夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

絵心に無知な私でも・・♪

2008-06-01 16:58:00 | 定年後の思い
読売新聞の朝刊を見ていた私は、
恋焦がれた美女にめぐり逢えたかのように、
ひとつの記事に魅せられた・・。

19世紀にフランスの画家であるカミーユ・コローの展示会の紹介記事であった。

私は絵画には、まったく素養がなく、
ましてや小学校の図画の成績は、
恥ずかしながら通信簿『2』の劣等生であったので、
表現として描くこともままならない身である。

こんな私が過日の旅先で、
富山市佐藤記念美術館で茶室を拝見した後、
出入り口に近い処で一枚のポスターに見せられたのである。

私はこの時の心境を下記のように綴り、
このサイトに投稿している。



画家のコローによる『真珠の女』(部分)であり、
何かしら訴えるようなまなざしの表情は、
絵心には全く解からない私さえ、感覚として詩情ある情念を感じたのである。

http://corot2008.jp/

今年の6月の中旬より、国立西洋美術館で展示される予告としてのポスターであった。



このような思いとなり、偶然に思いがけないプレゼントを頂いたようになり、
この日から『真珠の女』の人が夢の中で逢え、
私は戸惑ったりしている・・。

私は思い込みの激しい人で無我夢中になるひとりで、
ときには、貴女しか見えない時が、
しばしば体験してきている。

日頃は、つたない感性を頼りに文学、映画、音楽など接しているのであるが、
絵画の世界にコローに導かれて、
鑑賞ぐらいは63歳の幼児の手習いも良いかしら、
と微苦笑している。

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ときには、夕寝となり・・♪   《初出2007.11.11.》

2008-06-01 16:12:17 | 定年後の思い
昼食後、しばらくしてから、買物に出かけた。
明るい曇り空の中に行ったのであるが、
街路樹の花水木(ハナミズキ)の葉は朱色に染められて、
晩秋らしい情景となっている。

買物を済ませ、そして『文藝春秋』を購入し、帰宅した。

曇り空が暗さを増してきたので、
再び雨が降り出すのかしら、と家内に云ったりしていた。

この後、私は『文藝春秋』を精読したいので、
寝室の布団にもぐって、2時間ばかり読んでいるうちに、
眠くなり、甘受な夕寝に心身妥協してしまった。

先程、目覚めぼんやりと庭先を眺めると、小雨が降った樹木の情景となっていた。

このような午後の日もあると、私は微苦笑している。


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天上の気候の神々は、ときとして・・♪   《初出2007.11.11.》

2008-06-01 16:10:15 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は雨が降り続いて折、
昨夜の天気予報に寄れば、明日は午前中は小雨、昼過ぎは曇り、
そして三時頃からは晴れ、と天気の回復を報じていた。

今朝、目覚めると、新聞を取り込む為に玄関庭を眺めると、
どんよりとした曇り空となっている・・。

私は煎茶を淹れながら、
天気の回復は半日早まったのかしら、
と思ったりした。

こうして主庭を眺めていると、
晩秋らしい樹木の葉の色づきを眺め、
枝葉に雨粒をたたえ、しっとりとした黒土を見つめたりしている。

私は秘かに天上の気候の神々に感謝し、
周辺の情景を眺めたりしている。

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晩秋の読書、本屋で選べば  《初出2007.11.10.》

2008-06-01 16:08:15 | 読書、小説・随筆
一昨日、駅前で歯科医院で歯の治療前、
久々に本屋に寄った。

これといって決めている本はないが、
結果として新刊本コーナーで2冊の本を購入した。

作詞家、作家の阿久 悠・著の『清らかな厭世(えんせい) ~言葉を失くした日本人へ~』(新潮社)で、
後の本は嵐山光三郎・著の『人妻魂(ひとづまだましい)』(マカジンハウス』である。

私は阿久 悠に関しては、作詞集、随筆などは10冊前後は愛読している。
今回の本は、産経新聞に平成16年4月~平成19年6月で、
『阿久 悠 書く言う』と題された連載、
そして産経新聞の『正論』欄で掲載されたのを再構成と明示されていたが、
私は無知であった。

稀代の作詞家が
「格言、箴言(しんげん)、警句」で綴った、警世の書。
ラスト・メッセージ!

と帯に大きく明示されて折、
今は亡き阿久 悠の遺言と私なりに受け止めて、
購入した次第である。


嵐山光三郎に関しては、『追悼の達人』、『文人悪食』、『悪党芭蕉』などで、
少なくとも10何冊か私は愛読している作家である。

現世、数多くの作家がいるが、『追悼の達人』一冊読めば、
明治、大正、昭和の文士49名のお方が圧倒的に生き生きとして浮かび上がり、
数少ない力量の作家であると同時に、稀に見る労作のひとつである。

このような感銘を受けた作家なので、
明治、大正、昭和の作家の妻、そして女流作家など53名の人妻に惹かれ、
購入したのである。

晩秋の雨の降る日、読書も最適かしら、
と煎茶を飲みながら読んだりしている。


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晩秋の読書、月刊雑誌からネットの混迷を学ぶ《初出2007.11.10.》

