アカペラ

2011-03-30 01:00:48 | Weblog
何年振りかで、甲子園へ高校野球観戦に行って来ました。

梅田から阪神電鉄でもって甲子園駅まで。
阪神電車を利用するのも久しぶり。
阪神電車って西の方の鉄道会社と相互乗り入れしてます。
乗ったのは姫路行きの山陽電鉄の特急電車。
遠くまで繋がっているんですね。
ふかふかの二列シートに座り、見慣れぬ車内に目をやれば、壁の広告も見慣れぬもの。
梅田にいるのにちょっと違う土地へ来たようで、小旅行気分です。
出発ぅ。

特急電車なので甲子園駅は二駅目。
途中停車した尼崎駅では、我が目を疑う車両が隣のホームに止まっていました。
近鉄電車ですよ。
そういえば尼崎から難波まで新線が通じたと、結構前に聞いたような…。
大阪以西で見る事はあり得ない車両で、驚いてしまいました。
関西の鉄道網は知らない内になんだか複雑化してました。

さて、甲子園。
球場が改装されてから来るのは初めて。
名物の蔦がなくなって、さっぱりしてしまった外壁を、ぐるり回ってライト側外野席へ上りました。
寒くないか心配だったのですが、晴れたり曇ったり、背中をお日さまが暖めてくれました。
半旗のはためき方や、頭上を行く鳥の風に乗る様子から、上空は浜風が吹き抜けているようでしたが、私の座るスタンドまでは吹き込まず。
お蔭でお昼過ぎまでは落ち着いて観戦出来ました。


グラウンドでは第二試合が始まったところ。
今年は鳴り物がなく、いつもの耳を聾する演奏はありません。
応援団は声だけでエールを送っていました。
「かっとばせー、かっとばせー、山田ぁー。」
とか単調に繰り返すのかと思ったら、メガホンでリズムを取り、声でお馴染みの応援曲を叫んでいました。
なるほど、そういう手があったか。
さすがにラッパが出す音量には適いませんが、みんな頑張って声出ししてました。
派手さは無いものの、やかまし過ぎずプレーに集中できて、私は好きかも。



第二試合はシーソーゲームで面白し。
第三試合はちょっと一方的な試合展開。
うーんお尻が痛くなってきた。
陽も陰って寒くなってきたし。
5回裏でじっと座っているのも限界、帰宅する事にしました。

ライブの試合観戦は秋のテニス観戦以来。
頑張ってる選手を見てると、元気が出ますね。
夏に今度は暑いなか見に来たいな。
なんて、寒い今だからそう思うだけかな?

輪っか

2011-03-29 00:15:13 | Weblog


週末、訪れた公園にユキヤナギが花を咲かせてました。
ユキヤナギが開花する基準は何なんでしょうね。
毎年変わらずこの時期のような気がする。
寒くても関係ないようです。

3分から6分咲きといったところでしょうか。
先週から花を付け始めてたようです。
風が強かったので、ゆーらゆーら細長い枝を揺らせていました。
体感温度は冬でしたが、視覚は春を訴えて来て、私の脳は混乱混乱。

早咲きの品種の桜が花を咲かせているのも見かけました。
今週、ようやく気温は上昇傾向。
暖かくなったら、ポンポンポンと音立ててソメイヨシノも花を開きそう。
今週末は開花の声が聞こえるでしょうか。

一葉

2011-03-26 00:35:45 | Weblog


桜の木の根元に、こんな新しい芽を見つけました。
まあ、おっきな芽。
葉の形からしてかえでの仲間でしょうか。
葉を付けてる枝?幹?は結構な太さです。
本体は何年か経っているのかもしれませんが、葉っぱはこの春芽を出したものですよね。
違うのかしらん。
こんな葉の付け方をする木もあるんですね。
しっかり育って欲しい。

似たもの二つ

2011-03-24 00:25:40 | Weblog


道端の野の花。
名前は分かりません。(キュウリグサ?)
ポチポチっとした、とても小さい花を付けていました。
よくよく見ると、花は幼児が始めに描くあの形。
ホーって感じで口を開けて見え、埴輪かあるいは、もののけ姫に出て来た木霊を思い起こしてしまいました。

山の春は麓から山上へと進みますが、身近な春も地べたから徐々に高度を上げて行くのですね。
いつも桜が咲く前に、ユキヤナギが白く揺れるのを思い出しました。

目覚めはまだ先

2011-03-23 07:55:10 | Weblog


川の堤に並ぶ桜。
枝にたくさん付いた蕾はほころぶ気配がありません。
背景を隠す事なく透かせ見せる枝振りは、冬眠する桜のまま。
花が咲くには少し時間がかかりそうです。
本格的な春が来るまでもうしばし、待ちましょか。

正常化の結果?

2011-03-19 00:52:41 | Weblog
えーと…、今日のお話は排泄に関するものです。
書こうかどうしようか迷ったのですが、書きたい衝動がウズウズ。
負けました。
あまりきれいなものではありません。
事前にお断りしておきます。

新しい食生活を始めて、お通じの具合が変わって来ました。
便秘と言うには至らないのですが、これまで毎日座ればするすると出ていたものが、出て来ません。
確かに以前より摂取している植物繊維量は減っているかもしれませんが、減少率は二割程度と見積もってます。
それでこんなに激変するのかしらん。

もう一つ変わったのが、おなら量。(笑)
これが減りました。
以前は食事後30分もすればガスがたまって我慢出来なくなり、トイレに駆け込んでました。
ほとんど便意でした。
それが一向に蓄積してきません。
まあ、それはそれでいいのですが、トイレに行った時一緒に本体も出してたので、トイレに立つ機会を失った感じ。

ガスを出した後、柔らか目のがスパスパっと出てました。
私は結構長く10分弱は座っていて、残便感が無くなるまで少しずつ出し続けます。
合わせると大量です。
最後はお粥状。
腸の中のモノを全て出し切った感じで、とてもスッキリします。
それが今はうーんと息んで形の崩れない奴が少しだけ。
なんでだろうと考えました。
得た答えは以下の通り。

ほとんど下痢状の便が出ると言うのはやはりお腹の状態がおかしかったのだ。
深夜に腹一杯にして寝るなんて、胃腸にいい訳が無い。
あれはずっと腹を壊した状態だったのだ。
ガスの大量発生も、きちんと消化されて無くて、発酵でもしてたのではないか。
うまく出てこないのはこれまでずっと息んでこなかったので、息む為の筋肉が落ちてしまったから。
ホントに力がうまく入らない。
だから別に便秘になった訳ではない。
これが普通なんだ。

と言うもの。
ふむ、一理ある。
ありますよね?

普通に息めるようになるまで下っ腹が筋肉痛になりそうだ。

新しいリズム

2011-03-17 00:04:31 | Weblog
ちょっと倹しい生活をしようと、食生活を改め中です。
夜の早い時間に食事を摂り、寝るまで食べない、と言う奴です。
前に記事にした日からこれまで継続中。
土日は食べる時間が遅くなりましたが、寝る直前までだらだら食べてるという事はなし。
全て外食としたので可能だったのでしょうか。
我ながら偉いなあ、と感心。

その原動力となったのは心理的には震災で、環境的には晩もやってる定食屋さんの発見。
一品料理を自分で好きに選んで、献立を組めるタイプのお店です。
会社から少し歩かねばなりませんが、ほどよい距離です。
野菜の多い器ばかりお盆に載せてます。
問題は品数が余り多くない事と、毎日メニュー固定である事。
チェーン店なので仕方ないですけど、飽きてきそうなのが怖い。
贅沢。

今日までアルコールは日曜日のみ。
これまた凄い。
あの酒好きにこんな事ができるなんて、驚きです。
アルコール依存症ではなかったようで、変なところでホッとしてます。
酒を飲むのは部屋で食べるからなんだと気付きました。

もうひとつ発見が。
毎日飲んで無いとお酒って弱くなっちゃうんですね。
生中一杯と熱燗一合でへべれけでした。
食費は抑えれるし、酒代も浮く。
正しい食生活は内臓にだけでなく、懐にも優しい?
その分を何かに役立てて貰う事にしよう。

いつまで続けられるだろうか。
仕事のストレスが高じて来たり、夕食に出る時間が取れなくなったりすると危険です。
次回の人間ドックまで続きますよう。
各種数値が改善する事が確認できれば、さらに継続する意欲に繋がるだろうから。

