惑星探査機の名前

2018-09-28 01:20:30 | その他旅行き
御坊から田辺へ移動。
次がいよいよこの旅の主目的地、クラフトビール醸造所のVoyager Brewing。
街中にあるのだが、大きな道から曲がるべき場所が分かりにくく、一度通り過ぎてしまった。
南紀田辺ICから向かう時は要注意である。
本当にこの奥にあるの?と思う道を入って行くと、右手に発見。



一台分ギリギリ空いていた駐車スペースに車を止め、お店の扉を開けると、長いカウンターが迎えてくれた。
カウンター左半分の後方はガラス張りで、お姉さんとお兄さんが並んでこちらに向かって座り、机の原稿を見て喋っているようで、マイクは見えないのにラジオ放送をオンエア中なのかと見間違えた。
ただの事務室らしいのだが、かっちょいい造りになってる。
その日はイベント日で、普段はグラスで供する生ビールはプラカップでの販売とのこと。
多分少しお得な料金で飲めたはず。



ビールの品揃えは、IPAにCOPPER、そしてGOLDの三種。
まずはGOLDをいただく。
連れは下戸なのでソフトドリンクを注文。
この後の運転はお任せ。
カウンター席は6席程しかなく、いっぱいだったので、広い2階席に移動。
誰もおらず、ソファ席でゆっくり味わった。



2階からは醸造機器のあるスペースがよく見渡せた。
銀色のタンクが3つ4つと並ぶ小さなビール工場。
写真を撮ってもOKとのことなので、当然バシバシ撮影。
ビールはウイスキーやワインみたいに熟成させる必要がないから、こんな小さなスペースで作れちゃうんだね。



一杯目を飲み終えたので、二杯目を買いに一階に降りると、お店のお兄さんが醸造手順を説明してくれると言うので醸造スペースへ移動。
ひとつひとつの装置の役割を教わった。
今は作業期間では無いようで、手入れされてピカピカの機器は、静かに再び稼動する時を待っていた。



その日のイベントってのは「かまてんバーガー」という蒲鉾屋さんがつくるハンバーガーの出張販売。
洒落た移動販売車が店の前に止まっていた。
買った食べ物を店内で食べてもいいそうなので、何を売ってるか様子を伺いに行ってみると、かまてんバーガー以外にもいろいろある。
お昼時ならかまてんバーガーを注文しただろうけど、おやつの時間帯だったので軽めに、かまてんバーガーのかまてん部分だけの揚げ物を連れとシェアすることに。



お店に持って帰るとカウンター席が空いていたのでそこに陣取り、二杯目を注文。
次はお好みのIPAにした。
苦味を楽しみつつ、たこ焼き大のかまてんを爪楊枝で刺して口に運ぶ。
揚げたてで、きざみ野菜がアクセントになってて美味しい。
お店のお兄さんと会話を楽しみつつ、ゆるりとパブタイムを過ごした。
とても居心地の良いお店で、こんなのが近所にあったら常連になっちまうな。
お土産に瓶ビール三種を購入。
お家でも楽しもう。




紀州鉄道

2018-09-26 06:23:00 | その他旅行き
湯浅から御坊へ移動。
次の目当ては紀州鉄道。
路線距離がたった2.7km、5駅しかない極小鉄道路線である。
残念ながら今回の旅ではここにあまり時間をかけられない。
途中駅の市役所前駅近くのラーメン屋さんで昼食とし、時刻表をチェック。
1時間に1本走っている。
車は市役所の駐車場に止めさせてもらい、市役所前駅から南側の終着駅である西御坊駅まで往復乗車する間に撮影するプランとした。



食後、駅に行ってどう撮影しようかと観察していたら、連れが貼り紙をみつけた。
台風の影響で市役所前駅のひとつ手前の紀伊御坊駅から西御坊駅間は現在運転していないと記載が。
危ない危ない、よく見つけてくれました。
このままずっと待ってるところだった。
レールに錆が浮いてたので、運行本数が少ないとこんなもんなのかと思っていたが、全然走ってなかったのね。



