夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

恥ずかしながら、私の定年後の『初夢』の数々は・・。 《下》

2010-01-03 14:03:06 | 定年後の思い
2006年1月2日の午後3時過ぎに於いては、
【 初夢の日は・・♪ 】
と題して、投稿していたので、今回も再掲載をする。

【・・
ある知識人によれば、『初夢』は元旦の夜にみる夢である。

室町時代より、2日の夜にみる夢を初夢の日に変わったが、
仕事はじめの日に働いて上、その夜にみる夢こそ、一年を占うのが初夢、
と定義された。

一年を占う大切な初夢なので、
先人達は、良い夢をみる為に、色々と努力した、と言われている。

私がこの朝にこのブログに綴ったのは、
無職のある上、古来の日本に帰ったと理解して頂きたい。
・・】



この日の午後の4時半になると、
【 続・初夢の日は・・♪ 】
と題して、投稿している。

【・・
先程も綴ったが、初夢は今夜にみる夢が、初夢の日である。

私のコメント欄、掲示板にも、綴られてきましたので、お子様方にも誤解を招くので、
第一、お子様の教育上、悪影響をもたらしますので、
あえて『続・初夢の日は・・♪』を綴った次第です。

誤解を招き、おわび致します♪
・・】



この年の翌日の1月3日に於いては、
【 初夢談義・・♪ 】
と題して、投稿していたが、今回も再掲載をする。

【・・
先程、年賀状の返信を送付する為、近所の郵便ポストに行った時、
近所にお住まいの大学教授を退官された碩学(せきがく)と、郵便ポストの前で逢った。

私は目礼をすると、近寄ってきて、
『君ねぇ、近いんだから、お茶でも呑みに来なさい・・』
と言われた。

私より10歳前後の年配者で、大学を退官された後、私立大で5、6年教えられ、
その後、隠居したと明言しているお人であった。
確か、国文学を専攻されていた、お人でもあった。

私は初夢の事を話題とした。
『初夢は室町時代の前は、元旦にみる夢が初夢と称していましたが、
室町以降は仕事初めを2日からしていましたので、
日中に働いて、その夜にみる夢こそ一年を占うので初夢と・・』
と私は言った。

『そうしたのを余計な知識なのょ・・
第一、現代社会は御用始めなどは、三が日あけてからじゃないの・・』
と碩学は言った。

『今の社会では、元旦、とか2日がどちらが初夢なのかは・・
良い夢をみた方を初夢と思えば良いのょ・・
君もねぇ、もっと自在に生きなさいょ・・』
と私は言われてしまった。

私は返す言葉を失って、
『はい、努力します・・』
と答えた。

私はこの人の後姿を見送り、心が健在なので安堵した。
・・】



この2005年の正月は、前年の秋に私は定年退職をしていたので、
初めての定年後の正月を迎え、無念ながら初夢に関しては、綴っていない。
むえず、初夢の代わりに、この年の元旦に新年の挨拶を投稿した後、
【 『春の海』に託して・・。】
と題して、投稿文があるので、初夢り代わりに現(うつつ)の出来事、思いを再掲載をする。

【・・
家の庭と付近の路上が、昨日、めずらしく雪が降り、雪が残っている・・。

雪かきを新年早々にすることにした。

玄関口と家の廻りの路地を雪かきしていたら、汗ばみ、運動不足にもってこい、と思え2時間ばかりした。

その後、風呂に入り、髪を洗い、髭をそり、ぬるめの風呂に長い間ひたっていた・。

昨夜より、家内の母が来宅し、昨夜の遅くまで色々と積もる話をしていたので、ついつい飲みすぎてしまう・・。
話の主題は家内の父が10月に亡くなったので、妻からみた夫の話になってしまう・。

家内の母が恒例の新年挨拶に出かけたので、家内と遅めの朝食とする。

宮城道雄の『春の海』を聴きながら、普段呑み酒より、頂き物のはるかに高級の辛口を飲む。
庭に残っている雪を見ながら、家内と話がはずむ。

以前だったら、茶室で家内と新年の挨拶をした後、御節をたべながら、冷酒を呑むのが恒例であったが、
年を重ねると居間のテーブルと炬燵を行き交い、利便性に妥協してしまう。

