伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

読書

2015-08-16 23:58:30 | 

久しぶりに本を読んだ。

1日で一気に読んでしまった。

優秀な政治家は、いつの世にもちゃんといるということだ。

それらについて、知らないことの方が多い自分。

人種差別という切口は新鮮だった。



岩田温氏の本。読み応えがあった。

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私は今、生きている。

2015-08-15 23:56:01 | 言いたんく

映画『日本のいちばん長い日』本編映像(昭和天皇の御聖断シーン)

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12年かかった。

2015-08-14 23:54:20 | 戦争遺跡

先日お世話になった秋川高等学校の先輩の家からの帰途のことだ。

ふと思いついた。

この「ふと」というのが、ゆきたんくの家族にとっては恐ろしいことなのだ。

ただ、この日は一人でのお出かけだ。

「ふふっ」

一人笑いをして足を向けたのが北区。

何があるか・・・

東京第一陸軍造兵廠跡だ。

北区・板橋区にまたがる大きな敷地を持っていた軍の遺構が2つ残っている。

1つは自衛隊十条駐屯地内にあるので撮影を遠慮した。

もう一つは北区中央図書館だ。

いくつも存在した赤レンガ造りの堅牢な遺構である。


 
かつての旧十条工場275棟大正8年築


95年以上前の建物が図書館として使われている。

 
写真右隣は十条台住宅の地下部分。この通路を通って「北区の部屋(北区の情報を展示)」に行ける。 


 戦跡に興味を持って12年が経った。

比較的早い時期にここには来れると思っていた。

やはり機会は自分で作らなくてはいけない。

そんなことを忘れていたゆきたんくであった。

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職人が好きだ。

2015-08-13 23:54:28 | 言いたんく

職人が好きだ。

自分の親父も職人だった。

「俺が黒と言ったら、白いものも黒なんだ。」

この言葉の意味が理解できなかった子供の頃。

滅茶苦茶なことを言っているのだが、この歳になって大切なことのようにも思う。

世間の常識にとらわれず、自分の言っていることが正しいのだということ。

その言葉を飲み込むことができなかったのだ。

「飲めない」ではなくて、「理解出来ない」というのが正しいだろう。

洗濯屋職人の親父は煙たかった。

しかし、腕は確かだった。

自分の見解ではない。

小さい頃から可愛がってくれたお客さんの言葉だ。

今にして思うと、随分と贅沢を味わっていたことも分かった。

自分が中学生の頃、制服の下はワイシャツだった。

そのワイシャツは毎日糊の利いたパリッとしたものだった。

洗濯職人の誇りがあったのだと思う。

その当時、それに気が付いていた訳ではなかった。

そんなことを今日思い出した次第である。

毎年田舎に行く。

お土産を考えた。

自然に足が向いた。

高校の先輩の店である。

甘納豆職人である。



このバーナーが5つ並んでいる。作業場の温度は45℃を超える。


煮あがって、砂糖水に漬けている。


漬けこみの見極めは職人でないと出来ない。


出来上がったばかりの甘納豆。旨かった、まるで宝石だ。 


 良い品物を手に入れた。

何かとても嬉しい。

そう、この後もう一人先輩がいらして、昼食をご馳走になった。

同窓関係の話に花が咲いた。

仕事場に入れていただいて、親父を思い出す雰囲気の中でとても居心地が良かった。


 
「暑い」というよりも「熱い」中で仕事をしておられる先輩と


時間が過ぎるのは早い。

名残り惜しい気持ちを押さえて(長居は仕事の邪魔ですな)店を後にした。

職人が好きだ。

「白いものも黒く」というのは出鱈目ではない。

自分の信念(技の歴史)の基づいて、譲れないものは譲れないという意味が理解できたのは随分と後のことである。

普遍的なものは大切にしなくてはならないのだと思う。

自分の仕事でも、そうありたいと思って常々取り組んでいる。

この先輩のお店は、そう私が説明するよりここを見ていただきたい。 → 蒲田谷口商店ホームページ

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あらためて

2015-08-12 23:44:38 | 言いたんく

1985年のこの日、群馬県上野村の御巣鷹山に日航123便が墜落し、520名の尊い命が失われた。

正確には御巣鷹山ではなく高天原山(たかまがはらやま…御巣鷹の尾根)だという。


 


昇魂之碑への案内図。 ここ慰霊の園は墜落現場から10㎞離れている。 2011.05.08


当時は様々な情報が錯そうしたというが、この時ゆきたんくは山梨県で大学の同窓会に参加していた。

社会人になって初めての同窓会、それも1泊旅行なので昼間から飲む連中もいた。

ゆきたんくも一口ビールを飲んで部屋でダウンしていた。(ゆきたんくはビールグラスに2フィンガーで寝る。)

「○○大変だ、飛行機が落ちたぞ!」

と友人の大声で目が覚めたゆきたんくは、驚いて窓の外を見た。

寝ぼけていたのだ。

「違う!、今テレビでやっているよ。」

後のニュースでいろいろと情報を知ることになるが、その時は飛行機が落ちたということしか分からなかった。

ニュースも見ても頭がボーッとしていたからである。

その時に泊まっていたホテルから15㎞ほどしか離れていなかったそうだ。

そのホテルもどこだったか覚えていない。

 

その当時は写真雑誌で、ネット環境が整ってからは8月12日に事故を振り返ってみた。

忘れてはいけない事故だと思ったからだ。

その当時まだ飛行機に乗ったことのない自分にとって怖い事故であったが目をそらしてはいけないと思ったのだ。

時間が経ち、その日航機に高校の後輩が乗っていたことを知った。

さぞかし怖い思いをしただろう。さぞかし無念だったろう。

今の歳になると事件などを冷静に振り返ることができるが、亡くなった高校の後輩と妹さんの年齢を考えてしまうと、自分の子を失ったような悲しみに襲われた。


 


合掌を形どった慰霊塔、奥に納骨堂さらに8km彼方に御巣鷹の尾根を拝むことが出来る。2011.05.08



納骨堂。
身元識別不可能として、こ
の地で荼毘に付された犠牲者のご遺骨が123の壷に納められている。
2011.05.08

ホームページ 「鎮魂…追悼・慰霊」を参考にさせていただいた。 


 この事故は自分にとって強く記憶に残る事故であり、高校の後輩が巻き込まれという事実でさらに強く刻まれた。

もちろん、ご遺族や親類の方の悲しみはその何倍も強いことだけは分かる。

日本人として風化させてはいけない事故である。

 

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丁度1年前の

2015-08-11 23:52:18 | 言いたんく

毎日暑い。

丁度1年前に買った水。

ブルーストーンスプリングウォーター。

炭酸なしね。

飲もうと思って、カバンにずっと入れっぱなしで帰国した水。

その後は、ゆきたんくの部屋の机の上におきっぱ。

一昨日から冷やしおいて、今飲んでいる。


 


なんてことない水。ペーハー7.86で弱アルカリ性だ。


無味無臭で飲みやすい。

 でも、どこで買ったのかを覚えていない。

イギリスのモーターウェイ・サービスエリアであることは間違いないのだが、領収書もみつからない・・・

この日は忙しかった。

朝はスコットランドのアナンからエジンバラまで2時間。

観光を済ませて、エジンバラからウェールズのブレコンまで7時間のドライブ。

その間で買ったはずだ。



ブレコンのウェリントン・ホテルの部屋でくつろぐ。 時刻22時40分・・・ → Map


この度は友人のS氏との男二人旅であった。

 忙しい旅程だったので細かいことを覚えていない。
また、チェックも適当だったかもしれない。

実は予約ミスがあることに、部屋に行ってから気が付いた。

何か受付の方が気を遣ってくれているような気がしたのを覚えている。

手続きをしている時に、男二人かと確かめられたこと。

一旦渡された部屋の鍵を交換されたこと。

「Sorry.」と言って、別の鍵を渡されたこと。 

部屋に入って、ガビーン。

なんと寝床はダブルベッドであった。 

どのB&Bも1室にシングルベッド2で予約したはずだった・・・

もう夜遅いし、取り換えてもらうのも申し訳ない。

S氏も納得してくれて、上手に国境を設けて寝ましたとさ。

そんな訳で水を飲む暇もなく移動していたことを思い出したのである。 

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職場の窓から

2015-08-10 23:14:36 | 言いたんく

暑かった。

職場の窓から外を見る。

庭に黒い点が見えた。

なんだろう。

メガネをしっかりとかけて見てみる。



水を吸う蝶


蝶だった。

それからかけこれ30分ばかりその場にいただろうか。

丁度、木陰になっている部分だった。

羽を少しだが、広げたり閉じたりしながら水を吸っていた。

これだけ暑いとまずは水分補給である。

しばらくしてみたらいなくなっていた。

元気を取り戻したのだろう。

 

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ここでも・・・

2015-08-09 23:18:36 | 戦争遺跡

8月9日。

日本に2発目の原爆が落とされた日。

なぜ?

その「なぜ?」は

 落とした訳。

 第一候補の京都が外されたことについて調べた理由は8/6に記した。

 その京都と広島と長崎に共通していることは、

    当時の人口は日本全国では多かったこと。(現在の政令指定都市の仙台、千葉よりも多かった。)

    三菱製鋼所や三菱兵器工場などの軍需工場施設、当時の主力産業の造船があったため。

 その造船も、零戦を開発した三菱重工業(三菱造船と三菱航空機が合併)の手になるものだ。 

 十分に候補地になる要素を満たしている。

 

ただ、軍需工場を破壊するだけならば原子爆弾の必要性はない。

また、ヒロシマの戦果(アメリカにとって)を確認しているのだから、普通ならば爆弾の威力は落とすだろう。

使用されたファットマンは、リトルボーイの1.5倍の威力を持っていたこと。

そしてその構造がリトルボーイがウラン濃縮型(ガンバレル型)だったのに対し、プルトニウムを使ったインプロージョン方式という小型化と核分裂の効率図るための方式が採用された。

もっともヒロシマ意外は核実験も含めて、インプロージョン方式が使われたという。

ヒロシマについては投下前の実験がされていないことから、事実上の爆破実験だったといえる。

組み立ては簡単だが、大量のウランを必要とすることから、爆破検証実験で使用する余裕がなかったとされる。

 

前に、ヒロシマの戦果を見てから、ファットマンを組み立てて、より一層の破壊を図ったと書いたが、新しく知った事実からみてそれもどうやら違うようだ。

インプロージョン方式の核爆弾実験は1945年の7月16日に行われていたのだ。

 

さて長崎の投下では、第一目標の小倉で爆撃経路進入に3回失敗している間に天候も悪くなり迎撃機も確認されたことから目標を長崎市に変更したという。

ファットマンを積んだボックスカーはテニアン島を離陸する時から、燃料予備タンクのポンプが故障していたので、残燃料に余裕がなかったという。

よって爆撃航程をやり直す余裕はなく、1回目の爆撃航程の際に雲の切れ間から目視できた地点に原爆を投下した。

それが浦上だ。



長崎の原爆公園。グラウンドゼロ(爆心地)  2011.08.05 → Map



爆心地脇にある浦上天主堂遺構


私は日本人として、唯一被爆国になってしまった時の遺構は残して欲しかった。 

ヒロシマのようにありのままの形で遺構を残すことができなかったことが悔やまれる。

もっとも、広島の新聞は「自分のアバタ面を世界に誇示し同情を引こうとする貧乏根性を、広島市民はもはや精算しなければいけない」

として取り壊しの意見も多かったようだ。



遺構の一つ、一本足鳥居



鳥居の吹き飛んだ部分は、傍に集めて屋外展示されている。


解説板



長崎には広島にあるような原爆慰霊碑はないようだ。平和記念像がそれにあたるか・・・


広島の石碑前面の文を使わせていただくが

   「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから

ではなく、今を生きる私たち、そして後の人たちの糧にしなくてはならないということである。

曖昧模糊とされている歴史的事実を学ぶ機会が訪れることを願っている。

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ストライク

2015-08-08 23:57:11 | マイグルメ

今一番好きな飲み物・・・

ストライクはこれだ。



グラスに注がれているのは、「ウィルキンソンのジンジャエール」  築地カヴァタッピ


 ゆきたんくは酒が飲めない。

従って、付き合いの席ではソフトドリンクだ。

ウーロン茶はあまり好きでない。

口をさっぱりさせるというが、必要なものまで流してしまい残るのはウーロン茶の風味である。

何を口に投入しても、ボール。

初めて飲んだ店は忘れてしまったが、一口飲んで感動したのが「ウィルキンソンのジンジャーエール」だった。

「旨い」のである。

まぁ、糖質はあるので飲んだ翌日はそれなりの影響はある。

自分のとってのナンバーワンドリンクであるのだからいいか。

それだけ言うのに自宅にはない。

外食時にいただくのがベスト。

ウィルキンソンが置いてあるレストランなどご存じならば教えていだたけたら幸いである。

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気になっていた人。

2015-08-07 23:44:07 | 音楽

ロックアーティストではマイクオールドフィールド氏が一番のゆきたんくである。

それ以外で気になっていたのは、ディープパープルの黄金期のベーシストだったロジャー グローバー氏。

地味なんだけれど恰好いいんだな。

パープルの黄金期を支えただけでなく、パープルレコードの音楽プロデューサーとして、そしてその後はブラックモアズ・レインボーの創設から解散までバンドを支えた。

ディープパープルが再結成されると、それに参加して元気に活動している。

御年70歳、

写真をみると、一時のハルク・ホーガンを思わせる。

写真のギターはリッケンパッカーではないが、



Vigierの「ロジャー・グローバー」のシグネイチャー・モデル 


 そんなロジャー氏の故郷はイギリスはウェールズのブレコン。

2014年の夏にゆきたんくが訪問した地である。

まあ、お生まれになった場所とは16㎞ほど離れているのだが、確かに彼が生活した場所の近くに行ったというだけでも感激である。

事前に知っていれば、そこまで行ったはずのゆきたんくだ。


Deep Purple - Black Night, 2012 in Berlin, opened with a bass solo of Roger Glover  


 
ロジャー氏が生まれたブレコンの町の中心部。2014.08.12


ロジャー氏の生まれた町、ブレコンのブルフに似ているところ 2014.08.12


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今一度・・・

2015-08-06 23:52:34 | 戦争遺跡

何があったのだろう。


 

2009.08.05撮影


 広島の原爆慰霊碑の石碑前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」とある。

「広く人類全体の誓い」であるから、誰のせいでなったかの詮索はしない。

主語は人類全体とする現在の広島市の見解に通じる主張だ。



市電を降りた後、初めて目に飛び込んできた原爆ドーム。すぐに撮った写真。 2009.08.04


  ゆきたんくは戦争を知らない子供である。

 学校で詳しく勉強した訳でもない。

 勉強好きで本を読んだ訳でもない。

 ただ石碑を見て、前ら引っかかっていたのは、「過ちは繰り返しませぬ」という文についてだ。

 ただ、アメリカの方の過半数が原爆投下を正しいと考えているのならば、主語は人類全体ではなくなる。

 そう、日本人になる。

 9.11の時に、同時多発テロと真珠湾攻撃は同じだと言われた。

 映画「永遠の0」の中では、カミカゼと同時多発テロは同じ精神構造の人間が行ったという表現があった。

 しかし・・・

 真珠湾攻撃は太平洋艦隊と基地をねらったものだ。

 論議になっている「宣戦布告」については省き、攻撃対象について述べる。

 同時多発テロは無辜の民が対象である。

 では、原爆はどうか。

 亡くなった大勢の方々は非戦闘民ではなかったか。

 無辜の民であるヒロシマの人々を生かしていても、当時の敵国を攻撃することはなかったはずだ。

 テロと同じと言われた真珠湾攻撃は、相手の攻撃力を奪い、自分の愛する家族を守るためではなかったのか。

 と考えた時、「過ちは繰り返しませぬから」は日本人の言葉ではないだろう。

 まして、この碑文は「原爆死没者慰霊碑」に刻まれているのである。

 正しい歴史検証もできない立場の自分が述べることではないのかもしれない。

 

