私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
古来より正月の7日の朝食には、七草粥を食べる習慣の家が多いが、
今朝の我が家の朝食は世の中の時流に逆らっているのかしら、
と私は朝食の時、家内を見ながら、微苦笑したのである。
白米のご飯、ワカメの味噌汁、春菊のゴマ和え、カブの葉の醤油漬、コブの佃煮、海苔(ノリ)が五枚・・
家内の方は食パンとオムレツと野菜・・そしてコーヒーであり、
私達夫婦の食卓はこれだけなのである。
私はメタポに近いが、心身絶好調のである。
私は朝食を頂いた後、私の夫婦のご飯茶碗をよく見たら、少し欠けている処があったが、
いずれは私達夫婦は片割れになるが、
割れそうなヒビでも入ってなければ良い、と私は苦笑したのである。
我が家は、私の定年後は、七草粥は無念ながら食べたことがないのである。
私の『七草粥』の思いは、昨年の2009年の1月7日のこの日、
【 七草粥(ななくさがゆ)は、遠い思い出となり・・♪ 】
と題して投稿しているが、あえて再掲載をする。
【・・
私は年金生活の5年生で64歳の身であるが、
昼のひととき、冬晴れの風もなく中、最寄のスーパーに買物に行った。
野菜売り場のコーナーで、『春の七草』のセット品が50前後があり、
私は立ち止まり眺めていたのである。
このスーパーは、4日の日曜日から、『春の七草セット』が販売されて折、
チラシには、
《・・
七草がゆ
1月7日7日正月、七草正月とも言われ、
早春の若草を粥に入れて、春の訪れを楽しむ日です。
7日の朝に、春の七草を入れた粥を食べると万病がさけられると言われ、
今年一年の家族の健康を願います。
中国から伝わり江戸時代に広まった習慣のようです。
・・》
と優しく明記されていたのである。
私は昨日の朝、NHKのテレビの『生活ほっと』の番組の中で、
春の七草の摘み取りを放映されていたのを思い出したり、
不幸にして、昨夜まで『春の七草セット』を買いそびれて、
今朝の朝食に七草粥を頂くことなく、
この品の前で思案している30、40代の奥様たちのしぐさを複雑な思いで眺めたりしていたのである。
そして、この『春の七草セット』は、神奈川県産で、
新春を祝う、健康来福と朱記されている。
そして、1パック398円(税込)と大きく棚の所に明記されていたのである。
私はここ10数年、七草粥の祝い事には興味がなく、
私が幼年期だった頃、叔母に教えて貰い、七草の数種類を摘んだことを思い馳せたりしたのである。
これらに関しては、昨年の1月6日に於いて、
【昼のひととき、散策そして買物・・♪】と題して投稿しているので、
再掲載をする。
【・・
東京の郊外は、日中は早春の陽気となった。
遅い朝食後、私は散策に出かけた。
冬のスポーツ・シャツに綿入れの外出用の袢纏(はんてん)、
マフラーにせず、冬用のズボン、そして足袋と下駄の容姿で家を後にした・・。
川沿いの遊歩道を歩いたが、のどかな陽気で、
日曜日であり、ときおり家族連れが見かける程度で、殆ど平日の同じ様だった。
駅前の本屋に寄ったが、これといった本が見当たらなかったが、
何とか一冊の興味のある本を見つけたのである。
飯倉晴武・編の『日本人のしきたり』(青春新書)であり、
四季を重んじ、人生の節目を大切にする和のこころ、伝統の原点、
と帯に明示された本である。
正月行事、年中行事、結婚、懐妊・出産、祝い事、贈答、手紙、葬式、縁起のしきたりが、
細分化した解説されている。
私が購入した動機は、最終章に『しきたりに関することわざ』があり、
無知なことが多かったからである。
例えば、縁起のことわざ、などのひとつとして、
【吉凶は人によりて、日によらず】
人は成功したり、失敗したりするのは、
時や日によるのではなく、その人の行いによって決まる。
たとえ凶の日であっても、きちんとした行いをしていれば心配ない、
ということ。
私は立ち読みしていて、思わず襟をただし、
齢を重ねた63歳の私は、世の中の常識なことに無知が多く、恥ずかしく思い、
今から学んで人生遅くないかしら、
とため息をしながら、購入したのである。
帰路は住宅街を通り過ぎて、自宅の最寄のスーパーに寄った。
家内からは、野菜とパンなど、と厳命されていたので、キャベツ、ホウレン草の選定に少し時間を要した。
付近の棚には七草がパックになった品、
一番驚いたのは七草サラダと称し、七草がスライスされパック状、
それぞれが山積みとなっている。
私は現実主義なので、遠い昔は何かと冬の時節は野菜不足であったので、
新春のひととき七草粥(ななくさがゆ)を召し上がったのであり、
現世はキャベツ、レタス、セロリ、ホウレン草、ダイコン、カブ等が多品種にあるので、
私達夫婦は七草粥には興味がないのである。
私は幼年期の時代、叔母と兄の後を追いながら、
我家の田畑の畦道で七草を採った体験があり、
子供心にお気に召さない食べ物であり、
食べすぎで、大人になっても敬遠している食べ物のひとつなのが本音である。
そして日本人の古来からの行事のひとつの食べ物と、
私達夫婦は和事に関心は多いが、ときには矛盾することもある。
結果として、いつもの野菜物、バンを選定し終え、帰宅した。
歩き回ったのが4キロ前後で、早春の陽射しにつつまれて、
2時間ばかり外出となった。
私の散策と買物は、殆どこのような形で廻っていることが多いのである。
・・】
一昨年の時には、
【早春の若菜摘(つ)みの想いで・・♪】と題して、
少し感傷的に綴ったりしているが、再掲載をする。
【・・
旧暦の一月七日は『春の七草』と古人より伝えられている。
先日の4日の時にスーパーに買い物に私が行った時、生鮮野菜売り場のひとつのコーナーを設けて、
『春の七草』の可愛らしいパックがうず高く積み上げられていた。
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケグサ、スズナ、スズシロが詰め込まれている。
スズナは野菜のカブであり、スズシロはダイコンであることは多くのお方に知られている。
私はこの七草を見て、遠い日の幼年期の頃が想いだされた・・。
東京の郊外の農家の子として生を受け、昭和26年の小学一年生の頃は、
祖父、父が健在で、程々の広さの田畑を耕していた。
旧暦の1月7日は、今の暦では2月中旬頃であるので、
田んぼのあぜ道、畑の小道の外れに色々な野草が数多くあった。
叔母の二人は、未婚であり、ノビルやヨモギを取り、私達にも食べさせてくれた。
ノビルは今でいうとラツキョの小型の形をしており、真っ白な小玉が先端にあり、
さっとお湯をとおした後、味噌に砂糖を加えた甘味噌を付けて口に含んだりした。
早春の頃は、カブ、ダイコン、ホウレンソウ、ネギ等の野菜の中、
子供心にもノビルは春の香りを感じたりしていた。
ノモギも叔母達が摘んで、撞(つ)きたての餅などに入れ、私達も香りと歯ごたえを共にした。
ナズナはペンペングサと呼んでいたが兎を兄達が飼っていたので、餌としていたと思われる。
この他の七草は多分生えていたと思われるが、幼年期であったので、記憶が定かでない。
私の住む地域では、昭和30年を過ぎた頃から田畑は消えうせ、急激に住宅地に変貌した。
私はあの時代に口にした早春の食べ物として、主庭の一角にフキを植えている。
二月の初旬頃にフキノトウとして、頂いている。
現役時代、激務の業務を終え、休みの昼下り庭に下り立つと、
フキノトウを見かけると、十幾つかは摘めるので、
家内に手渡しする。
水洗いをした後、フキノトウに味噌を少しつけ、アルムホイルに包んで火であぶる。
私も台所の一角の簡易テーブルで、弐合徳利とぐい呑みで待機する。
フキノトウの苦味、香り、歯ごたえを味わい、ぬるめの辛口の純米酒を呑むと、
春が来た、と思っている。
庭先を観れば、白梅は莟(つぼみ)か数輪の花が見られる時期である。
退職後の今は、原則として日中のお酒は自粛しているので、
夕食前に味わうが、特にフキノトウに関しては昼前、昼下りのひとときは、味は倍増すると確信している。
待ち焦がれた早春、フキノトウを摘みながら、今年も・・と感動しながら味合うので、
実感もさることなから余情を増すのかしら、と呑べいのひとりとして思っている。
・・】
このように綴ったりしてきたが、
私にとっては春の七草などの早春の里の食べ物は、
幼年期の思いと重なることが多く、宝物のひとつ、と思いながら愛惜の情景となっている。
このような私の心情なので、我が家は七草粥は食卓に載らないのである。
