夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

創作者の発想の根源には・・♪

2007-05-01 19:24:00 | 定年後の思い
昨夕、デビット・リーン監督の『ドクトル・ジバコ』(1966年=昭和41年)をビデオで居間で観たりした。

私はこの監督の作品が好きなので、数多くの作品をくりかえし鑑賞して折、
この『ドクトル・ジバコ』も三度目と記憶している。

この作品の原作者はソ連の詩人で作家のポリス・パステルナークであり、
ロシア革命という動乱期の恋を描いた長編小説であり、
映画に於いては、脚本担当として劇作家のロバート・ボルトが、
原作の小説よりジバコとラーラの愛の軌跡に焦点を絞り、
ロシア革命の動乱の中で、翻弄されていく、純粋な男の悲劇を完成させて、
と解説されている。

私はある映画雑誌を読んで、原作者の創作の発想を知り、
ただ唖然とした後、敬服した。

講談社が発売した『週刊 20世紀シネマ館』全50冊を私は購入したが、
この中で『ドクトル・ジバコ』の作品が取り上げられていた・・。

そして、【シネマ物語】のコーナーに於いて、
《詩人パステルナークが愛した実在の『ラーラ』》
と題されて、綴られている。

無断であるが転記をさせて頂きます。


1960年5月30日の深夜、
ノーベル賞作家ポリス・パステルナークが世を去った。
その傍(かたわ)らにいた一人の女性こそ『ドクトル・ジバコ』のヒロイン、
ラーラのモデル、オリガ・イビンスカヤである。

第二次世界大戦直後の1946年、
56歳のパステルナークは、20歳以上も年下のオリガと恋に落ちた。

詩人は妻と別れ、オリガと同棲したが、
オリガは《反革命詩人》の愛人ということで、強制収容所に送られた。
オリガは収容所でパステルナークの子を流産し、4年間を過ごす。

この体験と、オリガへの深い愛情を、パステルナークは小説『ドクトル・ジバコ』ら綴り、
世界中を感動させたのだった。


以上、無断であるが全文を転記させて頂きました。

私は原作を読んでいないが、この作者の第二次世界大戦後の体験を
第一次世界大戦、そしてロシア革命の時代を背景とした壮大な物語に、
創作者としての発想と作品として完成にただ驚いている。

創作者は小説家はじめとする人は、
脳裏に幻想をどれだけ豊かにした上、創作し、作品を完成させるかの力量に、
感銘したのである。


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『都心』は、遠くになりにけり・・♪ ②

2007-05-01 14:38:00 | 定年後の思い
大学に入学してからは、映画鑑賞に没頭していたので、
新宿、?E翆㎠留撚茣曚鮹羶瓦粘嫋泙靴討い燭♤?br>池袋の『人生座』と銀座の『並木座』は名画が上映して折、私なりに欠かせない映画館となっていた。
?EⅤ?E鵐團奪粒㎐鼎靴討い浸兇龍畭緘儡曚鳳い董?br>?E椡撚茲両赦遜藉?E㎠蕕量床萋箪犬鮠絮任靴討い燭里如?br>?E欧靴燭蠅靴討い拭?br>
映画以外は、新宿の『紀伊国屋書店』、このビ?E涼罎砲△?E蔽磴旅斑秬?E臈垢鰺僂靴燭蝓?br>新宿御苑を散策したりした。

その後、大学を中退し、芸能?E膤惺擦離轡淵?E覆膨未辰榛△蓮?br>銀座の松坂屋の裏手のビ?E剖擬爾♢△蝓⊃鷁斡兇㎠虔發い燭蠅靴燭♤?br>お金に余裕のない私は大人の街であ?E篋造旅盖蘚垢砲榔?E♢覆∮?br>もっぱら大衆向けの店を利用したりしていた。

映画、文学青年きどりの生活を過ごし、ア?E丱ぅ箸篆?E戚鵑涼曳纏撚燭箸厳廚鯲④討討い燭♤?br>30過ぎた時、きちんと家艇栓持て?E世韻領呂♢△?E痢△判派磴覆姫召?E?E?br>根拠のない自信ばか?E瓩瓦靴討④燭里如名?E亮匆饋佑北瓩?E菴瓦鬚靴拭?br>
この時代は高度成長?E任△辰燭♤膤悗鮹翅爐掘?E箸涼翕啼劼詫動廚任呂覆㎠辰拭?br>私は止む得なく、コンピューターの?E膤惺擦妊愁侫伐覆烹映岾悗咫?br>何とか大手の?E箸肪翕啼劼任④燭里蓮■横戯个魏瓩㌔疹赦贈苅鞠僚佞任△辰拭?br>
横浜の新子安にあ?E?E琉?E僂如⊂ι粉浜鯑世晋紂?br>私は独立した?E魁璽媛饉劼貿杪阿気?E拭?br>
本社は赤坂見付駅前の?E泪曠謄?EΕ咼?E琉?E僂砲△蝓?br>私は昭和46年の早春から数が憲璋、通った。
この?E泪曠謄?EΕ咼?E裡桶♢肋篝?E臈垢☜造鵑如△Ⅳ靴磴?E聞盖蘚垢任△辰燭里如?br>私は喫茶店を利用でき?E戮任△辰拭?br>
赤坂は銀座と同様に大人の街であったので、
若いサラリーマンの身としては、TBS方面の小料理店で?E④鮨④戮燭蠅靴拭?br>
この直後、本社が六本木に移転したので、平成4年までの20年、私は六本木の界隈の空気と共に過ごした。


            《つづく》






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雨の降る前には、買物・・♪

2007-05-01 11:30:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、午後より雨が降る、と予測されていたので、
近所のスーパーに買物に出かけた。

道路と歩道の間のグリーン・ベルトは、躑躅(ツツジ)が満開となっている。
純白、朱色、赤色など咲いて折、この時節らしく色合いを染めて、
私なりに季節の移ろいを享受している。

私はビールを切らしていたので、エビス・ビールを買い求めようかとしていたが、

【香るエビス、新発売】

【バイエルン産アロマホップとザーツ産ファイン・アロマホップによる
心地よい香りとまろやかな飲み口。
飲みほせば、ホップが香るビールです】

とビールが詰まれた上に大きく掲げられていた。

呑兵衛の私は、500mlX6缶入れのケースを買物カゴに入れた。

私は日本酒には、純米酒の辛口である銘柄を好んでいるが、
ビールに関しては、キリンのラガー、アサヒのスーパ・ドライ、サントリーのモルツ、サップロのエビスだったら、
余りこだわらないのである。

そして、酒肴のお友達として、エシャロットとキュウリ、そしてパセリを購入した。

エシャロットとキュウリは味噌でほめて、パセリは塩をほんの少しかけて頂くのである。

セロリが新鮮なのがなく、残念であった。

私なりの独断と偏見で、セロリとパセリは人並み以上に食べたりしている。
煙草を愛煙し、呑兵衛に私にとっては、何かしら口の中、食道、胃腸を浄化して頂くと信じているので、
と特にここ20年数年は欠かせない食べ物のひとつとなっている。

買物の最後は、インスタント・コーヒーで、
ネスカフェのゴールド・ブレンドが【お一人様1点限り】を買い求めた。

私は日頃は煎茶には銘柄、製品名にこだわるが、
コーヒーに関しては、インスタントのゴールド・ブレンドが手軽で程ほどの味、香りがあるので、
日常の友としている。

帰路、雨がポッリとしてきたが、濡れることなく、自宅の門扉を開けた。

そして、こうして綴っていると、小雨が降りだしてきた。
不摂生な日常生活を過ごしている私であるが、
私は何かと幸運に恵まれていると思ったりしている。




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『皐月(さつき)』を迎えて・・♪

2007-05-01 07:56:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、曇り空を迎えているが、しっとりとした空気につつまれ、若葉の彩りを深めてきた・・。

午後から雨が予測されて折、5月を迎えてもぼんやりとしている。

先程、『皐月』の由来などを調べたりしていた。

国語に詳しい詩作家の道行めぐ・女史に寄れば、
『さ』は、耕作を意味する古語。
稲作の繁忙期である為、この月は『さ月』と呼ばれるように、
漢字の『皐』には、神に捧げる稲という意味がある為にこの字が当てられたそうです。
『早苗(稲の若苗)月』といっていたのが、
詰まって『さつき』になった説もあります。

以上、無断であるが転記させて頂きました。

この時節、旅行などに出かけた時、田植えの終えた水田と畦道(あぜみち)を観ると、
私なりの美しい日本の情景に素直に心が充たされる光景である。
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