 原子爆弾の投下とその候補地が何のためにあったのか。

 破壊力の研究対象であったことは分かっている。

 結局、外されたが第一候補地であった京都が選ばれた理由とは、

    人口100万を超す大都市であること。

    日本の古都であること。

    多数の避難民と罹災工業が流れ込みつつあったこと。

    小さな軍需工場が多数存在していること。

    原子爆弾の破壊力を正確に測定し得る十分な広さの市街地を持っていること。

からである。

 私は、現時点で日本に落とされた2発の原子爆弾は「無辜の民」をねらったものだと思っている。

 今一度、検証しないといけないと思っている。

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能登 その3

2015-08-05 23:14:20 | 

いやぁ、おじいさん、おばあさんをなめてはいけない。

今回参加者の年齢層からみて楽だと思っていた旅。

意外にハードだった。

先日の禄剛埼灯台なんて歩く歩く。急な坂道を歩くのである。

おとうさんは膝が痛いので交流施設狼煙 (こうりゅうしせつ のろし)で休憩。

ゆきたんくとじまさんは若いところを見せるべく、頑張った。

さて最終日である。

 

 



北陸にある日蓮宗の本山妙成寺


 そして「ヤセの断崖」

ここから下を見るとヤセるということから名付けられたという。

現在はそこまで近づくことができず、柵の外にもう一つ看板があることが分かる。

向こう側に回って見たくてしょうがなかった。


 


ヤセの断崖、柵の手前から撮っている。


義経の舟隠し


 実際に舟を隠したのだろうか。

画したに思えてくるから不思議だ。

幅5m長さ100mの間に小舟を48艘隠したと伝えられている。

次は琴ヶ浜(泣き砂の浜)

乾いた砂の上を歩くと「キュッ、キュッ」と音が出るという。

昔のおさよ重蔵の悲恋物語に結んで「泣き砂の浜」の別名がある。



折角の鳴き砂も、大人が騒いでいてあまり聞こえなかったゆきたんくである。


 昼食は穴水駅で。

のと七尾線で和倉温泉駅まで移動だ。

それまでに今では隠居しているパノラマカーの車内でお弁当をいただく。



窓の大きい電車である。「のと恋路号」


 そしてやってきました和倉温泉。

地元で超有名な旅館「かがや」1階の窓から見える景色の凄いこと。

ただ見るのでは悪いのでお土産を買わせていただいた。



加賀屋


能登島大橋をバックにココフカ三人組


 さて体が疲れた所で向かう所は・・・



富山の薬売り「池田屋」である。


 まあ、上手な構成になっている訳である。

最後のメニューが終わり、北陸新幹線に乗るために富山駅に行く。

お土産も買い、トイレも済ませ、後は新幹線に乗るだけ。

いやあ、3日間暑かったが充実した旅であった。



富山駅にはまだ短冊があった。


 富山は7月7日が男の子の節句のようだ。

さて、今年のココフカは能登半島を巡る旅だった。

ハードだったが楽しかった。 

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能登 その2

2015-08-04 23:10:16 | 

2日目である。

我々の考えが甘かった。

そして人生の先輩方をなめていた・・・

今日も歩いたのである。

まずは能登金剛から巌門ツアー。

お舟である。


 


