元床屋

2011-02-28 00:15:43 |  尾道/鞆の浦の旅
尾道/鞆の浦の旅

鞆の浦には前回記事で載せた蔵の路地の他、古い建物を飲食店などにし営業しているお店が並ぶ通りもあり、町を賑わわせています。
その店内を外から覗くと、魅力的なお店が結構あります。
しかし食べたり飲んだりし続ける訳にもいかず、心惹かれつつ町を歩いて廻りました。

適度に疲れ、お待ちかね、ある喫茶店に入りました。
そこは石造りの大きな建物の一角。
造りは歳月を感じさせる年代物です。
お店には昔使われていたと思われる入り口があり、その上には消されてしまったけど、なんとか「BARBAR」と読める跡がありました。
昔は床屋さんだったのかな、と推測して入店。



思った通り一面の壁を大きな鏡が占め、その下は木製の作業台が伸びていました。
後から造り付けたらしいカウンターには、カミソリやハサミを入れていたと思われるガラス製の戸棚にグラスが入れられていたりして、名残を濃厚に残したディスプレー。


お店のご主人(女性)にお聞きすると、やはり昔は理髪店として営業してたそうです。
さらには、理髪店の隣で銭湯をやっていたというお話しです。
すごい。
先(々?)代は時代を先取りした経営者だったのですね。
今で言うスーパー銭湯の走りではないですか。


昔のお話しや、鞆の浦が一番盛り上がる、お雛祭りのお話しをお聞きしました。
鞆の浦では2月後半から3月始めにかけて、各家で持ってる雛人形を玄関先などに飾り、玄関を開放して町行く方々に見てもらう行事があるそう。
古くから続く名家では珍しい雛人形も見れるとか。
ちょっと訪れるのが早すぎたかな。


ところで、タイトルの漢字を見て疑問が・・・。
なんで「床」屋なんでしょうね。

保命酒

2011-02-27 09:01:24 |  尾道/鞆の浦の旅
尾道/鞆の浦の旅

鞆の浦には古くから伝わる薬用酒があります。
保命酒と言い、今回初めて存在を知りました。
酒好きのよかばかとしてはどんなものか試さずにはいられません。
何軒か製造元があるようで、一軒のお店で試飲させてもらいました。


このお店、店先で薬草を煎じて雰囲気出してます。
風上から近づいたので気がつかなかったのですが、風下に入ると「ぷん」と煎じ薬が匂います。
初めて匂って口に出る言葉は、「臭っ」です。
通りかかったみなさん、一様に反応を示します。
あまりにも濃厚すぎる匂いです。
お店の方がしきりに試飲を勧めますが、その匂いに怖じ気ずいたのか皆さん二の足を踏んでました。
うなぎの蒲焼のお店は匂いでお客さんを引き寄せますが、この場合効果的なのかそうでないか、微妙なところです。

私も恐る恐る飲んでみました。
ふむ。
飲んでみると、以外に匂いは気にならない。
まあ、大量に飲む種類のお酒でもないし、体調の悪い時にでも飲もうと小瓶を購入しました。


暖めるより冷やして飲む方が香りが良くてお薦めらしいです。
酒好きの方は試されてみては…。

常夜燈周辺

2011-02-26 00:58:22 |  尾道/鞆の浦の旅
尾道/鞆の浦の旅

お昼は鞆の浦cafeでいただきました。
かがまないと入れない入り口のドアをくぐり店内に入ると、なかなかにお洒落なお店です。
建物は古く、備品は新しい。
いい按配に新古折衷。
料理するお兄さんはかっこよく、注文を聞いてくれたお姉さんは美しい。
褒めすぎかな?

オイルベースのパスタを注文。
美味しかったです。
写真はお店の外観。
奥に見えるのが常夜燈。


さて、お腹にエネルギーも充填したことだし、再び鞆の浦の町の探索に向かいました。
前回も触れましたが、鞆の浦の建物も古いものが多いです。
尾道のは老朽化した近代建築の古さ、鞆の浦は保存された中世建築の古さ。
なので尾道で感じた懐かしさはここでは薄く、歴史のお勉強をしている感じ。
今回の旅はずっと過去を偲ぶ同じような見学対象で、途中飽きが来ないかなと当初不安でしたが、両者魅せ所が少し違い、杞憂に終わりました。

昼食前に端折った場所へと戻りつつ、昔の町並み風景を楽しみました。

<欧州の街角?>


<お蔵の紋様>


<うつむく>

とものうら

2011-02-25 01:18:15 |  尾道/鞆の浦の旅
尾道/鞆の浦の旅

今回から記事の舞台は鞆の浦(とものうら)に移ります。
鞆の浦へは福山からバスに乗り、鞆の浦バス停で下車。
バス停横にある観光情報センターで観光マップを手に入れました。
見所と時間別推奨コースがとても詳しく、また表現豊かに記載されてて秀逸。
私はコースを度外視して歩きましたが、コース外の道も正確、迷う事無く歩けました。
ここをじっくり歩くなら、入手をします。

バスセンターからは左手の堤防越しに瀬戸内海を眺めて歩きました。
みぞれが海から吹けて来て、風が冷たい。
震えながら歩くぅ。
平成いろは丸と言う遊覧船の乗り場でトイレを借りて、サヨリの干物を売る売店でこんなものを見つけました。

私も好きだなあ。

途中、圓福寺など覗きながら歩いて行くと、漁港に出ました。
港は背後の丘が風を遮り、日差しも戻って人心地。
漁港は滑らかにカーブを描く波止場で守られ、荷揚げ用のベルトコンベアがあったり、沈みかけた小舟があったり、同型の船が並んで停泊していたり。
見慣れぬ風景なので、面白い。


いろいろと写真を撮りながら進んで行くと、向こうに鞆の浦のシンボル、常夜燈が見えてきました。
灯篭燈と呼ばれる江戸時代の灯台だそうです。

うーん、お腹が空いた。
お昼にしたい。
しかし常夜燈へ向かうまでの道の左右にも、魅力的な被写体が次々と現れ、歩みは進まず。
鞆の浦の建物は尾道に増して年代物です。
しかも古い故に文化財としての意識が高く、保存状態もいい。


あっ、いい加減にしなければ。
お昼は常夜燈そばのカフェで食べようと考えていたので、途中から観光は後回しにして、良さげな被写体をチェックしつつお店へと向かいました。

記憶の引き出し

2011-02-24 00:29:26 |  尾道/鞆の浦の旅
尾道/鞆の浦の旅

尾道での宿泊は養老温泉と言う温泉地に取りました。
尾道駅からバスで20分ほど北に上った所にあります。
温泉地と言っても歓楽街がある訳でなく、郊外の畑の広がる中に数軒、旅館だけ立ってる所です。

泊まった宿は昼間巡った尾道の見所と同じくクラシカル。
部屋にトイレと洗面所が付いていない、昔の木造旅館でした。
廊下には、懐かしやステンレスの板を溶接して作った四角いシンク(その時代こうは呼んでなかったですが)に蛇口が三つ並ぶ洗面所がありました。
小学校の水道はこんなだったなあ。
トイレはさすがに水洗の最新設備になってました。

温泉は無色透明。
泉質は長い名称で覚えれませんでした。
浴場は収容人数に見合った大きさ。
中央に小さなタイルを張った深めの浴槽があります。
夕刻、車旅の途中なのでしょう、日帰り入浴客で賑わってました。


その宿で、特に私の目を惹き付けたのは、玄関を入ったロビーにある受付?番台?のディスプレー。
お菓子やらお土産やらを売っている陳列棚がコの字に受付を囲っています。
こういった宿には同じような商品棚が普通にありますが、なんでかここのは目を惹きます。
置いてる商品はデザインが古いものでも珍しいものでも無く、スーパーで普通に売ってるお菓子に飴玉。
(多少古いのも混じってますが。
なんでなんだろう。

