夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

雨の降る前、買物と散策・・♪

2008-06-02 18:57:00 | 定年後の思い
私の住む東京郊外は、午後の3時過ぎから雨が予測され、
明日は台風5号の北上に伴い、大雨が予報されている・・。

私は午前中のひととき、郵便局、銀行、そしてスーパーの2店ばかり廻ってきた・・。

スーパーは、平日でも少し混んでいて、
私の思惑と同様に、雨の降る前に買物を、
と私は微苦笑したのである。

私は年金生活の4年生であり、
日常の買物は私の責任の範疇であり、自動車を所有しない我家の方針として、
両手に買物した品を提げて、
往復したりしている。

野菜コーナーでの選別も馴れ、
そして家内の好きな『ゴールド・キウイ』のニュージーランド産などを購入したりしている。

今回の買物で、ピーマンを見ていたのであるが、
バラ売りで6個で98円には驚き、
確かな品で色艶も良く、私は内心小躍りして、
12個を購入した。

帰宅後、家内に
『立派なピーマン・・廉(やす)くて・・驚いたよ・・』
と私は云った。

『良かったわ・・助かるわ・・』
と家内は明るい声で云った。

私は祖父や父が亡くなる幼年期までは農家の児として育ち、
野菜の育成から青果市場に出荷するまでの情景を見ていたので、
少し複雑な思いである。

果たしてこのような店頭価格であると、
労苦の多い野菜の生育の果て、いくらで納品価格となるのだろうか、
と思ったりしてしまうのである。

家内はサラリーマンの家庭で育ったので、
『品が良くて、お値段も廉(やす)く・・』
とまるで工業製品みたいに云っているので、
私はときおり、無頓着な家内に苦笑している。


尚、『ゴールドキウイ』などの洒落た果物は婦女子の食べ物であり、
男子たる呑兵衛の私は、我家では家内専用の食べ物としている。

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庭の手入れの後には・・♪   《初出2007.12.2.》

2008-06-02 14:48:04 | 小庭の情景を眺めながら
晩秋のおだやかな陽気の中、庭の手入れに専念した。
樹木の剪定をし、切り落とした枝葉り整理、草むしり、
そして落ち葉など掃き清めたりした。

何時もの事ながら、庭の手入れをした後は、
庭の隅に簡易椅子に座り、日本酒の冷酒を呑みながら、煙草を喫ったりしている・・。

そして、武蔵野に相応しい常緑樹、そして落葉樹などを観たりしている。

今回はモミジの淡い紅色を目の前にし、
白梅の淡い黄色に染められた葉などを眺めている。

晩秋の時節、お風呂の沸くまで、冷酒と考えたが、
齢を重ねた今は、体力が衰えて、やむえずビールなどを呑んでいる。

少し泥だらけの手先なので、浴室で手をよく洗った後、
シャワーで身体全体を清め、髪の毛を洗ったりしている。
そして、お風呂に入った後は、髭を剃ったりしている。

この時節の陽射しは、つるべ落としとなるので、
風呂上りの後は、煎茶を淹れて、こうしてパソコンに向かったりしている。

庭の手入れは、それなりの労苦があるが、
ただちに成果が現れるので、こればかりは止められない。

私は退職後の年金生活の4年生の身であるが、
10年先は果たして、庭の手入れができるかしら、
と思ったりしている。

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東京の郊外は、錦繍につつまれて・・♪ 《初出2007.12.2.》

2008-06-02 14:45:40 | 定年後の思い
東京の郊外は、ここ数日おだやかな陽気に恵まれて、
晩秋の情景が付近で観られ、私は小躍りしながら散策、買物の行き返り享受している。
欅(ケヤキ)などの大木は空に向かように、葉が朱色に染め上げられ、
公孫樹(イチョウ)などは黄色い容姿となり、
小さく剪定されているドウタン・ツツジは紅色となり、
何度観ても飽きない情景である。

花水木(ハナミズキ)などは、早くも朱色を葉を地上に落下させて、裸樹となり、
晩秋の陽射しを主幹、枝に受けたりしていると、
晩秋らしい光景となっている。

私は朱色、黄色の染め上げられた錦繍の世界につつまれていると、
確かに今年も秋が受容できた、と心を深めている。

我が家の小庭は、紫木蓮(シモクレン)、無花果(イチジク)の黄色い葉は、既に地上に落下しているが、
白梅、紅梅、花梨(カリン)は淡い黄色、
モミジの四本は朱色に染め上げられている。
そして秋を彩(いろど)った紫式部(ムラサキシキブ)は、
葉は黄色の姿となり、たわな実は濃い紫色に染めている。

