東京の郊外の私の住む周辺には、昭和30年の頃までは湧き水が見られた。
昭和28年に父,祖父が亡くなるまでは、農家をしており、程ほど広い田畑を耕していた。
田圃(たんぼ)の一帯の脇に蓮専用の田圃があり、
その付近に湧き水があった。
湧き水の周囲は、いつも小奇麗に手入れがされており、ミソハギが植えられていた。
夏のお盆になると、仏間の仏壇は閉じられ、
位牌等が座敷の一角に、四方を竹で囲み、真新しい茣蓙(ござ)の上に移行されて、
蓮の花、淡いピンクの咲いたミソハギが飾られていた。
私は湧き水を観るのが好きだった。
春の季節であっても、冬の時節に於いても
淡々と湧き出る水を不思議そうに眺め、飽きることがなかった。
小学五年生の頃、下校の途中で廻り道をしている時、
雑木林の斜面を下り立った処に池があり、その端に湧き水があった。
この家の主人と思われる老人が池を眺めていた。
私がときたま通る時、よく見かけていた・・。
『池のある処の・・お爺さん・・いつも難しそうな顔しているなぁ・・』
と私は友達に話したりしていた。
後年、私が高校に入学し、小説を読みはじめた頃、
本の中に、このお爺さんの写真があり、
武者小路実篤、と付記されていたのには、
私は驚いていたりした。
私が結婚した後、家内と湧き水を観に旅行をしたりした。
富士山の伏流水が湧き出る三島郊外の柿田川、
或いは忍野八海の湧き水を観に行ったりした。
三島市の近くにある国道一号の脇の湧き水は、
壮大な眺めであったが、馴染めなかった。
伊豆地方の湯島に宿泊した時、湯ヶ島にある山葵(わさび)が植えられている処があり、
杉木立の斜面の外れに湧き水があった。
小さな湧き水が四箇所あり、淡々と湧き出て、小川となっていた。
私は小さな湧き水が好きであり、
私の小学低学年に観た実家の湧き水を思い出し、
心のふるさとを求めているのかしらと思ったりしている。
☆私の別ブログ【続・極楽とんぼ】に昨年の5月に投稿した原文を大幅に加筆した☆
昭和28年に父,祖父が亡くなるまでは、農家をしており、程ほど広い田畑を耕していた。
田圃(たんぼ)の一帯の脇に蓮専用の田圃があり、
その付近に湧き水があった。
湧き水の周囲は、いつも小奇麗に手入れがされており、ミソハギが植えられていた。
夏のお盆になると、仏間の仏壇は閉じられ、
位牌等が座敷の一角に、四方を竹で囲み、真新しい茣蓙(ござ)の上に移行されて、
蓮の花、淡いピンクの咲いたミソハギが飾られていた。
私は湧き水を観るのが好きだった。
春の季節であっても、冬の時節に於いても
淡々と湧き出る水を不思議そうに眺め、飽きることがなかった。
小学五年生の頃、下校の途中で廻り道をしている時、
雑木林の斜面を下り立った処に池があり、その端に湧き水があった。
この家の主人と思われる老人が池を眺めていた。
私がときたま通る時、よく見かけていた・・。
『池のある処の・・お爺さん・・いつも難しそうな顔しているなぁ・・』
と私は友達に話したりしていた。
後年、私が高校に入学し、小説を読みはじめた頃、
本の中に、このお爺さんの写真があり、
武者小路実篤、と付記されていたのには、
私は驚いていたりした。
私が結婚した後、家内と湧き水を観に旅行をしたりした。
富士山の伏流水が湧き出る三島郊外の柿田川、
或いは忍野八海の湧き水を観に行ったりした。
三島市の近くにある国道一号の脇の湧き水は、
壮大な眺めであったが、馴染めなかった。
伊豆地方の湯島に宿泊した時、湯ヶ島にある山葵(わさび)が植えられている処があり、
杉木立の斜面の外れに湧き水があった。
小さな湧き水が四箇所あり、淡々と湧き出て、小川となっていた。
私は小さな湧き水が好きであり、
私の小学低学年に観た実家の湧き水を思い出し、
心のふるさとを求めているのかしらと思ったりしている。
☆私の別ブログ【続・極楽とんぼ】に昨年の5月に投稿した原文を大幅に加筆した☆