酒滴神社

2024-04-27 16:53:11 | 山行
春の山を歩こうと兵庫県にある虚空蔵山(こくぞうやま)を登ることにした。
登り口の最寄駅はJR宝塚線の藍本駅。
駅から細い道路を南に歩くと、右手の山裾になかなか立派な神社があった。
酒滴(さかたれ)神社といい、風情があるので寄り道して写真を撮らせてもらった。





入口にある謂れを読むと、その昔疫病が流行ったとき、スサノオを名乗る童子が現れ、そのお告げに従い山に入ると、霊窟から垂れ出る「酒」を発見したという。
飲んでみると病気は治り疫病退散。
その後都でも疫病蔓延した際、同じくこの地の霊水を取り寄せ飲ませたところ、疫病が去ったということで、この地を祀ることになったものだそう。
最初名前からして酔っ払うお酒にまつわる逸話があるのかと思ったが、薬としてのお酒であった。





神社は山の斜面にあるので石段を上ってお詣りする。
入口の鳥居から本殿までの間に小さな随神門があった。
門の左右の部屋の中を覗くと、弓矢を携えた神像が安置されていた。
社務所なんてない(と思う)神社で随身が護っているなんて、失礼ながらちょっとビックリした。





随神門も本殿も随所に彫り物があり、四方に霊獣が睨みを効かしている本格的な造りである。
今は細い道路の左右に民家が並ぶだけ。
周りは田畑の広がる田舎だが、昔は丹波路の宿場町として賑やかだったらしい。
なかなかいいものを見せてもらった。






参道ケーブルでの下山

2024-04-23 06:26:46 | その他旅行き
京阪電車の石清水八幡宮参道ケーブルのケーブル八幡宮山上駅は本殿裏手の展望台のすぐ下にある。
駅に着くとちょうど「こがね」が出発するところだった。
その日は15分間隔の運行。





ICカードを読取機に当ててホームに入ると、下から上ってきた「あかね」が入線。
車両はまだ新しいようで、ピカピカだった。
ほぼ満席のお客さんを降ろして、乗車側ドアが開いた。





車内は全ての椅子が下向きに設置されていて、一番後ろの運転台横のシートのみ上向きに設置されていた。
そこに陣取り、上方の眺めを確保する。
下り列車もほぼ満席となり出発した。

<トンネルの向こうに鉄橋とトンネルが見える>


いきなり短いトンネルをくぐり降下していく。
次に現れたのは鉄橋だ。
ケーブルカーに鉄橋があるって珍しいのではないだろうか。





鉄橋を過ぎるとまたトンネルがあり、そこで上りの車両と行き違った。
それほど長い運行路線ではないが、変化があって面白い。
その後右にカーブしてトンネルが見えなくなり、麓のケーブル八幡宮口駅に到着する。





地図を見ると、ケーブル路線と交わって道がついている。
山の方にある石清水八幡宮とは関係ない?不動尊へ行く参道のよう。
ここを歩いたら鉄橋を渡るケーブルカーが見れるのかもしれない。
チェックしておこう。






石清水八幡宮・本殿周り

2024-04-21 07:45:05 | その他旅行き
南総門は平成・令和の大修造が行われていて、工事の幕が張られて見ることはできず。
手水舎で手を清めて工事中の総門をくぐる。
楼門前の境内は賑わっていた。
来る時の参道の寂しさからして、やはりみんなケーブルカーを使用しているようだ。





楼門の向こう側にある本殿等は昇殿参拝(有料)に申し込まないと見れないようだ。
神職の説明付きで見学させてもらえるみたいだが、時間が決まっていて日に二回だけなので諦める。
楼門からお詣りして、廻廊が囲む本殿の周りをぐるり一周した。





歴史ある神社なので国宝以外にも見所いっぱい。
楠木正成が奉納した大楠や織田信長が奉納した土塀、鬼門封じの北東角や門に彫られた霊獣など、ガイドマップと一緒にもらった見所ガイドに記載のポイントを見て回った。





さて、下山しよう。
参道のうち、裏参道を歩いていないのが心残りだが、帰りはケーブルカーを使うことにした。
ケーブルカーの駅に向かう道の途中に展望台がありこれから行く(記事としては先に掲載した)背割堤の桜も見える。
石清水八幡宮のある男山は、周りは平らなのにそこだけぽっこりと山になってるので、なかなか見晴らしがよいところだった。






