私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ここ4日間は佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』(文藝春秋)を再読していたのであるが、
私なりの敗戦前後から昨今までの思いを重ねながら精読していたので、
不規則な睡眠時間となったりしていた。
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163717906
☆ 文藝春秋 佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』 ☆
このように熱中していて過ごしていたのであるが、いつものように散策と買物はしていた。
本日は昼下がりに、買物に行ったのである。
我が家の最寄にはスーパーが二軒あり、特売品などの関係で、
殆ど二軒を廻って、買物をしているのが、年金生活から買物担当している私の責務となっている。
一軒の方は、ディスカント風の格安品の多く品ぞろえしているスーパーであり、
店内に音楽が流れていることが多いのである。
私は年金生活を始めた5年前の頃は、
40、50代の女性が若き頃に流行(はや)った1970、1980代の歌が流れていることが多く、
私は殆ど知っているので、微笑んで聴いたりしていた。
ここ数年は若き世代から35歳ぐらいまでが聴く最新の流行音楽が流れることが圧倒的に多く、
私は無念ながら、半分ぐらいしか判らないのである。
このように店内の曲も変貌してきているが、
今日、陳列棚の品物を眺め、確認していると、
♪壊れそうな 明日に向かい
信じあう 奇跡を
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
店内から、歌が流れてきたのである。
私は懐かしげの唄声と感じながらも、曲名が思い出せないのであった。
♪傷ついた翼ひろげ
飛びたつ true heart uh yeah Hey
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
そして、小柳ゆきちゃんの歌だ・・と思い出せたのである・・。
私は、小柳ゆきに関しては、私なりに深い思いがあるので、
【 2000(平成12)年、小柳ゆきに熱中・・♪ 】
と題して、2007年3月10日にあるサイトに投稿している。
【・・
昼過ぎ、何気なしにX JAPANと小柳ゆきが聴きたくて、
先程までCDを取り変えりながら、ある程度の音量を上げて、聴いていた・・。
私が勤めていた現役時代は、レコード業界のひとつの会社であり、
1998(平成10)年をピークに業界全体が次第に縮小したので、
この前後からそれぞれの会社が再構築がよぎなくされ、リストラなども行われた。
こうした中で、私の勤務した会社も組織の見直しによる人事配置転換の人事異動、出向、
そして早期退職優遇制度による退職、
このような形で同じ時代の空気を共にした上司、同僚、後輩などと別離があり、
中には業界から去った人も数多くあった。
そして、私は本社勤務の管理畑を30年近く勤めていたのであるが、
出向となり、ある物流情報会社に勤めたのは、
1999(平成11)年の春で55歳を迎える年であった。
不馴れな音楽商品のCD、DVD、カセット、ビデオテープ等の商品センターの現場もさることながら、
何で俺が・・、と言う気持ちがあり、数が月は私なりに失墜感があった・・。
都心の本社から、遠方の物流倉庫で周辺も物流倉庫が数多く並んでいる場所であり、
世にいう都落ちの感であった。
何より、出向というのは、本社の戦力からは不必要の烙印であり、私はうつろな心情であった・・。
このような時は、長い通勤の途中、私はビジネスバックに、
親しんできたX JAPANのアルバム5枚前後持ち歩き、CDウォークマンで聴いたりしていた。
9月の初旬、休みの日曜日に偶然にテレビの音楽番組の新人紹介コーナーで、
『あなたのキスを数えましょう ~ You were mine ~』を唄う若い女性歌手を視聴し、
上手すぎる、と正直うろたえたのである。
そして、清潔感はないが、破格の歌唱力で唄う人は、小柳ゆき、
という名を知り、魅了されたのである。
翌年の2000(平成12)年の4月頃になると『愛情』が街に流れ、
そして5月にアルバムが発売になり、『明日に架ける橋』などのカバー集であった。
7月に『be alive』が盛んに街に流れ、
そして8月にオリジナル・アルバムの『EXPANSION』を新譜予約していたので、
発売日の前日に手にし、よく聴いていた・・。
