夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『ハルヒ・・って、何なの・・』、と齢ばかり重ねた私は、心の中で呟(つぶや)きながら、こっそりと・・。

2011-05-25 15:38:54 | 定年後の思い
私は今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、
5面の全面に、

《 あたしは、止まらない。
   世界が大いに盛り上がる その日まで。》

と大きく縦書きされて、この下には横書きで、

《 ハルヒ、
      世界同時発売。 》

と明示されていた。

私は、ハルヒって、生まれて初めて知る言葉なので、何のことなのかしら、
と思ったりした。

私は年金生活の66歳の身であるが、
何事も好奇心を失くしたら、この人生は終わりだ、と信念で、
これまでの人生を歩んできた。

そして、この記事の左上の片隅に『スニーカー文庫』、
そして最下段の左に『角川書店』と明記されていたので、
何か新しい文庫本シリーズで、好評の新刊の全面広告と判断した。

その上、青春向けの小説を受け止めて、こうした本はどのような方が読むのかしら、
と思ったりした。

何かしら広告に掲載されている表紙の絵は、華やいだ雰囲気が感じられるので、
中学生の男子生徒、或いは女子生徒が読者層かしら、
と感じたりしたのである。


私は現役のサラリーマン時代は、音楽業界の片隅みに35年ばかり勤めていたので、
音楽専門誌『オリコン』、『日経エンターティメント』、流行月刊情報誌『日経トレンディ』なども、
精読して、ソフト全般の動向には、ある程度は理解できていたが、
退職後は年金生活をしているので、ここ7年ぐらいは解からなくなっている。

しかし、音楽業界の動きは、『AKB48』、『嵐』、『少女時代』、『KARA』などは、
少しだけは解かっているが、
昨今の出版業界の若者向けの本に関しては、無知である。


やむなく私は、この広告に、この件に関しての専用サイトがあるらしく、
検索キー【ハルヒイズム】と明記されていたので、
こっそりとキー・インしたのであった。

http://www.haruhikyougaku.jp/
☆【角川書店】<==【ハルヒイズム】
          <== 『涼宮ハルヒの驚愕』発売記念! スペシャルサイト ☆

このようなサイトの内容が表示され、私は異次元の世界にまぎれたかのように、
動顚しながら5分ばかり見たりしたのであった。

この後、私は呆然としながら、
角川グループの最高責任者の角川歴彦(かどかわ・つぐひこ)氏の思考を発露した本を思い出したりした。
確か昨年の2010年の春に発刊された『クラウド時代と<クール革命>』(角川oneテーマ21)であり、
氏の著作であり、私は多々教示さられた。

この本を思い浮かべて、事業展開として、こうしたこともひとつなの、
と私はこの【ハルヒイズム】のサイトを見ながら、思ったりしたのである。


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純白な蓮(ハス)の花、私は愛惜を秘めながら、限りなく心に託(たく)して・・。

2011-05-25 07:52:47 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であるが、
主庭のテラスに下り立ち、いつものように陽射しに向かい、手を合わせたりした。
こうしたことは、この地上は少なくとも太陽の陽射しと水の恵(めぐみ)は欠かせないので、
単純な性格の私は、定年後の習性となっている。

この後、樹木の枝葉を眺めたり、
群生している小判草(コバンソウ)の草花が首を傾げたように揺れるのを見たり、
半化粧(ハンゲショウ)もかすかに揺れている・・。

日中は初夏のような陽射しになるのかしら、とぼんやりと思ったりしていると、
脳裏の片隅から蓮(ハス)の花が浮かべたりしていた・・。


私は東京の郊外に1944(昭和19)年に農家の児として生を受けた。
祖父、父が中心となり、ときには小作人の手を借りながら、
程々に広い田畑、竹林、雑木林を維持管理していた。
田んぼの外れに150坪ぐらいの半反程度の広さの蓮専用の水田があった。

父、祖父が亡くなる小学生の前半までは、毎年この時節は幼いなりに甘受していた。

7月の下旬の頃になれば、蓮の花は莟(つぼみ)となり、
8月の初めに私の住む地域はお盆を迎えるので、
祖父か父が6本前後採ってきた・・。

私は祖父に懇願して、大きな葉をひとつ貰ったりした。
私はこの大きな葉に水を少し入れると、水玉になり、
陽射しを受けると、キラキラと水玉が輝きを帯びたりするので、
幼児なりに魅了されて楽しんでいたのである。

そして泥だらけの中で、
どうしてあんなに白い花が咲くの、と子供心に不思議となったりした。


お盆の時、仏壇の前に畳一帖ぐらい台を設置し、
位牌の前に、盆棚を置いて、野菜、果物を供えたりしている。

外れに茄子(ナス)や胡瓜(キュウリ)に割り箸で足を付けて、
馬や牛にみたてたりしている。
台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮の葉を浮べ、
淡いピンクのミソ萩を小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
そして台の左右に、この時節の草花を飾り、この中の中核は蓮の花となっていた。

夏休みが終わった頃、蓮の田んぼに行くと、
花が終り、可愛い蜂の巣のような実となっていた。

数週間過ぎた頃、この実を採り、
少しむくとどんぐりのような形の実が出てきて、
食べたりした後、少し甘い香りが残った・・。


やがて蓮の葉が枯れる頃になると、
祖父、父が泥だらけの地中から大きくふくらんだ蓮根を取り出し、
青果市場に父は出荷した後の残りが、我が家の食卓を彩(いろど)った。

私は蓮(ハス)と呼んでいたが、
後年になると、レンコン、と世間の多くの人が言ったりしているので、
戸惑いを覚えたりしている。


このような想いでがあるので、
公園などで淡い紅色した華やかな大賀蓮(オオガハス)観かけた時とか、
名所と知られているある寺の観せる美麗な蓮は、
あれは蓮じゃない、
と幼児の思いに還ったりしている。


定年退職後の翌年の夏、
ある書物で、黒羽山の大雄寺の高僧が、蓮のことについて、綴られているのを知った。

《・・
泥中に生じ汚れなく、幽香を漂わせる蓮の花は、
清浄、柔軟、可憐から、他の植物にはない特徴があることから、
仏教の象徴的な意味を持つものとなっている。

泥の中で成長し根を張り、清楚な美しい花を見せる。
そして、普通の花は、まず花が咲いてから実をつけるものだが、
蓮は花をつけると同時に実を中に詰めたつつみが出てくる。
このことから蓮は、過去・現在・未来を同時に体現しているとされている。
・・》
こうようなことを綴られていた。


私は宗教に関しては興味はなく無知であるが、
泥の中から茎を出し、純白な花びらを見せてくれるのに、
圧倒的な思いで魅了されている・・。

私なりに身過ぎ世過ぎの日常生活を身勝手に過ごしているが、
改めてこうした純白の花を眺めると、
何かしらこれまでの私の人生の歩みを浄化してくれる随一の花と思っている。


このように私なりに深い思いを秘めているが、
私の住む周辺は1955(昭和30)年の初めに頃になると、
田畑、雑木林は次第に消え、もとより蓮の水田も消え去り、やがて住宅街に変貌した・・。

私は家内と共に国内の旅行をした時、
旅先で偶然に、水田にある蓮の花を見かけたりすると、
しばらくのあいた見惚(みと)れながら、
まぶたが熱くなってしまうことが多いのである。


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