夕暮れのひととき、私は玄関の軒下で、ぼんやりとしていたら、
脳裏から突然にコブクロの『蕾(つぼみ)』歌が舞い降りて、
心の中で唄ったりし、やがて独り涙を浮かべたりした・・。
私がコブクロに、圧倒的に魅せられたのは、
2007(平成19)年11月中旬からであった・・。
確かNHKでプレミアム10『恋うた2007 autumn&winter』という番組を視聴し、
最近の若い方たちが、どのような音楽に魅了されているか、
視聴した時であった。
私は現役時代は音楽業界のあるレコード会社に勤めていたが、
制作畑でなく管理畑であったので、制作関連には全くの素人であり、
ただ私なりの感覚的好きな曲を聴くことが多いのである。
私は齢を重ねたせいか、2000(平成12)年前後に、
現役時代の56歳前後、圧倒的な歌唱力のある小柳ゆきを盛んに聴いたりした以外は、
若いアーティストからは感銘を受けた曲は、感性が衰えたためか少ない。
定年退職後の2004(平成16)年の秋以降は、
絢香の『三日月』には瞬時に魅了され、物狂いのように聴いたりしていたが、
私の日常生活の音楽は、私の音楽棚からCD、DVDから取り出して視聴しているが、
圧倒的に2000年以前の作品である。
『恋うた2007 autumn&winter』に出演されたコブクロに関しては、
ミリオン・セラーを獲得している最近では数少ない人達であることは、
ネット等で知っていたが、歌そのものをじっくりと聴いたことがなかったのである。
『赤い糸』は初めて聴く歌であったが、
恋情を真摯に綴られ、詩情がある作詞で、何より独創性がありながら余情があり、
その上に文学性もありながらも昇華された作品であるので、私は絶賛したのであった。
彼等のコメントに寄れば、
結成まもない9年前に路上、その後のライブで唄い、
好きな歌のひとつです、と語っていた。
作詞、作曲、そして歌声に、久々に歌の世界から感銘を受けたのである。
そして、彼らが無名の時、自分達を信じて、夜の路上で唄った時の心情を思い、
私なりに胸が熱くなった・・。
『赤い糸』は、私は当時63歳の身でありながら、数少ない心に沁みた名曲と確信した。
このようにコブクロは、私の心の片隅に確かな存在感を残して、
この年に発表された『蕾(つぼみ)』は、私のこの年の最も好きな曲となった。
その後、昨年の2010(平成22)年の10月7日に、
ワーナーミュージック・ジャパンの代表取締役社長兼CEOの吉田敬(よしだ・たかし)氏の
突然の自裁に私は衝撃を受けて、
幾たびか、このサイトに投稿をした。
この中の最後の投稿文をあえて掲載する。
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/84f61a9ae6aa96957618722841b8a353
☆【 年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙】
11月20日:『「ワーナーミュージック前社長のお別れ会でコブクロ、絢香ら恩返し誓う 』☆
この中で、お別れ会に際して、コブクロのコメントを掲載している。
《・・
□吉田社長の思い出
ドラマ『東京タワー』の(主題歌の)書き下ろしのお話を持ってきてくださったのは、吉田社長でした。
その時、ツアーの真っ最中というスケジュール上の理由で、
致し方なく書き下ろしのお話をお断りせざるを得ませんでした。
ところが、お断りした一週間後
「この曲はコブクロにしか書けない。コブクロにしか歌えないんだ」と、
嘆願するようにもう一度僕らのところに来てくださいました。
その熱意に感銘を受け、曲を作り始めました。
やがてはレコード大賞をいただくまでに育った「蕾」が出来たのは、吉田社長のおかげだと思っています。
□印象に残っていること
「桜」がまだ、シングルになるずっと前から、「桜」をとても愛してくださっていました。
ご自身、新幹線の中で「桜」を聴きながら、涙が流れ、どうしてもこの歌を世に送り出したいという一心で、
コブクロを応援し始めたんだと、いつもおっしゃってくださいました。
□そして今の気持ち
「桜」「ここにしか咲かない花」、「蕾」etc…そして、「流星」。
数々の楽曲には、吉田社長とやりとりした沢山の思い出が詰まっています。
僕らに全力を注いでくださったことへの感謝の想いは、
これからの音楽活動でゆっくりとお返ししていきたいと思います。
どうか天国から、ご家族のみなさんの心を支えてあげてください。
・・》
私は改めて読むたびに、コブクロの心情、
そして音楽業界の烈風の中、亡くなわれた吉田敬(よしだ・たかし)氏に愛惜を重ねると、
涙がこぼれるのである。
このような思いが私の心の片隅にあるので、
ときおり、コブクロの『蕾(つぼみ)』の歌を心の中で唄ったりすると、
独りわびしく、はかなく、熱い思いになるのである。
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脳裏から突然にコブクロの『蕾(つぼみ)』歌が舞い降りて、
心の中で唄ったりし、やがて独り涙を浮かべたりした・・。
私がコブクロに、圧倒的に魅せられたのは、
2007(平成19)年11月中旬からであった・・。
確かNHKでプレミアム10『恋うた2007 autumn&winter』という番組を視聴し、
最近の若い方たちが、どのような音楽に魅了されているか、
視聴した時であった。
私は現役時代は音楽業界のあるレコード会社に勤めていたが、
制作畑でなく管理畑であったので、制作関連には全くの素人であり、
ただ私なりの感覚的好きな曲を聴くことが多いのである。
私は齢を重ねたせいか、2000(平成12)年前後に、
現役時代の56歳前後、圧倒的な歌唱力のある小柳ゆきを盛んに聴いたりした以外は、
若いアーティストからは感銘を受けた曲は、感性が衰えたためか少ない。
定年退職後の2004(平成16)年の秋以降は、
絢香の『三日月』には瞬時に魅了され、物狂いのように聴いたりしていたが、
私の日常生活の音楽は、私の音楽棚からCD、DVDから取り出して視聴しているが、
圧倒的に2000年以前の作品である。
『恋うた2007 autumn&winter』に出演されたコブクロに関しては、
ミリオン・セラーを獲得している最近では数少ない人達であることは、
ネット等で知っていたが、歌そのものをじっくりと聴いたことがなかったのである。
『赤い糸』は初めて聴く歌であったが、
恋情を真摯に綴られ、詩情がある作詞で、何より独創性がありながら余情があり、
その上に文学性もありながらも昇華された作品であるので、私は絶賛したのであった。
彼等のコメントに寄れば、
結成まもない9年前に路上、その後のライブで唄い、
好きな歌のひとつです、と語っていた。
作詞、作曲、そして歌声に、久々に歌の世界から感銘を受けたのである。
そして、彼らが無名の時、自分達を信じて、夜の路上で唄った時の心情を思い、
私なりに胸が熱くなった・・。
『赤い糸』は、私は当時63歳の身でありながら、数少ない心に沁みた名曲と確信した。
このようにコブクロは、私の心の片隅に確かな存在感を残して、
この年に発表された『蕾(つぼみ)』は、私のこの年の最も好きな曲となった。
その後、昨年の2010(平成22)年の10月7日に、
ワーナーミュージック・ジャパンの代表取締役社長兼CEOの吉田敬(よしだ・たかし)氏の
突然の自裁に私は衝撃を受けて、
幾たびか、このサイトに投稿をした。
この中の最後の投稿文をあえて掲載する。
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/84f61a9ae6aa96957618722841b8a353
☆【 年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙】
11月20日:『「ワーナーミュージック前社長のお別れ会でコブクロ、絢香ら恩返し誓う 』☆
この中で、お別れ会に際して、コブクロのコメントを掲載している。
《・・
□吉田社長の思い出
ドラマ『東京タワー』の(主題歌の)書き下ろしのお話を持ってきてくださったのは、吉田社長でした。
その時、ツアーの真っ最中というスケジュール上の理由で、
致し方なく書き下ろしのお話をお断りせざるを得ませんでした。
ところが、お断りした一週間後
「この曲はコブクロにしか書けない。コブクロにしか歌えないんだ」と、
嘆願するようにもう一度僕らのところに来てくださいました。
その熱意に感銘を受け、曲を作り始めました。
やがてはレコード大賞をいただくまでに育った「蕾」が出来たのは、吉田社長のおかげだと思っています。
□印象に残っていること
「桜」がまだ、シングルになるずっと前から、「桜」をとても愛してくださっていました。
ご自身、新幹線の中で「桜」を聴きながら、涙が流れ、どうしてもこの歌を世に送り出したいという一心で、
コブクロを応援し始めたんだと、いつもおっしゃってくださいました。
□そして今の気持ち
「桜」「ここにしか咲かない花」、「蕾」etc…そして、「流星」。
数々の楽曲には、吉田社長とやりとりした沢山の思い出が詰まっています。
僕らに全力を注いでくださったことへの感謝の想いは、
これからの音楽活動でゆっくりとお返ししていきたいと思います。
どうか天国から、ご家族のみなさんの心を支えてあげてください。
・・》
私は改めて読むたびに、コブクロの心情、
そして音楽業界の烈風の中、亡くなわれた吉田敬(よしだ・たかし)氏に愛惜を重ねると、
涙がこぼれるのである。
このような思いが私の心の片隅にあるので、
ときおり、コブクロの『蕾(つぼみ)』の歌を心の中で唄ったりすると、
独りわびしく、はかなく、熱い思いになるのである。
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