ゆきたんくは水木しげる氏のファンだった。
ファンクラブこそ入っていなかったが、氏の描いた漫画が好きだった。
やはり一押しは「ゲゲゲの鬼太郎」だ。
一家で山陰に旅行したことがある。
島根から鳥取にかけてだが、鳥取ではずしてはならないのは、鳥取砂丘と水木しげる関係だねと話していた。
2003年3月8日開館の「水木しげる記念館」 2004.08.04
行きたくてしょうがなかった記念館。
もっとおどろおどろしいと思ったのだが、外観は地味な造りであった。
最初のモニュメントはこれ。
赤ん坊の鬼太郎を励ます目玉おやじ。
「頑張れ!鬼太郎!!」という声が聞こえるではないか。
何の気なしに入り口前の広場に設置されているのである。
目玉親父は目玉しかないのに、表情がある不思議なキャラクターである。
だからお気に入りなのだ。
そして入り口には2人が立ってお出迎えである。
武良茂少年とのんのんばあのブロンズ像
壮大な水木ワールドの元を作ったと言われているのんのんばあである。
wikiにはこうあった。
「のんのんばあ」とは、少年時代の水木しげる(本名・武良茂)の家にお手伝いに来ていた「景山ふさ」という老婆のこと。境港では神仏に仕える人を「のんのんさん」と呼び、ふさは拝み屋の妻だったため「のんのんばあ」と呼ばれた。のんのんばあはしげる少年にお化けや妖怪の世界を語って聞かせ、後年の妖怪漫画家・妖怪研究家への素地を作ったとも言える人物である。のんのんばあは1933年(昭和8年)に肺結核で死去した。
ゆきたんくの好きなさだまさし氏も幼少の頃、おばあさんにいろいろな話を聞かされて育っている。
それが、後の作詞活動に大きな影響があったと聞いた。
祖父母や老人というのは、子どもの思考を広げる力を持っているのだと思う。