2008-06-01 16:05:07 | 時事【社会】
過日、沖縄旅行の帰路、最寄り駅で煙草を購入しながら、
一冊の月刊誌が目に止まった。

『新潮45』であるが、ときおり特集記事が私の興味が惹くことがあれば、
購入したりしている。

今月の特集記事としては、『インターネット 13の怪事件簿』であり、
翌日、この中の記事のひとつとして、
『ファイル共有ソフトとmixiで流出した「ケツ毛バーカー」騒動』を読んで、
齢を重ねた63歳の私はまったく無知だったので、
驚いたりした・・。


ノンフィクション・ライターの恩田揚子さんの綴られた記事に寄れば、
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の最大手、
ミクシィに於いて実名登録をした男女の方が、
ご自分達の「愛の交歓図」が、流出してしまう。

原因は男性が使用していたファイル共有ソフト「シュア」で、
これがウィルスに感染し、パソコン内の情報が外部に漏れ出した。

この中であったメールから、男性の実名が特定され、
たまたまミクシィで実名登録をしていたので、
個人ページと日記から芋づる式に恋人の女性が割り出された。

女性の画像は公開とされ、出身学校まで知らた上、
同窓生にさらし者となった。


この他の事件は三つほど掲載されているが、
ライターの恩田揚子・女史は下記のように警告として綴っている。

・・薦められるがまま、この女性も実名で登録して、
リアルな関係をネット上で楽しんだのである。
そのための担保が安全性であり、
招待制が裏書きしたというわけだ。

ミクシィの巧妙さがここにある。
とてつもない数の会員が存在するにかかわらず、
自分の仲間だけでミクシィは構成されているんだという《錯覚》を植えさせて、
共有させたのである。

ミクシィは、巨大な「無料出会い系サイト」に変貌しており、
どのような形で個人情報が悪用されようとも手の施しようがない危険地帯なのだ。

以上、記事を無断であるが引用させて頂きました。


私は個人情報を公開しても良い人以外は、
匿名のブログ・サイトを利用すれば良い、と思考するタイプである。
そして、いくら匿名制度といっても、百万以上の加入会員のサイトは、
ある程度推定されれば、本人が判る、
と危惧しているひとりである。


私は個人情報は実名が判明しない範囲で投稿記事を綴っている上、
別サイト【OCN Cafe】のようにある程度の加入会員数の中で、
真摯に自在に綴ったりしている。

ただ、このサイトから他に関連した場合、
Webの世界の一端であるので、
完璧とはいえないのが実情と思ったりしている。


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晩秋の読書、旅先では  《初出2007.11.10.》

2008-06-01 15:59:26 | 読書、小説・随筆
東京の郊外は、小雨が降り続けている。
昨夜、9時過ぎから降りだし、明日の夕方まで降り、
世間の人々はお忙しい方が多いと思われるので、
天上の気候の神々は少し安息されたら、いかがでしょう、
と私なりに感じたりしているのである。

私は年金生活の身であるが、日常から読書が第一趣味なので、
何かと活字に目にするのが忙しいのである。

過日の沖縄旅行の時も、寝しなに本がないと眠れない習慣となって、
2冊の文庫本を持参して行った。


阿川弘之・著の『女王陛下の阿房船』(講談社文庫)、
阿川弘之、阿川佐和子カ・共著の『蛙の子は蛙の子 ~父と娘の往復書簡~』(ちくま文庫)の二冊である。

いずれも再読の2冊であるが、
前書からは、豪華客船の船旅から文化を学び、
あとの一冊からは父から娘、
娘から父への想いが真摯に綴られている。
そして父の阿川弘之は、戦後の文学風潮の中、
小説家としての自己の文学の悩みなど発露されたりしている。

敗戦後から平成の8年までの、単なる家族関係でなく、
社会風潮も根底に秘められて折、私なりに学ぶことが多いのである。

尚、父は1920年(大正9年)、
娘は1953年(昭和28年)生まれであるので、
この世代の方には、より一層それぞれの思いも共感できる、
と私は確信したりしている。


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私の晩酌の友、ひとつは実山椒・・♪ 《初出2007.11.9.》

2008-06-01 15:55:43 | 食べ物、お酒
私は年金生活の身ながら、風邪のひいていない限り、
殆ど夕食の前にお酒を頂いている・・。

純米酒の辛口を呑んでいるが、ビールの時もある。

家内が夕食の料理を作ってくれている最中に、
私はいそいそと晩酌の準備をする。
純米酒の場合は、弐合徳利とぐい呑みを選定したり、
ビールの時はコブレットを食器棚から取り出す。

私なりの晩酌のひととき、大切なつまみとして、
今年から新加入したのがある。

今年の2月中旬に於いて、
私達夫婦は家内の母と奥飛騨地方の新平湯温泉に5泊6日の温泉滞在をした時、
飛騨高山市のお土産屋さんで、家内が見つけてくれた品のひとつである。

『実山椒』と大きく明示され、
実山椒を半熟期に採集して、塩炊きにしたのである。

三つ粒ほど口に食べる前から、山椒の香りがただよい、
口に含むと風味、香り、苦味が拡がり、
ぐい呑みを引き寄せ、ちびりと純米酒を呑む・・。

私は山里の光景を想いだし、山椒の採集の情景を重ねたりする。

こうした折、私なりの美しい日本の風土を感じ、至福のひとときとなる。

私は自分に一日は9粒以内にと厳命させて、大切に頂いている。

残念ながら80g入りの『奥飛騨の味』であり、
食べつくしてしまった後、宅配便で送ってね、
と製造者の有限会社飛騨山椒に連絡する。

数は限りあるので、二が月程、宅配便を待ち焦がれる時もある。

私は齢を重ねた63歳の呑兵衛の身であり、
これまでは山椒に関しては、色々と味わい好きな品であるが、
今年から半熟期に採集し塩炊きにした愛食は、
晩酌の時の友のひとりとして加入している。



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南国・沖縄から帰宅すれば・・♪  《初出2007.11.8.》

2008-06-01 14:41:29 | 旅のあれこれ
私達夫婦は家内の母と3人で、沖縄本島に8泊9日の旅を終え、
帰京したのは11月6日の夜だった。

東京の郊外に住む私は、やはり沖縄は南国であった。
気温は10度前後温かく、私は半袖で過ごしていたりした。

家内の母の高齢を配慮すると、
この時節が夏と違い、私達と同様な観光客も少なく、
猛暑もなく、台風のことも心配しなくて済むので、
この期間を待ち焦がれ、旅行実施としたのである。

沖縄本島の樹木、草花を眺め、心身波長があった中、
いきなり那覇空港の雑踏に戸惑い、
羽田空港の人の多さに心身戸惑いながら、
最寄駅の成城学園前に降り立った時、
半袖に寒さを覚えた・・。

この間は、暖冷房完備の空港、満員に近い電車であったので、
フィールド・ジャケットを着ることも忘れていたのである。

タクシーで帰宅後、お風呂を沸く間、
戸を開け放ち、部屋に夜の空気と風を入れた。
風邪気味となるのが怖く、お風呂で温まり、
早めに布団にもぐったのは10時過ぎであった。

7日の朝は肌寒く、庭に下り立つと、アメリカン芙蓉(フヨウ)は落葉し、
無花果(イチジク)、紫木蓮(しモクレン)の葉は黄葉し、
大半が地上に葉を落としていた。

紫式部(ムラサキ・シキブ)は黄葉に染めら、
たわわな実は紫色を深めていた。
花梨(カリン)の数多くの実は、淡い黄色となり、
晩秋を感じさせてくれた。

昨日は暦の上では立冬であったが、
澄み切った青空で温かく、歯科医院で治療を受ける為に、駅前に行く遊歩道を歩いた。
樹木は色づき、花水木(ハナミズキ)の朱色の葉は落葉し、
平年の11月の中旬を心身了解したりした。

本屋に寄ったり、買物を済ませると、
何とか風邪気味から遠ざかり、何時もの郊外の住人として、
落ち着いた次第である。



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沖縄本島滞在記《下》  【2007.10.29.~ 11.6.】

2008-06-01 14:36:20 | 
   最終章  昭和の初期に生を受けた人々は

家内の母は、昭和5年生まれで、
3年前に死去した家内の父は昭和2年生まれである。

家内の父は、大学を繰り上げ卒業で召集され、
初年兵として仙台の郊外、浜松の郊外で軍事訓練に明け暮れ、
古参兵の洗礼を受けている中、敗戦時を向えた・・。

家内の母は、新潟県の高田の女学校の時代に、
軍事工場の支援に強制従事させられた身である。

家内の母は、今回の沖縄の旅として、
特にひめゆりの塔、そして平和祈念公園の中で、
沖縄戦で亡くなれた新潟県の墓地に花をささげたい、
という要望であった。


那覇に着いた翌朝、朝8時過ぎにタクシーで『ひめゆりの塔』を目指して、
最初は私の熱い思いの『ずゐせんの塔』に花をささげ、しばらく黙祷をした。

この後、徒歩5分の『ひめゆりの塔』に行き、
『ひめゆり平和祈念資料館』の中で私は別れ、
独りで早めに庭に出て、
クファデーサーの樹木を探したり、
資料館の中で厚い一冊の本を買い求めたのをベンチで読んだりしていた。

1時間半前後して、家内達がベンチに座っている私の所に来た・・。
家内の母は、
『XXさん・・ご免なさい・・遅くなってしまって・・
ひめゆり学徒の方たち・・私と同じぐらい齢なの・・』
と私に云った。

私は家内の母の顔を見ると、目に涙を浮かべていた・・。


この後、タクシーで『平和祈念公園』に移動し、
私達3人は、無名者の墓地、新潟県の墓地に花をささげ、
黙祷をした。

私は敗戦の一年前に生を受けた身で、
戦争を知らないひとりである。
あくまで、親族から教えて貰ったり、教科書、歴史書、小説、随筆などの書物、
そして映画などで観る限りである。

つたない身の私は、戦時で亡くなわれた数多くの墓石、
平和の礎に無数の刻まれた戦死者名を見ると、
言葉を失い、呆然と戦争の残酷さを痛感させられた。


昭和の初期に生を受けた人々は、余りにも若くして、
戦いのさなかで亡くなわれた人、
特攻隊で散った人、戦地に向かう折、米軍の攻撃で亡くなった方、
或いは沖縄の地上戦で戦死された方・・
原爆、空襲で亡くなった住民の方、
それぞれの立場の人々が、戦争という旗の下で、
命を落とされている。

そして、日本の各地で強制支援として、
軍事工場、病院などで従事させられたりした・・。


平和祈念公園を辞する時、家内の母は私にぽっりと云った。
『私も・・ひとつ早く生まれていたら・・
戦地の病院などで行かされたかも知れないし・・
どうなったか・・わからないわ・・

父さんも・・よく云ってた・・
俺より・・たったひとつ齢の上ひと・・
多く戦死された・・と』


                              《終り》
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沖縄本島滞在記《中》  【2007.10.29.~ 11.6.】

2008-06-01 14:21:19 | 
   第4章  風光明媚なリゾート地

10月31日
那覇の快晴の中、タクシーで名護を目指して北上した・・。

周辺の情景を眺めていると、
東京の田舎者としては、沖縄の住民の方達には申し訳ないが、
過酷な沖縄戦を忘れさせるかのような心持となった。

かりゆしビーチの付近のリゾート・ホテルに到着した。
『沖縄かりゆしビーチリゾート オーシャン スパ』であるが、
家内が中部観光には何かと利便性があり、大浴場もあり、
6連泊滞在には最適と決めたホテルであった。

この後、『ブセナ海中公園』に行き、
空は青く、明るい陽射し、そしてさわやかな風を身体で受けると、
沖縄の風光明媚を心身感じ、リゾート気分を満喫できた。

遅い昼食を名護市の近くの『名護曲レストラン』で頂いたが、
素朴な沖縄料理を私達三人は、オリオンビールを呑みながら、
色々と食べ比べをしたりした。

店内からは沖縄の名曲が流れていた・・。



   第5章 『あなたに』・・♪

店内に沖縄の名曲が流れ、私はひとつの歌に耳をかたむけた・・。


♪人にやさしくされた時 自分の小ささを知りました
 あなた疑う心恥じて 信じましょう心から

【『あなたに』 作詞・Kiyosaku Uezu】


沖縄地方出身のグループの【モンゴル800】の歌のひとつである。

私は沖縄の歌に関しては、『さとうきび畑』を最初に知り、
『芭蕉布』、『花』、『涙そうそう』を聴いている程度である。

モンゴル800の方達は、一ヶ月前頃に偶然テレビで、
沖縄列島の島々でコンサートしながら、
南下する二時間のライブ版を観た。

私は齢を重ねた63歳の身であるので、好感できる若者である程度しか、
さほど印象には残らなかった。

この名護の付近の素朴なレストランで聴いた時、
少しふるえ、そしてなごみを感じながら、魅了された・・。


♪流れゆく日々その中で 変わりゆく物多すぎて
 揺るがないものただ一つ あなたへの思いは変わらない

【『あなたに』 作詞・Kiyosaku Uezu】


私はこの時以降、リゾート・ホテルの部屋のベランダで海を見つめながら、
或いは散策をしている時、鼻歌を唄ったり、
心の中で唄ったりしている。



   第6章  『島らっきょう』は、美味のひとつ

家内が名護のお土産屋さんで購入したひとつに『島らっきょう』がある。
塩で浅漬けをしたもので、醤油が添付されていた。

エシャロットを細めにしたような形で、
かじると歯ごたえがあり、口いっぱいに香りが広がる。
溜り醤油に付けても美味しいが、
私は何も付けず、そのまま頂いた方が素朴な特有の香りがあり好きである。

私は北海道に訪れた時は、『行者にんにく』を頂き、
サッポロのクラシック・ビールを呑みながら誉(ほ)めている。

自宅の東京の郊外にいる日常は、
純米酒の辛口で、エシャロットに味噌を付けながら、賞味している。

今回の沖縄に滞在している時は、
泡盛の呑めない私として、せめてオリオン・ビールを呑みながら、
島らっきょうをたびたび頂こうとしている。

ウィスキー、ビールの友としては、
最良のつけだし品かしら、と私は微笑んでいる。



   第7章  『美ら海(ちゅらうみ)桔梗(ききょう)』に魅了され

11月3日
私達3人は、『海洋博公園』に行き、
家内達は『美ら海水族館』やイルカを観に行くので、
私は予定通り別れた。

私は日頃から中年女性のしぐさ、言葉が好きである上、
植物を愛するひとりとして、
樹木、草花を観るので、園内の遊歩道を歩きはじめた・・。

国営沖縄記念公園の別称に相応しく、
園内は小奇麗に整備がゆきとどいている。
いかにも沖縄の風土に適した樹木、草花が適度に配置されて折、
私の目を楽しませてくれた。