車で紀伊御坊駅まで移動。
さらに時間が無くなって、乗車するのはあきらめ、駅で写真を撮るだけになった。
列車に乗らず撮影だけなんて、寂しい事態だ。
あとで調べて分かったのだが、走ってきた気動車は信楽高原鉄道から譲り受けたものだそうだ。
何年か前に信楽高原鉄道で乗った車両と同じだったのかもしれない。



紀伊御坊駅近くには廃車になった旧車両が置かれていた。
お弁当屋さんになってるみたいで、おっちゃんが車体にペンキを塗っていた。
線路の高さから車両を撮影できる機会は少ない。
ここは前と後ろからそれができる。
珍しい角度の写真が撮れた。


甚風呂

2018-09-22 01:05:47 | その他旅行き
通りから少し外れた裏手への路地を入ると、甚風呂という昔の銭湯跡がある。
内部を無料公開しており、脱衣所からタイル張りの浴室、裏手のボイラー室をぐるりと見学できる。



脱衣所は男湯女湯の仕切りが取り外されていたので、それなりに広く感じたが、半分にしたら10人も入ればいっぱいなこじんまりとした銭湯である。
入口側中央に番台と知れる木枠があり、中に入って座れる。
お子様に大人気。



浴室にはシャワーなんて当然なく、風呂桶も黄色いケロリンよりさらに年代物の金属製のものが置かれていた。
湯船は結構深く、横に穴が開いていて、ボイラーなのか焚き木なのか火を焚いて熱した釜で直接お湯を温めていたのだろうなと思わせる単純な構造が見て取れた。
湯に浸かる場所で随分温度差がありそうである。



裏手のボイラー室の周りは資料館的に昔の暮らしで使用したいろいろが展示されていた。
無料なのに事務職なのか案内係なのか複数の職員らしき人がいた。
町が管理してるんだろうから、町が雇っているのだろうか。



反対側の浴室を通って元の脱衣所に戻る。
外に出ると路地の向かいの家が無料の休憩所になっていて、軒下の縁台に座って世間話をしていたおっちゃんが、お茶を飲んでけと誘ってくれる。
少し暑さの戻った日だったので、遠慮なく冷たいお茶をご馳走になった。




醤油色のまち並み

2018-09-21 00:14:45 | その他旅行き
翌日は朝から湯浅のまち歩き。
晴天で、無料の観光駐車場で車を降りた途端、帽子を持ってきたら良かったと後悔。
今回来るまで知らなかったのだが、湯浅は醤油造りで栄えた町で、古い木造家屋の街並みがあるとの情報。
宿で手に入れたガイドマップを持って散策した。



今も人の住んでる家がほとんどで、空き家になった古い建物は、休憩所やギャラリーとして利用されていた。
面白い試みだと思ったのが、格子窓や板壁にガラス張りの箱が取り付けられ、中に古い文房具や裁縫道具、そろばん、天秤、 人形なんかが飾られていたもの。



複数の家で、中身を変えて取り付けられているので、それぞれの家に残る年代物の何かを、ある時飾ろうということになったのかもしれない。
とても小さな街角博物館である。



金山寺味噌のお店。
写真を撮っていると味噌の香りが漂ってきてこりゃいかん。
うなぎ屋は蒲焼く匂いで客を呼ぶというが、同じ罠にかかってしまった。
お土産に金山寺味噌を買った帰った。
毎晩キュウリに乗せて食べている。
おちゃけに合うことこの上なし。



通りの端にある醤油屋さん。
絞らず加熱せず、醤油だるから滲み出した汁のみで作った濁り醤が名物。
開封したら要冷蔵と注意を受けた生醤油を、これまたお土産に買って帰った。



