽展」の暗幕出口を出ると、万博開催時に展示されていた鉄の楽器や、エキスポタワー展望室の内壁の一部(再現した物かな?)が置かれたスペースがあります。
当時のポスターが壁にかかり、大会旗が並んでいたり。
それらを見て(撮影して)満足し、さて退出しようかと出口に向うと、二階への階段があり常設展の表示が…。
他にもまだあるんだ、と二階へ上ってみると、そこが生まれ変わった鉄鋼館の本当の見所でした。

四角い建物の外周の通路にぐるり一周、万博開催当時の様子を伝える様々な記録が展示されていました。
ビデオ映像が敷地の造成・建設から、開会式、会場の混雑の様子を映し出し、ガラスの展示箱には設計図・設計書が置かれ、チケット各種、記念メダル、全パビリオンのコンセプト説明や模型、パンフレット、ホステスの写真、会場を走った電気自動車、などが次々と現れます。

そして建物の中央にあるスペースシアターホールを、窓ガラス越しではありますが見る事ができます。
鉄鋼館の見せ物は音と光のページェント?だったらしく、千個のスピーカーが四方から迫る音を表現し、レーザー光線が空間を彩ったそう。
観客席もそのまま残されています。

これら展示物の情報量は結構なもので、私は「地底の太陽展」と一階の展示物に好奇心を注ぎ過ぎてたので、途中から疲れ果て、好きな写真撮影も間隔が空いて、流し見状態になってしまいました。
こんなのがあると知ってたら、バランス良くエネルギー配分したのに…。
きちんと見るなら半日以上遊べそうです。
当時の万博に行かれた事のある方もない方も、ああこんなだった、ああこんなだったんだ、と楽しめると思いますよ。

  

カメラのジオラマモードでなく撮影した、本当のジオラマの写真。
当時は太陽の塔の周りに屋根があったんですね。


パビリオンのホステスが着ていた制服。


「ガラス越しに見る」スペースシアターホール


会場俯瞰図


EXPO'70パビリオン

2011-09-14 00:25:56 | その他旅行き
朝、明るくなるのがずいぶんと遅くなりました。
明るさで目覚める事がなくなって、寝坊する危険が増加。
目覚ましセットは確実に。
でも、真横から差すオレンジ色の朝日を、早起きしなくても目にする事ができる良い時期です。
東側に窓があればいいのになあ。



さて、昨日の記事の「岡本太郎 地底の太陽展」ですが、その開催場所のEXPO'70パビリオンというのがどこにあるのか、到着するまで見当がつきませんでした。
昔はなかったよな、そんな施設。
いつの間にできたのだろう。
万博記念公園は家から近いので、時々思い出したように遊びに行ってたのですが、広いですからね。
そんな施設を新しく建設してたとは知りませんでした。

しかし当日、現地に行ってみればなんの事はない、鉄鋼館の事でした。
外見は変わらず、中を改装したようです。
この鉄鋼館、私が知る限り、これまで使用されてる感じはありませんでした。
公園を訪れ、巨大なオブジェと化した重厚な建物を目にする度、わざわざ残したのになんで使用しないのだろう、と不思議に思ったものです。
晴れてパビリオンとして復活ですね。
良かった良かった。

その昔、夕刻に近くを歩いた事があるのですが、闇の色を纏い始めたコンクリートの壁と鉄の扉がさらに重々しさを増し、ひと気のない建物に、さみしさと不気味さを感じたのを思い出しました。
「地底の太陽展」を見た日は暑さが戻って来ていて、日差しも燦々。
そんな気配は微塵もなく、多くの人を迎え入れていました。