お舟による20分のツアー。外海に出る。今日は凪だそうだ。


風雨に耐えてきたドラエモンである。近くの高岡は藤子F不二雄氏の故郷だ。


巌門 船はここまで。 あとは泳いでと・・・


 今日は能登半島を右回りで周る。

次は「白米の千枚田」だ。

世界農業遺産である。

棚田が美しいという。



日本海と棚田のコラボレーションである。 棚田は棚田でも、ここまでくると芸術か。


 ここでは、輪島市民のソウルフードの「かかし」を2本いただいた。

次は、輪島塗の見学だ。

しおやす漆器工房で職人の技を見る。



ヘラで、焼いた珪藻土と漆を混ぜたものを丁寧に塗る。


 ここではゆきたんくと奥方のりたんの箸を買った。

丁寧に扱えば10年以上もつという。

自分の人生を閉じるまで使いたい。



輪島の朝市。同行のお父さんの話では、40年前の1/3の人出だという。 


 あまりに暑かったので、「駅長さんの店」というところで一休みである。

英気を養った後は「能登の塩釜」見学だ。

連続テレビ小説「まれ」の舞台である。



濃い塩水を煮ているところ


 塩釜が昔の方法で復活してきてはいる。

当地の産業として見直されてきているのだ。

ここでできた塩が旨味一杯なのも良い。

塩一袋いただき、塩サイダーを飲んだ。

次は能登半島の北端、禄剛埼である。

日本で唯一、菊の紋章のある灯台、そして麓には「青の洞窟」がある。



禄剛埼灯台 白亜である。


青く見えるのは朝のうちだそうだ。残念・・・ でも水が綺麗。


 軍艦島と言われる見附島を見て一休み。



見附島(軍艦島) 左に錨島と鳥居が見える。


 次はワイン好きにはたまらない、試飲である。

能登ワインで、工場見学と試飲と販売がある。



能登ワイン入り口


  ゆきたんくは試飲はしなかった。

 ここで飲み過ぎたココフカメンバーのお父さんが出来上がってしまって大笑い。

 太陽も傾き、今日の日程を終えたのであった。

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能登 その1

2015-08-03 23:40:11 | 

ココフカの旅。

はじめて能登に来た。

行きは新幹線、上田からバス。



これに乗って上田へ


ずっと前に高山に行ったことを思い出した。

ココフカの第一回目はゆきたんく号で行った。

上田を通過して高山へ。

そしてそこから白川郷に。

そんな8年前の第1回を思い出していた。

上田からバス車窓からの景色を見て思い出していた。


 


瑞龍寺、写真は仏殿。鉛でできた屋根。 火縄銃の弾の材料隠しに・・・


 いやぁ、富山県高岡市はこんなに暑いのか。

上から太陽、下からは御影石の反射で体を焼かれる一行。

修行なんだな、きっと。

不思議なことに、この仏殿に入った途端に素晴らしいくらい涼しくなった。

昔の人は、風の通り道まで考えて設計しているのか・・・

もっともこの寺のできたのは1663年だから、今ほど暑くはなかったろう。

しかし、扇風機もクーラーもなかったからそれなりに暑かったはずだ。



8年ぶりの雨晴らし海岸。 義兄岩に再会。 


 白川郷からの帰り、富山で寿司を食べて帰ろうとなった。

その時に立ち寄ったのが、この「雨晴らし海岸」。

なんとも懐かしかった。

様々な伝説がある源義経。

1187年、義経一行が奥州平泉へ向かう途中に俄雨が降り出したため、弁慶が岩を持ち上げ、その陰で雨宿りをしたという伝説の場所。

さて、今日はここまでで8時間。

少し疲れてきた。

宿泊地の能登ロイヤルホテルまではバスで1時間。

少し寝ながら行こう・・・

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旅の楽しみ263…インド洋

2015-08-02 23:51:06 | 

インドネシアのジョグジャカルタからジャカルタへ戻る時の空撮。

インド洋の海岸が見えた。

ズームを上げて撮ったので波まで写っている。



インド洋 ムアラ・ウォーターの河口付近 → Map 


波の表面の様子、 波内側の白く砕ける様子が写ってご機嫌である。

今までの飛行機車窓からの撮影で、このような構図はなかった。

写真整理していて、久しぶりに見たら感動した次第。

今度は、狙って撮りたいなぁ。

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ブログ村Ping

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