夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

暑い日々を迎えた時は・・♪

2007-05-09 18:02:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、昨日は26度となり、
本日も移動性高気圧の影響で、28度までの暑さとなり、今年一番の暑さとなった、と報じられ、
私は急激な暑さに戸惑っているひとりである。

10時過ぎに家内と駅前に出かけ、家内は歯科医院の治療、
私は待機する立場であったので、コーヒー・ショップの『ドトール』に於いて、
アイス・コーヒーを飲みながら、塩野七生・著の『ローマから日本が見える』(集英社)を読み込む。

冷気を感じ、煙草を喫いながら読んでいると、
私は著作者の『ローマ人の物語』(新潮文庫)を第15巻まで読み続けているので、
女史の熱く真摯な思いに導かれて、古代のローマの人々を思い返してした・・。

帰路、家内と遊歩道を歩いたが、炎天下の陽射しは強く、
大きな樹木の下を通ると、川風を受けると、
『XXちゃん・・5度前後は・・涼しく感じるよね・・』
と私は汗をハンカチでぬぐいながら、家内に云ったりした。

私はクーラーの冷気で読書も良いが、
外の暑い外気に触れるときは、木陰と風が最強の応援団と感じているのである。

私は先程まで、風が吹き込んでくる和室で簡易ベットに横たわりながら、
本を読んだり、うとうとと寝付いたりしていた・・。

主庭に下り立ち、もみじの樹木の下で、微風を受けながら、
煙草を喫いながら、デビット・リーン監督の作品を思い浮かべたりした。

私は映画が好きなので、ときおり居間でビデオ、DVDで鑑賞しているが、
『アラビアのロレンス』の灼熱の砂漠シーンよりは、
暑さを感じた時は『ドクトル・ジバコ』の酷寒の帝都、ロシアの大地の方が素直に心を寄せることが出来るかしら、
と微苦笑したりしている。




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情緒、情感を感じ、伝えるとき・・♪

2007-05-09 08:56:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、昨日に続き、雲ひとつなく快晴の朝を迎えている。
日中は27度前後の6月下旬のような陽気となるので、
樹木の下の緑陰を享受したり、風を受けたりするのが、
何より心身に心地良い。

私は風吹くさまを5月の時節は、薫風と称し、
三月から4月にかけて、風は甘く、などと称している。

先程、ある辞典で『薫風』を調べていたら、
少しつまらない解説をされていた。

『立夏・芒種は薫風の候なり。
一陣の風、南より吹き来たりて、香気を放つ。
しかして殿閣、微涼を生ず』・・。

中国の古暦は、こんなふうに5月のイメージを表現していた。

5月の風は、確かに爽やかだ。
『吹き来たりて、香気を放つ』。
ここ日本でも、いえることである。

しかしながら、雨や雪などと同じように、本来、風は無臭のはずだ。
それなのに、我々は、なぜ5月の風だけを《薫風》と感じたのだろうか?

その理由は、こうである。
5月は新緑の季節だが、野山の木々の若葉には、
『フィトンチッド』という芳香成分成分が含まれている。
この芳香成分は微細な粒子。
吹く風の流れに乗って、あちこちへ飛びたたよい、
我々の嗅覚をくすぐる。
これがつまり、《薫風の科学》だ。
ゆえに、5月の風は香るのである。
【水野 肇・監修の『健康歳時記』より】

私は幼児の頃から、この時節に頃はこいのぼりを見ながら、風は気持ちが良い、
と心身感じたりしてきた。

幼児、子供ながら季節を感じ、その時節を深めてきているのである。
《薫風の科学》などの一章は、つまならい余計なことと思っている。

人それぞれであるが、何気なし心から感じる情緒、情感は、
科学の解説、分析は余計なお節介である。

ごく自然に感じ、受けとめながら、育(はぐく)まれ、
心からの発露を私は大切にしている。
そして、ときたま綴っている。




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