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古来より正月の7日の朝食には、七草粥を食べる習慣の家が多いが、
今朝の我が家の朝食は世の中の時流に逆らっているのかしら、
と私は朝食の時、家内を見ながら、微苦笑したのである。
白米のご飯、ワカメの味噌汁、春菊のゴマ和え、カブの葉の醤油漬、コブの佃煮、海苔(ノリ)が五枚・・
家内の方は食パンとオムレツと野菜・・そしてコーヒーであり、
私達夫婦の食卓はこれだけなのである。
私はメタポに近いが、心身絶好調のである。
私は朝食を頂いた後、私の夫婦のご飯茶碗をよく見たら、少し欠けている処があったが、
いずれは私達夫婦は片割れになるが、
割れそうなヒビでも入ってなければ良い、と私は苦笑したのである。
我が家は、私の定年後は、七草粥は無念ながら食べたことがないのである。
私の『七草粥』の思いは、昨年の2009年の1月7日のこの日、
【 七草粥(ななくさがゆ)は、遠い思い出となり・・♪ 】
と題して投稿しているが、あえて再掲載をする。
【・・
私は年金生活の5年生で64歳の身であるが、
昼のひととき、冬晴れの風もなく中、最寄のスーパーに買物に行った。
野菜売り場のコーナーで、『春の七草』のセット品が50前後があり、
私は立ち止まり眺めていたのである。
このスーパーは、4日の日曜日から、『春の七草セット』が販売されて折、
チラシには、
《・・
七草がゆ
1月7日7日正月、七草正月とも言われ、
早春の若草を粥に入れて、春の訪れを楽しむ日です。
7日の朝に、春の七草を入れた粥を食べると万病がさけられると言われ、
今年一年の家族の健康を願います。
中国から伝わり江戸時代に広まった習慣のようです。
・・》
と優しく明記されていたのである。
私は昨日の朝、NHKのテレビの『生活ほっと』の番組の中で、
春の七草の摘み取りを放映されていたのを思い出したり、
不幸にして、昨夜まで『春の七草セット』を買いそびれて、
今朝の朝食に七草粥を頂くことなく、
この品の前で思案している30、40代の奥様たちのしぐさを複雑な思いで眺めたりしていたのである。
そして、この『春の七草セット』は、神奈川県産で、
新春を祝う、健康来福と朱記されている。
そして、1パック398円(税込)と大きく棚の所に明記されていたのである。
私はここ10数年、七草粥の祝い事には興味がなく、
私が幼年期だった頃、叔母に教えて貰い、七草の数種類を摘んだことを思い馳せたりしたのである。
これらに関しては、昨年の1月6日に於いて、
【昼のひととき、散策そして買物・・♪】と題して投稿しているので、
再掲載をする。
【・・
東京の郊外は、日中は早春の陽気となった。
遅い朝食後、私は散策に出かけた。
冬のスポーツ・シャツに綿入れの外出用の袢纏(はんてん)、
マフラーにせず、冬用のズボン、そして足袋と下駄の容姿で家を後にした・・。
川沿いの遊歩道を歩いたが、のどかな陽気で、
日曜日であり、ときおり家族連れが見かける程度で、殆ど平日の同じ様だった。
駅前の本屋に寄ったが、これといった本が見当たらなかったが、
何とか一冊の興味のある本を見つけたのである。
飯倉晴武・編の『日本人のしきたり』(青春新書)であり、
四季を重んじ、人生の節目を大切にする和のこころ、伝統の原点、
と帯に明示された本である。
正月行事、年中行事、結婚、懐妊・出産、祝い事、贈答、手紙、葬式、縁起のしきたりが、
細分化した解説されている。
私が購入した動機は、最終章に『しきたりに関することわざ』があり、
無知なことが多かったからである。
例えば、縁起のことわざ、などのひとつとして、
【吉凶は人によりて、日によらず】
人は成功したり、失敗したりするのは、
時や日によるのではなく、その人の行いによって決まる。
たとえ凶の日であっても、きちんとした行いをしていれば心配ない、
ということ。
私は立ち読みしていて、思わず襟をただし、
齢を重ねた63歳の私は、世の中の常識なことに無知が多く、恥ずかしく思い、
今から学んで人生遅くないかしら、
とため息をしながら、購入したのである。
帰路は住宅街を通り過ぎて、自宅の最寄のスーパーに寄った。
家内からは、野菜とパンなど、と厳命されていたので、キャベツ、ホウレン草の選定に少し時間を要した。
付近の棚には七草がパックになった品、
一番驚いたのは七草サラダと称し、七草がスライスされパック状、
それぞれが山積みとなっている。
私は現実主義なので、遠い昔は何かと冬の時節は野菜不足であったので、
新春のひととき七草粥(ななくさがゆ)を召し上がったのであり、
現世はキャベツ、レタス、セロリ、ホウレン草、ダイコン、カブ等が多品種にあるので、
私達夫婦は七草粥には興味がないのである。
私は幼年期の時代、叔母と兄の後を追いながら、
我家の田畑の畦道で七草を採った体験があり、
子供心にお気に召さない食べ物であり、
食べすぎで、大人になっても敬遠している食べ物のひとつなのが本音である。
そして日本人の古来からの行事のひとつの食べ物と、
私達夫婦は和事に関心は多いが、ときには矛盾することもある。
結果として、いつもの野菜物、バンを選定し終え、帰宅した。
歩き回ったのが4キロ前後で、早春の陽射しにつつまれて、
2時間ばかり外出となった。
私の散策と買物は、殆どこのような形で廻っていることが多いのである。
・・】
一昨年の時には、
【早春の若菜摘(つ)みの想いで・・♪】と題して、
少し感傷的に綴ったりしているが、再掲載をする。
【・・
旧暦の一月七日は『春の七草』と古人より伝えられている。
先日の4日の時にスーパーに買い物に私が行った時、生鮮野菜売り場のひとつのコーナーを設けて、
『春の七草』の可愛らしいパックがうず高く積み上げられていた。
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケグサ、スズナ、スズシロが詰め込まれている。
スズナは野菜のカブであり、スズシロはダイコンであることは多くのお方に知られている。
私はこの七草を見て、遠い日の幼年期の頃が想いだされた・・。
東京の郊外の農家の子として生を受け、昭和26年の小学一年生の頃は、
祖父、父が健在で、程々の広さの田畑を耕していた。
旧暦の1月7日は、今の暦では2月中旬頃であるので、
田んぼのあぜ道、畑の小道の外れに色々な野草が数多くあった。
叔母の二人は、未婚であり、ノビルやヨモギを取り、私達にも食べさせてくれた。
ノビルは今でいうとラツキョの小型の形をしており、真っ白な小玉が先端にあり、
さっとお湯をとおした後、味噌に砂糖を加えた甘味噌を付けて口に含んだりした。
早春の頃は、カブ、ダイコン、ホウレンソウ、ネギ等の野菜の中、
子供心にもノビルは春の香りを感じたりしていた。
ノモギも叔母達が摘んで、撞(つ)きたての餅などに入れ、私達も香りと歯ごたえを共にした。
ナズナはペンペングサと呼んでいたが兎を兄達が飼っていたので、餌としていたと思われる。
この他の七草は多分生えていたと思われるが、幼年期であったので、記憶が定かでない。
私の住む地域では、昭和30年を過ぎた頃から田畑は消えうせ、急激に住宅地に変貌した。
私はあの時代に口にした早春の食べ物として、主庭の一角にフキを植えている。
二月の初旬頃にフキノトウとして、頂いている。
現役時代、激務の業務を終え、休みの昼下り庭に下り立つと、
フキノトウを見かけると、十幾つかは摘めるので、
家内に手渡しする。
水洗いをした後、フキノトウに味噌を少しつけ、アルムホイルに包んで火であぶる。
私も台所の一角の簡易テーブルで、弐合徳利とぐい呑みで待機する。
フキノトウの苦味、香り、歯ごたえを味わい、ぬるめの辛口の純米酒を呑むと、
春が来た、と思っている。
庭先を観れば、白梅は莟(つぼみ)か数輪の花が見られる時期である。
退職後の今は、原則として日中のお酒は自粛しているので、
夕食前に味わうが、特にフキノトウに関しては昼前、昼下りのひとときは、味は倍増すると確信している。
待ち焦がれた早春、フキノトウを摘みながら、今年も・・と感動しながら味合うので、
実感もさることなから余情を増すのかしら、と呑べいのひとりとして思っている。
・・】
このように綴ったりしてきたが、
私にとっては春の七草などの早春の里の食べ物は、
幼年期の思いと重なることが多く、宝物のひとつ、と思いながら愛惜の情景となっている。
このような私の心情なので、我が家は七草粥は食卓に載らないのである。
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