他にも醤油の卸を営んでいるのか、古い看板を掲げたお家があって、でも間口は普通の民家であって、昔はどこでもそうだったように戸が開け放たれ、土間が奥へと伸びるのが覗ける。
土間の境に暖簾がかかってたりして、いい佇まい。
写真に撮りたいのだが、ひとんちだからなあ、と諦めたのだった。




ある料理宿の献立

2018-09-20 06:39:14 | その他旅行き
9月ひとつ目の三連休。
二泊三日の旅行に出かけた。
7月だったか8月だったか、書店で目に留まったクラフトビール特集の雑誌。
手にとってはいけないと、数回見ないふりをしていたが、誘惑に勝てるわけもなく購入。
ホップをふんだんに使ったクラフトビールを飲めるお店が、身近にいっぱいあることを知った。
さっそく梅田のビアパブで休日の昼間からビールを飲んで、地方のクラフトビールを飲みに訪れるのを目的に旅するのもいいかなと。
旅先を探していたこともあり、和歌山のブルーパブへ行くことにした。

<先付>


<お椀>


当然ビール屋さんだけでは間が持たないので、周辺の観光地でも遊ぶプラン。
大阪の三連休の天気予報は雨、雨、曇り、だったが、南の方はお天気良く、曇り、晴れ、晴れ、となって、ラッキーだった。
てことで、旅の様子をまた分割掲載。

<造り>


<焼八寸>


土曜日は日中テニスの予定を入れていたので、終わった後出発。
阪和道を南下して、宿泊地の湯浅の町まで車を走らせた。
土曜はこのドライブだけ。
宿泊したのは栖原温泉という一軒宿。
玄関を入った部屋に置いてある色紙を見たら、三田村邦彦のが三枚もあった。
みんなおとな旅あるき旅で来たようだ。

<紀州の地酒>


温泉に入ってさっぱりし、時間に食事処へ行くと、個室で食べさせてくれた。
一品づつ出来たてを供してくれる。
おとな旅〜で何度も取り上げられるだけあって、料理はとても美味しかった。
ビジュアルも素晴らしい。
個室なので人目をはばからず料理の写真を撮れた。
今回の写真はそれら料理の全品。

<蒸物>


<油物>


面白かったのがお造りに付いていた醤油。
粉にした醤油に、泡状にした醤油、普通の醤油(でも自家製らしい)の三種。
粉のと泡のは箸で刺身に乗せて食べる。
泡醤油が面白い食感だった。
さすが湯浅は醤油処、一味違いますな。

<ご飯>


<デザート>


あと変わってたのが湯浅ナスの茶碗蒸し。
でっかい茄子が器になっていた。
また舌が肥えてしまった。

<献立>



手習い、その手応え

2018-09-15 02:11:13 | Weblog
写真教室に通うことにした。
月に一回開かれるタイプの奴だ。
講習会の他にも自分で撮った写真を持ち寄って、講師や他の生徒と意見交換などする場を持てるそう。
どこかの写真倶楽部に入っているわけではないので、自分の写真の感想を聞く場はこれまでなく、どんな評価がされるのか不安と期待でいっぱいである。
どの写真の感想を聞きたいのか、過去に撮った写真から上手く撮れた奴を選んでいるところだ。

<選外その①>


最近撮った写真を格納したフォルダーから徐々に昔のフォルダーへと移っていくと、ああこの旅をしてからもう一年も経ったのか、とか、この写真を撮ったのはここに遊びに行ったときだったか、とか思い出す。
毎日少しずつ、そして偏らないよう出来るだけいろんな種類の写真を選んでいる。
ただぼんやりと昔の写真を見返すのではなく、目的を持って見ると全然面白さが違う。
いつもなら寝る時間なのに、飽かずに色々考えている。

