夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京郊外は、春の陽気から、ふたたび冬の寒さを向え・・。

2010-01-21 17:04:21 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ここ数日は天上の気候の神々の恵(めぐみ)で、一昨日の19日は13度、
昨日は17度の春のような陽気となった。
大寒の時節なのに風もなく暖かく、桜の咲く頃かしら、と私は戸惑いながらも微笑んだのである。

今朝の朝の6時は10度の生暖かい朝を迎え、花曇りの日中となり、
昼下がりは18度となったが、この後は時折北風が吹きはじめたのである。

今宵の6時は8度前後が予測され、
明日の朝6時には1度前後となり、昼下がりも8度前後で冬晴れの日中が予測されている。

たった一日で10度前後の気温が下がり、春の陽気から冬の寒さに舞い戻り、
どうしてなの、と私は空を見つめている・・。


私は日中のひととき、昨夕に地元の税務署から郵送されてきた『所得税の確定申告書 用紙等』を、
年金生活の身ながら、対応した控除証明書等を揃え、
国税庁の申告用のホームページを開き、入力したのである。
結果としては、還付される税金は一万円を少し超えた程度である。
わずかな収入で、程ほどの保険等の支出であるので、この程度かしらと苦笑したのである。

私は相変わらず読書をし、年に一度だけの『所得税の確定申告書』の下書きをし、日中が終わり、
空が暗くなりはじめ、ときおり北風が強く吹いている情景をぼんやりと見つめたりしている。



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春のような陽気の中、思わずトワ・エ・モアの『虹と雪のバラード』の歌を唄いながら・・。

2010-01-21 10:40:03 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日の昼下がり、数年ぶりに歯の治療を受ける為に、家を出た。

小田急線の『喜多見』駅の付近にある歯科医院に向かい、野川の遊歩道を歩き出したのである。
『大寒』の20日なのに、17度前後の春の陽気の中、
戸惑いなからも、暖かさのめぐみで心は高揚していたのである。

ウォーキング、散策している人たちも何かしら春のような陽気で、明るい笑顔を見たり、
遊歩道の小公園の草花を眺めながら歩いていたのであるが、
私は突然に小声でひとつの歌を唄いだした・・。

♪虹の地平を 歩み出て
 影たちが近づく 手をとりあって
 町ができる 美しい町が
 あふれる旗 叫び そして唄
 ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
 
【『虹と雪のバラード』 作詞・河邨文一郎、作曲・村井邦彦、唄・トワ・エ・モワ 】

この後、私はどうして苦手なトワ・エ・モアの札幌冬季オリンピックの歌なの、
と私自身が戸惑ったのである。
しばらくして、最近のニュースのスポーツ・コーナーに於いて、
冬季オリンピックがカナダのバンクーバーで2月中旬より開催され、
日本の活躍されそうな選手の最新の状況を盛んに報じているので、
スポーツに興味のない私さえ、脳裏に残ってかしら、と微苦笑したのである。

私はこうした映像を視聴していると、アジアと日本で初めて開催された1964年(昭和39)年の秋の『東京オンンピック』に続き、
冬季オリンピックを『札幌』で開催させようという機運が高まったりした後、
政官財はもとより、多くの日本人が純粋に熱狂し開催できた最後のスポーツ祭典と思ったりしたのである。

その後のスポーツ祭典は、政官財と開催される自治体の思惑が感じられ、
一部の日本人は醒めた祭典となった、と私は思ったりしたのである。


この『札幌オリンピック』が開催された1972(昭和47)年の2月頃の私は、
1970(昭和45)年の春、25歳で民間会社に中途入社し、
遅ればせながら社会人となり、私なりに懸命に同世代の追いつこうと勤務に励んでいた時であった。

もとより私はスポーツ祭典に興味はなかったが、私はあるレコード会社の管理畑に勤め、
他社の東芝EMIからトワ・エ・モワの『虹と雪のバラード』が発売されていたが、
微苦笑を重ねながら、鼻歌を唄ったりした。

後年、1981(昭和56)年の夏、夏季休暇を活用して、
私達夫婦は北海道の道南地方を旅行した時、札幌の街並みを観光ハイヤーで観たり、郊外を周遊もした。
そして大倉山のジャンプ台の急斜面を観たり、
あのような急勾配のところ選手の方たち、怖くないのかなぁ、
と感じたしたのであった。


あの『札幌オリンピック』が開催された1972(昭和47)年の頃までは、
日本人の多くは政官財には信頼していたし、スポーツ祭典などに関しても、
何より多くの日本人が純粋に熱狂できた時代に、
今の私は愛惜を秘めたりしたのであった。

♪雪の炎 ゆらめいて
 影たちが飛び去る ナイフのように
 空がのこる まっ青な空が
 あれは夢? ちから? それとも恋
 ぼくらは書く いのちのかぎり
 いま太陽の 真下に
 生れかわる サッポロの地に
  
【『虹と雪のバラード』 作詞・河邨文一郎、作曲・村井邦彦、唄・トワ・エ・モワ 】

このような歌を小声で唄い、昨今の政官の一部の人は心の節度を失い、
国民から信頼されず、困った社会になった、と思いながら私は駅に向かい、急いだのである。



http://www.youtube.com/watch?v=RD3ucoODHLE
☆【『虹と雪のバラード』 作詞・河邨文一郎、作曲・村井邦彦、唄・トワ・エ・モワ 】☆



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