夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

遅ればせながら、『YouTube』・・♪

2008-06-03 18:40:47 | 音 楽
私は齢を重ねた63歳の身であるが、音楽を聴いたりするのも好きである。

現役時代は、たまたまレコード会社に勤めていたせいか、
若いアーティストの音楽も、ときおり聴いたりしている。

しかし退職後の年金生活の4年生の身となれば、
アーティストと曲、そして世間の流行っている音楽が解からないのである。

こうした折は、流行の曲は、『オリコン』サイトで、
シングル、アルバム別のベストテンで知ることが出来るが、
困ったことに肝心のアーティストと曲の内容が解からないのである。

こうした時、私は無料の動画《音楽サイト》を検索して、
こういうアーティストだったの・・、意外と良い曲ね、
と感じたりしている。

昨年の秋の頃、私はこれらについて、
下記のように綴り、このサイトに投稿している。



・・この後、何気なしに最近の音楽を視聴し、
【YAHOO! JAPAN】の動画サイトで、
コブクロ、GLAY、徳永英明、セリーヌ・ディオン等の歌の数々を10数曲を視聴した・・。

無料でプロモーション・ビデオのような曲を視聴できるので、
びっくりするほど享受できるのである。

10数年前の頃であったならば、
音楽CD、DVD、ビデオ・テープの販売店で、
プロモーション・ビデオが店の一角で映し出されていたが、
現世は簡易にネットで自分の好みの曲を選定し、ある程度視聴できるので、
時代の流れにため息をしたりし、視聴していた。



私はこれ以前に、ラジオでたまたま聴いた綾香ちゃんの『三日月』が、
発売日まもなくして聴き、瞬時に魅了させられ、
【YAHOO! JAPAN】の動画の音楽サイトで百回以上視聴した体験があった。

そして、コブクロの名曲の数々も教示したりしていた。


私は音楽の無料公開のレパートリーを増やしたく、
本日『YouTube』の無料入会登録をした。

ここ昨今、世界中の話題と数多くの方たちが利用している『YouTube』、
遅ればせながら、どのような範囲までの音楽が視聴できるのか、
そして最近の風潮として著作権の許容はどこまでクリアーできているのか、
少しボケた年金小父さんは関心があったりしている。

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遅ればせながら、『YouTube』・・♪

2008-06-03 17:37:00 | 定年後の思い
私は齢を重ねた63歳の身であるが、音楽を聴いたりするのも好きである。

現役時代は、たまたまレコード会社に勤めていたせいか、
若いアーティストの音楽も、ときおり聴いたりしている。

しかし退職後の年金生活の4年生の身となれば、
アーティストと曲、そして世間の流行っている音楽が解からないのである。

こうした折は、流行の曲は、『オリコン』サイトで、
シングル、アルバム別のベストテンで知ることが出来るが、
困ったことに肝心のアーティストと曲の内容が解からないのである。

こうした時、私は無料の動画《音楽サイト》を検索して、
こういうアーティストだったの・・、意外と良い曲ね、
と感じたりしている。

昨年の秋の頃、私はこれらについて、
下記のように綴り、このサイトに投稿している。



・・この後、何気なしに最近の音楽を視聴し、
【YAHOO! JAPAN】の動画サイトで、
コブクロ、GLAY、徳永英明、セリーヌ・ディオン等の歌の数々を10数曲を視聴した・・。

無料でプロモーション・ビデオのような曲を視聴できるので、
びっくりするほど享受できるのである。

10数年前の頃であったならば、
音楽CD、DVD、ビデオ・テープの販売店で、
プロモーション・ビデオが店の一角で映し出されていたが、
現世は簡易にネットで自分の好みの曲を選定し、ある程度視聴できるので、
時代の流れにため息をしたりし、視聴していた。



私はこれ以前に、ラジオでたまたま聴いた綾香ちゃんの『三日月』が、
発売日まもなくして聴き、瞬時に魅了させられ、
【YAHOO! JAPAN】の動画の音楽サイトで百回以上視聴した体験があった。

そして、コブクロの名曲の数々も教示したりしていた。


私は音楽の無料公開のレパートリーを増やしたく、
本日『YouTube』の無料入会登録をした。

ここ昨今、世界中の話題と数多くの方たちが利用している『YouTube』、
遅ればせながら、どのような範囲までの音楽が視聴できるのか、
そして最近の風潮として著作権の許容はどこまでクリアーできているのか、
少しボケた年金小父さんは関心があったりしている。

