夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私なりの心の発露の表現方法は・・♪ 

2008-06-14 16:27:59 | 定年後の思い
   序 章

Webの世界の中で、一環として本格的にブログも数多くあり、
或いはブログに準じた【OCN Cafe】のサイトもある。

ブログ全般の世界も、運営側の方針として、
文字だけ、或いは写真まで、そして動画まで許容するサイトが存在している。

それぞれの方は、ご自分でサイトを選定し、
心の発露として、文章、写真、動画の表現をされているのが現状である。

このような思いで、私は3年半が過ぎている。

そして私は、文章による散文で投稿し続けているが、
ときおり写真の添付をするか迷う時がある。

最も現在の私としては、自分がデジカメで撮った写真を、
ブログ・サイトに掲載させる技量はないが、
そのうちに習得とし、写真掲載をしたならば、
私のサイトも大きく変貌すると確信しているが、
果たして良いのか悪くなるのかを迷っているのである。

   
   第一章


私はデジカメに関しては、定年退職の記念のひとつとして、
購入して学んでいるのであるが、
技量は初心者程度である。

全般としての思いは、2007年11月20日に投稿している。


【 腕は二流であるが、心の思いは一流である』・・♪ 】

日中、駅前のDPE屋さんに寄り、写真の印刷を依頼した。

過日、家内の母と私達は3人で沖縄本島に8泊9日で訪れたが、
この時のカメラは、家内は簡易カメラの『写ルン』、
私は定年退職の記念として購入したデジカメで数多く撮った。

旅行から帰宅後、家内の写真はサービス版とし、
この中から家内の母が見やすいように大判に拡大しょう、
と家内と話し合っていた。

私の方は、原則として風景写真しか撮らないが、
たまたま今回の場合は、家内の『写ルン』が撮り終えてしまい、
私が母と娘のスナップを撮ったりした。

私はデジカメの撮り終えた後、記憶媒体のCF(コンパクト・フラッシュ)からパソコンにコピーし、
旅行先名と日付でひとつのファイル名として管理している。

私はプリンターで印刷したこともなく、
今回に限って、CD-Rにコピーして、DPEに持ち込んだのである。

家内の撮った指定の2枚、私が撮ったスナップ2枚を大判に依頼したのである。


引渡しの一時間後まで、ドラック・ストアーで家内からの依頼品を購入した後、
コーヒー・ショップの『ドトール』で煙草を喫いながら、
コーヒーを飲んだりした。


この後、DPE屋さんに再び寄り、受付の20歳を過ぎたと思われる女性から、
大判の写真を受け取った。

『こちらで・・間違いはないと・・思いますが・・』
と若き女性は云った。

私はデジカメのスナップは初めてなので、多少の不安はあった・・。
事前にパソコンの画面で確認していても、印画紙の世界は別物である。

滞在したリゾートホテルの正面先の南国の花を背景にした一枚、
メイン・ロビーの中心に結婚式記念撮影などで使用されているホールの一枚、
いずれも母と娘の2人が微笑んでいる・・。

私は二枚のスナップを確認しながら、
『腕は二流であるが・・心の思いは一流です・・』
と私は笑いながら、若き女性に云ったりした。

『お客様・・その心持ちが・・写真では重要ですね・・』
と若き女性は微笑みながら云った・・。

私の何時もながらの悪い癖で、ひと言、ふた言が多いのである。


私達夫婦は、家内の母は77歳の高齢の身であるので、
元気なうちにと思い旅行などに誘っている・・。

身体が弱って外出などに不自由になった時、
されど当時の写真の数葉であっても、
のちの想い、としては欠かせない貴重な瞬間でもある。



以上、こうように綴っている通りつたない技量であるが、
過日、私は昨年伊豆の下田で滞在した折、
紫陽花(アジサイ)の寝姿ブルーを賞賛した綴りを投稿した。

昨日、心の友として長年に『掲示板』上で交流している凛とした奥方から、
観てみたいわ、と私の『掲示板』に寄せられた。

私は『下田観光ホームページ』などを検索し、
わずかに寝姿ブルーが掲載されていたが、
少なくとも私は高校時代に写真部のクラブで風景を専攻した身であるので
落第点のような余りにも幼稚な写真であり、
これではサイト名を明示添付し返信に出来ないと思ったのである。

この後、私はハードディスクに保存している
時系列のファイル化した『下田温泉滞在2007.5.22.~5.28.』を見たのでがあるが、
この中の私が撮った10枚前後の寝姿ブルーが遥かに凌駕しているのである。

このような思いもあり、写真掲載の技量習得も必須かしら、
と昨夜は気落ちしたりしたのである・・。

             
               
  第二章

私は東京オリンピックの頃に大学を中退し、
ある芸能専門学校でシナリオ科を学びながら、
シナリオの習作をしたり、講師の方がある月刊総合雑誌の記事契約をしていたので、
私は取材、下書きのアルバイトをしたりしていた。

その後、小説の習作をしていたが、
文学賞の新人賞に於いて最終候補の6作には残れず、3度ばかり落選し、
明日の見えない生活を4年ばかり過ごしたのである。

このようなアルバイトをしながら、
映画・文学青年の真似事をしていた折、親戚の叔父さんから、
若い時はいいが、30過ぎた時、きちんと家庭が持てるの、
とやんわり叱咤されたのである。

私は独断と偏見の強がりの個性の持ち主であり、
根拠のない感性と独自の感覚を頼りに自信に満ち溢れていたが、
実家に身を寄せ、アルバイトで身のまわりと遊行費まで何とかまかなっていたのが実情で、
30過ぎた時に家庭を持ち、妻子を養うことを想像した時は、
さすがの強がりの私は堪(こた)えたのである。

小説はいずれ書くから、と私は安定したサラリーマンを目指して、
中途入社できる為に、コンピュータの専門学校で1年間学んだ。

そして、何とか大手企業に中途入社出来たのは、
25歳の春であった。

まもなくして、企業は甘くなく、企業戦士となれるように徹底的に鍛えられ、
多忙な時となり、小説を書く心の余裕もなくなったのである。



   第三章

私は平成16年(2004年)の秋に、
35年前後勤めた会社を定年退職を迎え、
残こされた人生を自在に過ごしたく、年金生活に入った。

そして、まもなくブログの世界を知り、それぞれのお方がアクセサリーを付けたり、
写真を掲載されていたので、驚いたりした。
三つばかりブログのサイトに彷徨(さまよ)った後、
この年の11月下旬に【goo簡単ホームページ】に入り、
ひとつの決意をしたのである。

文章の散文で日記風でなく、なるべく随筆風に綴り、
そして魅了されるサイトを目指した。

この根底には、私なりのひとつの思いがあった。

今は亡き紀行作家の宮脇俊三の残された随筆を
私なりに心の拠(よ)り所としたのである。

宮脇俊三氏が「ザ・文章設計」第14号で昭和63年(1988年)6月に綴られ、
私は平成7年の頃に随筆集として『旅の自由席』で読み、感銘を受けたひとりであった。

無断であるが、敬愛する宮脇俊三氏に甘え、
転記させて頂きます。



   【文章と写真と】
           作者・宮脇俊三

「若い精神科医が水産庁の調査船に乗って、アフリカ沖からヨーロッパのほうへ行っている。
筆のたつ人らしい。小説も書いている」

という情報が入ってきた。昭和34年の春のことだった。
当時の私は出版社に勤めていた。
そして、外国旅行は高嶺の花の時代だった。

その「小説も書く若い精神科医」が帰国するのを待ちかまえて、
私は航海記の執筆を依頼した。
その際、旅行中のたくさんの写真も見せていただいた。
珍しいものばかりだった。
写真もふんだんに入れた本にしょう、と私は思った。

半年ほどで原稿が完成した。
その出来ばえは期待をはるかに上回っていた。
眼を見はるほど自由闊達で伸びやかな、若い心が躍動するような文章にはユーモアさえ溢れていた。

その文章に魅了された私は、すっかり満足し、
写真を挿入することなど念頭から消えてしまった。

翌年の春、写真なしの外国旅行記という当時としては珍しい本が出版された。
が、文章の魅力が読者をとらえ、たちまちベストセラーになった。
北 杜夫・著『どくとるマンボウ航海記』である。


編集者として思わぬ幸運に調子づいた私は、
「世界の旅」全10巻というシリーズを企画した。
既刊の外国旅行記を地域別に集めるというシリーズである。
写真も各ページごとに挿入することにした。
旅行記には写真は欠かせないのが編集の常道であった。

第一回の配本は目玉商品として『どくとるマンボウ航海記』を収めた。
こんどは写真が何十枚も本文に割って入った。

ところが、刷り上がった見本に眼を通しているうちに、
私は愕然とした。
写真不要、いな邪魔! せっかくの文章の魅力を減殺さえしているのである。

『世界の旅』シリーズに写真を挿入しょうとの編集方針がまちがっていたとは思わない。
しかし、他の収録作品の著者にたいしては失礼にあたるが、
第一級の紀行文には写真など無用にして無縁なのだ。