…分かりました。
その陳列密度が非常に濃いのです。
隙間が無い。
商品がぎゅうぎゅうに詰めて置かれてる。
そう、昔遊んだ駄菓子屋さんで見た光景に近いのです。
くじや模型や甘いお菓子でいっぱいの、雑然としたあの店先を思い起こさせたんですね。


古くはありましたけど、料理もおいしく清潔な宿でなかなか面白かったですよ。

ピストン輸送

2011-02-23 01:11:04 |  尾道/鞆の浦の旅
尾道/鞆の浦の旅

尾道駅の南はすぐ海です。
岸壁には柵が伸び、公園とまではいきませんが横に長い広場があります。
手すりにもたれ眺める海。
川向こうって位の近さに対岸があり、大きなクレーンや工場の建物が見えます。
向島です。
右手の桟橋から渡し船が出、向島のこちらに口を開けた運河(に見える)の奥へと行き来するのが眺められました。


旅の日は寒かったので、そんな気にはなりませんでしたが、今日のような暖かい日なら、海と島をぼんやり眺めて過ごすのもありかも。
駅前なので静かとは言えませんけどね。

左手の船着き場の方へ、小さなフェリーがやってきました。
対面に見える向島の乗り場と往復している様です。
こちら側の乗り場へ行ってみました。

フェリーは、甲板上の構造物を薄い門のようなコの字型の枠を跨ぐだけとして、車を載せる甲板の面積を最大限確保してました。
進行方向に見ると、いわゆる船の形状は成しておらず、平らな板が車を載せて来たように見えます。
前後に開口部があり、回頭不要で頭かお尻を接岸します。
本当に島との間を車を運ぶのに特化した造り。

対岸は近く時間も少しあったので、向島を訪れてみようかと運航時刻表がどこにあるのか探しましたがありません。
営業所らしき建物もない。

そうこうしている内に、船上の車を降ろし、待ってたこちらの車を載せ、フェリーはあっさり出発して行ってしまいました。
ありゃりゃ。


写真の看板を見ると、乗船料金は書いてあるんだけどなぁ。
・・・んん?、その下になんか書いてある。
「頻繁に運航。」
なはは。
記載の文句はうろ覚えですが、どうやら時刻表はないらしい。
着いては出、着いては出、を繰り返すみたいですね。
たぶん料金も乗船する時に払うのでしょう。
必要最小限の設備で商売してますね。
ちょっと感心しました。

猫の町

2011-02-22 01:59:50 |  尾道/鞆の浦の旅
尾道/鞆の浦の旅

尾道を歩いていて、もう一つ目についた事物があります。
それは猫。
住宅街やお寺など静かな道を歩いていると、建物の隅や塀の上に度々現れます。
写真に撮ろうとするのですが、じっとしていてくれません。
愛想のいいのはほとんどおらず、ケンカで傷つけたのかひどい顔をしたのがいたり、吠えるように鳴く子がいたり。
ここの猫社会も大変なんだなあと思わせる個体が多かった。


旅も後半、近づいても声を掛けてもこちらを見向きもせず、泰然としたふてぶてしい奴が出てきました。
ボスキャラならぬ親分さんでしょうか。
と思えば、西國寺では餌をねだりに体を擦り付けてくる奴に出会いました。
きっとこの猫は可愛がってもらってるのでしょう。

その他猫関連で良く見かけたのが、福石猫です。
こんなの。


まん丸い石に猫が描かれてます。
天寧寺辺りに茶店や菓子屋が集まっている所があり、そこの路地に大きいのや小さいのがたくさん置かれてました。
天寧寺の三重塔の右上には、梟の館というお店があるのですが、その前に福石猫のご本尊なのか、大きな石が社に納められ、皆に頭を撫でられていました。

