伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

実は・・・ 1

2015-12-02 23:05:06 | 言いたんく

ゆきたんくは水木しげる氏のファンだった。

ファンクラブこそ入っていなかったが、氏の描いた漫画が好きだった。

やはり一押しは「ゲゲゲの鬼太郎」だ。

一家で山陰に旅行したことがある。

島根から鳥取にかけてだが、鳥取ではずしてはならないのは、鳥取砂丘と水木しげる関係だねと話していた。



2003年3月8日開館の「水木しげる記念館」 2004.08.04 


 行きたくてしょうがなかった記念館。

 もっとおどろおどろしいと思ったのだが、外観は地味な造りであった。

 最初のモニュメントはこれ。



赤ん坊の鬼太郎を励ます目玉おやじ。 


「頑張れ!鬼太郎!!」という声が聞こえるではないか。


 何の気なしに入り口前の広場に設置されているのである。

目玉親父は目玉しかないのに、表情がある不思議なキャラクターである。

だからお気に入りなのだ。

そして入り口には2人が立ってお出迎えである。



武良茂少年とのんのんばあのブロンズ像


壮大な水木ワールドの元を作ったと言われているのんのんばあである。

wikiにはこうあった。


「のんのんばあ」とは、少年時代の水木しげる(本名・武良茂)の家にお手伝いに来ていた「景山ふさ」という老婆のこと。境港では神仏に仕える人を「のんのんさん」と呼び、ふさは拝み屋の妻だったため「のんのんばあ」と呼ばれた。のんのんばあはしげる少年にお化けや妖怪の世界を語って聞かせ、後年の妖怪漫画家・妖怪研究家への素地を作ったとも言える人物である。のんのんばあは1933年(昭和8年)に肺結核で死去した。


 

 ゆきたんくの好きなさだまさし氏も幼少の頃、おばあさんにいろいろな話を聞かされて育っている。

それが、後の作詞活動に大きな影響があったと聞いた。

祖父母や老人というのは、子どもの思考を広げる力を持っているのだと思う。

コメント
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