そういえば、内田百の『阿房列車』に写真はいらない。
『おくのほそ道』に写真を入れたらナンセンスだろう。
文章とは写真などとは次元のちがうところで成立する精神の作用なのだ。

と深く思い知らされた私は現在の職業は「旅行作家」。
すでに20冊もの本を出させていただいたが、
写真入りの本は、やむえぬ事情により1冊を除けば他にはない。
文章の作用は写真なんぞ遠く及ばない、という私の心意気なのである。

(略)


注)著者の原文より、勝手に改行を多くした。



私は深く感銘し、つたない私なりに、
山川草木の季節のうつろいを主軸に投稿をはじめたのである。

そして、お読み頂き、何も心に残らなかった場合は、
ひとえに私の文章修行が足りないと思っている。

尚、私はときおり、政治、社会、経済などの不得意な分野を投稿している時は、
読んで頂く方を多くなればという卑(いや)しい面があり、
私はまだまだ心貧しいひとりである。



    最終章


私は別のサイト【OCN Cafe】に於いて、
確かな文章の綴りで、散文、詩で歴然とした切実感に満ち溢れた熱い思いを発露され、
底知れぬ情熱と切迫感に圧倒され、秘かに優れた人と確信しながら、
愛読している人がいる。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/mackychan

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki

また、写真を掲載し、季節の移ろいに詩情までの香りを感じる方が折、
私はため息をしながら感銘したりしている。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/yukiusagi898

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/aoeiu

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/yamachnyamatyann

『文章』、『文章と写真』の深い思いのこうしたお方は、
心の発露の表現方法としては、既に世界で独自の表現を完成され、
後はそれぞれのお方が深化させるだけと確信している。

私はこうしたお方の前では、明記しにくいが、
せめて私は写真掲載の技量を学び、紀行文の時、
写真の解説書にならないように散文を綴り投稿すれば、
魅了させられるブログ・サイトのひとつになるかしら、
と深く考えたりしているのである。



ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私なりの心の発露の表現方法は・・♪ 最終

2008-06-14 15:27:00 | 定年後の思い
   最終章

私はこのサイトに於いて、
確かな文章の綴りで、散文、字税歴然とした切実感に満ち飲?E診㌔せ廚い鯣Ⅳ気?E?br />?E里?E名霰㌔叛敘兇飽掬櫃気?E?E㎠僕イ?E真佑罰凌㌔靴覆♢蕁?br />愛読してい?E佑♢い?E?br />
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/mackychan

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki


また、写真を掲載し、季節の移世に字晟までの香りを感じ?E沺?br />私はため息をしながら感銘したりしてい?E?br />
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/yukiusagi898

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/aoeiu

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/yamachnyamatyann


『文章』、『文章と写真』の深い思いのこうしたお方は、
心の発露の表現方法としては、既に世界で独自の表現を完成さ?E?br />後はそ?E召?E里鴫修気擦?E世韻罰凌㌔靴討い?E?br />
私はこうしたお方の前では、明記しにくいが、
せめて私は写真掲載の技量を学び、紀行文の時、
写真の解説書にならないように散文を綴?E?E討垢?E弌?br />魅了させら?E?E屮亜Ε汽ぅ箸里劼箸弔砲覆?E㎠靴蕁?br />と深く考えたりしてい?E里任△?E?br />
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私なりの心の発露の表現方法は・・♪ ③

2008-06-14 13:58:00 | 定年後の思い
   第三章


私は平成16年(2004年)の秋に、
35年前後勤めた会社を?E狄Δ魴泙─?br />残こさ?E真誉犬鮗㎐澆鵬瓩瓦靴燭∮〟眄験茲貌辰拭?br />
そして、まもなくブ前の世界を知り、そ?E召?E里♠▲札汽蝓爾鯢佞韻燭蝓?br />写真を掲載さ?E討い燭里如辰い燭蠅靴拭?br />三つばか?E屮阿離汽ぅ箸没牌?さま?Eった後、
この年の11憲亮旬に【g?E?E蔽吋曄璽爛據璽検曚貌蝓?br />ひとつの決意をしたのであ?E?br />
文章の散文で?E㍗任覆∮△覆?E戮?E膨屬蝓?br />そして魅了さ?E?E汽ぅ箸鯡椹悗靴拭?br />
この根?E砲蓮∋笋覆蠅里劼箸弔了廚い♢△辰拭?br />
今は亡き紀行笹糧の宮脇俊三の残さ?E真?E㌔?Ebr />私なりに心の?E?E?E蠅箸靴燭里任△?E?br />
宮脇俊三氏が「ザ・文章設計」第14号で昭和63年(1988年)6憲惜綴ら?E?br />私は平成7年の頃に?E犬箸靴董慘垢亮垣福戮覇匹漾玉辰鮗韻燭劼箸蠅任△辰拭?br />
無断であ?E♤桧Δ垢?E槝峠啝飴瓩亡鼎─?br />転記させて頂きます。