そんな町だからかオーナーの趣味なのか、空き家…プロジェクトは「ネコノテパン工場」という名のお店も出してます。
とてもこじんまりとしたお店。
当然民家を改造利用した店舗です。
お昼を食べ終わってたので、外から眺めただけでパンのお味は紹介できないですが、窓から生地を捏ね/焼きする所が見えて、訴求力高し。
自分の町にあったら、度々利用しそうなお店でした。


春の兆し

2011-02-21 00:00:23 | Weblog
尾道/鞆の浦の旅のお話しは一回お休み。

今夜は十七夜。
立ち待ち月ですね。
まるいお月様は朧に霞んでます。
今日は風が肌寒かったものの、先週に比べれば暖かく、春の空が広がりました。

先々週辺りから冬型の気圧配置が崩れる日が多くなり、天気の移り変わる周期が短くなりました。
大阪ではが積もったりしました。
雪が積もるほど降るのは2月に多いので、これまで2月が一番寒い時期だと思っていたのですが、太平洋側で雪が降るのは、寒気がやってきているときに日本列島の南岸を低気圧が通過する時であるようで、つまり冬型の気圧配置が崩れた時になります。
てことは一番寒い時期ではないんだ、という風に考えることにしました。
大阪の雪は春の兆しなんですね。

今日は車で山里を訪れました。
田んぼの畦には思ったより多く、早春の花が咲いていました。
オオイヌノフグリの青とナズナの白が目立ち出しました。
ヒメオドリコソウも赤紫の花を付け出しました。
遠くから眺めるだけだとまだ全然春っ気はないのですが、ちょっと注意してみるとすでに結構な数の花が咲いているのを見つけられます。
土のある所を歩いたときは、是非、足元を注視してみてください。

<オオイヌノフグリ>


寺の町

2011-02-20 00:17:50 |  尾道/鞆の浦の旅
尾道/鞆の浦の旅

尾道はお寺も多い所です。
七佛めぐりが最もポピュラーな観光コースのよう。
尾道駅ではルートマップを無料で配布しており、実際のルート上には案内の標識が立ててあるので、手ぶらで訪れても迷う事なく見て回る事ができます。
私はお寺そのものにはあまり興味がないので、尾道を廻るルートとして使わせてもらいました。
被写体に恵まれた所をいくつか紹介します。

尾道観光の主役、千光寺は山の上にあります。
麓からロープウェイが通じてますが、歩ける距離なので乗らずに登りました。
私が登った南斜面は日差しが暖かかったのですが、山上に出ると北から強風が吹き付け、寒かった。
早々に南側に退避しました。
千光寺公園から南周りの道で千光寺に向かう途中、ポンポン岩という巨岩があり、そこから眺めた尾道の町。


大きな川が見えますが、川ではありません。
尾道は瀬戸内に面した町。
対岸は向島。
だから川ではなく海です。
いいお天気ですね。

次は西國寺。
ここの仁王門には巨大な草鞋が掛けられています。
でっかかったです。


西國寺はとても境内が広く、仁王門をくぐり、石段を上り、本堂を越えてもなお石段があり、最上部には三重の塔が立っています。
三重の塔まで見に行って、下ってくる途中に密集したお堂の屋根を見下ろせました。
思い浮かべたのは、「い~いらぁかぁ~のなぁみ~ぃとぉ、くぅもぉのなぁみぃ~
気が早いですね。





石垣の町

2011-02-19 00:47:42 |  尾道/鞆の浦の旅
尾道/鞆の浦の旅

尾道の路地を歩きながら、坂道が多いという事は、イコール石垣が多いという事なんだなあ
と気付きました。
傾斜地に水平に家を建てるには、山側を削るか谷側を盛るしかなく、谷側を盛って対応しているお家が大半でした。
みなさん普通の民家なのに神社仏閣お城も顔負けの石垣を組んでらっしゃいます。
土台は大切ですからね。
そこに手は抜けないのでしょう。
散策の最中、常に石垣が視界にあったように思います。

石垣の隙間から雑草が首を伸ばしていました。
ホトケノザだ。
田んぼの畦道に生えるものだと思っていたのですが、こんな所でも暮らしてたんですね。