東京の郊外は、梅雨の間は初夏のような快晴に恵まれ、
家内と10時過ぎに駅前に行った。
家内は歯科医院で治療を受けている間、
私は郵便局、本屋に寄ったりしていた。
本日発売の月刊総合雑誌の『文藝春秋』、『中央公論』、
そして塩野七生・著の『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫)を購入した。
私は『文藝春秋』に関しては、定期愛読者であり、
『中央公論』は特集記事に興味があった場合、購入しているひとりである。
今月の『中央公論』については、
昨日【政権再編成の序曲・・!?】と題して、このサイトに投稿しているが、
原点は今回の『中央公論』の特集のひとつを
読売新聞が政治記事として取り上げた記事を私はたまたま読んで、
誘発されて投稿したのであった。
このような思いがあったので、家内と合流するまでの間、
コーヒー・ショップの『ドトール』で最優先に読んだりしたのである。
『こんな政治に誰がした』と題した特集記事の三つの中のひとつで、
『自民と民主は本当に違うのか』と云うタイトルで、
田原総一郎、与謝野 馨、前原誠司、三氏に寄る座談会であった。
私は政治にうとい少しボケた年金生活の4年生の身であるが、
自民党の与謝野 馨、民主党の前原誠司の両氏の発言は、
真摯で具体的に解かりやすく発言され、
何より国の現状を憂いながらも、国民に信頼される政治をめざす信条、
つたない私でも理解できたのである。
私は民主党は(まともな政策論議を回避するので)信頼できない、と昨日綴ったのであるが、
党内の1部には、前原誠司氏のように真の改革を目指す人がいる、
と安堵したりした。
こうした前原誠司氏の方は、
党内の一部で自治労などに後押しされた議員グループに嫌われるのが、
改めて私は了解が出来たのである。
そして、確固たる財源の基盤を正明することなく、
ただ選挙に勝つために、手品のような公約に掲げ、
国民を惑わするのは、罪深き非国民の議員たちと感じたりしたのである。
帰路、初夏のような暑さのためか、
私は少しボケたのかしら、と思ったりした。
家内と10時過ぎに駅前に行った。
家内は歯科医院で治療を受けている間、
私は郵便局、本屋に寄ったりしていた。
本日発売の月刊総合雑誌の『文藝春秋』、『中央公論』、
そして塩野七生・著の『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫)を購入した。
私は『文藝春秋』に関しては、定期愛読者であり、
『中央公論』は特集記事に興味があった場合、購入しているひとりである。
今月の『中央公論』については、
昨日【政権再編成の序曲・・!?】と題して、このサイトに投稿しているが、
原点は今回の『中央公論』の特集のひとつを
読売新聞が政治記事として取り上げた記事を私はたまたま読んで、
誘発されて投稿したのであった。
このような思いがあったので、家内と合流するまでの間、
コーヒー・ショップの『ドトール』で最優先に読んだりしたのである。
『こんな政治に誰がした』と題した特集記事の三つの中のひとつで、
『自民と民主は本当に違うのか』と云うタイトルで、
田原総一郎、与謝野 馨、前原誠司、三氏に寄る座談会であった。
私は政治にうとい少しボケた年金生活の4年生の身であるが、
自民党の与謝野 馨、民主党の前原誠司の両氏の発言は、
真摯で具体的に解かりやすく発言され、
何より国の現状を憂いながらも、国民に信頼される政治をめざす信条、
つたない私でも理解できたのである。
私は民主党は(まともな政策論議を回避するので)信頼できない、と昨日綴ったのであるが、
党内の1部には、前原誠司氏のように真の改革を目指す人がいる、
と安堵したりした。
こうした前原誠司氏の方は、
党内の一部で自治労などに後押しされた議員グループに嫌われるのが、
改めて私は了解が出来たのである。
そして、確固たる財源の基盤を正明することなく、
ただ選挙に勝つために、手品のような公約に掲げ、
国民を惑わするのは、罪深き非国民の議員たちと感じたりしたのである。
帰路、初夏のような暑さのためか、
私は少しボケたのかしら、と思ったりした。