私は一ヶ月前に、たまたま古本屋に寄り、
阿川佐和子・著の『あんな作家 こんな作家 どんな作家』(講談社文庫)が目に止まり、
カバーの裏を読みと、何かしら著名な作家の57名の方にインタビューされた本と解った。
そして、私は『文庫あとがき』を読んだりした。
《・・
本書は1986年初頭から1991年秋まで講談社『IN★POCKET』に連載し、
そののち単行本『『あんな作家 こんな作家 どんな作家』として上梓した
作家のインタビュー記の文庫本である。
1986年初頭といえば、私がテレビの仕事を始めて2年あまり経った頃のことで、
活字の連載はこの『IN★POCKET』の仕事が初めてのものであった。
(略)
作家のインタビューをし、それを自分がまとめ上げるなど、
とうていできるとは思えなかった。・・
(略)
書けない、わからないと、進まない、泣き言を並べる私に対して・・
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
私は昨今、阿川佐和子(あがわ・さわこ)さんは、精力的に多作を発刊されているが、
この作品が活字としては処女作であったと知り、
そして、担当の編集者に、
《・・書けない、わからないと、進まない、泣き言を並べる私に対して・・》
このような時代があったのだ、と私は微苦笑して、
たとえ古本であったも、購入し、精読することにしたのである。
私は阿川佐和子さんの作品は、5冊ぐらいしか読んだことがないので愛読者とはいえないが、
父上の作家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の小説、随筆は私なりに愛読し、感銘を受けたりし、
40数年が過ぎようとしている。
阿川佐和子さんに関しては、一昨年の10月初旬に、
確かNHKのテレビの朝の番組【生活ほっとモーニング「この人にトキメキっ!】に於いて、
出演されて、
《・・
大学を卒業後、人生に彷徨(さまよい)いながら、
テレビの副司会者として起用されたのは、父上の阿川弘之氏からの親の七光り・・
その後は筑紫哲也氏などの番組の副司会者として出演でき、親の七光り・・
ですから親の14光り、かしら
・・》
このような意味合いの言葉を発言されたりし、
私はこのお方の感性に、瞬時に魅了されたのである。
もとより阿川佐和子さんはが多くのエッセイ、小説を発表されているが、
初期の頃は父上の阿川弘之氏の文章の手ほどきを受けたりし、
その後も文章を綴ることの労苦を味わっていたのである。
この番組で、《・・父が母と子供4人を、筆1本で家族を養ったこと・・》
と感謝しながら発言された感覚に、
改めて私は阿川佐和子さんのこれまでの軌跡を思い重ね、
この方の素敵な言葉、笑顔、しぐさに私は魅了され増したのである・。
この以前に、阿川佐和子さんの対談集のひとつ
『阿川佐和子の会えばなるほど ~この人に会いたい 6~』(文春文庫)を購読し、
対談の達人、と私は感じたりしていた。
そして、阿川弘之、阿川佐和子・共著の『蛙の子は蛙の子 ~父と娘の往復書簡~』(ちくま文庫)は、
ここ10年、再三に私は愛読している本でもある。
父は1920(大正9)年、娘は1953(昭和28)年生まれの社会背景の中、
父から娘、娘から父への想いが真摯に綴られている。
父の阿川弘之氏は、戦後の文学風潮の中、小説家としての自己の文学の悩みなど発露され、
敗戦後から平成の8年までの、単なる家族関係でなく、
社会風潮も根底に秘められ、私なりに学ぶことが多いのである。
本書は、カバーの裏に作家の57名の方にインタビューされた内容であるが、
それぞれの作家の発露された言葉・・
創作者をめざしている方には、まるで玉手箱、或いは宝石箱のように、
作家のそれぞれの思いが発露されているので、未読の方は必読書と私は確信する。
推薦した責務を感じるので、映画の予告編のように、少しだけ引用させて頂く。
【杉本苑子(すぎもと・そのこ)】
《・・
作者・杉本苑子さんは、『滝沢馬琴』の作品を書き上げて、
昭和53年に吉川英治文学賞を獲得した。
「馬琴には非常な弱さと強さが共存している。
矛盾撞着(どうちゃく)したものが、めぎあっていた人ですよ。
自尊と卑下との間で、揺れ動くような感情の持ち主だったですね」
自分の書いたものが恥ずかしいと思うと同時に、誰にも侵させないという自信もある。
それは作家というものに共通する特徴だとおっしゃる。
自己満足やうぬぼれの傾向が強い反面、ひどい自己険悪感を持っている。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
【澤地久枝(さわち・ひさえ)】
《・・
「原稿を書くときは、いつもアーアって後悔しているの。
なんでこんな分相応なテーマを選んじゃったのかしら。
もう二度と大変なことはしないぞって決心するわけです。
でも気がつくと、またやっているのね。
その繰り返し」
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
このように創作者の根底にある本情を発露し、
阿川佐和子さんは、57名の作家にインタビューされ、
担当の編集者に、
《・・書けない、わからないと、進まない、泣き言を並べる私に対して・・》
苦心惨澹しながら、纏(まと)め書き上げたのが本書でもある。
尚、余談であるが、
阿川佐和子さんが、著名な作家にインタビューすることができる機会、出版の機会も、
父上の阿川弘之氏の賜(たまわ)りと思える。
しかしながら、何とか創作者の秘められた心情も数多く学びながら、
そして父上の秘かな期待にも応(おう)じられたのが、
もとより阿川佐和子さんであり、功績でもある。
下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村

