私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日、神代植物園に行ったが、家内と共に神代植物園に出かけたのは昨年の桜の花見をして以来だった。
陽射しの高い中に帰宅しょう、と園内を辞したのは、午後の3時過ぎで、
野川の遊歩道を30分ぐらい歩いたら、
『この先にある・・イトーヨーカドーに寄ってみませんか・・』
と家内から誘われて、私達夫婦は5、6年前にできた国領店に寄ったのである。
家内はエプロン、バスタオルを買い求めたかったので、
2階の衣服売り場のファション・フロアーに私達は行った。
私はこの国領店には、10数回ぐらい利用したことがあったので、
2階の外れに、トイレ、休憩室、そして喫煙室があることを知っていたので、
この辺で私達は待ち合わせることとし、
『ゆったくと・・品物を選べば・・』
と私は家内に、明るく大きな声で云った。
私は家内と別れた後、喫煙室に行き、煙草を喫っていると、
3階に本屋に行ってみようと思ったのである。
過日、新聞の広告に掲載されていた新書を思い出し、買い求めたのである。
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2009/05/102000.html
☆ 中公新書 猪木武徳・著の『戦後世界経済史 ~自由と平等の視点から~』
私は現代史に興味があるので、無知な経済分野でも戦後史を学ぼうとし、
購入したのである。
そして、日本近現代史の専門家である中村政則(なかむら・まさのり)氏の『戦後史』(岩波新書)を遅ればせながら昨年読んだりしたので、
この二冊で程々に戦後史が判るかしら、と微笑んだのである。
そして、この後の一冊は佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』(文藝春秋)の単行本を買い求めたのである。
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163717906
☆ 文藝春秋 佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』 ☆
もとよりこの本は、著作者が明示されている通り、
月刊総合雑誌の『文藝春秋』の昨年の2009年3号から5月号に連載された内容であり、
私は40年間ぐらい『文藝春秋』を愛読しているので、通読していた。
たまたま私は、『調布市 市報』の最新号を18日頃に読んでいた時、
時局講演会として、佐野眞一氏が『「真実を知る日」昭和が終わった日』と題して、
私の住む市の文化会館で講演を2月中旬にされるので、
私は氏の愛読者のひとりで、この際、拝聴しょうと思ったりしていたのである。
この講演の開催されるニュースを知る前の昨年に、
当然ながら佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』の単行本の発刊を知っていたが、
月刊総合雑誌の『文藝春秋』の連載記事を読んでいたので、私は購入を見送っていたのである。
しかし、氏の講演を拝聴する立場となれば、
氏の連載記事が終わり、新刊本になった場合、やがて文庫本になる時、
もとより「あとがき」あり、そして加筆、大幅な追記もある作家なので、
読んでみたいと思い、あえて購入したのである。
このようにたった5分で本屋から戻り、煙草を喫いながら、
買い求めた本を開いたのである・・。
私は自動販売機のペットボトルの煎茶を飲みながら、
ときおり煙草を喫ったりし、読書ができれば、
たとえ一食を抜いても何時間でも過ごせる身なのである。
一時間ぐらいして家内が買物を終えて戻ってきた時、
『早かったじゃないの・・』
と私は微笑しながら、家内に云ったりしたのである。
私の煙草に関しての思いは、私は煙草を若き19歳の大学の夏季合宿に覚えて以来、
たとえギックリ腰で救急車に運ばれて、28泊29日の入院生活を40代のなかばに体験したが、
ビール、日本酒などのアルコールは止められても、
車椅子に乗りながら、整形外科のフロアーにあった喫煙場に通ったひとりであった。
昨今、本人の健康に良くない、もとより人さまに迷惑、と嫌煙の風潮があり、
何よりも水戸黄門の紋章のワッぺンのように、かけがえのない地球と称して環境問題まで云われる方がいるので、
せめて私の出来ることは、公共交通機関の利便性にある地域に住む私は乗用車に乗らないように、
定年退職後の免許書の更新の時、破棄している。
このような思いで、私は自宅のテラス、玄関の軒下で蛍族のひとりとして煙草を喫ったり、
外出の時は、喫煙場を見つけ、ほっとしながら喫ったりしている。
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昨日、神代植物園に行ったが、家内と共に神代植物園に出かけたのは昨年の桜の花見をして以来だった。
陽射しの高い中に帰宅しょう、と園内を辞したのは、午後の3時過ぎで、
野川の遊歩道を30分ぐらい歩いたら、
『この先にある・・イトーヨーカドーに寄ってみませんか・・』
と家内から誘われて、私達夫婦は5、6年前にできた国領店に寄ったのである。
家内はエプロン、バスタオルを買い求めたかったので、
2階の衣服売り場のファション・フロアーに私達は行った。
私はこの国領店には、10数回ぐらい利用したことがあったので、
2階の外れに、トイレ、休憩室、そして喫煙室があることを知っていたので、
この辺で私達は待ち合わせることとし、
『ゆったくと・・品物を選べば・・』
と私は家内に、明るく大きな声で云った。
私は家内と別れた後、喫煙室に行き、煙草を喫っていると、
3階に本屋に行ってみようと思ったのである。
過日、新聞の広告に掲載されていた新書を思い出し、買い求めたのである。
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2009/05/102000.html
☆ 中公新書 猪木武徳・著の『戦後世界経済史 ~自由と平等の視点から~』
私は現代史に興味があるので、無知な経済分野でも戦後史を学ぼうとし、
購入したのである。
そして、日本近現代史の専門家である中村政則(なかむら・まさのり)氏の『戦後史』(岩波新書)を遅ればせながら昨年読んだりしたので、
この二冊で程々に戦後史が判るかしら、と微笑んだのである。
そして、この後の一冊は佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』(文藝春秋)の単行本を買い求めたのである。
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163717906
☆ 文藝春秋 佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』 ☆
もとよりこの本は、著作者が明示されている通り、
月刊総合雑誌の『文藝春秋』の昨年の2009年3号から5月号に連載された内容であり、
私は40年間ぐらい『文藝春秋』を愛読しているので、通読していた。
たまたま私は、『調布市 市報』の最新号を18日頃に読んでいた時、
時局講演会として、佐野眞一氏が『「真実を知る日」昭和が終わった日』と題して、
私の住む市の文化会館で講演を2月中旬にされるので、
私は氏の愛読者のひとりで、この際、拝聴しょうと思ったりしていたのである。
この講演の開催されるニュースを知る前の昨年に、
当然ながら佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』の単行本の発刊を知っていたが、
月刊総合雑誌の『文藝春秋』の連載記事を読んでいたので、私は購入を見送っていたのである。
しかし、氏の講演を拝聴する立場となれば、
氏の連載記事が終わり、新刊本になった場合、やがて文庫本になる時、
もとより「あとがき」あり、そして加筆、大幅な追記もある作家なので、
読んでみたいと思い、あえて購入したのである。
このようにたった5分で本屋から戻り、煙草を喫いながら、
買い求めた本を開いたのである・・。
私は自動販売機のペットボトルの煎茶を飲みながら、
ときおり煙草を喫ったりし、読書ができれば、
たとえ一食を抜いても何時間でも過ごせる身なのである。
一時間ぐらいして家内が買物を終えて戻ってきた時、
『早かったじゃないの・・』
と私は微笑しながら、家内に云ったりしたのである。
私の煙草に関しての思いは、私は煙草を若き19歳の大学の夏季合宿に覚えて以来、
たとえギックリ腰で救急車に運ばれて、28泊29日の入院生活を40代のなかばに体験したが、
ビール、日本酒などのアルコールは止められても、
車椅子に乗りながら、整形外科のフロアーにあった喫煙場に通ったひとりであった。
昨今、本人の健康に良くない、もとより人さまに迷惑、と嫌煙の風潮があり、
何よりも水戸黄門の紋章のワッぺンのように、かけがえのない地球と称して環境問題まで云われる方がいるので、
せめて私の出来ることは、公共交通機関の利便性にある地域に住む私は乗用車に乗らないように、
定年退職後の免許書の更新の時、破棄している。
このような思いで、私は自宅のテラス、玄関の軒下で蛍族のひとりとして煙草を喫ったり、
外出の時は、喫煙場を見つけ、ほっとしながら喫ったりしている。
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