夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

本と煙草があれば、何時間でも・・!?

2010-01-25 16:41:08 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日、神代植物園に行ったが、家内と共に神代植物園に出かけたのは昨年の桜の花見をして以来だった。
陽射しの高い中に帰宅しょう、と園内を辞したのは、午後の3時過ぎで、
野川の遊歩道を30分ぐらい歩いたら、
『この先にある・・イトーヨーカドーに寄ってみませんか・・』
と家内から誘われて、私達夫婦は5、6年前にできた国領店に寄ったのである。

家内はエプロン、バスタオルを買い求めたかったので、
2階の衣服売り場のファション・フロアーに私達は行った。

私はこの国領店には、10数回ぐらい利用したことがあったので、
2階の外れに、トイレ、休憩室、そして喫煙室があることを知っていたので、
この辺で私達は待ち合わせることとし、
『ゆったくと・・品物を選べば・・』
と私は家内に、明るく大きな声で云った。

私は家内と別れた後、喫煙室に行き、煙草を喫っていると、
3階に本屋に行ってみようと思ったのである。

過日、新聞の広告に掲載されていた新書を思い出し、買い求めたのである。
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2009/05/102000.html
☆ 中公新書 猪木武徳・著の『戦後世界経済史 ~自由と平等の視点から~』


私は現代史に興味があるので、無知な経済分野でも戦後史を学ぼうとし、
購入したのである。
そして、日本近現代史の専門家である中村政則(なかむら・まさのり)氏の『戦後史』(岩波新書)を遅ればせながら昨年読んだりしたので、
この二冊で程々に戦後史が判るかしら、と微笑んだのである。


そして、この後の一冊は佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』(文藝春秋)の単行本を買い求めたのである。

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163717906
☆ 文藝春秋  佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』 ☆

もとよりこの本は、著作者が明示されている通り、
月刊総合雑誌の『文藝春秋』の昨年の2009年3号から5月号に連載された内容であり、
私は40年間ぐらい『文藝春秋』を愛読しているので、通読していた。

たまたま私は、『調布市 市報』の最新号を18日頃に読んでいた時、
時局講演会として、佐野眞一氏が『「真実を知る日」昭和が終わった日』と題して、
私の住む市の文化会館で講演を2月中旬にされるので、
私は氏の愛読者のひとりで、この際、拝聴しょうと思ったりしていたのである。

この講演の開催されるニュースを知る前の昨年に、
当然ながら佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』の単行本の発刊を知っていたが、
月刊総合雑誌の『文藝春秋』の連載記事を読んでいたので、私は購入を見送っていたのである。

しかし、氏の講演を拝聴する立場となれば、
氏の連載記事が終わり、新刊本になった場合、やがて文庫本になる時、
もとより「あとがき」あり、そして加筆、大幅な追記もある作家なので、
読んでみたいと思い、あえて購入したのである。


このようにたった5分で本屋から戻り、煙草を喫いながら、
買い求めた本を開いたのである・・。

私は自動販売機のペットボトルの煎茶を飲みながら、
ときおり煙草を喫ったりし、読書ができれば、
たとえ一食を抜いても何時間でも過ごせる身なのである。

一時間ぐらいして家内が買物を終えて戻ってきた時、
『早かったじゃないの・・』
と私は微笑しながら、家内に云ったりしたのである。


私の煙草に関しての思いは、私は煙草を若き19歳の大学の夏季合宿に覚えて以来、
たとえギックリ腰で救急車に運ばれて、28泊29日の入院生活を40代のなかばに体験したが、
ビール、日本酒などのアルコールは止められても、
車椅子に乗りながら、整形外科のフロアーにあった喫煙場に通ったひとりであった。

昨今、本人の健康に良くない、もとより人さまに迷惑、と嫌煙の風潮があり、
何よりも水戸黄門の紋章のワッぺンのように、かけがえのない地球と称して環境問題まで云われる方がいるので、
せめて私の出来ることは、公共交通機関の利便性にある地域に住む私は乗用車に乗らないように、
定年退職後の免許書の更新の時、破棄している。

このような思いで、私は自宅のテラス、玄関の軒下で蛍族のひとりとして煙草を喫ったり、
外出の時は、喫煙場を見つけ、ほっとしながら喫ったりしている。



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我が心のふるさとのひとつは、都立『神代植物園』・・。

2010-01-25 11:13:44 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
この時節になると花が少なくなり、少し寂しい気になる時もある。

こうした折、付近の小公園、遊歩道を散策したりしている。
ときには飽き足らず都立の公園に行ったりしている。

私の住む最寄の大きな公園としては、都立の『神代植物公園』があり、隣接した所に深大寺もあるが、
我が家からは少しばかり遠い徒歩で45分前後の道のりである。

私は野川の川沿いの遊歩道を歩くのが圧倒的に多いが、
時として違ったコースを歩き、途中からパスを利用することもある。

いずれにしても、この公園は私が通った地元の神代中学校の付近にあり、
私が中学校を卒業した1960(昭和35)年の頃に開園したが、
自転車で通学していた私は、ときおり開園前の雑木林の中を下校の時などに、学友と自転車で走りまわったりしていた。
その後、人生の節目などを含めて、四季折々通ったりしてきた。

私が心に迷ったりした時などは樹木を眺めたり、それぞれの花に心を寄せて、
心の濾過をして浄化されたりしてきた。

私がこれまで生きてきたつたない人生には、
時として心の証(あかし)が梅(ウメ)、椿(ツバキ)、櫻(サクラ)、花水木(ハナミズキ)、躑躅(ツツジ)、紫陽花(アジサイ)、
花菖蒲(ハナショウブ)、蓮(ハス)、木槿(ムクゲ)などに心を寄せてきたので、
それぞれのコーナー園が私のひとときの迷いも知っていると思っている。
             

東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に、
私は大学2年であったが、この公園の雑木林を歩いたりしながら、
中退を決意したりしたのである。

私は結婚して2年が過ぎた頃、私の生家の実家に近くに家を建てた後、
家内を家の周辺を案内したり、ときおり神代植物園にも訪れたりしていた。

そして私が40代の頃は、サラリーマンの多忙の休日の折、
四季折々に家内を誘い、私は純米酒の辛口を弐合ばかり持参して、
花咲く樹木の前で、ベンチに座りながら家内と語り合いながら、呑んだりりしたことが多かったのである。

50歳代になると私は会社の業務が益々多忙となり、
家内の方はテニスに熱中していたので、
国内旅行だけは何とか休暇のスケジュール合わせる程度となり、
私が日曜日に休めた時は、ひとりで通ったりしていた。

私は定年退職後の年金生活に於いても、独りで植物公園まで四季折々、訪ねてたりしている。


一昨日、家内と夕食の時、昨年の桜を観て以来、久々に神代植物公園に行ってみよう、と私は提案した。

我が家は世田谷区と狛江市の隣接した調布市のはずれにあり、
付近には霞嶺神社、明照院があり、私の実家も近くにある。
私は結婚前後の5年を除き、この地を60年過ごしているので、心のふるさとの原景は
我が家の周辺にある。

私は農家の児として生を受けたのは、1944(昭和19)年の秋であり、
祖父、父を中心に小作人の手を借りながら、程ほど広い田畑を耕していた。
そして竹林、雑木林に囲まれた農家であった。
この頃の周辺の情景も京王腺の駅付近を除き、田畑や雑木林の多い緑豊かな村里の情景であった。
私が小学生2年に父が病死し、まもなく祖父も死去し、
我が家は衰退したが、小学校を卒業する頃に、東京のベットタウンに変貌しはじめ、
住宅街となった。
そして、この間に曲がりくねっていた野川も本格的に大きな川として護岸工事の上、
整備されたり、遊歩道や小公園も新たに設けられたりした。


昨日、11時少し前に家内と神代植物公園に向かって川沿いの遊歩道を歩いた。
冬晴れの澄み切った青空で風もなく暖かな11度前後の中、歩き出したのであるが、
日曜日の為か、家族連れの方たちの散策されたり、ジョキングをされる若い人たちを見かけたりした。

川の水辺の近くに鷺(サギ)、鴨(カモ)が数多く観られ、そして鶺鴒(セキレイ)、椋鳥(ムクドリ)も飛来して、
私は興味がなかったが、家内は動物、小鳥達が好きだったので歓声をあげていた。

深大寺に着いて、いつもだったならば付近の蕎麦屋に入り昼食とし、
ビールで喉を潤(うるお)した後、十割蕎麦を頂き、蕎麦湯を飲んだりすることが多かったが、
今回は遅い朝食だったので、通り過ぎたのである。

深大寺を参拝した後、神代植物公園内を散策しはじめた。
この時節は、梅園に寄り、全般としては莟(つぼみ)の多い情景であったが、
白梅の清楚な白難波(シロナンバ)、恥らうように咲いている冬至(トウジ)、
紅梅の華やかな大盃(オオサカヅキ)、若き女性の頬(ほお)のような紅鶴(ベニズル)、
このような早咲きに私はしばらく見惚(みと)れていたのである。

この後、蝋梅(ロウバイ)の咲き始めている花に近寄ったりした。
色は黄色で花の中心は紫褐色となって折、冬の陽射しの中で安らぎのある情景を彩っていた。
この近くに黄色の花色となって、中心が淡い黄色となっているのに私は魅了させられた。
品性があり、芳香が少し強い難点を除けば、私の好きな冬の花となる。
主木の外れに『ソシン・ロウバイ』の樹木名の札があった。

そして、蝋梅の近くに、マンサクは黄色い莟となっていて、
こうした光景に魅了されて、この梅園の中で何よりも心酔させられたのである。


この後、藪椿(ヤブツバキ)を誉(ほ)めたりした後、
福寿草を探したが、数輪が土の中から黄色い花が見られた程度であった。
家内は身体が冷えたというので、正門の喫茶コーナーに行き、
陽射しが受ける温室のような窓辺の席で、家内はコーヒーとホットケーキ、
私はヒールを呑みながら、ソーセージの盛り合わせの軽食としたのである。

そして正門の近くに、寒ボタンの美麗な数々が展示されていたが、
私は先程に椿園で観た秘っそり咲いていた薄紅色の卜伴錦(ボクバンニシキ)と名づけられた椿に心を奪われていたので、
ボタンは華やかさだスターのような花だけ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

この後、家内の要望の温室に寄ったが、私は温室は何かしら好きになれない。
私は樹木、草花に魅了されるのは、その地の四季折々の自然の中で、
それぞれの移ろいがあるので、心を寄せているのである。
食べ物の世界でいうと、人工栽培より露地野菜を好む習性と同様と思っている。

まもなく、私達は欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、ハクウンボク、ヒメシャラ、
イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどの冬木立の中を歩いた。

私はこうした葉を落とした冬木立の光景が歳を重ねるたびに、最も魅了させられている。

陽が高いうちに引き上げようとして、私達は3時過ぎに神代植物園の深大寺門を後にした。

http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/seibuk/jindai/
☆ 都立『神代植物公園』☆



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