東京の郊外は、日中は15度前後の陽気となり、
明日の午後は雨と予測されているので、
今年も錦繍の世界の晩秋も終りを告げて、日増しに初冬に向かっていく、
と庭の樹木を眺めながら感じている・。

私は日中、晩秋の陽気の中、庭の手入れをし、初冬に相応しいように専念する。


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石川さゆり・・ちゃんのサントリー・ウィスキーの唄声に魅了 《初出2007.12.1.》

2008-06-02 14:43:07 | 音 楽
私は殆どテレビの民間は視聴することはないが、
過日、松本清張の名作のひとつである『点と線』が放映される折、
私は若き青年期に松竹映画で観ていたので、
ビートたけし・主演でも、事件の設定されたあの時代の社会風潮を的確に表現できるかしら、
と思いながら視聴したのであった。

グラマン機の被弾を右肩から身体に受けた主人公の設定、
そして顔をときおり引き攣(つ)る表情は、
演出家と主演の共作と感じ、優れた作品となっている。

何より現代の宇津井 健と池内淳子の2人に演じさせ、
遠い当時への回想にしたのは、最良の演出である。

このお2人は新東宝映画の主演を当時の頃、数多く主演されていたスターであったので、
私なりに考え深げに視聴したのであった。


こんな折、民間放送なので、ときおり広告時間となり、
突然、色艶(いろつや)のある唄声で流れた・・。

♪ウィスキーが お好きでしょう

石川さゆりの唄声であり、作詞、作曲は残念ながら私は無知である。

確かに平成の初めの頃に、
蒸気機関車の走るシーンもあり、サントリーのウィスキーの宣伝として、
この唄声が流れていた。
最初に聴いた時、石川さゆりちゃんかしら、と思いながら、
色艶のある声と妖艶を感じ、魅了させられた・・。

私は演歌の女性歌手として優れた石川さゆりをウィスキーの宣伝に起用した担当の方たちに、
思わず脱帽したのである。
そして何故かしら、ウィスキーを購入してしまったりしていた。


今回の広告の背景は、若き女性のうつろな表情、微笑みなどのシーンがある。

あれから私は齢を重ねたせいか、若き女性の下手な演技シーンより、
ただ、石川さゆりちゃんの色艶ある唄声に魅せられ、

♪ウィスキーが お好きでしょう

と呟(つぶや)きながら、平成の初めの頃に思いを馳(は)せたりした・・。


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『安芸の宮島、萩、津和野』の旅のあとは・・♪ 《初出2007.12.1.》

2008-06-02 14:40:21 | 旅のあれこれ
どなたも同じと思われるが、旅行は日常生活から解放されるので、
旅行前にその地に夢を持ち、期待をしながら思いを馳(は)せ、
旅行中はそれなりに享受し、
旅行の後は、思い出の寸景が甦(よみが)り、心の想いでとなる。

私達夫婦も帰宅後の今、
夕食の時などで、旅行の話題することが多い・・。

『宮島で連泊して・・ゆっくり・・観たかったわ・・』
と家内は云ったりしている。

『そうだょね・・大聖院で1日ゆっくりして・・
翌日は・・紅葉谷公園を散策し・・厳島神社で半日・・理想的であり・・』
と私は答えながら、萩のぐい呑みでぬるめの純米酒を口にしている。

『鹿(シカ)もたくさんいたし・・狸(タヌキ)もいたわね・・』
と家内は云っている。

『だけど・・団体観光ツアーだったので・・
宮島連泊だけで・・お客さん・・集まるんなぁ・・』
と私は旅行会社の企画実施案を心配していたのであった。


今回の団体観光ツアーは、ある旅行会社の特別企画と題して、

『宮島舞楽&紅葉ウォーク&カキ祭り+厳島神社・夜間遊覧船』
往復新幹線のぞみ号! 萩・津和野・宮島3日間

と明示され、宮島と萩で宿泊するプランであり、
厳島神社のライトアップの光景、宮島の舞楽、そして紅葉谷公園、
この情景が写真として掲載されていたのであった。

私達夫婦は、この旅行会社の月刊誌で、
この旅行プランを見つけて、
いつの日にか宮島、と思っていたので、ツアーの参加を申し込んだのである。
従って、錦帯橋、秋吉台、秋芳洞、萩、津和野には、
正直な所興味がなかったのである。


『だけど・・団体観光ツアーは個人旅行より遥かに廉(やす)いし・・
萩、津和野がなかったら・・この旅行の企画は実現されなかった・・と思うよ・・』
と私は家内に苦笑いしながら、云ったりしていた。

そして私達夫婦にとって、宮島以外は余計な企画と思われたが、
錦帯橋での『がんず』、
萩の宿泊先のオーディオ・セット、
菊ケ浜の浜辺に打ち寄せる波、
こうしたことにめぐり逢えなかったことも事実であった。

私は萩で買い求めた蒲鉾(カマボコ)の各種を誉め、食べながら、
家内とたわいない会話が続く・・。



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宮島・萩・津和野紀行《下》【2007.11.26. ~ 11.28.】

2008-06-02 14:14:54 | 
   第五章  旅先の昼食・・岩国の錦帯橋のときは

私達夫婦は、国内観光ホテルに宿泊することが多いので、
朝食と夕食は宿泊先の観光ホテルを頂く・・。

昼食に関して、団体観光ツアーの場合は、事前に予約を受け付けて、
決められた現地の有名な食べ物を頂く場合が多い。

家内は朝食、夕食の際に食べ物の量が多すぎるので、
昼食時はお腹がすかない、と云い間食程度でよく、
私も余り食べない方である。

今回の宮島を後にした後は、岩国の錦帯橋の付近で、
錦帯橋の観光を含めて、12時45分~1時50分の昼食休憩時間となっている。

私達夫婦は事前に自由食と添乗員さんに連絡していたので、
錦帯橋を渡り、川沿いの歩道を歩いたりした。
私達と同様に観光客が多く、やむえず、一軒の食べ物屋さんに入った。

食事・甘味処『小次郎茶屋』と明示された店であったが、
ビールが呑めることを入店前に確認していた。

家内は甘味の品、私はメニューを見ながら、『がんす』という単品を注文した。

瀬戸内の小魚をすり身にし、フライにした岩国の名物です、
と記載されていた折、
ビールを呑みながら頂いたが、想像以上に美味であった。

私には薩摩揚げ(サツマアゲ)の高級品のようにも感じられ、
この『がんず』の横にレンコンなどの漬物があり、
このさりげない『がんず』と『漬物』が調和されて折、
私なりに魅了されたので、追加をした。

結果として、私の昼食は『がんず』2食、ビールの中瓶が2本であり、
家内は甘味を1品となったりした。

尚、旅行会社の選定した昼食は、
岩国寿司とうどん、と明示された折、
私の苦手の押し寿司かしら、と微苦笑したりしていた。

私達夫婦は、旅先の昼食に関しては、
このように食事処で自在に選定したりしている。



   第六章  苦手な秋吉台、秋芳洞

岩国の錦帯橋の後は、秋吉台、そして秋芳洞を観たが、
私は昭和の末期の頃に訪れていた為か、
何の魅力も感じることが出来ず、
秋吉台で夏ミカンのソフトクリームを食べたりしていた。

秋芳洞は早めに歩き、洞窟を出たお土産屋さんで、
石のかけらを購入したりした。
たった200円の石のかけらであった、文鎮(ぶんちん)か本立てにしょうか、
と思ったのである。

家内は少し高額な紫水晶の石を購入した後、
私は今宵の友し、地酒の四合瓶を選定した。

退屈なひとときであったが、晩秋の暗くなった中、バスは萩を目指した。



   第七章  されど、『萩』の城下町

私達夫婦は、昭和の末期に初めて萩に訪れたが、
この頃の私は焼き物に魅せられていた時でもあった。

家内が茶事をしていた関係で、ときおり茶室などで萩の茶碗で抹茶を頂き、
日常は、ぐい呑み、茶飲み茶碗を愛用していた。

この当時、焼窯元の薄汚れた奥まった売り場で、
私はひとつのぐい呑みに目が止まった・・。
私は一介の中年のサラリーマンの身で、住宅ローンも重責てあったので、
少し高価であり、心の中はたじろいでいた・・。

このような私の心情を家内は見抜いて、
お買い求めになれば、と云う援言で購入した。
この萩のぐい呑みは、釉薬(うさぐすり)の白さの状況の形が良く、
本体がわずかに傾むいていたので、魅了させられたのである。

私は帰宅後、週に一度ぐらい愛用し、月半ばの頃、
雪の朝、と秘かに命名した・・。
この後も、月に数度は晩酌の友し、この20年間愛用し続けている・・。

今回の宿泊先は菊ケ浜に面した『千春楽』であり、
2階の部屋から、樹齢数百年と思われる松が5本越しに、
日本海の波が浜辺に静かに押し寄せていた・・。

陶芸の宿と称している宿であるが、
メイン・ロビーの一角に高価なオーディオがセットされていた。
メイン・アンプ、パワー・アンプ、CDプレイヤー、そしてスピーカ、
どの機器ひとつ取っても数百万の機器と思われ、
この10年間で販売された優れた銘機である。
2階の一角にある壁際には、30数年前の銘機がさりげなく置いて折、
ホテルのオーナーは何歳ぐらいのお方かしら、
と私なりに興味を覚えたりした。

翌朝、焼窯元のお土産屋、蒲鉾(かまぼこ)直売店、城下町の散策、松陰神社などを周遊したが、
蒲鉾に関しては、フグ、イカ等を含め、程々に購入した。
田中かまぼこ製造所、と記憶しているが、良質で美味である。

城下町の屋敷を散策した折、土塀に沿って歩いていたが、
角地から高杉晋作などの幕末の勇姿が見え隠れしても、
おかしくない幻覚を覚えたりした。
土塀越しの夏みかん・・静寂なひととき・・
あたかも時が止まったように思える街である。

このような心のふるさとのような町、されど萩である。

尚、宿泊した観光ホテルのオーディオの持ち主は、
オーナーの二世で40後半の人である。
私は羨望をかすめたが、吾唯足知、と云いきかせて、
萩の町を後にした。



   第八章  ゆきゆきて、つわぶきの里・・津和野

山陰地方の小京都と知られている津和野であるが、
帰宅後の今、津和野に関しては、
正直な所、困惑しているのである・・。


初めて津和野に訪れたのは、萩と同様に昭和末期であったが、
この時も団体観光ツアーで夏季休暇を利用し、
暑さで疲れ気味だった。
自由時間の時は、酒造所の直売店で地酒を買い求めたりした。

その後は敬愛する森 鷗外に関して、
武家屋敷の塀際の小川に鯉が泳いでいたのを見ながら、
この山里の街でどのように幼児体験をし、
都会に出られのか、と思索していたのであった。


今回も団体観光ツアーであり、昼の12時近くに津和野に入り、
昼食兼休憩時間で『津和野寿司弁当』を家内と分け合い、
ビールを呑みながら頂いたが、
正直な所、貧しさを感じ、食べ物としてもつたない味であった。

この後は、小高い山里にある日本五大稲荷神社のひとつと知られている『太鼓谷稲荷神社』を参拝した。
私は稲荷神社には興味がないが、
津和野の街並みが一望できるので、
この地から輩出された人々を思考には、最適な展望かしら、
と微苦笑したりした。

その後、街並みに戻り、散策時間を一時間ばかりした程度である。

私達は殿町に近い静寂な喫茶店でコーヒーを飲んだ後、
役場の前の庭を観て、役場の景観を誉めたりした。

この標題は、役場にあった津和野の観光パンフレットから、
拝借したのである。

このパンフレットの表紙の副題として、

このまちには不思議な時間が、流れているのでした。

と明記されて折、私は適言と思えた。

まとまりのない小時間の滞在であったので、
いつの日にか、『永明寺』を半日ばかり、そして城跡の公園を散策すれば、
何かしら津和野が視(み)えてくる、と思ったりした。

今の私は津和野に関しては、霧の中に佇んでいるようであり、
まぼろしの町である。

尚、森 鷗外に関しては、私は二十歳以来から敬愛し続けているので、
墓石に本名、森 林太郎墓、と明示した当人の遺言の理由は理解しているつもりである。



   最終章  旅の終りは、『おつまみチャーシュ』

『安芸の宮島、萩、津和野』の団体観光ツアー2泊3日の旅の最後は、
新幹線の広島駅で東京駅行きの午後5時40発の『のぞみ74号』を待機していた・・。

45分程の時間があり、駅構内の飲食街でビールを呑める一軒の店に、
私達夫婦は入った。

明るく清潔な居酒屋風の店であり、
メニューを見ていたら、『おつまみチャーシュ』が美味しそうであったので、
中ジョッキーのビールを呑みながら頂いた。

チャーシュの5切れに、焼き鳥の甘いたれに細ネギがかかって簡素な一品であるが、
私は美味と感じたのである。

私は家内に、美味しいよ、と云いながら、ビールと共に追加注文をした。

こうした店であったならば、手軽にビジネスマンの人々も、
出張、打ち合わせ、懇親でも手軽に利用できる店、
と家内の話し合ったりしてした。

私が魅了された一品は500円程であるが、
今回の旅で一番美味しかった部類に入る、と家内に云ったら、
家内は笑い出したりした・・。

この店を出た後、振り返ったら確か『和楽(やわらく)』と読めた。



                              《終り》
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宮島・萩・津和野紀行《上》【2007.11.26. ~ 11.28.】

2008-06-02 14:12:20 | 
   第一章  広島・・歴史の事実の前には・・。

『安芸の宮島、萩、津和野』の団体観光ツアーに旅立ったのは、
26日の月曜日であった。

東京駅に9時50分に集合であったので、私達夫婦としては国内旅行で遅い時間であり、
楽な方である・・。

東京駅の駅弁も魅力を感じないので、
おむすび三つ、新潟の地酒のワンカップを購入した。
これが私の新幹線内での昼食であったが、
私はワンカップ一本で押えて、この後はビール一本とした。

到着駅の広島で午後2時19分着であるが、
平和記念公園内の『平和記念資料館』を観るためであった。

私は高校時代で広島、長崎、そして沖縄の敗戦前後を学んで以来、
この地には気軽に観光する心情ができず、
50歳の手前で沖縄、今年の春に長崎、そして今回は広島は初めてとなっている。


『平和祈念資料館』で私は恥ずかしながら、
齢ばかり重ねて知らない事が多過ぎることを告白する。
たとえば、
【なぜ広島に投下したか?】のコーナーに於いて、

アメリカは、投下目標を原爆の効果を正確に測定出来るよう、
直径3マイル(約4.8キロ・メートル)以上の市街地を持つ都市の中から、
投下目標を選び、その都市への空襲を禁止した。
その結果、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかへ投下命令を下した。

ここまでは私なりのつたない知識で知っていたが、

広島を第一目標としたのは、
目標都市の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所がないと思っていた、
と明示されていた・・。


この後、資料館を出た後は、記念公園の樹木を眺めていた。
公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が、風もないのに空を舞い、ハラハラと地上に落下していた。

私は敗戦前の一年前に東京の郊外で生を受けた身であるが、
歴史の事実の前には、ときおり身震いさせられることがある。

先程、拝見した資料館の展示の前、私なりに心の動揺で、
かすかに身震いをしたのであった。



   第二章  夜の灯の厳島神社

私達夫婦は、安芸の宮島にいつの日にかと期待し、今回の団体観光ツアーの旅行に申し込み、
初めて訪れた宮島である。

夕食後、遊覧船に乗り、海上から大鳥居、厳島神社がライトアップさせられたのを観るのも、
参加のひとつの理由でもあった。

風もない穏やかな海上で、遊覧船は大鳥居に近づき、
そして大鳥居の中を遊覧船は通り抜けた・・。
前方に厳島神社が観え、後方には五重塔が聳(そび)えている。

幻のような景観であったが、確かに目の前の光景となっていたのである。

下船後、表参道の商店街のある宿泊先の『ひがしや旅館』まで、
遊覧船から眺めた余情、余韻を秘めながら、夜の薄暗い街中を散策した。



   第三章  『大聖院』摩尼殿は、美の結晶なり

宮島弥山の大本山と称されている大聖院に私達夫婦は、
朝の8時過ぎに散策した・・。

仁王門から御成門までの石段の階段の中央には、
大般若の経筒があり、触れながら昇ると、無量の福が得られることで知られている。
家内は触りながら、ゆっくりと昇ったりしてきた。

私は昇りきった御成門から境内にたたずむと、
目前の切り立った丘の中腹に弐層の建物に目を奪われた・・。

松の緑の中、朱色、黄色の彩(いろど)りした落葉樹の錦繍の世界に囲まれ、
忽然と佇んだ摩尼殿に心を寄せられた・・。

こうした光景を目の前に展開されると、まぎれない美の世界が素直に理解でき、
私なりの至福な時を過ごせた・・。

境内に並ぶ地蔵堂、釈迦涅槃堂、奥まった高台に大師堂があったが、
この摩尼殿を眺めていれば、充分である。

団体観光ツアーの制約時間の中、
フリータイムを使って、家内と寄ったが、出来れば1日この大聖院で過ごせれば、
これ以上の望みがない、と断言できるくらい魅了された処である。

この後、紅葉谷公園の遊歩道を散策したが、
数多くのモミジの朱色、黄色に染められたイロハモミジ、ヤマモミジ、オオモミジ等を眺め、
既に落ち葉となった道を踏みしめ、ときおり木漏れ日を受けたりすると、
心まで染まるようである。

こうして旅先から戻り、綴っていると、
萩、津和野も周遊したが、のちの想い、としては、
摩尼殿、紅葉谷の遊歩道は生涯の心の友となる、
と確信を深めている。



   第四章  『宮島舞楽』の鑑賞後には

今回の団体観光ツアーの特別企画として、
厳島神社で伝統芸能のひとつである『宮島舞楽』が観られることである。

本社祓殿前にある黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらして、
前後に階段を付けた舞台で、
大鳥居を背に、本殿に向かい舞い、
平 清盛が大阪・四天王寺から移行したと私なりに調べていた・・。

私はこのような高舞台で演じられるので、
舞楽に無知な私は、品格と風雅がある舞と思っていたが、
残念ながら感じ取る素養がなかったのである・・。


私はやむえず、本殿、平舞台、大鳥居などの神社の景観をデジカメで10数枚撮り、
平 清盛の野心を思ったりしていた。

時の頂点に昇りつめる前、安芸守となった清盛は、
この地域の宮島は弥山を抱き神の宿る島として古来より人々から崇拝されて折、
慎(つつ)ましかった神社を抜本的に増改築し、
権力の象徴として、華麗で威容できるよう広大に造りあげた。

中国の王朝との貿易で富を増大させ、
都の朝廷まで確固たる権力基盤知らしめた上、
巧みに法華経まで利用し、人心を把握した・・。

私はこのように拙(つたな)いなりに、想像をめぐらしたのである・・。


この後、桟橋の付近で、旅行会社の主催の『牡蠣(カキ)祭り会場』で、
私は焼き牡蠣2つ、そして牡蠣汁を頂いた・・。

正確に表現すれば、私はバックから地酒のワンカップを取り出して、
地酒を呑みながら賞味したのである。

こうした折、ワンカップは便利である。
既に購入済みの四合瓶を取り出し、紙コップで呑むのも悪目立ちであるので、
私の長年の呑兵衛の成功体験が生きているのである。

そして家内から牡蠣をひとつ頂き、地酒を呑めば、
私なりに宮島を離れるのに、心の踏ん切りがついたのである。



                               《つづく》
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『いい日旅立ち』が街に流れて・・♪   《初出2007.11.26.》

2008-06-02 14:08:30 | 音 楽
確か昭和53年の晩秋であったと思われるが、
JRの前身の国鉄時代の新宿駅で『いい日旅立つ』の歌が流れていた・・。

私はこの頃は毎月5日程、新宿駅から神田駅に行き、
日本橋ある情報処理会社に行っていたのである。

朝のラッシュ時に新宿駅で東京行きの電車を待っている時に、
山口百恵ちゃんの歌声、或いはメロディーでよく流れていた・・。


♪雪解け真近の 北の空に向い
 過ぎ去り日々の 夢を叫ぶとき

【 『いい日旅立ち』 作詞・谷村新司 】


私は前方に見える中央線の松本行きの『L特急』の列車が、
始発前の待機の状況で勇姿を見せて折、
多忙な私にとっては、平日に旅行に行けるのは夢のような出来事であった。

私は家を建てた年であったので、公私共々多忙な時で、
住宅ローンなどで一番大変な時代であった。

いつの日にか、『L特急』で旅行に、
こんな想いで、私の30代の一時期は過ぎていた・・。

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ときには、ピンクの首周り・・♪   《初出2007.11.25.》

2008-06-02 14:06:24 | 定年後の思い
明日から旅行に出かけるので、日常より早めに入浴した。

風呂上りは、何時ものことながら心身すっきりして、
特に冬季には身体が温まり心地よい。

洗面所で洗い髪、髭剃り後を確認した後、冬用のパジャマを着た・・。

上半身の下着は晩秋から長袖シャツを着ているが、
首周りが寒さ防止と風邪防止の為に、
ここ10年は薄手のタオルを巻いている。

日常は白色、黄色、水色などをしているが、
何かしらピンク色が暖かそうなので、首に巻いたりした。

洗面所の鏡で見たが、少しイメージ・チェンジした自分が映って折、
私は微笑んだりした。

居間に行くと、家内が私の首周りのピンク色を見て、
『貴方・・お似合いですわ・・』
と笑っている。

私は齢を重ねた63歳の身であるが、
ご高齢者の男性には、冬季の寒い折、
ピンク色が心持ちが良いのではないかしら、
と勝手に思ったりしている。

そして、冬用の厚いガウンを羽織った。

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我が家の果樹の収穫を終えて・・♪  《初出2007.11.25.》