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こればかりは、天上の神々の采配により・・♪ 《初出2008.1.4.》

2008-06-03 13:05:14 | 定年後の思い
私達夫婦の自宅で、家内の母と共に3人で年末年始を過ごした。

家内の父が死去したのは4年前であったが、
独り住まいとなった家内の母に、共に新年を、
と私達夫婦は提案し、今回で四年の好例となっている。

年の瀬の28日の夕方より来宅し、
本日の朝に帰られ、7泊8日となったが、
毎年このような日程である。

私と家内の母は、料理、掃除、洗濯もすることがないので、
家内が孤軍奮闘するばかり、
私は相変わらず茶坊主と料理のお運び役に徹し、楽な身分であった。

居間に設置した大き目の炬燵に入り、
食事をしたり、話したりすることが多かったが、
ある日、家内の母が、
『あたし・・やっぱり・・百まで生きたいわ・・』
と云った。

私は63歳の年金の身であり、家内の母は私より14歳年上の高齢者である。
家内は私とは5歳年下であるが、
これには私は返事が困り、笑ってごまかしたのである。


今朝、家内の母をバス停で見送った後、
私は庭先に下り立ち、煙草を喫いながら、
まだ霜に被(おお)われた地面を眺めたりした・・。

家内の母が百歳になる事は、
私は86歳、家内も81歳の高齢者となる。

私などは定年退職の60歳を迎えた折、
これからの10年間は何とか五体満足で、その後は余生である、
と日頃から公言している。

煙草も喫い、お酒も日常の友としている上、
身勝手な日常を過ごしているので、75歳以上は想像がつかないのである。

家内から云わせれば、
『貴方は・・皮肉ぽく・・憎まれ口を云っていますので・・
長生きできますよ・・
私の方が・・平均寿命まで無理と思うの・・』
と私に年に数回ぐらい云っているのである。


このようなことを私達夫婦は言葉を交わしているので、
家内の母が百歳まで生きられたら、
私達のどちらかは片割れになるか、或いは夫婦ふたりとも死後の世界、
と思っているのである。

人それぞれ永(なが)らえるのは、
こればかりは、天上の神々の采配による、
と思ったりした。

そして私達3人は、ここ数年先の頃まで、
何とか今のような年末年始が過ごせるかしら、
と思いながら、居間に戻った。





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『夢あふれる、美しい一年に・・』・・♪   《初出2008.1.4.》

2008-06-03 13:02:50 | 定年後の思い
東京の郊外は、快晴に恵まれて、清々しい朝を迎えている。

家内の母はお気に入りの神社で参拝し帰宅するのが恒例となっているので、
先程、バス停で見送った。

バスの通る道路も自動車の流れは平日の半分ほどであるが、
仕事始めの方たちもいる、と思ったりしている。

帰宅後、テレビのニュースを観ていたら、
東京の神田明神で数多くのビジネスマンが初詣に参拝されている、
情景が写しだされていた・・。

私はこうした現役の方たちを見ていると、
『夢あふれる、美しい一年になりますように。』
と念願したりしている。

私はサラリーマンを35年過ごした後、年金生活の4年生の身である。

街中で忙しそうに男女の方たちが働いている方たちを見かけたり、
そして、こうしたビジネスマンを見たりすると、
まぎれもなく多くの働いている人々に支(ささ)えられて日常生活を過ごせるので、
身勝手ながら声援してしまうのである。

尚、標題の名文は、新宿のタカシマヤのデパートの新春号のチラシで、

【 夢あふれる、美しい一年になりますように。 】

と明題されていたので、私は元旦の朝に素直に魅了され、
無断であるが拝借した次第である。



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ときには、改めて『東京の昭和』を学び・・♪  《初出2008.1.3.》

2008-06-03 13:00:38 | 読書、小説・随筆
私は齢を重ねた63歳の身であり、
昨年の年の瀬の28日の夕方より、家内の母と私達は共に過ごしている。

炬燵などで、純米酒、ビール、そして煎茶を呑みながら料理などを食べ、
たわいない話をしている。

そして新年のこの三が日も御節料理を食べながら、話したりしているが、
時折、私は2階の寝室に行き、
読書をしたりしている。

昨夜からは、監修・正井泰夫の『東京の昭和』(青春出版社)と題された本を読んでいる。

そして、「地図で暮らしを読む」と副題され、
   「昭和」という激動の時代を
      「東京」はどう刻みつけてきたのか!

と明記されて折、私が過日、偶然に本屋で見つけた本の一冊であった。

少し惚けた私でも、昭和19年に生を受けた身として、
あのころは・・と想いだしながら、脳裏を活動させ、思いを甦(よみが)え、
思索しなければ、
益々老化になるのである。

知らなかった事も多く、改めて私は謙虚に昭和史の側面を学んでいる。


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おだやかな新年の日々に恵まれ・・♪  《初出2008.1.3.》

2008-06-03 12:59:01 | 定年後の思い
東京の郊外は、朝の6時はマイナス2度前後、
日中は9度前後の陽気に恵まれて、
澄み切った快晴の日々となっている。

早朝は屋根、庭は真っ白いベェールのような霜であるが、
陽射しが射しこめば、たちまち消えうせるので、
一幅の絵のような情景となっている。

私は遊歩道、住宅街を散策したり、
平素とは余り変わらない時を過ごしているが、
大通りは自動車も少なく、街全体が閑散としている。

こうしたのどかな冬の陽射しに中で、歩いたり、
冬の花などを眺め、立ち止まったして享受している。

近くには神社、寺院もあるが、初詣などには興味のない私は、
平素と同じように朝の我家に射しこむ陽射しに向かって、
両手を合わせて、感謝をしている。

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愛(いと)しき人は、初夢でお逢いし・・♪ 《初出2008.1.2.》

2008-06-03 12:53:55 | 読書、小説・随筆
私は齢を重ねた63歳の身であるが、
日頃から、心に残った時は夢の中でも見ることのできるひとりである。
ときには、思いが強ければ強いほど、
映画の3本立てなどのように夢の続きを見る時もある。

大晦日のひととき、高峰秀子・著の『おいしい人間』(文春文庫)を読み始め、
昨夜の9時過ぎに布団にもぐり、続きを読んだりしたが、
途中で眠ってしまった。

深夜の12時半過ぎに目覚めて、
本を開いて、2時半過ぎに読了したのである。

この間に寝付いている時、著作者の高峰秀子が遠い縁の叔母のように、
夢の中で出て、私なりに少し困惑し、
そして嬉しげに私は逢い、言葉を交わしたりした・・。


私が二十歳の時は、東京オリンピックの開催時であったが、
映画青年の真似事をしていた時期で、
オリンピックには眼中なく、京橋の近代美術館に通っていた。

戦前の邦画名作特集が放映されていたので、
数多くの昭和の20年までの名作を観ることが出来たのである。

この中の作品の中で、山本嘉次郎・監督の『綴方教室』(1938年)、
そして『馬』(1941年)も観て、天才子役、少女と知られた高峰秀子の存在を実感させられた。

私はこの当時の1964年に於いては、
少なくとも木下恵介・監督の『二十四の瞳』(1954年)、
成瀬巳喜男・監督の『浮雲』(1955年)、
木下恵介・監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、
松山善三・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年)等は当然のように鑑賞していた。

そして封切館で松山善三・監督の『われ一粒の麦なれど』(1964年)で観たばかりの年でもあった。

私は女優の高峰秀子の存在は、天上の女神のような存在であり、
『二十四の瞳』と『浮雲』がほぼ同時代に演じたこのお方には、
ただ群を抜いた女優であった。

子役、少女、そして大人としての女優としての存在は、
私のつたない鑑賞歴に於いて、このお方以外は知らない。

その上、脚本家、ときには監督もされた松山善三には、
まぶしいようなあこがれの存在の人であり、
秘かに敬意をしていたのである。

              
高峰秀子が第一線の映画界を引退された頃は、
私は中小企業のサラリーマンに身を投じて、
家庭を持ち、気負いながら世間の空気を吸ったりしていた。

いつの日が忘れてしまったが、本屋の店頭で、
このお方の本にめぐり逢い、数冊の随筆集を購入した・・。

多分、『わたしの渡世日記』、『台所のオーケスラ』、
『にんげんのおへそ』と思われる単行本であったが、
殆ど本の読まない今は亡き家内の父は、
高峰秀子のファンのひとりとして知り、
松竹の蒲田時代のエピソードを教えて頂いたので、
この単行本を差し上げたのである。

このような形でこのお方の随筆集が発刊されるたびに購入し、
そして現代に至っている。


深夜のひとときは、おかしな夢であった。
なぜか私の近くにある程度の高級マンション20数棟があり、
プライベートの庭園が拡がっている・・。

この中の一角の300坪前後にテーブルが10数卓あり、
コックの3人を陣頭指揮をされているのが、
50歳前後の容姿をされている高峰秀子・女史であった。

どうして女史がこの庭園にと思いながら、私は近づいたのである・・。

『あぁ・・あなた・・今、招待した人達のお料理の真っ最中なの・・
うちの旦那・・あちらにいるから・・
手持ちぶたさなので、話相手になってょ・・』
と女史は私に云った。

私は庭の外れの大きな樹木の下で、
退屈そうに椅子に座っている松山善三の姿が判ったが、
私と同年輩の容姿に私は驚いた・・。

テーブルに古伊万里の徳利があり、
備前のぐい呑みのちぐはぐな取り合わせで呑まれていたが、
『あぁ・・よかったょ・・
xxちゃん、こんどのシナリオ・・構成が弱くて・・
聞いてくれる?・・』
と私に話し込むであった。

私は戸惑いながら、椅子に座った・・。


このような夢であった・・。
私は若き映画青年の真似事した時代、
東宝の撮影所で宣伝部の方と話し合っていた時、
たまたま高峰秀子がこちらに向かって来た時があった。

宣伝部の方が飛び出て、
『この青年・・大学を中退し、この世界に・・』
と話されていた・・。

『こんにちは・・でも・・もったいないわ・・大学をお辞(や)めになるなんて・・
でもねぇ・・大変ょ・・この世界は・・』
と大女優は私に云った。

私はこの大女優であった高峰秀子とは、
これが出会いであったが、これ以降、40数年お逢いしたことがなく、
多分、今後も逢えることがないと思われる。

古人から一期一会、と名言があるが、
私のこのお方とのさりげない出会いを今でも人生のひとこまとしながらも、
天上の女神のひとりとして、大切に心に留めている。








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『年の始めの ためしとて・・』を歌を唄い・・♪  《初出2008.1.2.》

2008-06-03 12:51:27 | 音 楽
私は昨日の元旦の11時過ぎに、
最寄の郵便ポストをめざして歩いた。

年賀状で思いがけず頂いたお方たちに返信を認(したた)め上、
晴れわたった中、閑散とした街の歩道を歩き、
投函した後、少し遠回りし川沿いの遊歩道で、立ち止まった。

のどかな情景を眺めたりしていると、
こうした穏やかな陽射しに恵まれた新年を感じると、
何故かしら、ひとつの歌を口ずさんだりした・・。


♪年の始めの 例(ためし)とて、
 終(おわり)なき世の めでたさを、

【『1月1日(いちがつついたち)』 作詞・千家尊福 】


そして、おだやかに晴れ渡ったのどかな景色に、
思わず天上の気候の神々に感謝をした。



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のどかで、静寂な元旦の日中・・♪  《初出2008.1.1.》

2008-06-03 12:48:48 | 定年後の思い
私の住む東京の郊外の調布市の住宅街は、平日より静寂となっている。

付近の賃貸マンションの方たちも、帰省、旅行等のせいか人影も少なく、
バスの通る道路も自動車は少ないので、
街は閑散としている。

私は年賀状が配達されたのを拝読し、
そしてそのお方の近況を思い浮かべたりしていた。

そして、思いがけなく年賀状を頂いたお方に返信を認(したた)め上、
最寄の郵便ポストに投函したりした。

快晴で閑散とした中を歩いたりすると、
のどかで穏やかな午前のひとときであった。

そして午後になると、私は炬燵の中で、
高峰秀子・著の『おいしい人間』(文春文庫)を読んだりし、
女優を引退され、その後の人生の日々の随筆であるが、
第二の人生の機敏などを教示されながら微笑んでいる。

そして、ときおり庭に下り立ち、
定期便のように飛来してくる小鳥を眺めながら、
煙草を喫ったりしている。

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東京の郊外は、穏やかな初日の出を迎えて 《初出2008.1.1.》

2008-06-03 12:46:54 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、穏(おだ)やかな初日の出に恵まれ
前方の空は快晴の陽射しが観られ、まもなく我家の庭に射し込んで来る・・。

庭の多くは、真っ白なベェールのような霜となっているが、
新年を迎えているので、清々しさがまして穏やかななひとときである。

古人達は、こうした情景を淑気(しゅくき)と称したのが、
この齢になって心身実感している。

日中は、快晴の8度前後の陽気に恵まれて、
穏やかな元旦となる。

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皆様には、感謝の一言です・・♪  《初出2007.12.31.》

2008-06-03 12:11:21 | 定年後の思い
私は定年退職後、
別サイトの【goo簡単ホームページ】にほぼ毎日投稿していましたが、
今年の9月末で閉鎖と知り、
『OCN Cafe』に於いて、従来の『日記』欄が移行できるので、
8月2日に開設し、別サイトの関係もあり、
本格的に投稿したのは8月13日です。

『初めまし~て・・♪』でスタートを切りましたが、
実際の心情は9月30日で投稿した、
『私が加入していたサイトも閉鎖となり・・♪』でした。

私は読書に次、文章を綴ることが好きですが、
年金生活の身ながら、日常は多忙の身ですので、
『コメント』欄の閉鎖、『掲示板』欄で勝手ながら心の交流、と明示したりしました。

かと云って私なりに投稿し、出来る限り数多くの方に、
最後まで読んで頂きたい、と身勝手ながら熱望しています。

このような矛盾した中で、数多くの皆様にささえられ、
今日に至りました。
すべて、皆様には感謝の一言です。


今年も何かと暗いニュースが余りにも多く、
私は憂(うれ)いながらも、心に節度を思っていました。

来年こそは、明るいニュースでお互いに笑える投稿内容となるよう、
切望しながら祈願しています。


皆様には、良いお年をお迎え下さい。



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穏(おだ)やかな大晦日の朝を迎えて・・♪   《初出2007.12.31.》

2008-06-03 12:08:20 | 定年後の思い
東京の郊外は、朝の陽射しに恵まれ、穏やかな朝を迎えている。

早朝の薄暗い6時には寒さを感じていたが、
こうして綴りながら庭を眺めていると、
一部は霜で薄っすらと真っ白なベーェルとなっている。

まもなく庭に陽射しが射し込めば、たちまち消えうせて、黒土の一色となる。

泣いても笑っても今年は余白のない大晦日となり、
過ぎ去った日々を思い返したりしている・・。

想いでいっぱいの心に残る春、夏、秋、そして今日を迎えている。

日中は8度前後の陽気となり、
さて散策のコースは、と眩(まぶ)しい朝の陽を見つめていると、
思わず陽射しに感謝し、両手を合わしている。



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『マンゴー』を求めて三千里・・♪   《初出2007.12.30.》

2008-06-03 12:06:30 | 食べ物、お酒
東京の郊外は、快晴であったが、ときおり強い風が吹く中、
私は散策と買物に10時半過ぎに出かけた・・。

家内から、散歩のついでに5品の買物を頼まれたのであるが、
この中で南国の甘味のある果物のマンゴーがあった。

家内の母の好物のひとつで、冷凍されたマンゴーであるが、
昨年は28日頃に確保でき、それなりに美味しい、と評価を頂いたのである。

今年も25日に買い求めに行ったが、売り切れとなったので、
今回は敗者復活戦のつもりで駅前の大型スーパーに、
散策がてら30分程歩いて行ったのである。

結果として品切れであり、少し落胆しスーパーを出た時、
小雨が降りだしてきた・・。

私は川沿いの遊歩道を歩いてきたので、
帰路も歩いて帰るつもりでいたので、
予報は快晴なのに、どうして雨が降るの、
と少し途方にくれたのである。

そして、電車を一区間乗った別の駅前の大型スーパーに向かったが、
やはりこの大型スーパーでも品切れであった。

その後、もしかしたら自宅の最寄の大型スーパーにあるかもしれない、
と気を取り直して、寄ってみたが、
残念ながらマンゴーはなかったのである。

たかが冷凍されたマンゴーであったが、
大型スーパーを3店廻り巡って3時間要したのであり、
『母を訪ねて三千里』のような思いとなったのである。

私は心の反動として、私の好物の『祝い鯛』を買ったのである。
小中学生の時代は劣等生で、今は年金生活の身で、少しひけめ感じるが、
店内で一番高価な祝い鯛を購入したのであるが、程ほどの価格である。

帰宅後、家内に、
『XXちゃんさぁ・・残念ながら・・マンゴー買えなかったょ・・
成果のない買物をして・・申し訳ない・・』
と私は家内に詫びたのである。

その後、着替えて、庭に下り立ち煙草を喫っていたら、
風もなく、穏やかな快晴となった。
私は、天上の気候の神々は一体どうしたの・・、と呟(つぶや)いたのである。


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幼年時代、この時節に唄った歌は・・♪   《初出2007.12.30.》

2008-06-03 11:53:36 | 幼年・少年時代の想いで
東京の郊外は、昨夜も雨が降り、今朝は雨上がりの澄み切った朝を迎えている。

雨上がりのせいか、何となく暖かいように感じているのであり、
ここ数日はぐずついた天気であったが、これからの1週間の快晴、と報じていた。

庭に下り立ち、55年前以上の幼年期の頃は、
この時節はどのように過ごしていたのかしら、
と思ったりした。

私の父は小学二年、祖父は小学三年で死去されたが、
一年生の時、冬休みの直前は恒例の二学期の終業式があり、
そして何より苦手であったのは通信簿を貰うことであった。

兄2人は優等生で、私は『2』が多い劣等生で、
父にしぶしぶ見せると、やっぱりね、といった表情を感じたのである。

私はいじけた可愛げのない幼児であったが、
やはりお正月が近くになると、人影の少ない農道で、


♪もういくつねると お正月
 お正月には 凧(たこ)あげて
 こまをまわして 遊びましょう
 はやく来い来い お正月

【 『お正月』 作詞・東 くめ 】


とかぼそい声で唄ったりした。

私は元旦になると、お年玉を父、祖父の両方から頂けることを覚え、
そして兄に教えて貰い、凧を揚げたりし、こまも廻したりした記憶があるので、
劣等生なりにお正月を迎えるのが楽しかったのである。

尚、凧揚げを兄に見習い、凧を揚げようとしたが、
私のだけが少し揚がったと思ったら、直ぐに落下するのであった。

兄達は通信簿『5』の多い優等生であり、
僕のだけは『2』が多い劣等生のせいか、
僕の凧、どうして揚がってくれないの、
と悲しくなり、そして益々(ますます)劣等感を増した時でもあった。




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阿川佐和子・女史は、対談の達人・・♪   《初出2007.12.29.》

2008-06-03 11:49:24 | 読書、小説・随筆
過日、数学者の藤原正彦の対談が掲載されているので、
阿川佐和子の対談集『阿川佐和子の会えばなるほど ~この人に会いたい 6~』(文春文庫)を購入し、
目的の藤原正彦との対談を読み終わった後は、
別の本を読んだりしていたのであった。

阿川佐和子・女史に関しては、無知な方であるが、
父上の作家・阿川弘之の小説、随筆は私なりに愛読し、感銘を受けたりし、
40年が過ぎようとしている。

このような関係で、このお方のお嬢さんか、
と思っていたが、少し気になる人である。

過日、阿川弘之、阿川佐和子の両氏に寄る『蛙の子は蛙の子』(ちくま文庫)を6年ぶりに再読したが、
父と娘の往復書簡を精読すれば、育ちの良さ、それなりの教養が感じられ、
私は阿川佐和子・女史に好感していた。

今朝、遅い朝食を10時過ぎ時に純米酒を頂いたので、
寝室で布団にもぐり、軽い読み物として、
この『合えばなるほど・・』の殆ど未読を読み始めたのである。

衆議院議員の亀井静香との対談は、私は笑い転げ、しばし唖然となった。
あたかも漫才のような対談であったが、
漫才の世界であったならば、これ以上絶妙なコンビはない、
と確信させられるほどである。

その後、野球の中日ドラゴンズ監督の落合博満、
角川春樹事務所特別顧問の角川春樹の両氏との対談を読んだりしたが、
阿川佐和子・女史は紛(まぎ)れもなく、対談の達人である、
と確信を深めたのである。

会話のはずみ、あいづちの微妙さは天性かしら、と感じたが、
この人なりの素養、感性、そして感覚のなせることだと判り、
『週間文春』で連載が700回を突破し好評の秘密が理解出来たのである。


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