夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

阿川佐和子・著の『あんな作家 こんな作家 どんな作家』、創作者をめざす方には、玉手箱でもあり・・。

2011-05-16 16:54:20 | 真摯に『文学』を思考する時
私は一ヶ月前に、たまたま古本屋に寄り、
阿川佐和子・著の『あんな作家 こんな作家 どんな作家』(講談社文庫)が目に止まり、
カバーの裏を読みと、何かしら著名な作家の57名の方にインタビューされた本と解った。

そして、私は『文庫あとがき』を読んだりした。

《・・
本書は1986年初頭から1991年秋まで講談社『IN★POCKET』に連載し、
そののち単行本『『あんな作家 こんな作家 どんな作家』として上梓した
作家のインタビュー記の文庫本である。

1986年初頭といえば、私がテレビの仕事を始めて2年あまり経った頃のことで、
活字の連載はこの『IN★POCKET』の仕事が初めてのものであった。

(略)

作家のインタビューをし、それを自分がまとめ上げるなど、
とうていできるとは思えなかった。・・
(略)
書けない、わからないと、進まない、泣き言を並べる私に対して・・
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。

私は昨今、阿川佐和子(あがわ・さわこ)さんは、精力的に多作を発刊されているが、
この作品が活字としては処女作であったと知り、
そして、担当の編集者に、
《・・書けない、わからないと、進まない、泣き言を並べる私に対して・・》
このような時代があったのだ、と私は微苦笑して、
たとえ古本であったも、購入し、精読することにしたのである。


私は阿川佐和子さんの作品は、5冊ぐらいしか読んだことがないので愛読者とはいえないが、
父上の作家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の小説、随筆は私なりに愛読し、感銘を受けたりし、
40数年が過ぎようとしている。

阿川佐和子さんに関しては、一昨年の10月初旬に、
確かNHKのテレビの朝の番組【生活ほっとモーニング「この人にトキメキっ!】に於いて、
出演されて、
《・・
大学を卒業後、人生に彷徨(さまよい)いながら、
テレビの副司会者として起用されたのは、父上の阿川弘之氏からの親の七光り・・
その後は筑紫哲也氏などの番組の副司会者として出演でき、親の七光り・・
ですから親の14光り、かしら
・・》
このような意味合いの言葉を発言されたりし、
私はこのお方の感性に、瞬時に魅了されたのである。

もとより阿川佐和子さんはが多くのエッセイ、小説を発表されているが、
初期の頃は父上の阿川弘之氏の文章の手ほどきを受けたりし、
その後も文章を綴ることの労苦を味わっていたのである。

この番組で、《・・父が母と子供4人を、筆1本で家族を養ったこと・・》
と感謝しながら発言された感覚に、
改めて私は阿川佐和子さんのこれまでの軌跡を思い重ね、
この方の素敵な言葉、笑顔、しぐさに私は魅了され増したのである・。


この以前に、阿川佐和子さんの対談集のひとつ
『阿川佐和子の会えばなるほど ~この人に会いたい 6~』(文春文庫)を購読し、
対談の達人、と私は感じたりしていた。

そして、阿川弘之、阿川佐和子・共著の『蛙の子は蛙の子 ~父と娘の往復書簡~』(ちくま文庫)は、
ここ10年、再三に私は愛読している本でもある。

父は1920(大正9)年、娘は1953(昭和28)年生まれの社会背景の中、
父から娘、娘から父への想いが真摯に綴られている。
父の阿川弘之氏は、戦後の文学風潮の中、小説家としての自己の文学の悩みなど発露され、
敗戦後から平成の8年までの、単なる家族関係でなく、
社会風潮も根底に秘められ、私なりに学ぶことが多いのである。


本書は、カバーの裏に作家の57名の方にインタビューされた内容であるが、
それぞれの作家の発露された言葉・・
創作者をめざしている方には、まるで玉手箱、或いは宝石箱のように、
作家のそれぞれの思いが発露されているので、未読の方は必読書と私は確信する。

推薦した責務を感じるので、映画の予告編のように、少しだけ引用させて頂く。


【杉本苑子(すぎもと・そのこ)】
《・・
作者・杉本苑子さんは、『滝沢馬琴』の作品を書き上げて、
昭和53年に吉川英治文学賞を獲得した。

「馬琴には非常な弱さと強さが共存している。
矛盾撞着(どうちゃく)したものが、めぎあっていた人ですよ。
自尊と卑下との間で、揺れ動くような感情の持ち主だったですね」

自分の書いたものが恥ずかしいと思うと同時に、誰にも侵させないという自信もある。
それは作家というものに共通する特徴だとおっしゃる。
自己満足やうぬぼれの傾向が強い反面、ひどい自己険悪感を持っている。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。


【澤地久枝(さわち・ひさえ)】
《・・
「原稿を書くときは、いつもアーアって後悔しているの。
なんでこんな分相応なテーマを選んじゃったのかしら。
もう二度と大変なことはしないぞって決心するわけです。
でも気がつくと、またやっているのね。
その繰り返し」
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。


このように創作者の根底にある本情を発露し、
阿川佐和子さんは、57名の作家にインタビューされ、
担当の編集者に、
《・・書けない、わからないと、進まない、泣き言を並べる私に対して・・》
苦心惨澹しながら、纏(まと)め書き上げたのが本書でもある。

尚、余談であるが、
阿川佐和子さんが、著名な作家にインタビューすることができる機会、出版の機会も、
父上の阿川弘之氏の賜(たまわ)りと思える。
しかしながら、何とか創作者の秘められた心情も数多く学びながら、
そして父上の秘かな期待にも応(おう)じられたのが、
もとより阿川佐和子さんであり、功績でもある。


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朝のひととき、せめて心の中だけでも優雅に、エルガーの名曲の『朝のあいさつ』を・・。

2011-05-16 07:52:05 | 音 楽
私は音楽の楽譜も読めなく、楽器もさわれない拙(つたな)い66歳の男であるが、
何よりも読書を優先するが、ときには映画を居間で観たり、そして音楽を聴くのも好きである。

このようなに年金生活を過ごしたりしているが、
定年退職後、多く聴いた曲は・・、と先程ぼんやりと振り返ったのである。

私は音楽に関してはオペラとジャズは苦手であるが、
クラシック、ハード・ロックから歌謡曲まで聴いたり、抒情歌も聴いたりしている。
そして、ときにはクラシックの珠玉のような数多くの名曲を聴くこともある。

このような珠玉曲を2分間ばかり思い浮かべと、やはりねぇ、と微苦笑したのである・・。

イギリスの作曲家のひとりでエルガーが『朝のあいさつ』と題した名曲を遺(の)こされているが、
この曲を特にサラリーマンを卒業した定年退職後の生活で最も多かったのである。

私は農家の三男坊として生を受け、小学低学年まで農家の児として育てられたが、
父が病死し、祖父も亡くなったので、生家は衰退し、一時は生活に困窮した時代もあったりした。

この曲を聴くと、イギリスの田園風景の中で、程ほど大きな邸宅の裕福な家で、
朝のひととき優雅な情景を私は重ねてしまうのである。

私は幼年期の劣等感、そして身過ぎ世過ぎの年金生活を過ごしている今、
せめて心の中だけでも優雅な裕福のひととき・・と思っているせいか、
この曲を聴く時が多いのである。

http://www.youtube.com/watch?v=BSv3iApK3DQ
☆EDWARD ELGAR: Salut d'Amour☆

http://www.youtube.com/watch?v=Ch8WwEAV3aI&feature=related
☆ELGAR - "Salut d'Amour"☆ ヴァイオリン

同じ曲があるが、演奏に関してはその日の思いで、聴いている。


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