<選外その②>


新しく楽しめる何かを見つけられるのは、いい歳になるともう僥倖と言える。
貴重な巡り合わせだ。
ふと思い立って申し込んだが、こんなに意欲を持って取り組むことになるとは思ってもみなかった。
写真教室の具体的内容は分からないが、各回で課題やなんかが出るのだろう。
それに対するのもまた面白いのではないかと期待している。
他の生徒さんはどんな人たちで、自分とは全く違うものを持ってくるだろうその写真を見るのも楽しみだ。

<選外その③>


そんな思うとおり、楽しい教室だといいなあ。


神子畑選鉱場跡

2018-09-12 06:34:33 | その他旅行き
「みこばたせんこうじょうあと」がその日の最後の見学地。
明延鉱山で取れた鉱石を選別するところだったそう。
現在は山の斜面に階段状の土台しかないが、十数年前まで建物も残っていたらしい。
昭和の最後に操業停止したので、取り壊し前はさぞかし廃墟感が高かっただろう。
現在でも敷地に入る事は出来ないので、当時も建物に入れなかっただろうけど。



ここは山の斜面の高低差を上手く使った施設だったようだ。
選鉱作業の手順や方法は知らないが、重い鉱石が相手なので、上から下へと移動させつつ作業すれば使用エネルギーは少なくて済むからな。
明延鉱山で取れた鉱石は選鉱場の裏手にあるトンネルを通して選鉱場の一番上に運び込まれ、下へ下へと選鉱していったそう。



選鉱場は下から見上げるしかない。
中を歩ければ面白いんだろうけど、立ち入り禁止だ。
見える範囲で目を惹いたものが二つ。
一つはインクラインのレール。
荷物の上げ下げにケーブルカーが使われていた。
レールが残ってて良かった。



もう一つが巨大なロート。
水に溶かした?鉱石を選別する装置だそうな。
三つくらいあったかな。
ロートの下部の空間が陰になって、取り残された各種機器が覗け、なかなかの雰囲気を醸し出している。



選鉱場は近年まで操業していたので、操業当時の写真もたくさん残っていて、その頃にも見てみたかったなと思う威容だ。
ひとつ失敗したのが、この選鉱場跡のもう少し奥に神子畑小学校跡があったのだ。
そこには体育館がまだ残ってるようで、後で知って残念至極。
今回行けなかった明延鉱山も、制限はあるものの坑道見学ができるので、またの機会に合わせて見学することにしよう。


鋳鉄って何?

2018-09-08 01:53:05 | その他旅行き
生野銀山を出た後、近くの関連史跡を続けて見学した。
日本遺産に認定されたらしい鉱石の道と名付けられた、明延鉱山、神子畑鉱山、生野銀山間の輸送路。
明治大正時代、最盛期の頃、馬車やトロッコで採掘した鉱石を運んだ歴史ある道だそうだ。
その一部、河岸に石を積み上げ作ったトロッコ道。



なんかのTVで紹介されてるのを見て、ここは見てみたいなと思っていたところだ。
鉄道史跡と言えるだろうが、残念ながら線路が残ってるわけではない。
今の線路みたいな敷設物はイメージアップするためのものか。
石積みは当時のものらしい。



その後、車で移動。
神子畑選鉱場跡への途中に神子畑鋳鉄橋という、とても古い鉄製の橋があった。
鉱石の道での物資の行き来を支えるため、明治時代にかけられたもの。
名前の通り鋳鉄という鉄製の橋だとか。
鋳鉄でのみ作られた橋としては日本最古だそう。



鋳鉄というのは炭素を多く含む鉄で、炭素の少ない鋼鉄より脆いらしい。
鋼鉄の大量生産方法が発明された現在では、鋳鉄で鉄橋が作られることはないそうだ。
欄干など、丸みを帯びて柔らかな雰囲気。
昔の橋らしく、親柱は凝った造りだ。



当時の最新建造技術が投入された橋がこんな山の中にあるなんて不思議だが、最新の技術はその時々でもっとも必要とされるところで使われるものだ。
明治の時代、金属鉱物採鉱というものがどれだけ重要視されていたかが窺える。