千葉県松戸市相模台。
かつて兵隊のエリートである工兵を育成した日本で唯一の学校、陸軍工兵学校があった場所である。
そこの舌状台地と呼ばれる場所に弾薬庫があった。
現在の松戸拘置所である。
拘置所の写真は使用できないので掲載しない。
さて、かつての松戸市岩瀬を中心とした航空写真である。
1936年当時の岩瀬辺り
出展は国土地理院ホームページ
(http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)
工兵学校部分拡大。 黒線で囲った部分が舌状台地
更に上写真の舌状台地の先端部分を拡大する。
弾薬庫を中心に周囲には高く土が盛られている。
万が一爆発等があった時に、方向を上に逃がすためである。
写真が小さめだが、これ以上拡大すると写真がボケる。
これでもアプリでシャープネス効果をかけたのである。
工兵学校弾薬庫
現在でも、このようなものは残されている。
場所は明記しないが、現在の日本の航空写真からみつけてきたものだ。
倉庫の周囲を高い土の壁が囲んでいる。
これは念をいれてラーメンマーク型(失礼呼び名が分からないので)である
さて、疑問が一つ。
ゆきたんくは、工兵学校の弾薬庫へ弾薬を南側にあるスロープを使って運んだと思っている。
ただ、一番上の写真には、そのようなものは写っていない。
もっとも、その辺りはこの写真でも現在でも樹木があるので写真での検証はできない。
鉄道第二連隊は軌道を敷く訓練をするための演習線であり、松戸と津田沼の高低のある土地を弾薬を載せて走らせたとも思えない。
まして、指定された訓練距離を得るためにくねくねと曲がりくねった軌道敷である。途中で万が一爆発が起こったら周辺住民(当時はどれくらの密度かは調べていないが)が巻き添えを喰らうだろう。
それは工兵学校の土地の真ん中を通る道を使っても同様のことである。
かといって、スロープで弾薬が転がることを考えると・・・
来年の課題の一つにしておこうと思う。