2008-06-02 14:04:29 | 小庭の情景を眺めながら
我が家の庭はの果樹については、
11月15日で『我が家の果樹・・♪』で投稿しているので、省略はするが、
花梨(カリン)の黄色い大きな実は、先程捥(もぎ)終わった。

家内がここ二週間、花梨酒をすこしづつ作っているが、
今年の収穫は百個前後となっている。

『あすこの枝にも・・残っているわ・・』
と家内から云われ、
私は高枝バサミで実を採ったりしたのであった。

結果として、70前後の実となったが、
家内は最初は嬉しげであったが、
これだけの実を目の前にすると、
『どうしょうかしら・・』
と云ったりしている。

過日、11月21日に『アンパン、ひとつで体力テスト・・♪』で、
小振りな伊予地方産の柚子(ユズ)のことに綴っていたが、
この時までは、私の晩酌の友として相当に頂いていた・・。

この最後の収穫の時も百を遥かに越えて採れて、
私は毎晩三つばかり頂いているが、正月用、柚子湯にしても有り余りほどである。

私は家内に先程、
『俺の顔・・艶(つや)が良くなった・・みたい・・』
と戯(たわむ)れたりしている。

伊予柚子、花梨にしても、今年は大豊作、昨年はわずかばかり、
とこの10数年は繰り返しているが、何とか平均して成果が出来ないのかしら、
と叶(かな)わぬ秘かな願いとなっている。



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朝のひとときは・・♪  《初出2007.11.25.》

2008-06-02 14:02:34 | 定年後の思い
私は定年退職後の年金生活の4年生の身であり、
朝の定例事項としては、NHKのニュース、天気予報を視聴しながら、
読売新聞を見たりしている。

そして興味のあることについては、真摯に見たり、読んだりしている。

煎茶を飲みながら、ほぼ1時間前後である。

政治、外交、軍事、経済、社会などで、
私の心の許容量を越えると、
『馬鹿な・・ことを・・』
と呟(つぶや)いたりしている。

天気予報に関しては、一日の移ろいの主軸となすので、
注視しながら、庭の樹木、草花を見たりしている。

そして、朝に陽射しがあれば、そっと陽に向かい手を合わせたりしている。


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安芸の宮島、津和野を訪れる前に・・♪   《初出2007.11.24.》

2008-06-02 14:00:26 | 旅のあれこれ
26日の月曜日から2泊3日で、
ある旅行会社の特別企画した『安芸の宮島、萩、津和野』の団体観光ツアーに、
私達夫婦は参加する。

このサイトで、9月24日で『いつの日にか、宮島の厳島神社に・・♪』で投稿したので、
動機については省略するが、宮島で舞楽を鑑賞し、
紅葉谷公園で朱色、黄色の錦繍の世界も観られるので、
私なりに楽しみとしている。

この団体観光ツアーは、東京から広島に新幹線を利用し、
平和記念公園に寄り、宮島の厳島神社のライトアップを遊覧船に乗り鑑賞した後、
夕食は牡蠣(カキ)料理を頂き、宿泊。

翌朝は厳島神社で宮島舞楽を鑑賞し、紅葉谷公園を散策した後、
錦帯橋、秋芳洞、萩に行き、夕食は河豚(フグ)料理を頂き、宿泊する。

最終日は萩の街並みを散策した後は、津和野に行って散策した後、
広島駅に、という周遊プランである。


私達夫婦は昭和の終り頃、
夏季休暇を利用して、山陰を3泊4日の体験があるので、
秋芳洞、萩、津和野は訪れて折、二度目かしらと思ったりしている。

私は今回の旅行に行く前に、安芸の宮島、そして津和野に生を受けた森 鷗外に、
改めて日中調べたりしていたのである。

安芸の宮島はある程度想像できるイメージは出来たと思われるが、
森 鷗外に関しては、つたない知識なので労苦となっている。

私なりに夏目漱石より森 鷗外の方が、文学的には圧倒的に好きであり、
私人として森 林太郎と名で埋葬して欲しい理由は判っているつもりであったが、
改めてこの方の足跡、軌跡を読んだりした・・。

たとえ偉人であっても、或いは無名の方でも、
人それぞれ光と影をおびて、一生の軌跡を辿(たど)るので、
私は戸惑い、ため息をしながら、明治、大正時代に、
歴史の点を残された方に思いを馳(は)せ、日中の大半を過ごしたりしている。



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時として、天上の気候の神々は、きまぐれとなり 《初出2007.11.24.》

2008-06-02 13:58:14 | 旅のあれこれ
東京の郊外は、朝の6時に5度前後で、
ここ数日の日中は12月の中旬の寒さであった。

北海道、東北の一部に於いては、11月としては記録的な大雪となり、
小雪の時節なのに、どうして、とテレビの天気予報を視聴したりしていた。

今朝、東京は日中は平年並みの16度の小春日和となって、
と報じられていた。

私はここ数日の寒さに馴れてしまったのか、
平年は16度前後の晩秋の陽射しであったのか、
と改めて思い出しながらも戸惑っている・・。


昨年の12月の中旬、長野県の白馬村に3泊4日でリゾート・ホテルに滞在した折、
到着した当日は雪の情景でなく、
旅人のひとりとして、がっかりしたりしていた。

翌日は早朝から雪の舞い降る日となり、家内と小躍りしながら、
田畑の畦道、スキー場の周囲のロッジが建ち並ぶ街並み、
郊外の村道を散策したりした。

翌朝、雪が止(や)んでいたが、周囲、山なみは早朝の陽射しの中の雪の光景となり、
雪景色の朝を私達は享受した。

その後、ホテルのフロントの女性と話した時、
『お客さま・・この雪・・20センチぐらいですね・・
昨年の今頃・・1メートル30前後で、
周辺の田畑は・・雪ですっぽり・・でした』
と私に微笑みながら云った。

『そんなに大雪でしたら・・ホテルの周囲の除雪・・
大変でしたでしょう・・』
と私は云った。

『お客様は・・喜んで下さいましたが・・
正直なところ・・私達スタッフは・・何かと大変でした・・』
とフロントの女性は云い、
お互いに微笑んだりした。


私は天上の気候の神々は、時として気まぐれなことをなさる、
と思ったりしているが、天上の神のなさることであるので、
ただ私はひたすら伏せ、神々のご意向に従うほかはないのである。

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『勤労感謝の日』の想いで・・♪  《初出2007.11.23.》

2008-06-02 13:55:15 | 現役サラリーマン時代の想いで
私は民間会社を定年退職した4年生の身であるが、
年金生活をして折、ともすれば曜日の感覚が薄らいでいる・・。

カレンダーを眺めて、『勤労感謝の日』の祭日であったか、
と当日の朝に気付いたりしている。


私の30代は、会社の販売締切日がたまたま20日であり、
コンピュータの専任者であったので、
『勤労感謝の日』は電算処理の月次作業で追われていた。
経理の決算の担当者と休日出勤務し、
『働けるうちに・・こうしていられるのも・・幸せかも知れない・・』
と私は云いながら、疲れ切っていたが、元気良く社内で働いていた。

40代になると、システムの開発と運営を交差し、
たえず身体も張り、ときには週一回休めれば良い方で、
土日、祭日の休日もなくなって時期が多かった。

50代は他部門に異動したり、後半時期は出向となったりしたが、
相変わらず心身ギリギリまで業務に専念したりし、
サラリーマンを卒業したのである。


昨今、過重労働などと新聞、テレビで視聴すると、
私達の時代も同じであった、と思ったりしている。

ただ、私達の勤めていた40代までは、
日本の経済は躍進していたので、私は幸運な時代に恵まれていた、
と微苦笑しているのは事実でもある。


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お気に入りのウォーキング・シューズは・・♪  《初出2007.11.23.》

2008-06-02 13:48:55 | 定年後の思い
私は定年退職後の年金生活の4年生の身であり、
日常は散策したり、ときおり家内と国内旅行を行ったりしている。

私は現役時代から家内と共通の趣味は国内旅行などで、
日常のヒジネス・シューズから離れて、
色々としたウォーキング・シューズを履いてきた・・。

旅先で街並みを観たり、里山を散策するときには、
ウォーキング・シューズが欠かせないのである。

ここ数年は、アメリカの大衆向けのニューバランスの一連商品を愛用しているが、
国内のアシックスのフィールド・ウォーキング・シューズもフィットしている。

このフィールド・シューズは、踵(カカト)のクッション、加重時の際に安定感などで、
私なりに気に入っている。
その上、ゴアテックス対応なので、私は蒸れの防止、そして小雨程度は防水されるので、
全天候かしら、と微笑んで愛用している。

尚、雪国を訪れる時は、軽登山靴でマイナス20度までの対応した靴で、
雪道を歩いたりしている。
この靴も何故かしらゴアテックスの対応して折、たまたまイタリア製である。


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