夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

思わず食べてみたい、館林市の『大根そば』・・。

2010-01-24 08:47:43 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、まばゆい陽射しを受けながら、ぼんやりとネットでニュースを見ていた。
この中で、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】の経済ニュースのひとつに、

《 「大根そば」200年ぶりに再現 》

と見出しされた記事があり、大根が好きな私は、記事を精読したのである・・。

無断であるが、転載させて頂く。

《・・
大根そばを新しい名物に(下の赤椀) 群馬県館林市と市観光協会は22日、
江戸時代のレシピ本に「上州館林名物」として載っていた大根そばを約200年ぶりに再現した。

館林の名物はうどんだが、市内のそば店は細切り大根を混ぜたそばも出している。
目をつけた市花のまち観光課係長田島敏邦さん(52)が、
名物に出来ないか思案する中、1785年刊行の「諸国名産大根料理秘伝抄」に、
「大根蕎麦(そば)」と書かれたレシピを見つけた。

細切り大根にそば粉をまぶして煮た後、だし汁をかける。
田島さんは昨年暮れ、精進料理に詳しい同市当郷町、善長寺副住職前山文伸さん(35)に再現を持ちかけた。

この日、前山さんが調理して寺への観光客約30人に振る舞った。
かめば歯切れの良い大根のさくさく感と、そばの舌触り双方が味わえる逸品。
市内の主婦(78)は「大根の風味を感じられておいしい」と話していた。

市は新たな名物にと意気込んでおり、「観光イベントで試供品として出し、PRしたい」としている。

(2010年1月24日05時35分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20100123-OYT1T00049.htm?from=main7
☆ 群馬県・館林市 「大根そば」200年ぶりに再現 ☆

私は何かと大根が好きで、特に大根おろしを愛食し、ご飯とか餅などと共に頂き、
この世で一番美味しいので、大根おろしかしら、と微笑んでいるひとりである。

このサイトにも、少しばかり大根おろしに関して投稿している。

今年の元旦の日にも、
【 大根(ダイコン)下(お)ろしに、温かいご飯・・。 】
と題して、投稿している。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
2004(平成16)年の秋に家内の父が死去し、家内の母は独り住まいとなったので、
年末年始には我が家に来て貰い、私達夫婦と共に三人で過ごしている。

私の母が生前までは、世間並みに御節料理を三段重として、
家内は素材の購入から料理までを一週間ぐらいで、ふたセットを作ったりしていた。
ひとつは独り住まいの私の母、そして我が家で頂く分である。

このようなほど程の御節料理から遠ざかって、昨今の我が家は、
それぞれ三人が食べたい品を購入したり、家内は料理をしたりしている。
成城、仙川、最寄のスーパーに買い求めたり、ここ数年は通信販売の盛況で、
我が家も遅ればせながら、製造元の現地などの販売所に連絡して、購入したりしている。
たとえば、ホタテ、数の子などである。

結果として、我が家の食卓は、御節料理の単品が並び、各自が好みの品を食べ、
元旦の朝はお雑煮を頂いている。

このような昨年末の28日から夕食の時に、
家内、家内の母はビール、私は弐合徳利で純米酒の辛口を呑みながら、
談笑しながら頂いている。


こうした時の私の昼食は、ときおり大根(ダイコン)下(お)ろし、御醤油をかけて、
温かい白米のご飯にのせて食べたりしている。
そして、食後は煎茶を飲み、至って満足している。

家内達はこのような私の昼食を見ていて、最初の頃はあきれていた。
『農家の児として育った私は・・この世で一番美味しく・・贅沢な食事だょ・・』
と私は笑いながら云ったりしている。
・・】


そして大根をおろした餅のからみ餅に関しては、
【 呑んべえの予感した頃・・♪ 】
と題して、2005年5月1日に投稿している。

【・・
私が小学1年の頃だったので、昭和26年の年だった。
祖父と父は、東京の郊外で農業をしていたので、年末近くになると、餅を搗(つ)いた。

祖父の家を含み、六軒の家で交互に手伝う習慣となっていた。

祖父の家の順番になると、もち米を精米にし、水に漬けた後、
その当日になると早朝から二つ大きな竈(かまど)に火をいれ、
二尺程の正方形の蒸篭(せいろ)を幾重にも重ねて、蒸した。

ご近所の主人たちが5人来てくださり、それに私の家の人である。

午後になると、杵(きね)で臼(うす)の蒸されたもち米を搗いた。
すべて手作業なので、労力のいる時代だった。

餅になると、お供え、長方形ののし餅、とそれぞれに作っていた。
長方形ののし餅は、長方形の板で形を整え、片栗粉でまぶした。

年末から正月のお雑煮、七草を得て、
その後、ときたま2月の上旬まで食卓に出されることもあった。

このために、のし餅などは10畳の部屋を二つ使い、廊下まではみ出していた。

夕方の6時頃になると、搗きたての餅をあんこ、大根のからみ、きなこ用に
それぞれ作り、夕食がわりとなった。

ご近所の主人たちには、酒が振舞われ、茶碗酒として出された。

こうした時、ご近所の叔父さんが、私に云った。
『XXちゃん・・何を食べるの・・』

『う~ん、大根の辛いの・・』
と私は云った。

『そうかい、からみねぇ・・
XXさん、この子きっと呑んべえになるね・・』
と赤い顔した叔父さんは、笑いながら私の父に云った。


この数年後に父が亡くなり、祖父も他界したので、私の家は急速に没落しはじめた・・。

そして昭和32年の頃になると、
私の周囲の家々も時代の波が押し寄せ、住宅街に変貌し、このような風習は、消えた去った・・。

・・】

このように幼年期の頃から、何かと大根おろしを愛食し、
旅行先の食事処の蕎麦屋で、調味のひとつとして大根おろしがあれば、限りなく嬉しいのである。
そして、我が家でも年に10回ぐらい頂いている。

数年前の夏、蓮(ハス)の花を観るために群馬県・館林市に3泊4日で滞在したことがあるので、
200年ぶりに再現された「大根蕎麦(そば)」を食べてみたい、
と先程から10分ぐらい掲載された写真を眺めたりしている。



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