石清水八幡宮・参道

2024-04-19 06:13:44 | その他旅行き
高良神社から駐車場横を進むと二ノ鳥居があり、手前で参道は裏参道と表参道に分かれる。
二ノ鳥居は山上の本殿からすると北西方向にあり、表参道はそこから本殿の南側まで大きく回り込むように付いている。
なかなかに持って回ったルートだ。
本殿が南を向いてるから正面である南から参拝するよう参道があるのは分かるが、参道入口を南側に作れなかった理由はなんなんだろうと不思議に思った。





裏参道は二ノ鳥居からほぼ直線的に本殿横に繋がっているから、帰り道として使用されたのだろう。
当然、表参道から本殿に向かう。
二ノ鳥居から奥へ進むと参道はつづら折れの石段となり、さらに山の斜面をトラバースして緩やかな石段を上る。





右手の斜面には石垣があり、山城の城跡を歩いている気分になる。
廃仏毀釈が行われる明治より前、石清水八幡宮は神仏習合の神社で、石垣の上には僧坊が所狭しと並んでいたそう。
大きな坊のあった場所には当時の様子を紹介する説明版が立てられていた。





参道を歩いているのは小さなザックを背負ったハイカー風の観光客か、健康づくりしている手ぶらの地元の人がほとんどで、一般観光客の姿は少ない。
たぶんケーブルカーを使って往復するのだろう。
石段を上り切ると三ノ鳥居があり、さらに本殿まで真っ直ぐに参道が伸びる。
左右には寄進されたいろんな大きさ、意匠の石灯籠が並んでいておもしろい。






石清水八幡宮・麓の方

2024-04-17 06:21:48 | その他旅行き
背割堤の近くに石清水八幡宮がある。
近年になって、本殿や楼門が国宝指定されたそう。
日本三大八幡宮のひとつでとても由緒ある神社らしいが、あまり知らなかった。
花見の前にお詣りすることにした。





本殿は男山という山の上にある。
京阪電車の石清水八幡宮駅横から出ているケーブルカーで山上に行けるが、歩いて上る参道は歴史ある道のようで、歩いて行くことにした。
駅前の観光案内所で観光マップを手に入れ、参道入口の一ノ鳥居から境内に入る。





まず頓宮という石清水祭で神様が山上の本殿から降りて来られて、滞在する殿舎がある。
年に一度なのに神様が座す社だからかとても立派である。
祭りの催しが行われるのだろう、塀で囲まれた広場が意味ありげに広がっていた。



その隣には摂社の高良神社がある。
高良神社は徒然草の説話で有名なところ。
自分は知らなかったのだが、こんなお話し。
仁和寺の齢を重ねた法師が、石清水八幡宮にお詣りしたいとやってきて、高良神社と近くにあった極楽寺が壮大な造りだったので、ここが八幡宮本殿と思い込み、山上の本殿にお詣りせずに帰ってしまった、という。





極楽寺はその後いくさで焼けてしまい、今の高良神社は再建されたもの。
当時は神仏習合の宮寺もあって、僧坊が軒を連ねていたそうなので、山麓であっても大きな建物の並ぶ一帯だったのだろう。






背割堤のさくら

2024-04-13 17:54:24 | その他旅行き
大阪の今年の桜は見頃の時期がとても短かった。
五分咲きくらいで寒の戻りがあって花冷えが続けば長く保つのだろうけど、開花した後ずっと気温が高かったからすぐに満開になって、そして大雨と強風に見舞われた。
それでも満開に向かう時に週末が重なったのは良かった。
うまく年休の予定があった金曜日と日曜日に、二度も花見に出かけた。



まずは一度目の花見のお話し。
京都の大阪との府境間近にある「背割堤」の桜を見に行った。
宇治川と木津川が合流する手前の堤防上に桜並木があるのである。
お昼過ぎに到着し、開催されていた「さくらまつり」の出店で何か買って食べようと、堤防下の高水敷に並ぶテントの店種を確認しながら奥へと進んだ。
咲き加減は5~6分咲きというところか。
平日だというのにたくさんの人が花見に来ていた。
まだ春休み中なんだな、きっと。





桜並木の長さの情報を仕入れた時、14という数字が頭に残った。
140m行けば並木は終わるのだろうとなんとなく歩いていたが、行けども行けども並木は終わらない。
お腹が空いたしトイレにも行きたい。
しかしお店もトイレも入口付近にしかなく、この先も無さそうだ。
堤防の舗装面に書かれた距離表示で、並木は1.4kmだったことを認識する。





並木の終点を見たいので、一度戻って再度やってくるか、このまま行くか選択。
残りの距離の方が少ないのでこのまま行くことにする。
当たり前だが、奥へと歩くに連れ人は少なくなる。
堤防の斜面と下り切ったところの高水敷は柔らかな草地で、みんなそこにレジャーシートを敷いて憩っている。
ゆっくりするのなら、あらかじめお弁当や飲み物を用意して、奥地まで行くのが正解だなと思った。



並木の終わりは堤防の終わりで、小さな河川管理施設があり、堤防を取り巻く階段で高水敷に降りれるようになっていた。
広く整備された草地があり、別の場所から移された大きなくすのきがあった。
幹にはまだ包帯が巻かれたままで、養生中のようだ。





帰りは堤防下の道を戻る。
少し離れて見上げる桜も良いものだ。
入口の方へ戻るに連れレジャーシートを敷いている密度が高くなる。
奥地へ行くにしても、どの辺りまで離れると隣を気にせず居心地よいかと、トイレに行きたくなった時の手間とで、折り合いをつける必要がある。
ようやくトイレと出店のあるエリアまで戻ってこれた。
用を足し、お昼を買って少し奥の方へ戻る。





堤防の斜面の下の人口密度は高いが、斜面の中ほどはがら空きなのでそこに腰を下ろして食べることにした。
買ったのは唐揚げとビール。
小さなレジャーシートも持ってきていて、事前になんとなく考えていたのは、一人で花見宴会して酔っ払って昼寝するのもいいなというもの。
しかし堤を歩き撮影するのに結構な時間を使ったし、酔っ払うに足る酒を買うには出店を往復する面倒があり、唐揚げとビール一本で切り上げることにした。
斜面に座ったのでずり落ちないよう足と尻に力が入って痛くなった。
今度来る時は酒と食べ物の準備をして、平らなところに寝っ転がろう。




明日香の町

2024-04-11 06:26:50 | その他旅行き
今回の明日香路散策は橿原神宮前駅から歩いて往復した。
駅の近くは新しい住宅街で、歩いていても面白味は少ない。
しかし、駅から離れるに連れ昔からある景色に移り変わり、自分好みの被写体に富むようになる。
たぶん農地が広がっていたところが、駅前から住宅地に変わっていったのだろう。
駅から離れているが家の集まる古い町並みが特にお好み。
時に廃屋が草に呑み込まれていくのを観察しながら歩いた。









観光を終えて駅へと帰る時、車の走る県道を外れた細い道を選んだら、農地がいきなり宅地に変わる境目があった。
そこはきれいに区画整理された新興住宅地で、宅地内の道路を歩いていたら、すぐ横に農地があるとは想像できない眺め。
こうして農地は街に侵食されていくのだな。










酒船石

2024-04-09 06:24:28 | その他旅行き
飛鳥寺の南東に今回もっとも訪れたかった遺跡である酒船石がある。
その手前に近年発見された亀形石造物もあったのでそちらを先に見学。
こちらは有料で300円だったか文化財保存協力金を支払う。
窓口の人がひとしきり遺跡の説明をしてくれた。
見学者が少ない時だけなのかもしれないが、何度も同じ説明ができるって、史跡好きなんだな。
亀形石造物は亀の甲羅を逆さまにしたような形の石が水を受ける仕組みで、祭祀に使用したのだろうと推測されている。
遠くからしか見れないので満足度は今ひとつだった。



酒船石は亀形石造物の後ろの山というか丘の上にあった。
こちらだけ見るなら無料のようだ。
竹林の中にポツンと巨石が置いてある。
手前側にタガネの跡があり、その昔誰かが石の一部を割って持っていったようだ。
岩の上面はほぼ平らで、窪みが幾つかと窪みを繋ぐ水路のようなものが彫られている。
何に使用されたか詳細は不明。



この酒船石の存在は子供の頃知った。
手塚治虫の漫画で「三つ目がとおる」というのがあって、この酒船石が出てきたのを読んだのだ。
具体的な内容は忘れたが、主人公の写楽少年は古代文明の知識を持ち、この石が何に使用されていたか知っていて、酒船石の溝と傾斜を利用してなにやら怪しい液体を作るのだ。
「三つ目がとおる」のその他のお話は忘れてしまったが、この話のその部分だけは覚えているから、よほど印象に残ったのだろう。
実在する石だと言うので、当時見てみたいと想像を膨らましたのを思い出した。
実物は想像していたとおりの大きさで、薄暗い竹林内にあるので怪しさも漂って、時空を超えた出会いを演出してくれた。