   【文章と写真と】
           笹慥・宮脇俊三

「若い精神科医が水産庁の調査船に乗って、アフ?E㎘④㎠薀茵璽奪僂里曚Δ惺圓辰討い?E?br />筆のたつ人らしい。小説も書いてい?E?br />
という情報が入ってきた。昭和34年の春のことだった。
当時の私は出版社に勤めていた。
そして、外国旅行は高嶺の花の時代だった。

その「小説も書く若い精神科医」が帰国す?E里鯊圓舛㎠泙┐董?br />私は航海記の執筆を依頼した。
その際、旅行中のたくさんの写真も見せていただいた。
珍しいものばかりだった。
写真もふんだんに入?E針椶砲靴腓Α△隼笋六廚辰拭?br />
半年ほどで原稿が完成した。
その出来ばえは?E圓鬚呂?E㎠望絏鵑辰討い拭?br />眼を見は?E曚票?E達で伸びやかな、若い心が躍動す?E茲Δ癖絃呂砲魯罅璽皀△気┛?E討い拭?br />
その文章に魅了さ?E浸笋蓮△垢辰㎠?E④掘?br />写真を挿入す?E海箸覆蒜案♢㎠蘊辰┐討靴泙辰拭?br />
翌年の春、写真なしの外国旅行記という当時としては珍しい本が出版さ?E拭?br />が、文章の魅力が読者をとらえ、たちまちベストセラーになった。
北 杜夫・著『どくと?E泪鵐椒匈さ①戮任△?E?br />

編集者として思?E鵡燭膨柑劼鼎い浸笋蓮?br />「世界の旅」全10巻というシリーズを?E茲靴拭?br />既刊の外国旅行記を地域別に集め?E箸いΕ轡蝓璽困任△?E?br />写真も各ページごとに挿入す?E海箸砲靴拭?br />旅行記には写真は欠かせないのが編集の?E擦任△辰拭?br />
第?E鵑稜柬椶鰐楸名ι覆箸靴董悗匹箸?E泪鵐椒匈さ①戮鮗瓩拭?br />こんどは写真が何十枚も本文に割って入った。

とこ征、刷?E紊♢辰晋椶亡磴鯆未靴討い?EΔ舛法?br />私は愕然とした。
写真不要、いな邪魔! せっかくの文章の魅力を減殺さえしてい?E里任△?E?br />
『世界の旅』シリーズに写真を挿入しょうとの編集方針がまちがっていたとは思?E覆ぁ?br />しかし、他の収録笹緤の著者にたいしては失礼にあた?E♤?br />第?E蕕竜ⅴ塋犬砲麓命燭覆斌詰僂砲靴凸輝?E覆里澄?br />
そういえば、内田百?Eの『阿房列車』に写真はいらない。
『おくのほそ道』に写真を入?E燭薀淵鵐札鵐垢世Α?br />文章とは写真などとは次元のちがうとこ税成立す?E鎖世虜僂覆里澄?br />
と深く思い知らさ?E浸笋聾什澆凌Χ箸蓮嵶更垪函廖?br />すでに20冊もの本を出させていただいたが、
写真入りの本は、やむえぬ事情により1冊を?E韻仟召砲呂覆ぁ?br />文章の笹蚪は写真なんぞ遠く及ばない、という私の心意気なのであ?E?br />
(略)


?E著者の原文より、勝手に改行を多くした。



私は深く感銘し、つたない私なりに、
山旋汾木の季節のうつ世を主軸に?E討鬚呂犬瓩燭里任△?E?br />
そして、お読み頂き、何も心に残らなかった?E腓蓮?br />ひとえに私の文章修行が足りないと思ってい?E?br />
尚、私はときおり、政治、社会、経済などの不得意な分愉栓?E討靴討い?E蓮?br />読んで頂く方を多くな?E个箸いθ?い?Eしい面があり、
私はまだまだ心貧しいひとりであ?E?br />

              (つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私なりの心の発露の表現方法は・・♪ ②

2008-06-14 11:42:00 | 定年後の思い
   第二章

私は?EⅤ?E鵐團奪虜△紡膤悗鮹翅爐掘?br />あ?E歿柔?E膤惺擦妊轡淵?E覆魍悗咾覆♢蕁?br />シナ?EⅣ僚鬚靴燭蝓峪佞諒♢△?E⑶膸┿?E竜Ⅶ戚鵑鬚靴討い燭里如?br />私は取材、下書きのア?E丱ぅ箸鬚靴燭蠅靴討い拭?br />
その後、小説の習笹栓していたが、
文学賞の新人賞に於いて最終候補の6笹惜は残?E此■嚇戮个㎠?EⅣ掘?br />明?E慮㎠┐覆だ験茲鬘看个㎠?E瓩瓦靴燭里任△?E?br />
このようなア?E丱ぅ箸鬚靴覆♢蕁?br />映画・文学青年の真似事をしていた折、親戚の叔父さんから、
若い時はいいが、30過ぎた時、きちんと家艇征持て?E痢?br />とやん?E?E袴気?E燭里任△?E?br />
私は独断と偏見の強がりの個性の持ち主であり、
根拠のない感性と独自の感覚を頼りに自信に満ち飲?E討い燭♤?br />実家に身を寄せ、ア?E丱ぅ箸膿箸里泙?E蠅藩傾堡颪泙撚燭箸㎠泙㎠覆辰討い燭里他陲如?br />30過ぎた時に家艇栓持ち、妻子を養うことを想?E靴浸蓮?br />さすがの強がりの私は堪(こた)えたのであ?E?br />
小説はいず?E颪㎠蕁△隼笋楼堕蠅靴織汽薀蝓璽泪鵑鯡椹悗靴董?br />中途入社でき?E戮法▲灰鵐團紂璽燭寮?E膤惺擦韮映岾悗鵑澄?br />
そして、何とか大?E?E箸肪翕啼匳侏茲燭里蓮?br />25歳の春であった。

まもなくして、?E箸牢鼎覆∮?E叛?E里箸覆?E?E茲Δ謀按?EⅣ肪辰┐蕕?E?br />多忙な時となり、小説を書く心の余裕もなくなったのであ?E?br />

              《つづく》
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私なりの心の発露の表現方法は・・♪ ①

2008-06-14 07:41:00 | 定年後の思い
   序 章

Webの世界の中で、?E弔箸靴橡楹陛Ⅳ縫屮阿眇燭△蝓?br />或いはブ前に準じた【OCN Cafe】のサイトもあ?E?br />
ブ前全般の世界も、運営側の方針として、
文字だけ、或いは写真まで、そして動画まで許容す?E汽ぅ箸減澆靴討い?E?br />
そ?E召?E諒蓮△桓♢妊汽ぅ箸鯀蠅掘?br />心の発露として、文章、写真、動画の表現をさ?E討い?E里従任△?E?br />
このような思いで、私は3年半が過ぎてい?E?br />
そして私は、文章によ?E曲犬播?E討径海韻討い?E♤?br />ときお?E命燭療塞佞鬚垢?E造♢△?E?br />
最も現在の私としては、自分がデジカメで撮った写真を、
ブ前・サイトに掲載させ?E士未呂覆い♤?br />そのうちに習得とし、写真掲載をしたならば、
私のサイトも大きく変貌す?E罰凌㌔靴討い?E♤?br />果たして良いのか悪くな?E里㎠鯡造辰討い?E里任△?E?br />
   
   第?E?br />

私はデジカメに関しては、?E狄Δ竜㌶阿里劼箸弔箸靴董?br />購入して学んでい?E里任△?E♤?br />技量は初心者程度であ?E?br />
全般としての思いは、2007年11憲寝0?E謀?E討靴討い?E?br />

【 腕は二流であ?E♤⊃瓦了廚い楼?E㌔任△?E戞ΑΒ?E】

?E罅愾阿裡庁丕轍阿気鵑亡鵑蝓⊆命燭琉魄様蠅靴拭?br />
過?E汎發諒?E隼簔錬蛙佑撚㌃?E榲腓烹固顳稿?E破♢?E燭♤?br />この時のカメラは、家内は簡易カメラの『写?E鵝戞?br />私は?E狄Δ竜㌶阿箸靴胴愼靴織妊献㎤瓩膿燭辰拭?br />
旅行から帰宅後、家内の写真はサービス版とし、
この中から家内の?E㎠笋垢い茲Δ紡臠修乏搬腓靴腓Α?br />と家内と話し合っていた。

私の方は、原則として風景写真しか撮らないが、
たまたま今回の?E腓蓮汎發痢惻魅?E鵝戮?EⅣ┐討靴泙ぁ?br />私が?E般爾離好淵奪廚鮖辰燭蠅靴拭?br />
私はデジカメの撮?EⅣ┐晋紂⑱映淆里裡達?コンパクト・フラッシ?Eからパソコンにコピーし、
旅行先名と?E佞任劼箸弔離侫.ぅ?E召箸靴憧浜靴討い?E?br />
私はプ?E鵐拭爾念靴燭海箸發覆∮?br />今回に限って、CD-Rにコピーして、DPEに持ち込んだのであ?E?br />
家内の撮った指定の2枚、私が撮ったスナップ2枚を大判に依頼したのであ?E?br />

引渡しの?E峺紊泙如▲疋薀奪∮Ε好肇◆爾撚汎發㎠蕕琉様?E覆鮃愼靴晋紂?br />コーヒー・ショップの『ドトー?E戮捻?E陲魑覆い覆♢蕁?br />コーヒーを飲んだりした。


この後、DPE屋さんに再び寄り、受付の20歳を過ぎたと思?E?E?E④㎠蕁?br />大判の写真を受け取った。

『こちらで・・間違いはないと・・思いますが・・』
と若き女性は云った。

私はデジカメのスナップは初めてなので、多少の不安はあった・・。
事前にパソコンの画面で確認していても、印画紙の世界は別物であ?E?br />
滞在した?E勝璽肇曠謄?E寮橘明茲瞭颪硫屬鯒愀覆砲靴唇?E隋?br />メイン・喪ーの中心に?EЪ圧㌶飴1討覆匹濃藩僂気?E討い?E曄璽?E琉?E隋?br />いず?E睚?E般爾裡何佑个鵑任い?EΑΑ?br />
私は二枚のスナップを確認しながら、
『腕は二流であ?E♤Α瓦了廚い楼?E㌔任后ΑΑ?br />と私は笑いながら、若き女性に云ったりした。

『お客様・・その心持ちが・・写真では重要ですね・・』
と若き女性は微笑みながら云った・・。

私の何時もながらの悪い癖で、ひと言、ふた言が多いのであ?E?br />

私達夫婦は、家内の?E錬沓刑个旅睥陲凌箸任△?E里如?br />元気なうちにと思い旅行などに誘ってい?EΑΑ?br />
身体が弱って外出などに不自由になった時、
さ?E錨亮命燭凌佞任△辰討癲?br />のちの想い、としては欠かせない貴重な瞬間でもあ?E?br />


以上、こうように綴ってい?E未蠅弔燭覆さ士未任△?E♤?br />過?E∋笋郎鯒貌Δ硫偲弔蚤攤澆靴神沺?br />紫陽花(アジサイ)の寝姿ブ?E爾鮠淹燭靴芯屬蠅鯏?E討靴拭?br />
昨?E⊃瓦陵Г箸靴督糠法愀納帖拆紊埜鯲㌔靴討い?E曚箸靴娠?E㎠蕁?br />観てみたい?E△隼笋痢愀納帖戮亡鵑擦蕕?E拭?br />
私は『下田観光ホームページ』などを検索し、
?E困㎠某音僖屮?E爾〄悩椶気?E討い燭♤?br />少なくとも私は高校時代に写真部のクラブで風景を?E兇靴真箸任△?E里?br />李滓点のような余りにも幼稚な写真であり、
こ?E任魯汽ぅ般召鯡声塞佞景嵜㌔暴侏茲覆い隼廚辰燭里任△?E?br />
この後、私はハードディスクに保存してい?Ebr />時系列のファイ?E修靴拭慍偲腸浩攤?007.5.22.~5.28.』を見たのでがあ?E♤?br />この中の私が撮った10枚前後の寝姿ブ?E爾⇆擇㎠卜寝?E靴討い?E里任△?E?br />
このような思いもあり、写真掲載の技量習得も必須かしら、
と昨?E狼ね舛靴燭蠅靴燭里任△?EΑΑ?br />
             《続く》
               
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする