酸味偏好

2022-01-28 06:30:21 | お酒
いつの頃からか嗜好品に酸味を求めるようになった。
酸味といってもレモンやお酢のように顔をしかめる類いの酸っぱさではなく、甘味、旨味、苦味などが渾然一体となった複雑な味わいの中から、味の要素を分解して感じる程度の酸味である。
初めはコーヒーだった様に思う。
東京で紅茶のような色をしたフルーティで酸味が効いたコーヒーを飲んで、コーヒーの好みが変わった。
今は浅煎りの豆をいろいろ買って、舌のどこで感じる酸味か、その違いを楽しんでいる。



次は日本酒だろうか。
純米酒の芳醇さが好きで飲んでいたが、酸味を感じる奴によく出会った。
酸っぱい日本酒って保存状態が悪くて酸化しちゃった奴だよな。
でも2ヶ月前に封入された栓を開けたての酒でも酸味があるんだから、古くて酸っぱくなった訳ではない。
酸味も芳醇さにスッキリとした味わいをのせる大事な要素のひとつだと気付いたのだった。



今のところ最後はチョコレート。
チョコレートは砂糖を効かした甘い奴か、高カカオの苦い奴、大きく分けてこのどちらかと思っていた。
しかし高カカオのチョコレートで爽やかな酸味を感じさせる板チョコを食べ、酸味が涼やかなチョコレートドリンクを味見して、また世界がひっくり返った。
酸味もカカオ由来の成分にあるのだと知った。



思うにどれも素材の良さを十全に、その特徴を余す事なく引き出しているから酸が美味しいのだろう。
コーヒー豆は浅煎りの方が豆の特徴がよく出ると言うし、チョコレートを作る工程は詳しくないが、カカオをローストする過程で普通でない手間をかけているのだろう。
今のところ酸味を気にしていないのは赤ワインとビールくらいだろうか。
日本酒と同じような舌で味わえば、酸味を感じることができるだろうか。


冬の次の季節は春

2022-01-26 06:23:36 | お酒
この冬の寒さはなかなかのものだ。
度々寒波がやってきて、雪の舞うなか通勤する日が増えていく。
今年の春の桜は昨年と同じく休眠打破が万全で、暖かくなればすぐに開花となるだろう。
この寒さで眠りを起こされている花芽を想像。
寒いと寝てられないからね。



そんな寒い冬も、はや一月の終わり。
歳をとると一年の過ぎゆくのが早いが、苦手の冬は少しペースダウンする。
その冬さえもいよいよスピードを早め出したような気がする。
あとひと月我慢すれば気温も上向きになるだろう。



待ち遠しい春だが、一足どころかふた足早く春を先取りしたビールを見つけた。
オリオンビールの「いちばん桜 PREMIUM」。
沖縄は桜の咲くのも早いから、現地ではちょうど良い先取り感なのかもしれない。
乾燥桜花を原材料に使用しているそうだ。
桜の味ってどんなだ?
イメージする味がないので、少し赤っぽいビールの色と、缶のパッケージで春を思っていただく事にした。




大山崎辺りの線路交差

2022-01-24 06:25:03 | Weblog
JR京都線と阪急京都線は大阪府内ではJRが北側、阪急が南側を走っているが、京都に着くといつのまにかJRが南側、阪急が北側を走っている。
どこで交差してるのかと地図を見ると、ちょうど府境の辺り、京都の大山崎で入れ替わっていた。
大山崎山荘美術館近くのパン屋さんから山崎の駅に帰る途上、両線が接近して走っていたので線路脇に降りてみた。



この辺りはすでに阪急が北側(西側)を走っている。
すぐ向こうはJR。
階段を降りて線路の下をくぐると、JRのすぐ東側に鳥居があった。
この高架下の道は背後の山にある山崎聖天の参道だったことに気付く。
停車駅の遠い直線区間なので阪急の特急列車は結構な速度で通過していた。



階段を登って元の道に戻り南下する。
大山崎瓦窯跡公園なるものがあり、東側の展望が遮るものなく開けていた。
JR線をサンダーバードらしき電車が通過していく。
天王山の麓の交通の要衝だけあり、さらに少し南東には東海道新幹線が走っている。
JRは複々線だから幅200m程の場所に、8本もの線路が並んでいることになる。



さらに南下すると細い路地があり、入っていくと阪急の上を越す橋が渡されていた。
車は通れない細さ。
そのすぐ南側で阪急とJRは交差していた。
ここで南北(東西)が入れ替わるのね。
両線とも主要路線なので5分と置かず電車がやってくる。
ローカル鉄道ばかり撮ってるので、撮影準備が遅く、あわあわしてしまった。
JRは踏切で渡り、山崎の駅へと戻った。




こんなところにパン屋さん

2022-01-22 17:45:52 | Weblog
遺品展を観終え、少し遅れたお昼を食べる事にした。
連れが山荘から10分程のところにパン屋さんを見つけたので様子を伺いに。
山崎の駅とは反対側に、線路と並行して伸びる住宅街の道路を歩く。
右手が開けて眺めの良い山手の住宅街だ。
急斜面に建てているので、玄関が2階にある家もある。
そんな道をのんびり歩いていたら、こじんまりとしたパン屋さんがあった。
ここだな。



良さげなお店で、イートインスペースもあるのでここで食べていく事に。
私は芋のパンとチョコレートのパン、すももジュースを選択。
お日様の光を燦々と浴びる窓際のカウンター席で、暖かくして食べれた。
そんなに高くなくて美味しい。
食べてる間もひっきりなしにお客さんがやってきて人気店のようだ。
自宅の近くにこんな店があったらいいなと連れと話し合った。




遺品展とその周辺

2022-01-20 06:33:02 | Weblog
京都の大山崎にある大山崎山荘美術館で「みうらじゅん マイ遺品展」が開催中。
知らなかったのだが、みうらじゅんという人は物書きで、「マイブーム」とか「ゆるキャラ」という言葉の発案者だそう。
連れに誘われ観に行くことにした。
JRの山崎駅か阪急の大山崎駅が最寄り駅。
天王山への登り口にある。



入口の門をくぐって山荘の方へ歩いていくと、早速展示物が現れた。
飛び出し坊やのみうらじゅんバージョン。
後で見る館内展示で分かったのだが、いろんな飛び出し坊やの写真をコレクションしていた。
このみうらじゅんバージョンの飛び出し坊やは、山荘の庭園各所にいくつか設置されてるとのことで、鑑賞後探して歩いて写真に撮った。



入館し、鑑賞に先駆け喫茶室でお茶することにした。
展示期間中、みうらじゅんのイラストの焼印が押されたドラ焼きが食べれるとのことで、売り切れる前に食べておく事にしたのだ。
宇治ほうじ茶とのセットで注文。
お茶屋さんの前を通りかかった時に香る良い匂いを楽しみつつ、ドラ焼きをいただいた。



食べたのはテラス席。
うまい具合に入室してすぐ席が空いた。
少し高台にあるのでテラスからの眺めがとても良い。
暖かい日で少し冷える程度だったから、いいとこに座れたな。
麓を走る新幹線の音が遠く聞こえてきていた。



食べ終え、作品鑑賞に向かう。
展示品はみうらじゅんが死んだら遺品になるだろう彼の蒐集物である。
旅先のお土産物とか灰皿、瓢箪の人形、仏像や立体的に見える写真など。
少しおかしな(面白い)デザインのモノにフォーカスしている。
蒐集してるのだからその数は沢山あるのだが、普通でないのは集めるモノの種類も数多くあることだ。
種類にして二、三十はあっただろうか。
よくもまあこんなに集めたな。
美術館でこうして並べて見るスペースがあるならいいが、普段はどこに仕舞ってるのだろう。



そんなあれこれが複数の部屋にグルーピングされて展示されていた。
最後に安藤忠雄建築の地中館「地中の宝石箱」で常設展示してあるモネの絵画、睡蓮を鑑賞。
戻る時、地中館の入口と反対側の窓際に、顔はみうらじゅん、身体は(名前を覚えれなかった)女性の裸体の像が置いてあるのを発見。
入館時にもらった館内案内図を見ると、この作品のありかも書かれていたが、ここに今回の展覧会の作品があることに気づいてない人は多いのではなかろうか。



さて、こんな変なもの(失礼)を集めてる人なので、とても個性的な人のよう。
私も子供の頃にキーホルダーを集めていたが、いつしかやめてしまった。
意味を求めてしまったのだ。
以来、何かを蒐集するということはなくなった。
もし、あのまま続けていればなんでもないキーホルダーでも、何かしらの意味を持ったものになってたかもしれない。
継続するというのはとてもエネルギーが必要だ。
こうしたことに注力し続けられる人でないと芸術方面で成功できないのだろう。
そんなことが腑に落ちた展覧会だった。




名前で選べれない難しさ

2022-01-18 07:22:33 | お酒
クラフトビールでIPAと言えば香り高くて苦味が深い、そんな認識を持っているのだが、最近全然苦くないIPAによく出会う。
オハラズ 51st STATE IPA、このビールもそうだった。
南国系フルーツがほのかに匂う。
苦味を期待して口に含むと、とてもスッキリした味わい。
おーい、苦味はどこへいった。



IPAはホップを大量に使ったビールのはずで、ビールの苦味はホップが出してると思っていたが、そうではないのだろうか。
不思議に思い少し調べてみた。
ビールの苦味はホップの種類や量、仕込み工程のどこで加えるかで変わるのだそう。
ホップだけが苦味をもたらす要因ではなく、麦の処理をどうするかも影響を与えるらしいが、ホップを入れて煮沸してできる苦味が一番強いらしい。
このビール、IPAというからにはホップを大量に使っているはず。
煮出さずに香り付けだけに使っているのだろうか。



それとも飲み方が悪かったかな。
IPAはキンキンに冷やして飲むよりぬるめの方がより味が分かるらしい。
冷蔵庫から出して撮影するのにしばらく置いたが、寒い室内だったから温度が上がらなかったのかも。
また機会があったら室温を高くして飲んでみるかな。


大仏鉄道遺構めぐり<街中編>

2022-01-16 10:12:29 | その他旅行き
〈里山編〉の続き。
城山台公園から新興住宅地を右に見て、一山越すと信号のある大きな道路の交差点に出る。
そういえばここまで信号なかったな。
この交差点辺りに井関川橋梁というのがあったそう。
大仏鉄道が廃線になった理由は勾配のきつさ。
当時の機関車では時々上りきれないことがあったようで、今の木津回りの関西本線が迂回路としてできたため廃線になったらしい。
井関川橋梁もなるだけ高低差を出さないようにだろう、高い位置に桁を渡した写真が説明板にあった。



住宅街に入り、さらに太い道路にぶつかり左折。
大型商業施設が並ぶ幹線道路の緩い坂道を登る。



右手に次の遺構「松谷川隧道」の案内があった。
ここも道路から階段を降りたところにレンガ造りのトンネルがあった。



二層構造で下層を水路として、上層を人が通る道として使っていたそう。
反対側が壁になっているのは、今の上の道路を整備した時、当時の線路幅より大きく拡幅したから向こう側の道だか水路だかはあっさり埋められちゃったんだろうな。
当時と今の土木技術の差に唖然とするのであった。



周りは郊外の新興住宅地の眺めで、遺構以外に私の興味を惹く被写体がほとんどなくなり、この辺りからさくさくと歩を進めるようになる。



一度坂道を下り、再び登り返した辺りに次の遺構「鹿川隧道」がある。
と言っても「鹿川隧道」への見学用の道は設置していないと書かれていて、見ることはできないようだ。
ただ、眼下に広がる田畑の中を流れる用水路横を歩けそうなので、手前の信号を右に折れてぐるりと回り、この道路の下まで来れれば見えそうではある。
でも途中の道が私有地だったりして入れないのかも知れず、今回は看板の説明写真を見るに留めておいた。



さらに道を行くと大仏鉄道でもっとも標高の高かったらしい黒髪山トンネル跡が見えてくる。
大仏鉄道唯一の(汽車がくぐる)トンネルだったそうだ。
今は道路の拡幅工事で山は切り崩され、当時の面影はない。
道路の左右に立ち上がる壁を見上げて、ここは土の中だったのねと想像。



そこから道は下り坂。
スポーツ施設を横に見て下っていくと、住宅街に入った。
法蓮仲町の交差点を右に曲がるのだが、ここでだけ遺構めぐりの道しるべを見つける事ができなかった。
この辺りから街並みの雰囲気が変わり、昭和の時代が感じられるようになる。



道しるべはなくとも遺構めぐりマップとスマホの地図で間違いなく歩けたようで、最後の見学ポイントである大仏鉄道記念公園に辿り着けた。
公園は大仏駅跡地にあるそうだ。



さらに少し行った所に川が流れていて、その川底には佐保川橋脚跡が沈んでいるという。
橋から見下ろしてみたが、場所は特定できず。



そこから商店街のような住宅街のような細い通りを南に下り、油阪の交差点に出た。
右手の高架上に大和路快速の車両が見えた。
時刻は15時26分。
JR奈良駅までもう少しだ。




大仏鉄道遺構めぐり<里山編>

2022-01-14 06:40:40 | その他旅行き
その昔、大仏鉄道という短い年月で廃線となった鉄道路線があると知った。
その遺構を巡るハイキングコースがあるそうなので歩いてみることに。
出発地は京都府のJR加茂駅。
そこからJR奈良駅までの13km程である。