にほんブログ村
阿川佐和子・著の『あんな作家 こんな作家 どんな作家』(講談社文庫)が目に止まり、
カバーの裏を読みと、何かしら著名な作家の57名の方にインタビューされた本と解った。
そして、私は『文庫あとがき』を読んだりした。
《・・
本書は1986年初頭から1991年秋まで講談社『IN★POCKET』に連載し、
そののち単行本『『あんな作家 こんな作家 どんな作家』として上梓した
作家のインタビュー記の文庫本である。
1986年初頭といえば、私がテレビの仕事を始めて2年あまり経った頃のことで、
活字の連載はこの『IN★POCKET』の仕事が初めてのものであった。
(略)
作家のインタビューをし、それを自分がまとめ上げるなど、
とうていできるとは思えなかった。・・
(略)
書けない、わからないと、進まない、泣き言を並べる私に対して・・
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
私は昨今、阿川佐和子(あがわ・さわこ)さんは、精力的に多作を発刊されているが、
この作品が活字としては処女作であったと知り、
そして、担当の編集者に、
《・・書けない、わからないと、進まない、泣き言を並べる私に対して・・》
このような時代があったのだ、と私は微苦笑して、
たとえ古本であったも、購入し、精読することにしたのである。
私は阿川佐和子さんの作品は、5冊ぐらいしか読んだことがないので愛読者とはいえないが、
父上の作家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の小説、随筆は私なりに愛読し、感銘を受けたりし、
40数年が過ぎようとしている。
阿川佐和子さんに関しては、一昨年の10月初旬に、
確かNHKのテレビの朝の番組【生活ほっとモーニング「この人にトキメキっ!】に於いて、
出演されて、
《・・
大学を卒業後、人生に彷徨(さまよい)いながら、
テレビの副司会者として起用されたのは、父上の阿川弘之氏からの親の七光り・・
その後は筑紫哲也氏などの番組の副司会者として出演でき、親の七光り・・
ですから親の14光り、かしら
・・》
このような意味合いの言葉を発言されたりし、
私はこのお方の感性に、瞬時に魅了されたのである。
もとより阿川佐和子さんはが多くのエッセイ、小説を発表されているが、
初期の頃は父上の阿川弘之氏の文章の手ほどきを受けたりし、
その後も文章を綴ることの労苦を味わっていたのである。
この番組で、《・・父が母と子供4人を、筆1本で家族を養ったこと・・》
と感謝しながら発言された感覚に、
改めて私は阿川佐和子さんのこれまでの軌跡を思い重ね、
この方の素敵な言葉、笑顔、しぐさに私は魅了され増したのである・。
この以前に、阿川佐和子さんの対談集のひとつ
『阿川佐和子の会えばなるほど ~この人に会いたい 6~』(文春文庫)を購読し、
対談の達人、と私は感じたりしていた。
そして、阿川弘之、阿川佐和子・共著の『蛙の子は蛙の子 ~父と娘の往復書簡~』(ちくま文庫)は、
ここ10年、再三に私は愛読している本でもある。
父は1920(大正9)年、娘は1953(昭和28)年生まれの社会背景の中、
父から娘、娘から父への想いが真摯に綴られている。
父の阿川弘之氏は、戦後の文学風潮の中、小説家としての自己の文学の悩みなど発露され、
敗戦後から平成の8年までの、単なる家族関係でなく、
社会風潮も根底に秘められ、私なりに学ぶことが多いのである。
本書は、カバーの裏に作家の57名の方にインタビューされた内容であるが、
それぞれの作家の発露された言葉・・
創作者をめざしている方には、まるで玉手箱、或いは宝石箱のように、
作家のそれぞれの思いが発露されているので、未読の方は必読書と私は確信する。
推薦した責務を感じるので、映画の予告編のように、少しだけ引用させて頂く。
【杉本苑子(すぎもと・そのこ)】
《・・
作者・杉本苑子さんは、『滝沢馬琴』の作品を書き上げて、
昭和53年に吉川英治文学賞を獲得した。
「馬琴には非常な弱さと強さが共存している。
矛盾撞着(どうちゃく)したものが、めぎあっていた人ですよ。
自尊と卑下との間で、揺れ動くような感情の持ち主だったですね」
自分の書いたものが恥ずかしいと思うと同時に、誰にも侵させないという自信もある。
それは作家というものに共通する特徴だとおっしゃる。
自己満足やうぬぼれの傾向が強い反面、ひどい自己険悪感を持っている。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
【澤地久枝(さわち・ひさえ)】
《・・
「原稿を書くときは、いつもアーアって後悔しているの。
なんでこんな分相応なテーマを選んじゃったのかしら。
もう二度と大変なことはしないぞって決心するわけです。
でも気がつくと、またやっているのね。
その繰り返し」
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
このように創作者の根底にある本情を発露し、
阿川佐和子さんは、57名の作家にインタビューされ、
担当の編集者に、
《・・書けない、わからないと、進まない、泣き言を並べる私に対して・・》
苦心惨澹しながら、纏(まと)め書き上げたのが本書でもある。
尚、余談であるが、
阿川佐和子さんが、著名な作家にインタビューすることができる機会、出版の機会も、
父上の阿川弘之氏の賜(たまわ)りと思える。
しかしながら、何とか創作者の秘められた心情も数多く学びながら、
そして父上の秘かな期待にも応(おう)じられたのが、
もとより阿川佐和子さんであり、功績でもある。
下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪


