私は石原慎太郎、瀬戸内寂聴の両氏に寄る『人生への恋文~往復随筆~』(文春文庫)を読んでいるが、
両氏から人生の哲学のようなことを数多く学んでいる。
特に先程読んだ中で、瀬戸内寂聴さんの一節が深く心に残り、
温かみのある助言を頂ただけた、
と私は感謝している。
私は瀬戸内寂聴さんとは、未知の人であり、
東京オリンピックの頃には、瀬戸内晴美の初期短編集を読み終え、
『夏の終り』の作品は、友人等に絶賛したひとりである。
その後、昭和45年に大手の民間会社に中途入社する時までは、
ある程度このお方の作品を読んでいたが、
その後は私なりに企業戦士の一員となり、
このお方の作品から離れていた。
定年退職した後、水上 勉との共著の『文章修業』(岩波書店)で、
両氏の純文学の熱く深い思いを改めて学んだりしたのである。
このような決して愛読者とはいえない私であるが、
読んでいる一節に深く考えさせられ、限りない人生の助言を頂けた、
と思っているのである。
無断であり、引用させて頂ければ、
【
・・
人間はひとりひとりがこの世に自分ひとりしか持っていない、
かけ替えのない個性と資質に、誇りを持って、世俗の常識に巻きこまれず、
わが道を独りでも行くという気概を失わないことが大切だと、
わたしもかねがね思っていました。
お釈迦さまの教えの中にも
「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
というのがあります。
わたしはの大好きなことばです。
・・
】
「心に光を」ページ224から引用
注)原文より勝手に改行を多くした。
この一節の文章から、私は年金生活の4年生の身であるが、
残された人生の日々に陽光を頂いた、と思ったりしたのである。
そして、玄関の軒下で小雨降る情景を眺めていると、
ときには小雨は限りなく優しい、
と確信を深めたりしている。
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両氏から人生の哲学のようなことを数多く学んでいる。
特に先程読んだ中で、瀬戸内寂聴さんの一節が深く心に残り、
温かみのある助言を頂ただけた、
と私は感謝している。
私は瀬戸内寂聴さんとは、未知の人であり、
東京オリンピックの頃には、瀬戸内晴美の初期短編集を読み終え、
『夏の終り』の作品は、友人等に絶賛したひとりである。
その後、昭和45年に大手の民間会社に中途入社する時までは、
ある程度このお方の作品を読んでいたが、
その後は私なりに企業戦士の一員となり、
このお方の作品から離れていた。
定年退職した後、水上 勉との共著の『文章修業』(岩波書店)で、
両氏の純文学の熱く深い思いを改めて学んだりしたのである。
このような決して愛読者とはいえない私であるが、
読んでいる一節に深く考えさせられ、限りない人生の助言を頂けた、
と思っているのである。
無断であり、引用させて頂ければ、
【
・・
人間はひとりひとりがこの世に自分ひとりしか持っていない、
かけ替えのない個性と資質に、誇りを持って、世俗の常識に巻きこまれず、
わが道を独りでも行くという気概を失わないことが大切だと、
わたしもかねがね思っていました。
お釈迦さまの教えの中にも
「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
というのがあります。
わたしはの大好きなことばです。
・・
】
「心に光を」ページ224から引用
注)原文より勝手に改行を多くした。
この一節の文章から、私は年金生活の4年生の身であるが、
残された人生の日々に陽光を頂いた、と思ったりしたのである。
そして、玄関の軒下で小雨降る情景を眺めていると、
ときには小雨は限りなく優しい、
と確信を深めたりしている。
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