酔い覚ましに庭にでたら、雪が陽を受けて、その雪の上に紅葉(モミジ)の朱色の葉が10数枚が散っていた・・。
このような情景を見つめていたら、山川草木のよすがにすがり、この一年を一日一日を大切に過ごそう、と思った・・。
・・】

このように私は、退職後の初夢などを遡(さかのぼ)って掲載してきたが、
読み返した今、その年はこのようなことであったか、と幼い綴りであるが、
懐かしいのが本心である。




href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恥ずかしながら、私の定年後の『初夢』の数々は・・。 《上》

2010-01-03 09:05:33 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
昨夜、私の人生でまったく考えられない夢をみたのである・・。

東京の高級住宅街の丘の上に、ガラスばりの豪壮な家に住んで、
私は何故かしら55歳の若さで、総合プナンナーをして、世界で有数な人と称せられている。

デパートの外商部の方が、自動車のセールスで来宅し、盛んに欧州車の売り込みで来宅している。
私は興味がなく、トイレに行ったのであるが、古びた木造のトイレと並列に大理石が並んで、
どうしてなの、と感じたのである。

その後、居間に戻ると、北側は雑木林に雪が舞い降り、雪景色となり、
南面は燦燦と照りつける南国風の海岸のリゾートの情景なのである。

このようなことはありえないのに、と不思議に思っていたら、
妹のひとりが高価な自動車で来宅し、
いつまでもカローラなど乗って、お兄さんおかしいわよ、と私に云ったのである。

だって・・と私が妹に云おうとしたら・・・目覚めたのである。

もとより私は古びた一軒屋に住み、周囲も住宅街で密集し、30年以上住んでいるので、
程ほどの貯金を取り崩して、年金を頂き、生活している身である。
そして、年金生活で趣味を生きがいにし、無名であふれた65歳の男である。

その上、私は定年後は自動車の免許証も更新することなく、破棄したので、
自動車の運転は対象外のひとりなのである。

何でこのような初夢をみたのか私は不可解であり、もしかしたら、
何かの間違いで金運上昇なのかしら、とB型の私は楽観視し、苦笑している。

この後、私の定年退職後の初夢は、と思いながら、
このサイトで投稿してきた初夢に関することを読み返したのである。


昨年の2009年1月2日に於いては、
【 私なりの初夢は・・♪ 】
と題して、投稿しているが、あえて再掲載をする。

【・・
私は昨夜も早く布団にもぐったのである・・。

家内の母が年末の28日より来宅して貰い、
我家で私達夫婦と3人で年始の4日まで共に過ごすので、
夜はささやかな酒宴となり、私は弐合徳利をお変わりしながら、談笑したりしている。

この後は、ほんのりと酔いを感じたりし、平常より早めに布団にもぐり、
30分もしないうちに本を閉じて、寝付いてしまうのである。
そして、早朝に目覚めたりしている。

古来より、早寝早起き元気な児,と明言があるけれど、
齢を重ねた64歳の私は苦笑しているのである。

私は庭のテラスで煙草を喫ったりしていると、
おかしな夢をみた、と思い浮べ、微笑んだのである・・。


何かしら私の中学時代の女性と、ふたりで三次会の洋風の居酒屋にいるのである。
『俺は・・中学時代・・劣等生であったから・・
優等生でクラスの人気者の貴女が・・まぶしかったよ・・』
と私はオンザロックを呑みながら、
裕福な家柄に育った上、素敵な薄紫色のツー・ピースを召した同級生に云ったりした。

そして、横顔を見ると、瞳も綺麗で、何気なしに首筋を見ると妖艶さを感じたのである。

『そおぉ・・もっと早く・・10代の時に言って欲しかったわ・・』
と微笑みながら、私に云った。

私はこの人が、こんなに色っぽい人とは知らなかった、
と感じながら、
『でもねぇ・・気後(きおく)れしちゃうよ・・』
と私は云った。

『XXクン・・カラオケしょうょ・・
テレサテンの『つぐない』・・一緒に唄おう・・』
と私に云いながら、奥まったカラオケ・セットのある場所に歩いた。

私は少し遅れ、フロアーのカラオケ・コードにつまずいて、
少しよろけながらも、何とか並んだのである。


♪窓に西陽があたる部屋は
 いつもあなたの 匂いがするわ

【『つぐない』 作詞・荒木とよひさ 作曲・三木たかし】


透明感あふれる声で唄いだしたのである。
この後、私は3年ぐらいカラオケをしたことがなかったので、
唄う自信がなかったが、照れながらも、


♪ひとり暮らせば 想い出すから
 壁の傷も 残したまま おいてゆくわ

【『つぐない』 作詞・荒木とよひさ 作曲・三木たかし】


と私は何とか唄ったのである。

そして私を制して、独りで、


♪愛をつぐなえば 別れになるけど
 こんな女でも 忘れないでね

【『つぐない』 作詞・荒木とよひさ 作曲・三木たかし】


とこの人は唄ったのである。


私は昔の優等生は歌も巧いので驚いていたり、
少し離れてまぶしげに横顔を見惚(みと)れていたのである。
そして、この後はどのようになるのかしら、と少し期待をしながら、
困ったなぁ・・・、と思っていたら、
目覚めたのである。

せっかく良い時だったのに、と無念ながら、
ぼんやりと、どうしてあの人が夢に出てきたのか、と思ったりしたのである。

そして、昨年の初夏、中学の有志の懇親会で、二次会の時、6人でカラオケに行き、
この人から誘われて、『いい日旅立つ』を手を握りながら、共に明るく唄ったが、
この後、駅前のタクシー乗り場で見送ったりしたのである。
そして、可愛い顔立ちだった、と今でも覚えている。


私は庭の冬木立を眺めながら、
俺も齢をとったよなぁ、と苦笑したのである。

そして、この後、私は居間に戻り、パソコンを開き、
このサイトで初夢を綴り、投稿した文を探したりしたのである。


【今宵、私なりの初夢の願望は・・♪】
と題して、一昨年の1月2日に投稿していた。

【・・
昨夜、夢みたのが初夢か、或いは今宵みる夢が初夢なのか、学者が論議するまでもないが、
どちらにしてもそれぞれのお方達が良い夢を見た方に私は支持をする。


私は齢を重ねた今でも、煩悩を捨てきれないので、
私の今宵の夢は・・と玄関庭に下り立ち、煙草を喫いながら、少し思った。

やはり紬(つむぎ)が似合い、臈長(ろうた)けた人と語り合い、散策し、
木陰でそっと手を握り合う・・
このようなことを私なりに夢をみている。

私はこのようなことを思えば、思い込みが強い性格であるので、
ほとんど日頃から夢の中で叶えられる持ち主である。

さしずめ私が浮かんだ人は・・浜 美枝さんだったか、
関根恵子さんだったかは定かでない。

いずれにしても私が映画青年の真似事をしていた時代に、
お逢いした人々の中のお2人である。

・・】


この後の翌日も、
【そして、私の初夢は・・♪】
と題して、投稿していたのである。

【・・
昨夜、私はこのサイトで『今宵、私なりの初夢の願望は・・♪』に於いて、
紬(つむぎ)が似合い、臈長(ろうた)けた人と・・綴ったが、
実際はどのようであったか、綴る責務があると思っている。

私の現役時代の最後は本社から外れ、物流会社に出向となった。
この中の一部の物流センターに勤務となり、
正社員の他、若手の男性の契約社員の10名、そして女性のパート社員が100名前後の職場であった。

私は職務上、懇親会に於いて、女性の多くと会話をした。
20代から50代の人達であったが、昨夜の初夢はこの中の3人が出てきた・・。
このお方たちは心の澄んだ人で、笑顔のたやさない優しい人妻達であった。

このお方達と立ち話をしている時、
前の職場の本社の20代の女性がいるので、なぜかしらと思っている時に、
夢が途切れた・・。

夢は現実では考えられない時代を超えるので、苦笑したりした。

それにしても幾つになっても、女性のしぐさ、微笑みに興味がつきないので、
こうした夢をみるのかしらと思ったりしている。

・・】


このように綴っていたのであるが、亡き向田邦子・女史の随筆は、
1度読めば2度美味しいような随筆を書く人、と小説家・山口 瞳氏は絶賛したのであるが、
拙(つた)ないなりに私はこの『初夢』に関しては、3度ばかり美味しいかしら、
と微笑んだりしている。

・・】

このように投稿していたが、今年のおかしな金運よりも、異性運の急上昇となり、
かぐわしい40代以上の女性と立ち話しをしている方が、限りなく楽しいのに、
と私は思い、微苦笑している。


                             《つづく》


href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする