私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
夜のひととき、玄関庭に下り立ち、煙草を喫ったりしている。
そして、ときおり月を眺めながら、満月に近い時などは、
月もにっこりと微笑(ほほえ)でいる、と私は感じながら思わず微笑させられたりしている。
先ほど、たまたま月を眺め、鮮明な三日月を眺めたりした。
確か5年前の秋頃には、三日月を見ると、絢香(あやか)ちゃんだ、
と呟(つぶや)いたりしていた。
ご年配のお方の一部には、お解かりにならないと思うが、
若き女性でシンガーソング・ライターしている方であり、
初期の頃は『三日月』などの名曲を発表された才気あふれるお方で、
私は久々に優れた圧倒的に感性のある人と直感し、魅了された人である。
この絢香(あやか)ちゃんに瞬時に魅了された私は、62歳の齢を重ねた身であったが、
確か2006年秋の頃は、少なくとも300回は聴いたりして熱中していたこともあった・・。
この当時の私は、日頃から音楽も好きであるが、
ここ5、6年は若手の音楽には興味を薄れていた頃であったが、
『I believe』、『Real voice』、『三日月』の3曲を聴いた限りであったが、
歌詞と歌声に圧倒的に魅せられてしまったのである。
何が好いかといわれても、問われれば、
それぞれの男女の間の恋しさの恋情と同様に、その人なりの感覚、そして感性の問題である。
昨今の私の心は、絢香ちゃんの世界からは遠ざかっているが、
月を眺めれば、過ぎ去った日々に思いを馳(は)せたりしている・・。
そして私は齢を重ね、66歳の身となっているが、
それなりに幾たびの出来事を思い返したりし、微苦笑をしている。
そして時折、ほのかな思いに心を寄せたりし、
私はそれぞれの時節の月から享受をさせられている。
古人の時代より歌人達が、月を眺め哀歓を寄せたりして、
詠(よ)まれた歌が数多く残されている。
あの頃から長い歳月が過ぎているが、人の心は変らぬ思いがあり、
私なりに月に眺むる時、ときおり残されている名歌を心の中で呟(つぶや)き、
心を寄せたりしている。
巡り逢ひて見しやそれとも
分かぬ間に雲隠れにし夜半(よわ)の月かな
作者・紫 式部
秋風にたなびく雲の絶え間より
漏れ出づる月の影のさやけさ
作者は・・確(たし)か・・左京太夫・・あきすけ・・だったかしら、
と思い返したりしている。
そして私は月は眺(なが)むることであり、月に行き探検されるなどは、
私にとっては論外と思っている。
その上、私は科学などの発達より、
何よりも情緒や情感をこよくなく大切にし、日々を過ごしている。
下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村

にほんブログ村
夜のひととき、玄関庭に下り立ち、煙草を喫ったりしている。
そして、ときおり月を眺めながら、満月に近い時などは、
月もにっこりと微笑(ほほえ)でいる、と私は感じながら思わず微笑させられたりしている。
先ほど、たまたま月を眺め、鮮明な三日月を眺めたりした。
確か5年前の秋頃には、三日月を見ると、絢香(あやか)ちゃんだ、
と呟(つぶや)いたりしていた。
ご年配のお方の一部には、お解かりにならないと思うが、
若き女性でシンガーソング・ライターしている方であり、
初期の頃は『三日月』などの名曲を発表された才気あふれるお方で、
私は久々に優れた圧倒的に感性のある人と直感し、魅了された人である。
この絢香(あやか)ちゃんに瞬時に魅了された私は、62歳の齢を重ねた身であったが、
確か2006年秋の頃は、少なくとも300回は聴いたりして熱中していたこともあった・・。
この当時の私は、日頃から音楽も好きであるが、
ここ5、6年は若手の音楽には興味を薄れていた頃であったが、
『I believe』、『Real voice』、『三日月』の3曲を聴いた限りであったが、
歌詞と歌声に圧倒的に魅せられてしまったのである。
何が好いかといわれても、問われれば、
それぞれの男女の間の恋しさの恋情と同様に、その人なりの感覚、そして感性の問題である。
昨今の私の心は、絢香ちゃんの世界からは遠ざかっているが、
月を眺めれば、過ぎ去った日々に思いを馳(は)せたりしている・・。
そして私は齢を重ね、66歳の身となっているが、
それなりに幾たびの出来事を思い返したりし、微苦笑をしている。
そして時折、ほのかな思いに心を寄せたりし、
私はそれぞれの時節の月から享受をさせられている。
古人の時代より歌人達が、月を眺め哀歓を寄せたりして、
詠(よ)まれた歌が数多く残されている。
あの頃から長い歳月が過ぎているが、人の心は変らぬ思いがあり、
私なりに月に眺むる時、ときおり残されている名歌を心の中で呟(つぶや)き、
心を寄せたりしている。
巡り逢ひて見しやそれとも
分かぬ間に雲隠れにし夜半(よわ)の月かな
作者・紫 式部
秋風にたなびく雲の絶え間より
漏れ出づる月の影のさやけさ
作者は・・確(たし)か・・左京太夫・・あきすけ・・だったかしら、
と思い返したりしている。
そして私は月は眺(なが)むることであり、月に行き探検されるなどは、
私にとっては論外と思っている。
その上、私は科学などの発達より、
何よりも情緒や情感をこよくなく大切にし、日々を過ごしている。
下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪


