雨の明日香へ

2024-03-30 21:59:23 | その他旅行き
奈良県の明日香路で、歩き残している北部エリアのあれこれを見て回ろうと、雨の日だったがお出かけした。
大阪環状線で天王寺駅へ。
最近南の方に遊びに行く事が多くなって、天王寺駅をよく訪れる。
でも乗り換えて通過してしまうから、街がどんなかあまり詳しくならない。
一度天王寺で遊ばないといけないな。

<天王寺駅大阪環状線ホームから>


近鉄に乗り換えるため、大阪阿部野橋駅へ。
明日香村へは南大阪線で向かう。
吉野行きの急行電車は大阪近郊の駅をごっそりと飛ばして走るので、特急並みの早さで奈良へ連れていってくれる。

<大阪阿部野橋駅ホームから>


前に訪れた時は橿原神宮前駅から吉野線に入り、岡寺駅や飛鳥駅を利用した。
今回は橿原神宮前駅で降車。
ここを起点に往復することにする。
記事はしばらく明日香路散策のお話である。

<橿原神宮前駅構内>



今年は植え替えしてあげねば

2024-03-28 06:23:32 | Weblog
冬の間、青々と元気だった我が家の観葉植物のパキラだが、春を目前にして葉っぱを黄色く枯らすものがでてきた。
何が原因で黄色くなってしまうのだろう。
寒さのせいなら、もっと寒い日がいくらもあったのに。
不思議。



ガジュマルは育て方を間違ってると言われつつ、鉢より下に枝を垂らす葉っぱが伸びるに任せている。
そろそろ棚の下の椅子に届きそうだ。



コーヒーノキは相変わらず背丈を伸ばす事なく低いままだが、新しい葉っぱを出して細い幹に密度高く葉っぱを付けている。
早く実をつけるように育てたいが、家にやってきた時から大きさが変わってない(気がする)ので、実をつけるまでまだまだかかりそうだ。
夏の強い直射日光には当てない方がいいようだが、秋冬春は日の光に当てた方が成長がいいのかな。
分からないでいる。



新芽が出るのを一番楽しみにしているのはやはりモンステラだ。
穴の開いた葉っぱはやはり注目度高。
まだ一枚しか穴の開いた奴はいないので、暖かくなって次の新芽が出てくるのが楽しみである。



サンスベリアローレンチは新しい株が根元から生えてきてるので、植木鉢が一番窮屈そうだ。
この子とモンステラは貰ってきた時のプラスチックの鉢のままだから、陶器製の鉢を買ってあげねば。
昨年はどの子も土を変えていない。
今年の初夏には植え替えしてあげよう。




試合するといろいろ分かる

2024-03-26 06:26:09 | テニス
先日、テニ友の属する別のテニスグループに混ぜてもらい、グループ内の大会に参加させてもらった。
日頃4ゲームしてメンバー交代する試合?しかしていないので、6ゲーム先取の試合は久しぶり。
6試合して2勝4敗だった。
昔は試合となると緊張してしまって普段のプレーが全くできなかったのが、このところ緊張することなく楽しめるようになった。
良くも悪くも今の実力が発揮できたと思う。
大会を終えて思ったところを書き記しておく。

今回参加するに当たっての個人的な目標は、チャンスボールを有効な場所に決めること、だった。
自身のチャンスボールの決め方でできていないのが、ワイドに打って決めるということ。
浅くなったボールをクロスコートに角度をつけて打てば一発で決まるのに、アウトしそうで必ずセンターに打ってしまう。
相手のラケットが届く可能性が高く、しばしば返されてしまうので、この癖を直したい。
センターに決めるのさえミスする事が多いので、日頃から失敗していることが試合でできるとは思えない。
目指したのは試合であっても臆せずコースを狙うことができるか、その心構えの植え付けである。
しかし今回、そういったチャンスボールの来ることがそれほどなく、残念ながらできたのかどうか印象に残っていない。

反対に攻められることが多く、如何にボールを散らして決められないようにするか腐心していたように思う。
ロブでかわそうとするのだが、そのロブが浅かったりオーバーしたり。
これも日頃うまく打てないショットだから、練習あるのみだな。

一番記憶に残ったのは、ラリー中、相手との力関係が拮抗している時、あるいは少し押されている状態の時、平時のショットが打てなくなったこと。
変に突っ張って正しいスイングができなかったり、反対に入らないかもと力を抜いて打ったり。
それでミスしたり決められたりする事があった。
決め球や凌ぐ球の練習も必要だが、一番基本となるショットにもっと自信を持てるようにならないといけない。
ベースとなるやりとりがあった上での組み立てだと思うので、土台がしっかりしていないとその上にプレーを構築しようとしても足元が崩れて何もできない。
緊張していたらそもそもプレーにならないので、上記のことが気付けただけでも収穫ありと考えておこう。


春である

2024-03-22 06:20:22 | Weblog
今週はまた寒くなったが、先週の土曜日は暖かく穏やかな日だった。
日中暖房を入れる事なく窓を全開で車を運転。
昼食に入ったパン屋のテラス席では、寒さに震える事なく身体の力を抜いて、ゆっくり食べることができた。
朝晩はまだ寒く、平日日中はオフィスから外に出ないから、休日にちょうどこんな日と巡り合わないと春が来たなと実感できない。
近年、春になるとすぐ暑くなってしまうから、貴重な一日だった。
今年はこんな気持ちいい春の日にたくさん巡り会えるといいなあ。