遊歩道の所々、海が目の前に観える展望台に行ったり、
或いは海岸の歩道を歩(あゆ)めば、
険しい岩の崖に波が押し寄せている・・。

空は雲がわずかに浮かび、青一色で無限のような拡がり、
そして海は蒼く、果てることのないように彼方まで望み、
風は爽やかに私の身体を通り過ぎていく・・。

このような光景を眺めたりしていると、
古来より沖縄の人々から、『美ら海(ちゅらうみ)』として慕われているのが、
私なりに理解ができた。

植物園に戻ると、つる植物園の中で、
蔦(ツタ)のように緑色の葉が生い茂って折、
この中で数多くの薄紫色の花が、ひっそりと咲いていた。

私の住む東京の郊外では見かけることのできない花であり、
あえて表現すれば、
アサガオの満開の花びらのようでも思え、
色合いは桔梗に似ているかしら、
と感じたりしたのである。
いずれにしても、私のつたない感性であるが、
まぎれなく奥行きのあり品性がただよう、数少ない花のひとつである。

私は、この薄紫色の花を、
文化の日に伴い、秘かに『美ら海桔梗』と名付けた。

園内を辞する時、植物に詳しい係員の方から、
『その花は・・ベンガル・ヤハズ・カズラ・・と思いますよ・・』
と私に教えてくれた。

今回、本島を8泊9日で旅をしている身であるが、
私はこの薄紫色の花に最も魅了され、
のちの想いとしても、深く私の心に残った花である。



   第8章  旅先で投稿するには

私はこのサイトで、10月31日~11月4日に於いて、
第1章から第7章まで投稿した場所は、りゾート・ホテルの一角からであった。

昨夜、沖縄本島から帰宅し、今こうして自宅で綴っているが、
滞在先のホテルのインフォーメション・センターと称された
観光遊覧の相談所で投稿していた。

この相談所は20代の女性が3人いて、
常時2名で対応している。
机上にはパソコン等があり、ある程度はお客様の相談事を笑顔で応じている。

このルームは15坪前後の広さがあり、
壁際にインターネットが対応されたパソコンが2台あった。
お客様自身が観光先などを検索されるのに設置されていると思われる。

私はこの中で1台を使わして貰い、このサイトに投稿していた・・。

ホテル内の滞在客の多い中、ときおり投稿したのであった。

このサイトに投稿は旅先なので、優先順位は二の次、三の次となる上、
このようなインターネット環境なので、や止む得ないと思っている。

この相談所の女性たちと、私は良くお話をした・・。

こぼれ話のひとつとしては、
モンゴル800の『あなたに』のことで、
『モンパチの『あなたに』に魅了され・・
ベランダで鼻歌を唄ったり・・していますよ』
と私は云ったりしていた。

『好い歌ですよね・・私が中学3年の時・・大ヒットし・・
私も大好きな歌のひとつです・・』
と微笑みながら答えてくれたりしていた。

私は齢を重ねた63歳のお客の身であるので、、
相手のお方は40歳以上確実にお若い20代の沖縄美人は
さりげなく応じてくれる。

この後、私は沖縄出身のモンパチの件で、
お互いに微笑みながら話し合ったりしていた。



   第9章  乙女たちのエメラルド・ビーチ

『海洋博公園』で私が散策した樹木、草花園のもう一方の反対側には、
エメラルド・ビーチがある。

白いペンキの大きな休憩所が二つほど並びあり、
その先端には憩いの浜、眺めの浜、そして遊びの浜と称された浜は、
白い砂浜が拡がり、椰子(やし)の樹木、
空の青さ、海は蒼く、彼方の海上は解けてしまうような光景である。

こうした中で、波が白い砂浜に押し寄せ、
数多くの白いサンデッキが並び、そして色鮮やかなパラソルがある・・。


今回の旅の初め頃から、首里の王陵、首里城、
南部のひめゆりの塔、平和祈念公園、玉泉洞を私達3人は観て廻ったが、
幾つかの高校の修学旅行の生徒と出会ったりした。

タクシーのドライバーの方から教えて頂いた話であるが、
生徒たちの3、4人でタクシーで好きな場所を周遊するのが昨今の傾向となっている、とのこと。
事前に先生の了解を得て、各観光の周遊プランをタクシー・ドライバーと再調整しながら、
あちらこちらに観たりしているのが多い、と教えてくれた。


エメラルド・ビーチを私は散策していると、
高校生の女学生の4人は歓声をあげて、
お互いに携帯電話で写真を撮ったりしていた・・。

『よかったら・・小父さん・・みんなの記念写真・・
撮ってあげるよ・・』
と私は女学生のひとりに大声で云った・・。

ひとりの女学生が、もじもじと家内と同様の写ルンを取り出して、
『嬉しい・・小父さん・・お願い・・』
と私に簡易カメラを手渡した。

4人の女学生は、それぞれのポーズを取りながら、
右手はVサインであり、
私は微苦笑しながら、シャッターを押した・・。

『小父さん・・有難うございました・・』
と2人の女学生が大声で云われ、
私は照れた。

その後、4人の女学生は波打ち際に歩き出して行き、
微風の吹く中、スカートの裾が揺れていた。

私は南国の白い砂浜と陽射しのまぶしさ、そして海の蒼さの光景は、
乙女たちの夢のひとつ、あこがれが、
目の前に拡がっていることを了解できた。



   第10章  夕陽を眺める時は、バーボン・ウィスキー

リゾート・ホテルのベランダで簡素なテーブル、椅子があり、
6連泊の早朝、昼過ぎ、夜のひととき、深夜に海を眺めたりしていた。

雨の日もあれば、どんよりとした曇り、風の強い日もあり、
或いは快晴に恵まれた日もあった。

日常生活の私は、日本酒の山形県の純米酒を呑み、
ときにはビールを呑んでいる。

今回の沖縄本島の8泊9日は、
地酒の泡盛が呑めない私は、オリオン・ビールに徹し、
夕陽の時にはバーボン・ウィスキーと秘かに希望していた。

那覇市内に於いては、泡盛ばかり目立つが、
肝心のバーボンは宿泊先の最寄のコンビニで小瓶の200mlを見つけ、
その横に大手の日本酒の辛口もあり、
この二品を購入した。

リゾート・ホテルに於いては、
館内のコンビニでオリオン・ビールの350mlの6セットを何度も購入し、
ときには大手の味に欠ける日本酒を呑んだりしていた。

外出、館内の食事処の場合は、やはりオリオン・ビールとしていた。


5日目の時は、風もなく陽差し弱まりかけたベランダで、
海上の夕陽を眺めながら、私はバーボン・ウィスキーの小瓶の封を切った。

グラスに氷を五つばかり入れ、バーボンをそそぐだけのオンザ・ロックである。

私は南国のサンセットの情景には、
バーボンのオンザ・ロックが相応しいと、
ここ20年ばかり夢をみていたのである。

濃厚な香り、むせかえる喉越しのバーボンを呑み、
煙草を喫いながら、夕陽を眺めたりした。

至福のひととき、私は鼻歌を唄ったりした・・。


♪流れゆく日々その中で 変わりゆく物多すぎて
 揺るがないものただ一つ あなたへの思いは変わらない

【 モンゴル800の『あなたに』 作詞・Kiyosaku Uezu 】


私は3杯ほど呑むと陶然とし、
沖縄の復帰後の激動、リゾート観光地への変貌期の住民の労苦に思いを重ね、
胸が熱くなり、4杯目を注(つ)いだ・・。



   第11章 『またん めんそ~れ・・』

私達夫婦は、15年前頃に沖縄列島を観光周遊をした。
私が現役時代であったので、4泊5日でジャル・ツアーズの旅行会社を利用し、
JAL直営のホテルに宿泊した。

石垣島に連泊し、西表島の周辺の島々を周遊し、
本島に来て、恩納村のリゾート・ホテルに宿泊し中北部の観光を楽しみ、
首里のシティ・ホテルに宿泊した後、南部観光をしたりした。
観光周遊の移動としては、JALライナーのバスでホテルからホテルの間を
観光周遊、オプションをまじえて、周遊した。


定年退職後の四年生の今は、
家内の母が『ひめゆりの塔を観てみたいわ・・』と、
娘の家内に話したことから、
私達夫婦は高齢者の為のプランを設定した。

那覇のビジネス・ホテル『アパホテル那覇』に連泊し、南部観光をめぐり、
恩納村のリゾート・ホテル『沖縄かりゆしビーチリゾート オーシャン・スパ』に6連泊して、
中北部の観光を周遊した。
今回は家内が殆ど選定し、東急の旅行会社を通して、予約した。

移動の交通は、初日に『ゆいレール』を那覇から首里に一度は利用し、
最終日のリゾート・ホテルの各所から那覇空港へのリムジン・バス以外は、
タクシーで移動した。

食事に関しては、朝食はホテルのバイキングの和・洋食を頂き、
昼食は出先の観光地で簡素なおにぎりなどを中心に、
夕食は日常住民の方たちが利用されている沖縄料理の食事処、居酒屋に、
滞在先から15キロ以内の処にタクシーで往復した。

私達3人は、それぞれ美味しそうと思われる料理を賞味し、
お互いに分け合って、夜のひとときを甘受した。

地魚の平アジの煮付け、地魚の刺身の盛り合わせ、刺身のニンニク刻み、
豚の豚足、耳の刻み、島ラッキョウ、ダイコンのわさび漬け、ヘチマ煮、
ヤシ蟹、マングローブ蟹(ガザミ)などが、私としては沖縄らしい味として賞味した。

最後の宿泊の夜には、ホテル館内の『かりゆし料理』に頂いたが、
上質でどなたでも賞味できる和食コースであった。

そして、家内達はトロピカル・カクテルのような
泡盛をベースに南国のフルーツ入りのカクテルを呑んだりしていた。
私はオリオン・ビールを呑みながら、
家内達に『またん めんそ~れ・・』
と笑いながら、云った・・。

家内と家内の母は小首を傾げたので、
『俺も観光先で見かけたのであるが・・
See you agan・・とペンキで書かれた看板があったよ・・
この中で、youというのが、ouになっているの・・
おかしいなぁ、と思っていたら《y》が欠けていたの・・

いずれにしても、
ふたたび・・沖縄でお逢いしたいですね・・という意味だよね・・
こちらの沖縄の言葉だと・・またん めんそ~れ・・』
と説明したら、
家内達は笑いころげたりした。



                           《続く》


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沖縄本島滞在記《上》  【2007.10.29.~ 11.6.】

2008-06-01 13:34:59 | 
   序章  お洒落な半袖とフィールド・ジャケット

私達夫婦は、家内の母と3人で、本日より沖縄本島を8泊9日で訪れるが、
二週間前頃から、服装を決めた・・。

東京の郊外の9月の彼岸前の気候と思われるので、
半袖として、冷房の効(き)いている所ではラフなジャケットをはおればと決めた。

私は場合は、お洒落なポロ・シャツを5枚、そしてワイシャツ風の半袖を2枚、
そしてアロハ・シャツとし、
大半は滞在するリゾート・ホテルに宅配便で送った。

私のこうした洋装は、10年前頃、
ハワイに5泊6日で5月に訪れ、成功体験に基づいている。

訪れる沖縄地域がよほどの気候がない限り、大丈夫と思ったりしている。

何時もの事ながら、旅立つ朝は、家内は洗濯、軽食の朝食、そして台所の後片付けで、
私はぼんやりと煎茶、コーヒーを淹れ、茶坊主に徹し、
ときおり庭先で煙草を喫ったりしている。

家を出る二時間前から始めているが、
家内の性格なので致しがたく、私はこのサイトに綴れる時間がある、
と微苦笑しているのである。



   第1章  機中、ひとり涙をながせば

10月29日(月)
羽田空港を20分ばかり遅れて、那覇行きの航空便は離陸した。

私は2時間半ばかりの機中の時間は、
煙草も喫えず、退屈きわまりない時であったので、
過日知った『ずゐせん学徒隊』のことを思い浮かべてた・・。

そして、このことを私は別ブログに綴って投稿し、
この私の掲示板に、沖縄の男性より、
『友の碑~白梅学徒の沖縄戦~』のサイトを教示して下さり、
私は初めてこのことも知り、感銘を受けた後、資料として印刷した。

この資料を今回の旅に持参し、機中で再読した。

http://www11.ocn.ne.jp/~cr21/tomo/friends.html

改めて、監督のメッセージ、企画制作意図を精読し、
あの時代に思い馳せると、
心は高まり、そして瞼(まぶた)が熱く、やがて涙があふれてきた・・。

航空便の機長より、着陸のアナンサーがあり、
機は下降し、雲の中を通り過ぎると、
眩(まぶ)しい陽射しの中、那覇空港が観えた。



   第2章  琉球文化の一端として

那覇市のビジネスホテル風の『アパホテル』にチェックイン後、
玉陵、首里城を観て廻った。

私達夫婦は15年前に来ていたので、
歴史館、陸墓は彼方の時代の時の再現を確認する為であり、
沖縄の明治以前の歴史を書物で学んできたが、
王朝の興亡には私は余り興味がなく、
ただ中国、朝鮮、薩摩との交流は、改めて考えたりしいた。

琉球の置かれた状況をそれぞれの時代には、
どのような形態であったのかしら、
と思いを馳せたりした。

牧志市場で魚介類を1階で買い求め、
2階が食堂風で食べさせてくれる所で、
ヤシ蟹(カニ)とイカサミ等の周辺で獲れるのを賞味した。

家内たちは色々と賞味していたが、
私はオリオンビールを呑みながら、
ヤシ蟹の味噌を味わえば、充分である。



   第3章  クファデーサーの樹の下で

『ひめゆりの塔』を行く前に、『ずゐせんの塔』に花をささげたいと、
私は家内たちに云った・・。

家内たちには、ずゐせん学徒隊に関しては、
旅行の合間に話していたのである。

『ずゐせんの塔』は、午前の陽射しを受け、
さわやかな風が吹いていた。

私達は花をささげて、両手を合わした後、しばらく黙祷をした・・。

この後、『ひめゆりの塔』の資料館を見いていたが、
私は早めに出て、庭園を散策し、
庭の手入れをされている年配の男性に、
『クファデーサー・・樹・・
この庭園に有りましたなら・・教えて下さいますか・・』
と尋ねた・・。

