職人が好きだ。
自分の親父も職人だった。
「俺が黒と言ったら、白いものも黒なんだ。」
この言葉の意味が理解できなかった子供の頃。
滅茶苦茶なことを言っているのだが、この歳になって大切なことのようにも思う。
世間の常識にとらわれず、自分の言っていることが正しいのだということ。
その言葉を飲み込むことができなかったのだ。
「飲めない」ではなくて、「理解出来ない」というのが正しいだろう。
洗濯屋職人の親父は煙たかった。
しかし、腕は確かだった。
自分の見解ではない。
小さい頃から可愛がってくれたお客さんの言葉だ。
今にして思うと、随分と贅沢を味わっていたことも分かった。
自分が中学生の頃、制服の下はワイシャツだった。
そのワイシャツは毎日糊の利いたパリッとしたものだった。
洗濯職人の誇りがあったのだと思う。
その当時、それに気が付いていた訳ではなかった。
そんなことを今日思い出した次第である。
毎年田舎に行く。
お土産を考えた。
自然に足が向いた。
高校の先輩の店である。
甘納豆職人である。
このバーナーが5つ並んでいる。作業場の温度は45℃を超える。
煮あがって、砂糖水に漬けている。
漬けこみの見極めは職人でないと出来ない。
出来上がったばかりの甘納豆。旨かった、まるで宝石だ。
良い品物を手に入れた。
何かとても嬉しい。
そう、この後もう一人先輩がいらして、昼食をご馳走になった。
同窓関係の話に花が咲いた。
仕事場に入れていただいて、親父を思い出す雰囲気の中でとても居心地が良かった。
「暑い」というよりも「熱い」中で仕事をしておられる先輩と
時間が過ぎるのは早い。
名残り惜しい気持ちを押さえて(長居は仕事の邪魔ですな)店を後にした。
職人が好きだ。
「白いものも黒く」というのは出鱈目ではない。
自分の信念(技の歴史)の基づいて、譲れないものは譲れないという意味が理解できたのは随分と後のことである。
普遍的なものは大切にしなくてはならないのだと思う。
自分の仕事でも、そうありたいと思って常々取り組んでいる。
この先輩のお店は、そう私が説明するよりここを見ていただきたい。 → 蒲田谷口商店ホームページ