私は昨日、旅先の観光ホテルで、
ポップスグループのZARDの作詞家、ボーカリストの坂井泉水さんの死を知った・・。
私はこのお方には、お会いしたことがないが、
私なりに一時は熱愛し、歌の数々に魅了させられた時があった。
平成5年(1993)の春、私はレコード会社の管理畑に勤めていたが、
あるレコード会社と統合となり、初めて長戸大幸・氏の率いるビーイング系のZARDを知った。
これより少し前の時代は、新田和長・氏の率いるファンハウスが、
岡村孝子、辛島美登里、永井真理子などの全盛の時もあった。
ZARDは透明感ある甘い女性の歌声、若い女性の思いの心情を託した作詞、
そしてビーイング系に多い馴染みやすいメロディーと感じた。
『負けないで』、『君がいない』、『揺れる想い』のシングル大ヒット、
アルバムに於いては、前年の『HOLD ME』に続き、『揺れる想い』がミリオンとなり、
この1993年は女性ボーカルとしては頂点となった。
その後、ビーイングはヒーグラム社として独立会社し、私の務めている会社から、離れていったが、
私なりにアルバムのベスト盤などを買い続けたりしていった。
私は統合当時に『負けないで』、『揺れる想い』などで、
時代に勢いのあるZARDを改めて教示を受けたり、
会社の業績にも貢献してくれたり、私のささやかなボーナスにも功してくれた。
結果としては、私は50歳前後で『負けないで』を知り、
定年退職後の三年生の今でも、時折アルバムの5枚を聴いたりしている。
今回、突然に訃報に接し、お若い身なのにと悲しみを覚えたが、
90年代の女性ボーカリストの代表として活躍された坂井泉水さんを、
大変でしたね・・ご苦労様・・ゆっくりとお休み下さい・・
と心から冥福を祈ったりした。
彼女の率いたZARDの音楽は、永遠に残ると確信するが、
少なくとも私は、今後もときおり聴くと思っている。
ポップスグループのZARDの作詞家、ボーカリストの坂井泉水さんの死を知った・・。
私はこのお方には、お会いしたことがないが、
私なりに一時は熱愛し、歌の数々に魅了させられた時があった。
平成5年(1993)の春、私はレコード会社の管理畑に勤めていたが、
あるレコード会社と統合となり、初めて長戸大幸・氏の率いるビーイング系のZARDを知った。
これより少し前の時代は、新田和長・氏の率いるファンハウスが、
岡村孝子、辛島美登里、永井真理子などの全盛の時もあった。
ZARDは透明感ある甘い女性の歌声、若い女性の思いの心情を託した作詞、
そしてビーイング系に多い馴染みやすいメロディーと感じた。
『負けないで』、『君がいない』、『揺れる想い』のシングル大ヒット、
アルバムに於いては、前年の『HOLD ME』に続き、『揺れる想い』がミリオンとなり、
この1993年は女性ボーカルとしては頂点となった。
その後、ビーイングはヒーグラム社として独立会社し、私の務めている会社から、離れていったが、
私なりにアルバムのベスト盤などを買い続けたりしていった。
私は統合当時に『負けないで』、『揺れる想い』などで、
時代に勢いのあるZARDを改めて教示を受けたり、
会社の業績にも貢献してくれたり、私のささやかなボーナスにも功してくれた。
結果としては、私は50歳前後で『負けないで』を知り、
定年退職後の三年生の今でも、時折アルバムの5枚を聴いたりしている。
今回、突然に訃報に接し、お若い身なのにと悲しみを覚えたが、
90年代の女性ボーカリストの代表として活躍された坂井泉水さんを、
大変でしたね・・ご苦労様・・ゆっくりとお休み下さい・・
と心から冥福を祈ったりした。
彼女の率いたZARDの音楽は、永遠に残ると確信するが、
少なくとも私は、今後もときおり聴くと思っている。