<奈良駅は地図の左下>


午前11時頃加茂駅を出発。
奈良市と木津川市が作った「幻の大仏鉄道 遺構めぐりマップ」という案内地図を、スマホで確認しながら歩く。
一つ目の遺構は加茂駅すぐ近くにある「ランプ小屋」。
すぐ近くにあるはずなのだがと探しながら歩くと、建物の陰に隠れていた小屋を見つけた。



ラミネート加工された紙に来歴が書かれ、小屋の前に結びつけてあった。
倉庫として今も使用されているそうで、立ち入るな、と書いてある。
敷地に入るなってことだよな、と理解したのでパンフ等にある正面右からの角度では撮影できず、後ろ姿・横姿を撮るに留めた。
壁にヒビが入っているけど、頑丈そうだから現役でいられるんだね。



次は踏切を渡った所にある「旧加茂駅跨線橋支柱」。
この支柱、鋳鉄製。
確か鋼鉄が作れるようになるまでの産業用鉄材だったはず。
つまり年代物。
いい感じで錆びていた。
ここにもラミネートの説明書きがくくりつけてあった。
この後各所で遺構を見学するが、小さなものから大きなものまで、何かしらの説明書があった。



さて次の遺構へ向かう。
方向はこちらで良さそうだが正しいかな?と少し不安に思いながら歩き出すと、曲がり角に道しるべが立てられていた。
これはありがたい。
この道しるべもほぼ全ての曲がり角に設置されていて、木津川市のこのウォーキングルートへの力の入れ具合が分かる充実ぶりだった。
次の見ものは遺構とは直接関係のなさそうな蒸気機関車の静態保存展示。
C57だそう。



ルートは最初関西本線に沿って住宅街を行くが、途中で田園風景を楽しむコースと歴史を感じるコースの二手に分かれる。
田園を楽しむコースを選択し、再び踏切を渡るとコースの名の通り田畑が広がった。
こんな詳細な道しるべが案内してくれる。



昔からからある集落の建物が遠くに見える。
田畑はすっかり冬景色だが、日差しは暖かく広々とした景色に心軽やかに歩けた。



用水路に沿った道を進むと次の遺構の「観音寺橋台」。
関西本線の橋台のすぐ隣に並んである。
関西本線の橋台も同じ時期に作られたそうだが、方や現役で方や遺構である。
橋台としてはどちらがいいのだろう、と擬人化して考えてしまった。



そこから線路沿いに少し進むと「観音寺小橋台」がある。
鉄扉に遮られているので外から伺うのみ。



ここから関西本線と離れていく。
道は竹林の中へと入っていき、なだらかな丘の上を歩くようになる。
林を開いた畑があり、ポツポツとある年季の入った作業小屋が私の目を楽しませてくれる。
左手にゴルフコースが見えると次の遺構の「鹿背山橋台」が現れる。
農業用水路を通すための橋で、今も細い水路が水を運んでいた。



新しい道路を右に見送り、ゴルフ場の入口への道を進む。
ここでコースは複雑に折れ曲がる。
案内図を見るとまっすぐな細い道路の下を左から右、そして右から左へとくぐるようだ。
つまりこの細い道路が線路跡ということか。
これまでは始めのランプ小屋以外、橋の支柱や基部ばかりで、線路がつながってるイメージが持ちにくかったが、ここにきてようやく明らかにそれと分かる線路跡が見れた。



短い坂道を降りると農地があり、そちらに入らないよう注意書きがあった。
案内図も曲がり角の度に立てられ、進入禁止のマークをコース外の道全てにつけていた。
こんなコース設定をして内外に宣伝したらハイカーが増えて、田畑を踏み荒らしたり悪戯されたりすることが多くなって、農家の方にとってはいいことは何もない。
コース設定に難色を示す地元の方と折り合いをつける方策のひとつだったのだろう。



細い堤防のような道路の下には梶ヶ谷隧道と赤橋があった。
同じように道路(当時は線路)の下をくぐるのに、梶ヶ谷隧道はトンネルで、赤橋は橋と造りを変えているのが手造り感があって面白い。
今なら同じコンクリート枠を使ってトンネルにしていそう。



赤橋を抜けると上り坂になり、細い堤防道路の反対側に出た。
右手に城山台公園、またの名を大仏鉄道公園があり、トイレがあったのでお借りした。
公園は芝生の広がる新しい公園で、すぐ隣にある新興住宅地の住民の憩いの場となってるようだった。
この後、一山越えた辺りからウォーキングルートは市街地に入っていく。
そちらは〈街中編〉にて別途記載予定。