安土駅

2024-03-20 07:32:18 | その他旅行き
安土城跡の見学を終え、帰路に着く。
少し南に下り、JR琵琶湖線沿いの田んぼの中の農業用道路を歩く。



撮り鉄が二人、列車が来るのを待っていた。
前景、背景に特別な何かはなく、どんな絵が撮れるのか少し気になる。
直線で見通しがいいので、編成写真というやつを撮ってるのかなと推測。
県道の跨線橋の下を潜ると安土駅は近い。



大阪から安土駅に来るのはなかなか不便であった。
野洲駅より北にあり、新快速は停まらない。
だから米原駅以遠に行く電車に乗り、かつ最後には普通電車に乗り換える必要があるので、京都を越えて行く電車のだいたい4本に1本しか安土駅に停まってくれない。
野洲行きに乗ったので、野洲駅で乗り換え、近江八幡駅で乗り換えして安土駅に着いたのだった。
まあ、乗り鉄としては望むところ的な喜びが半分あるのだが。



待ち時間たっぷりだし、乗車時間もたくさんあるので、GWの旅先検討をしようと旅行ガイドを持ってきた。
にもかかわらず全く読む気にならず、行きも帰りも何も考えずにぼんやりすることで時間を使ってしまった。
しかし、もったいないことをしたという思いはなく、何も考えない時間っていいよなあと、日頃何かと考え続ける頭を解放してあげたのだった。




仁王門

2024-03-18 06:20:06 | その他旅行き


三重塔から石段を下ると、城跡に残る当時の建物の二つ目、仁王門がある。









この仁王門も摠見寺の創建時、別の神社から移築されたものだそうだ。
この当時の移築というのは、今現在行われている移築とは目的が違うのだろうなと思う。
戦国の世だったから、戦さで攻めた先の宝物を奪うのと同じようなものだったのかもしれない。
これも重要文化財だが整備の手が届かないのか、瓦が少しずれ落ちてきているのが見えて、その下に入らないよう注意書きがあった。





門内に安置された仁王様も重要文化財。




三重塔

2024-03-16 17:38:12 | その他旅行き
安土城跡の天主跡から道を下ると、帰路は途中で横にそれ、西へと向かう。





平らな道を行くと再び石段の上りがある。
上り切ると城跡に二つだけ残る当時の建物のひとつ、三重塔が視界に入る。



その辺りは昔の摠見寺(そうけんじ)跡で、城郭内にあるお寺なのだった。
この三重塔は当地で建てられたのではなく、摠見寺の創建時、別の寺から移築したそうだ。
重要文化財。










安土城跡

2024-03-14 06:27:17 | その他旅行き
安土城跡は平成の時代に発掘調査されたようで、その結果が説明板に細かく記載され各所に掲示されていた。
お城好きには読みごたえがあるのでは。
しかし私には、間口が何間で何々様式のなんとかいう造りで、といった学術的な情報は馬の耳に念仏、さらりと読み流して次へと進む。





安土城は山城である。
上っていく途中には信長に仕えた名のある武将の屋敷跡とされるものがある。
山の斜面の豪邸はどんな風に見えたのだろう。





山を上る石段は一段がとても高く、上りやすいように半分の高さのブロックが置いてある。
当時はこの高さをがばりと脚を上げて上っていたのだろうか。
今の一般人より体力はあっただろうから、何も問題はなかったのだろう。





石段や石垣に使う石を調達するのは簡単ではなかったようで、辺りの道端で祀られていたのだろう石仏(四角いので墓石かも)が石段に使われていて、紹介されていた。
仏足石まで出てきたそうで、当時の信仰心は今の人よりありそうに思っていたのに、そうでも無かったのかもしれない。
自分なら仏罰が当たりそうでとても使えない。





知らなかったのだが、信長のお墓が二の丸にあった。
いいことを知ったと喜んで、帰ってから調べたら、信長のお墓は全国各地にあるらしい。
そのうちのひとつということで、なんだそうなのかと興味半減。





城跡はなかなかの規模で、城壁の石も巨大なものが使われている場所があり、見応えがあった。
廃城として長く山中にあったため、木々に覆われ、全体の様子を見ることはできないが、林中に次々に現れる曲輪の遺構は、これぞ城跡という感じ。
天守など建物の現地での復元は行われておらず、当時のままなのがいい。
下手に真新しい建物を闖入させて、昔を偲ぶ雰囲気を壊すようなことはして欲しくないなと思わせる場所である。





最後に到着した天主跡は礎石が綺麗に残っていた。
以外と狭い敷地だなと思ったが、説明板を読むと今立っている場所は地下一階で、一段高くなっている周りを取り囲む壁の上が一階だったそうで、底辺はもう一回り広かったようだ。
木々の間から下界を見下ろせる。





城跡の拝観料は700円。
復元した鉄筋コンクリートのお城に入館するのに何百円と出すより、よほどお値打ちな見学料である。
堪能させてもらった。




セミナリヨ跡辺り

2024-03-12 06:19:33 | その他旅行き
北川湧水から安土城跡の方へ歩くと、途中にセミナリヨ跡がある。
信長が保護したキリシタンの子供達の通う神学校があったそう。
跡といっても学校を思わせる何かが残っているわけでなく、その場所にあったのだろうと推測されてるところらしい。
石碑とベンチのあるシンプルな公園である。
ここも春は桜が綺麗そう。



すぐ横に水路があり、石壁が囲らせてあるので、それは当時のものなのかもしれない。
その辺りで町の家の連なりが終わり、農地が広がるようになる。



少し道を戻り神社の横の道を北上すると、右手に山が近い。
安土城跡のある安土山である。



近づいて行くと、セミナリヨ跡横の水路に繋がっていると思われる川があり、橋を渡ると山の斜面に石段があった。
城跡にはここからでも繋がっているようだが、看板に登城はこの先の別の入口から行うよう注意書きされていた。
いよいよ安土城跡である。