いつも思う

2011-03-15 01:12:10 | Weblog
3月11日午後3時前、三陸沖でマグニチュード8.8の巨大地震が発生した。

同時刻、会社のオフィスで座って仕事していました。
なんだかめまいがするなあ、疲れているのかなと思ったのですが、その後明らかにビルが揺れているのが感じ取れました。
ゆーらゆーらと前後左右に振幅も不規則に揺れるので気持ちが悪くなりました。
オフィスは騒然。
地震だ。
激しい揺れが来るのかなと身構えましたが、同じ状態が長く続きました。
こんな長周期で揺れる地震は初めての経験です。
南海沖地震が発生したのだろうかと、実家の心配を始めたら、インターネットを早くもチェックしていた人が三陸沖の地震だと周りに伝えていました。
その後、3時過ぎにもう一度ふらふらと揺れが伝わってきました。
余震のようです。
東北地方の地震が大阪まで伝わるって、どんな巨大地震なんだろう。
またいっぱい人が死んじゃうんだろうな。
これだけ距離が離れると、長周波の揺れしか届かないんだ。
その時はそんなことが頭に浮かびました。

深夜まで残業して、帰宅すると、TVは地震のニュースばかり。
視聴者撮影の津波の映像が目に焼きつきました。
津波ってゆっくりゆっくり、でも何者にも制されることなく、着実に破壊をもたらしつつ進むものなんですね。
山懐の町が破壊されていくのを見てそう思いました。
別の映像では、開けた農地の上を瓦礫と家を載せてすすむ津波が。
平面的に立てられたドミノが倒れていくような光景。
あるいは溶岩流か。
水がそんなことをしているようには見えませんでした。
その容赦のなさに唖然としてしまいました。

翌朝は新たな津波の映像が放送されていました。
津波が襲った後の町は干潟のように水が薄く張った平地が残り、家が建っていたと思われる基礎の枠だけが、昔そこに何があったのかを示すだけ。
動くもののまったく無い町の跡。
そんな映像を見た後、いつもの土曜と同じよう、テニススクールへと出かけました。
TVの前から離れれば、普通の土曜日。
洗濯をして、テニススクールへ行って、ドライブし、飯を食う。
私にとってはいつもの土曜日。
でも被災者の方々にはそんな普通の生活などあり得ない。
この差はなんなのだろう。
家から6時間もあれば行き着けた土地は今は無いも同然。
小さな日本列島のどこに住んでいるかで運命は変わってしまう。

余震の字幕や、避難所の長い列、原発の会見、瓦礫の山。
TVの前にいると事態の深刻さに、防衛本能が麻痺させた想像力であっても汗する手のひらを、ズボンに押し付ける自分がいる。
なのにTVから離れると目の前の日常の事共で意識は占められる。
こうした事態が発生すると自分は観察者となる。
事態を見ている自分も観察対象となる。
その鈍感な感情にお前は一体何者なのだと自問する。

たぶん当事者となった時は慌てふためき、あるいは呆然自失し、何もできないのだろう。
きっと怖いのだ。
何もできない自分に気付く事が。

どちらが健康か

2011-03-11 00:22:00 | Weblog
いつの頃からか深夜に夕食をたらふく食べないといられなくなりました。
お酒もほぼ毎晩。
飲み食いしながらブログ記事記載する。
その時間がその日最大の楽しみ。
日々のストレス解消法になっちゃいました。

健康に良くないのは承知しているのですが、なにしろストレス発散の為なので、致し方なし。
夜の間に脂肪が蓄えられて、翌朝はお腹がポンポコリンです。
人間ドックの結果が思わしくなくなってきてるので、お酒は手加減するようにしてますが…。
もうひとつ自分で言い訳にしてるのが、その時間でないと不足しがちな野菜をしっかり摂れないという事。
外食の野菜量は貧弱です。
だから野菜たっぷりの惣菜を買って来て食べる。
お陰で日々のお通じだけは言う事無しです。

煮物系の惣菜はコンビニには少なく、スーパーでしか手に入りません。
遅くまでやってる店があって助かりますが、昨日、残業でスーパーが開いてる時間に帰れない事が確実になり、どうせコンビニ惣菜を買うのだったらと、定時後外で食事して、残業後その晩は何も食べずに寝る、と言うのを頑張ってやってみました。
お酒が体を暖めてくれなかったからか、ホントに冷える晩だったからか、寒くてよく目が覚めましたが、今朝のお腹は見た目にもスッキリ。
うーん、凄い効果だ。

これを見て、私の考えは揺らぎ始めました。
夕食はラーメンハンチャン定食だった。
外食の王様ですね。
野菜は刻みネギともやしだけ。
こんなんでもいいから、夕食は早く摂って寝るまで食べない方が、体に良いのだろうか。
夕方に野菜主体の定食を食べさせてくれるお店があったらいいのに。
会社近くの定食屋さんは、夜はお酒を飲ませる店になるので単品で注文すると高くつくし。
さてさて、どうしたものか。