第五章 旅先の昼食・・岩国の錦帯橋のときは
私達夫婦は、国内観光ホテルに宿泊することが多いので、
朝食と夕食は宿泊先の観光ホテルを頂く・・。
昼食に関して、団体観光ツアーの場合は、事前に予約を受け付けて、
決められた現地の有名な食べ物を頂く場合が多い。
家内は朝食、夕食の際に食べ物の量が多すぎるので、
昼食時はお腹がすかない、と云い間食程度でよく、
私も余り食べない方である。
今回の宮島を後にした後は、岩国の錦帯橋の付近で、
錦帯橋の観光を含めて、12時45分~1時50分の昼食休憩時間となっている。
私達夫婦は事前に自由食と添乗員さんに連絡していたので、
錦帯橋を渡り、川沿いの歩道を歩いたりした。
私達と同様に観光客が多く、やむえず、一軒の食べ物屋さんに入った。
食事・甘味処『小次郎茶屋』と明示された店であったが、
ビールが呑めることを入店前に確認していた。
家内は甘味の品、私はメニューを見ながら、『がんす』という単品を注文した。
瀬戸内の小魚をすり身にし、フライにした岩国の名物です、
と記載されていた折、
ビールを呑みながら頂いたが、想像以上に美味であった。
私には薩摩揚げ(サツマアゲ)の高級品のようにも感じられ、
この『がんず』の横にレンコンなどの漬物があり、
このさりげない『がんず』と『漬物』が調和されて折、
私なりに魅了されたので、追加をした。
結果として、私の昼食は『がんず』2食、ビールの中瓶が2本であり、
家内は甘味を1品となったりした。
尚、旅行会社の選定した昼食は、
岩国寿司とうどん、と明示された折、
私の苦手の押し寿司かしら、と微苦笑したりしていた。
私達夫婦は、旅先の昼食に関しては、
このように食事処で自在に選定したりしている。
第六章 苦手な秋吉台、秋芳洞
岩国の錦帯橋の後は、秋吉台、そして秋芳洞を観たが、
私は昭和の末期の頃に訪れていた為か、
何の魅力も感じることが出来ず、
秋吉台で夏ミカンのソフトクリームを食べたりしていた。
秋芳洞は早めに歩き、洞窟を出たお土産屋さんで、
石のかけらを購入したりした。
たった200円の石のかけらであった、文鎮(ぶんちん)か本立てにしょうか、
と思ったのである。
家内は少し高額な紫水晶の石を購入した後、
私は今宵の友し、地酒の四合瓶を選定した。
退屈なひとときであったが、晩秋の暗くなった中、バスは萩を目指した。
第七章 されど、『萩』の城下町
私達夫婦は、昭和の末期に初めて萩に訪れたが、
この頃の私は焼き物に魅せられていた時でもあった。
家内が茶事をしていた関係で、ときおり茶室などで萩の茶碗で抹茶を頂き、
日常は、ぐい呑み、茶飲み茶碗を愛用していた。
この当時、焼窯元の薄汚れた奥まった売り場で、
私はひとつのぐい呑みに目が止まった・・。
私は一介の中年のサラリーマンの身で、住宅ローンも重責てあったので、
少し高価であり、心の中はたじろいでいた・・。
このような私の心情を家内は見抜いて、
お買い求めになれば、と云う援言で購入した。
この萩のぐい呑みは、釉薬(うさぐすり)の白さの状況の形が良く、
本体がわずかに傾むいていたので、魅了させられたのである。
私は帰宅後、週に一度ぐらい愛用し、月半ばの頃、
雪の朝、と秘かに命名した・・。
この後も、月に数度は晩酌の友し、この20年間愛用し続けている・・。
今回の宿泊先は菊ケ浜に面した『千春楽』であり、
2階の部屋から、樹齢数百年と思われる松が5本越しに、
日本海の波が浜辺に静かに押し寄せていた・・。
陶芸の宿と称している宿であるが、
メイン・ロビーの一角に高価なオーディオがセットされていた。
メイン・アンプ、パワー・アンプ、CDプレイヤー、そしてスピーカ、
どの機器ひとつ取っても数百万の機器と思われ、
この10年間で販売された優れた銘機である。
2階の一角にある壁際には、30数年前の銘機がさりげなく置いて折、
ホテルのオーナーは何歳ぐらいのお方かしら、
と私なりに興味を覚えたりした。
翌朝、焼窯元のお土産屋、蒲鉾(かまぼこ)直売店、城下町の散策、松陰神社などを周遊したが、
蒲鉾に関しては、フグ、イカ等を含め、程々に購入した。
田中かまぼこ製造所、と記憶しているが、良質で美味である。
城下町の屋敷を散策した折、土塀に沿って歩いていたが、
角地から高杉晋作などの幕末の勇姿が見え隠れしても、
おかしくない幻覚を覚えたりした。
土塀越しの夏みかん・・静寂なひととき・・
あたかも時が止まったように思える街である。
このような心のふるさとのような町、されど萩である。
尚、宿泊した観光ホテルのオーディオの持ち主は、
オーナーの二世で40後半の人である。
私は羨望をかすめたが、吾唯足知、と云いきかせて、
萩の町を後にした。
第八章 ゆきゆきて、つわぶきの里・・津和野
山陰地方の小京都と知られている津和野であるが、
帰宅後の今、津和野に関しては、
正直な所、困惑しているのである・・。
初めて津和野に訪れたのは、萩と同様に昭和末期であったが、
この時も団体観光ツアーで夏季休暇を利用し、
暑さで疲れ気味だった。
自由時間の時は、酒造所の直売店で地酒を買い求めたりした。
その後は敬愛する森 鷗外に関して、
武家屋敷の塀際の小川に鯉が泳いでいたのを見ながら、
この山里の街でどのように幼児体験をし、
都会に出られのか、と思索していたのであった。
今回も団体観光ツアーであり、昼の12時近くに津和野に入り、
昼食兼休憩時間で『津和野寿司弁当』を家内と分け合い、
ビールを呑みながら頂いたが、
正直な所、貧しさを感じ、食べ物としてもつたない味であった。
この後は、小高い山里にある日本五大稲荷神社のひとつと知られている『太鼓谷稲荷神社』を参拝した。
私は稲荷神社には興味がないが、
津和野の街並みが一望できるので、
この地から輩出された人々を思考には、最適な展望かしら、
と微苦笑したりした。
その後、街並みに戻り、散策時間を一時間ばかりした程度である。
私達は殿町に近い静寂な喫茶店でコーヒーを飲んだ後、
役場の前の庭を観て、役場の景観を誉めたりした。
この標題は、役場にあった津和野の観光パンフレットから、
拝借したのである。
このパンフレットの表紙の副題として、
このまちには不思議な時間が、流れているのでした。
と明記されて折、私は適言と思えた。
まとまりのない小時間の滞在であったので、
いつの日にか、『永明寺』を半日ばかり、そして城跡の公園を散策すれば、
何かしら津和野が視(み)えてくる、と思ったりした。
今の私は津和野に関しては、霧の中に佇んでいるようであり、
まぼろしの町である。
尚、森 鷗外に関しては、私は二十歳以来から敬愛し続けているので、
墓石に本名、森 林太郎墓、と明示した当人の遺言の理由は理解しているつもりである。
最終章 旅の終りは、『おつまみチャーシュ』
『安芸の宮島、萩、津和野』の団体観光ツアー2泊3日の旅の最後は、
新幹線の広島駅で東京駅行きの午後5時40発の『のぞみ74号』を待機していた・・。
45分程の時間があり、駅構内の飲食街でビールを呑める一軒の店に、
私達夫婦は入った。
明るく清潔な居酒屋風の店であり、
メニューを見ていたら、『おつまみチャーシュ』が美味しそうであったので、
中ジョッキーのビールを呑みながら頂いた。
チャーシュの5切れに、焼き鳥の甘いたれに細ネギがかかって簡素な一品であるが、
私は美味と感じたのである。
私は家内に、美味しいよ、と云いながら、ビールと共に追加注文をした。
こうした店であったならば、手軽にビジネスマンの人々も、
出張、打ち合わせ、懇親でも手軽に利用できる店、
と家内の話し合ったりしてした。
私が魅了された一品は500円程であるが、
今回の旅で一番美味しかった部類に入る、と家内に云ったら、
家内は笑い出したりした・・。
この店を出た後、振り返ったら確か『和楽(やわらく)』と読めた。
《終り》
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