男性の庭の周辺を歩きながら、
大きな樹木で空まで伸ばすかのように枝葉を広げた大木を指して、
『この樹が・・クファデーサーですよ・・』
と私に云った。

古来から沖縄に於いては、墓地の付近に植えて、さんさんと照り続ける中、
大きなクファデーサーは周囲に日陰をつくりだすので、
長年人々にいとしまれている樹である。

かの沖縄戦で民衆、少年少女、そして幼児まで巻き込まれた悲惨な地上戦を思い馳せながら、
私はクファデーサーの樹の下で煙草を喫ったりした。

このクファデーサーに関しては、
両陛下が終戦50年の慰霊の旅として沖縄に訪れた折、
『平和の礎(いしじ)』をご覧になった後、
皇后陛下は平成七年にひとつの歌を詠まれた・・。


クファデーサーの苗木添ひ立つ
   幾千の礎(いしじ)は重く死者の名を負(お)ふ

        作者・皇后陛下


この歌に導かれて、この樹木を知り、
私なりに沖縄戦の過酷な戦場と思いを重ねた。

この後、『平和の礎』のある『平和祈念公園』に、
私たち三人は行った。


            
                            《つづく》
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明日より、沖縄8泊9日旅行・・♪   《初出2007.10.28.》

2008-06-01 09:31:15 | 旅のあれこれ
明日の早朝より、私達夫婦は家内の母を誘い、
3人で沖縄本島を訪れる。

私達夫婦は、15年前頃に石垣島の島々と本島に4泊5日で訪れていたが、
今回は家内の母の高齢を案じて、本島をゆっくりと周遊する。

このサイトで以前に綴ったが、
ひめゆり塔を観たいわ、と家内の母が云ったので、
今回はこうした旅行となった。

家内の父が3年前に死去され、
私達夫婦は独り住まいの家内の母を誘い年に3回前後、
5泊6日前後の温泉滞在の旅行をしている。

家内が母の元気なうちに、私達年金の生活であるが、
一年に一回ぐらいは、少し贅沢な日程で、
母が行って観たい所に連れてってあげたい、
という要望が私にあった。

こうした折、昨年の5月、家内に、
北海道に行って・・旭山動物園・・知床半島を観たいわ・・
という家内の母の熱望により、7泊8日で道央、道東を訪れた。

男の子の私としては、家内の要望、
そして家内の母の、こうしたゆっくりとした旅行・・初めてよ・・
と嬉しげに感謝のしぐさをされれば、
私は幾つになっても女性に弱く、出来る限り夢を叶えてあげたい、
と少し無理しながら、微苦笑しているのも本心である。



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陽射しは眩(まぶ)しく、青空の朝を迎えて・・♪  《初出2007.10.28.》

2008-06-01 09:28:47 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、一昨日の早朝から小雨が降り、ときおり本降りの雨となり、
昨日は季節はずれの豆台風の影響で、
風を伴い、強い雨とになり、夜の10時過ぎまで降り続けた・・。


11時過ぎに寝付いたが、深夜の2時頃に目覚めると、
澄み切った夜空の中、月が周囲に光を放ち、星が平素より数多く観られた。

この後、寝付けなくなり、布団の中で文庫本を開いて明け方まで読み、
眠くなったので、2度寝をすることにした。
心がすうっと楽にし、身体が下方にゆるやかに落ちていくようで、
心持は最良となり、快感に身をゆだねた・・。

目覚めると、朝の陽射しは眩しく、雲ひとつない澄み切った青空となっていた。

日中は24度前後となり、これからの数日は秋日和となる。

私は昨日から、明日から家内の母を含め3人で沖縄に旅行で訪れるで、
改めて沖縄の歴史を読んだりしている。

秋日和の日中、沖縄の明治以降の学ぼうとしている。

私は男の子であるので、無邪気に観光を楽しむ気にはなれないので、
遥か先人からの琉球の風土を謙虚に学び、
その上で風は爽やか、陽射しは眩しい中で、心身をゆだねようとしている。

こうしていると、年金生活の身であり、日常は自在としているが、
なお時間は限りなく愛(いと)おしくなるので、不思議である。


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『水無月』を迎えて・・♪

2008-06-01 07:38:00 | 定年後の思い
昨夜、カレンダーを一枚破り、
五月に別れを告げ、新たな6月に『こんにちは・・』と呟(つぶや)いたりしていた・・。

過ぎ去った5月の私の思いは、昨夕綴った『5月も終え、私の心の収穫は・・♪』で、
すべて心の発露をしているので、省略する。

私の住む東京郊外は、ここ5日ばかり走り梅雨で、
小雨が降ったり、止(や)んだりしてぐずつき肌寒い日々であったが、
今朝は久々に快晴の青空で迎えた。

私は日中、久々の陽射しの中、買物と散策する予定であるが、
家内は早朝から洗濯の合間、掃除などで忙しくしている。

今月の中旬から7月の下旬の初め頃までは、
私の住む地域は、『梅雨』の時節となっているので、
紫陽花(アジサイ)などの花を誉(ほ)め、
雨の降りしきる中、煙(けむ)るような木立の美景に、
果たして今年は、と私なりに心を寄せたりしている。
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