退社直後の8時過ぎ、暗い物流倉庫の立ち並ぶ夜道でバス停まで歩きながら、
♪壊れそうな 明日に向かい
信じあう 奇跡を
傷ついた翼ひろげ
飛びたつ true heart uh yeah Hey
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
♪出会った頃と 同じ季節(とき)が来て
やっと2人で 歩き出したの
【『be alive』 歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
この2曲は好く聴いたり、小声で唄ったりし、或いは心の中で唄ったしていた・・。
小柳ゆきもこのアルバムはミリオンとなり、
各地でライブ公演をして、私はWOWOWで視聴しながら、ビデオに収録したり、
DVDのライブ盤を購入したりした。
私がこの2000(平成12)年で熱中したのは、まぎれもなく小柳ゆきであり、
このお方の曲から私は限りなく励まされた・・。
尚、小柳ゆきの所属するレコード会社は、
無念ながら私の勤務した会社とは関係がなく、他社の専属契約の歌手である。
・・】
このように投稿していたのであるが、
たったひとつの歌によって、その人の人生の苦渋のはざま、励まされ、ときには救われることがある。
私は40代の時は、中島みゆきの歌の数々であり、女神のように深愛したが、
50代の後半の初め、出向となり、うつろな時期、その後も小柳ゆきの歌の数々に救われ、最後の女神かしら、
と微苦笑することが多いのである。
私は買物の帰路、このような心情であったせいか、
♪いつまでも この想いは
変わらぬまま 必ずここにあるはず
遠すぎる 見えない答え
だけど2人 探しつづけた
【『be alive』 歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
心の中で唄っていた。
http://www.youtube.com/watch?v=PS97xL6vATM
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
http://www.youtube.com/watch?v=qYCONPmRjNc
【『be alive』 歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】

ここ4日間は佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』(文藝春秋)を再読していたのであるが、
私なりの敗戦前後から昨今までの思いを重ねながら精読していたので、
不規則な睡眠時間となったりしていた。
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163717906
☆ 文藝春秋 佐野眞一・著の『ドキュメント 昭和が終わった日』 ☆
このように熱中していて過ごしていたのであるが、いつものように散策と買物はしていた。
本日は昼下がりに、買物に行ったのである。
我が家の最寄にはスーパーが二軒あり、特売品などの関係で、
殆ど二軒を廻って、買物をしているのが、年金生活から買物担当している私の責務となっている。
一軒の方は、ディスカント風の格安品の多く品ぞろえしているスーパーであり、
店内に音楽が流れていることが多いのである。
私は年金生活を始めた5年前の頃は、
40、50代の女性が若き頃に流行(はや)った1970、1980代の歌が流れていることが多く、
私は殆ど知っているので、微笑んで聴いたりしていた。
ここ数年は若き世代から35歳ぐらいまでが聴く最新の流行音楽が流れることが圧倒的に多く、
私は無念ながら、半分ぐらいしか判らないのである。
このように店内の曲も変貌してきているが、
今日、陳列棚の品物を眺め、確認していると、
♪壊れそうな 明日に向かい
信じあう 奇跡を
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
店内から、歌が流れてきたのである。
私は懐かしげの唄声と感じながらも、曲名が思い出せないのであった。
♪傷ついた翼ひろげ
飛びたつ true heart uh yeah Hey
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
そして、小柳ゆきちゃんの歌だ・・と思い出せたのである・・。
私は、小柳ゆきに関しては、私なりに深い思いがあるので、
【 2000(平成12)年、小柳ゆきに熱中・・♪ 】
と題して、2007年3月10日にあるサイトに投稿している。
【・・
昼過ぎ、何気なしにX JAPANと小柳ゆきが聴きたくて、
先程までCDを取り変えりながら、ある程度の音量を上げて、聴いていた・・。
私が勤めていた現役時代は、レコード業界のひとつの会社であり、
1998(平成10)年をピークに業界全体が次第に縮小したので、
この前後からそれぞれの会社が再構築がよぎなくされ、リストラなども行われた。
こうした中で、私の勤務した会社も組織の見直しによる人事配置転換の人事異動、出向、
そして早期退職優遇制度による退職、
このような形で同じ時代の空気を共にした上司、同僚、後輩などと別離があり、
中には業界から去った人も数多くあった。
そして、私は本社勤務の管理畑を30年近く勤めていたのであるが、
出向となり、ある物流情報会社に勤めたのは、
1999(平成11)年の春で55歳を迎える年であった。
不馴れな音楽商品のCD、DVD、カセット、ビデオテープ等の商品センターの現場もさることながら、
何で俺が・・、と言う気持ちがあり、数が月は私なりに失墜感があった・・。
都心の本社から、遠方の物流倉庫で周辺も物流倉庫が数多く並んでいる場所であり、
世にいう都落ちの感であった。
何より、出向というのは、本社の戦力からは不必要の烙印であり、私はうつろな心情であった・・。
このような時は、長い通勤の途中、私はビジネスバックに、
親しんできたX JAPANのアルバム5枚前後持ち歩き、CDウォークマンで聴いたりしていた。
9月の初旬、休みの日曜日に偶然にテレビの音楽番組の新人紹介コーナーで、
『あなたのキスを数えましょう ~ You were mine ~』を唄う若い女性歌手を視聴し、
上手すぎる、と正直うろたえたのである。
そして、清潔感はないが、破格の歌唱力で唄う人は、小柳ゆき、
という名を知り、魅了されたのである。
翌年の2000(平成12)年の4月頃になると『愛情』が街に流れ、
そして5月にアルバムが発売になり、『明日に架ける橋』などのカバー集であった。
7月に『be alive』が盛んに街に流れ、
そして8月にオリジナル・アルバムの『EXPANSION』を新譜予約していたので、
発売日の前日に手にし、よく聴いていた・・。
退社直後の8時過ぎ、暗い物流倉庫の立ち並ぶ夜道でバス停まで歩きながら、
♪壊れそうな 明日に向かい
信じあう 奇跡を
傷ついた翼ひろげ
飛びたつ true heart uh yeah Hey
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
♪出会った頃と 同じ季節(とき)が来て
やっと2人で 歩き出したの
【『be alive』 歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
この2曲は好く聴いたり、小声で唄ったりし、或いは心の中で唄ったしていた・・。
小柳ゆきもこのアルバムはミリオンとなり、
各地でライブ公演をして、私はWOWOWで視聴しながら、ビデオに収録したり、
DVDのライブ盤を購入したりした。
私がこの2000(平成12)年で熱中したのは、まぎれもなく小柳ゆきであり、
このお方の曲から私は限りなく励まされた・・。
尚、小柳ゆきの所属するレコード会社は、
無念ながら私の勤務した会社とは関係がなく、他社の専属契約の歌手である。
・・】
このように投稿していたのであるが、
たったひとつの歌によって、その人の人生の苦渋のはざま、励まされ、ときには救われることがある。
私は40代の時は、中島みゆきの歌の数々であり、女神のように深愛したが、
50代の後半の初め、出向となり、うつろな時期、その後も小柳ゆきの歌の数々に救われ、最後の女神かしら、
と微苦笑することが多いのである。
私は買物の帰路、このような心情であったせいか、
♪いつまでも この想いは
変わらぬまま 必ずここにあるはず
遠すぎる 見えない答え
だけど2人 探しつづけた
【『be alive』 歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
心の中で唄っていた。
http://www.youtube.com/watch?v=PS97xL6vATM
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
http://www.youtube.com/watch?v=qYCONPmRjNc
【『be alive』 歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
