先日の大久野島の話。
毒ガス製造の話のことだ。
島内には、様々な遺構が残されている。
その中でも目を引いたのが、長浦毒ガス貯蔵庫跡である。
年間生産量1200トンと解説版には書いてあった。
ただ、新しい解説版ができたようで、そちらの方は1500トンになっている。
長浦毒ガス貯蔵庫跡
そんな量の毒ガスが使われたのであろうか。
戦後、様々な処理がされたという。
消毒、焼却、海底への遺棄。
1年間かけて行われたというが、どこまで信じてよいのだろうかと思っている。
100トンタンクの載っていた台座の大きさときたら・・・
火炎放射器で徹底的に焼いたという倉庫の壁
そして、ここが稼働していた時代の写真が一つも残されていないことの不思議さ。
処理のためにタンクが倒された時の写真は公開されている。
まあ、使われたかどうかはともかく、生産はされたようだ。
その時に仕事に従事した方々の後遺症の話は、サイトを探せばみることができる。
その時の表現について気になることがある。
戦中の日本兵の人間性については他国と比べて賞賛されている表現も使われている。
ところが、この大久野島で従事した人々が受けた扱い(青紙による強制)については、現在見直され始めている軍の他国への関与の仕方に似ているのだ。
毒ガス製造の真実にもできるだけ迫りたい。
しかし、従事者の扱いについても、大久野島の限局的なものなのか、軍全体にそのような雰囲気があったのかも知りたい。