夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『天上の神々』よりも、『八百万(やおよろず)の神』に信愛を深めて・・。

2010-01-05 10:41:15 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
今朝、いつものように雨戸を開けたら、庭がしっとりと黒土になり、清々しい冬の情景となっていた。

私は地元の天気情報を見たら、未明から明け方にかけて小雨が降ったと知り、
朝の6時過ぎは3度、昼下がりは12度前後、夜の6時は8度前後で、
平年より暖かな冬晴れの一日かしらと微笑んだした。

何気なしにカレンダーを見たら、
『小寒(しょうかん)』と明記されて折、思わず微苦笑したのである。

もとより古来より小寒は、『寒の入り』であり、
この頃からは寒さのはじまりと伝えられている。
そして『寒中見舞い』も、この時節からご自由にお出ししても結構です、と解釈されている。

私の住む地域は、年末年始は平年より冬晴れの暖かい日に恵まれ、
昨年のクリスマスが終る頃に日本水仙は莟(つぼみ)となり、
家内の母が来宅した28日に歓待するように咲いて、私は驚いたのである。
平年は初春の今頃は、莟(つぼみ)となって、我が家の主庭の片隅を彩ってくれる情景となっている。

我が家は、年末年始に家内の母に来宅してもらい、
私達夫婦と生活を共にしたので、昨日に家内の母が帰宅した後、
家内は昨日から後片付けに大忙しとなっているが、ここ6年ばかり恒例となっているが、
予期せぬ出来事は、洗濯機が故障し、家内は手洗いを孤軍奮闘したくらいであった。


平常時になった私達夫婦は、清く貧しく美しくを信条に今年も過ごす所存であるが、
天上の神々に守られながら、生かされて過ごしているのが確かなことである。

このように私が見いだした言葉のひとつ『天上の神々』という明言を信愛してきたのであるが、
昨今の私はもっと身近な『八百万(やおよろず)の神』に、改めて、ひれ伏しているのである。

私は幼年期に農家の児として育ち、サラリーマンを35年ばかりして、都会の垢(あか)にまみれて後、
年金生活をして四季折々の情景を眺めて、こよなく愛惜を深めているひとりである。
このような心情で、抽象的な『天上の神々』よりも、
『八百万(やおよろず)の神』に守られての方が相応しいと深く思ったりしているのである。


『八百万(やおよろず)の神』については、知識人・飯倉晴武(いいくら・はるたけ)氏が適切な表現をされているので、
氏の言葉の言葉を借りれば、
《・・
日本人はキリスト教やイスラム教のように唯一絶対の神ではなく、
自然万物のあらゆるものに神を見いだしてきました。

俗に八百万(やおよろず)の神というように、
太陽、月、星、風、雷といった神もいれば、土地、田、山、川、石などに、
また、家の台所、かまど、便所などにも神がおり、
さらには馬、犬などの動物、松、竹などの植物にも神が宿るというように、
多くの神々があまねく存在する点に特色があります。
・・
(略)
・・》

このように氏が編著された『日本人のしきたり』(青春出版社)の新書本の中で、
明示されている。

私は遅ればせながら、数年前に読み、ときおり繰り返し読んだり、
思考を重ねてきたのである。

このような思いから、齢を重ねてきた今、『天上の神々』よりも、『八百万(やおよろず)の神』に守られて、
確かに日々過ごし、生かされていると実感しているのである。



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コメント
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