夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

今は亡きZARDの坂井泉水さん、私なりのささやかな想いは・・。

2011-05-14 18:30:07 | 音 楽
午後の4時過ぎ、私は居間にある音楽棚から、
何を聴こうかと少し迷った後、一枚のCDを取りだした・・。

ポップス・グループのZARDのベスト盤の一枚であった。

一時間後、私は庭のテラスに下り立ち、
ぼんやりとZARDの作詞家、ボーカリストの坂井泉水(さかい・いずみ)さんのことに思いを馳せたのである。

私は坂井泉水さんの突然亡くなわれたことを知ったのは、
確か伊豆半島の下田にある観光ホテルで温泉滞在していた2007(平成19)年5月28日で、
ロビーにあるテレビのニュースであった。

そして私は少し動揺しながら、突然の訃報に接し、お若い身なのにと悲しみを覚(おぼ)えたが、
1990年代の女性ボーカリストの代表として活躍された坂井泉水さんに、
『大変でしたね・・ご苦労様・・ゆっくりとお休み下さい・・』
と心から冥福を祈ったりした。


私はこのお方には、残念ながらお会いしたことがないが、
私なりに一時は熱愛し、歌の数々に魅了させられた時代もあった。

1993(平成5)年の晩春、私は音楽業界のレコード会社の管理畑に勤めていたが、
あるレコード会社と事実上統合なった結果、
初めて音楽プロデューサーの長戸大幸(なかと・だいこう)氏の率いるビーイング系のZARDを知った。

これより少し前の時代として、新田和長(にった・かずなが)氏の率いるファンハウスが、
女性ボーカルとしては岡村孝子、辛島美登里、永井真理子などで全盛期でもあった。

私は素人(シロウト)なりに、ZARDの透明感ある甘い若き女性の歌声、
若い女性の思いの心情を託した作詞、
そしてビーイング系に多い馴染みやすいメロディーと感じたりした。

その上、ジャケットを拝見した限りであったが、恥ずかしいことを告白すれば、
さわやかな顔立ち、確かセミ・ロングより少し長めのヘヤースタイルで、
そして胸元がまぶしく、私は瞬時に魅せられたのであった・・。

『負けないで』、『君がいない』、『揺れる想い』のシングルCDが大ヒットとなり、
アルバムとしては、前年の『HOLD ME』に続いて、『揺れる想い』が直ちにミリオンとなり、
この年の女性ボーカルとしては、頂点を極(きわ)めた。

この後、ビーイングはビーグラム社として完全独立され、
私の務めていた会社から離れていったが、数年後まで私なりにアルバムを買い続けたりした。


結果としは、私は50歳前後の1993(平成5)年に、『負けないで』を初めて聴き、
その後、音楽業界としてはCDの売上げは1998(平成10)年でピークとなった。

この前後から各社はリストラ旋風となり、
私も出向となり、初め頃の1999(平成10)年の初春、
私なりに失墜感の中、ZARDの二枚目のベスト盤を購入した時、
豪華なジャケットを眺めながら、
あの時代は違法なダウンロードもなく、純粋にCDの売上げで勝負ができた幸福な時代だった、
と懐かしげに思い浮かべたりした。


坂井泉水さんの突然亡くなわれた後、
数ヵ月後に追悼盤のアルバムの二枚が発売されて、
音楽情報誌として名高い『オリコン』のランキングの1位、2位となったのを知った。


私は平素は自宅から近い川沿いの遊歩道を散策することが多いが、
坂井泉水さんが亡くなわれた前の2006(平成18)年の6月初旬に、
偶然に坂井泉水さんを見かけたような錯覚を感じたりした・・。

27度前後の初夏の陽気の中、私は夏用の長袖のスポーツ・シャツ、ストレッチ・パンズ、
足元はウォーキング・シューズであった。

遊歩道が狭まった時、前方から若い女性が帽子を深くかぶり、
黒のTシャツを召し、ポシエットをななめ掛けして、急ぎ足のウォーキングで近寄ってきた。

私は道を避(よ)け、若い女性が通り過ぎるの待った。
この若い女性は、少し微笑んで、目礼をして通り過ぎた。

『綺麗な顔立ち・・容姿も素敵・・』
と私は心の中で呟(つぶや)きながら、瞬時に魅了された。
そしてZARDの坂井泉水さんのデビューしてまもない時の顔立ちに似ている、
と遠ざかって行く後姿を見て、思ったりした。

この後、私はぼんやりと、

♪揺れる想い 体じゅう感じて
 君と歩き続けたい in your dream

【 『揺れる想い』 作詞・坂井泉水、作曲・織田哲郎、編曲・明石昌夫、唄・坂井泉水 】

と思わず心の中で口ずさんだりした。

その後、まもなくと、俺も齢を取った、と微苦笑させられたのである。


このようにささやかな思いがあり、
ときおり66歳の私でも、ZARDのアルバムの5枚を聴いたりしている・・。


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節電のこれからの時節は、私は今年も団扇(うちわ)、扇子(せんす)を愛用し、そして・・。

2011-05-14 12:06:46 | 時事【社会】
昨夕、私はいつものように読売新聞の夕刊を読み、
トップニュースで、
《・・政府は13日、東京電力と東北電力の管内で今夏予想される電力不足に対応するため、
企業と家庭の最大使用電力を昨夏より15%削減する目標を柱とした電力需給対策を正式決定した。・・》
と知った・・。

やはり電力不足ならば、もとより停電は最悪の事態となるので、
やむえないだろう、と東京電力の管内に住む私は微苦笑したりした。

この記事とほぼ同一の記事が、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】にも掲載されていた。

無駄であるが、転載させて頂く。

《・・
家庭向けには、扇風機の活用やエアコンの設定温度引き上げなどの取り組みを示した。
大企業など大口需要家に対しては、
電気事業法27条に基づく電力使用制限令を発動する準備を進める。

東電は同日、7月末時点の供給力が5520万キロ・ワットとなると発表した。
このうち140万キロ・ワットは東北電に融通するため、
管内での供給力は5380万キロ・ワットとなる。

一方、政府が想定する最大需要は6000万キロ・ワットで、
10・3%の電力抑制が必要とされる。

また、東北電管内では、供給力が1370万キロ・ワットに対して、想定需要が1480万キロ・ワットとなり、
7・4%の抑制が必要な計算だ。

ただ、一瞬でも需要が供給を上回れば、
大規模停電が発生する恐れがあるため、目標は15%減とした。


夏の最大電力需要の3割を占める家庭に対しては、
どんな行動で何%の節電ができるかという事例集をまとめ、省エネを促す。

エアコンの代わりに扇風機を使えば50%、
エアコンの設定温度を2度上げれば10%、
日中の照明を消せば5%の節電効果があるという。
これが合計で15%を超えれば、目標を達成したことになる。

(2011年5月13日12時07分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110513-OYT1T00582.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<== 扇風機にすれば5割節電と訴えることにした政府 ☆

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
暑さが何よりも苦手な身であり、
夕刊に掲載されていた【政府がまとめた家庭の節電対策】の表を5分ばかり見つめて、
苦笑したのである。

定年退職後、日常の買物に関して自主的に専任者となった私は、
ほぼ毎日、歩いてスーパー、専門店に行ったり、
散策をして季節のうつろいを享受している・・。

これからの時節は、夏の帽子を深くかぶり、半袖のスポーツシャツ、長ズボンの容姿で、
熱いと感じたら、扇子(せんす)を扇(あお)ぎながら、歩いたりしている。

そして、帰宅後は洗面所で冷たい水で顔を洗ったりし、
着替えをした後、居間のクーラーの冷気の下で涼むことが圧倒的に多くなっている。

しかし我が家は、家内が冷気が苦手の身となっているので、
この時節には、冷たい戦争が起こっているのである。

我が家の秘かな妥協設定温度は、
確か30年前の頃に『主婦連』が27度が身体にも経済的にも最適と掲げたことがあったので、
私はこの案を利用して、
『主婦連の方たちさえも・・27度なのよ・・』
と私は家内に言ったりしている。


昨年のある日、真夏日の中を買物し、予定より早めに帰宅した時、
家内は窓を開け放ち、掃除をしていた・・。
そして部屋の外れで、扇風機の羽根が元気よく廻っていたのであった。

『扇風機かょ・・』
と私は心の中で呟(つぶや)き、
やむなく私は団扇(うちわ)を取り出して、扇(あお)いだりした。

その後、掃除が終わり、私の念願の27度の室温になったのは、
一時間後であった。


このように私は、扇子(せんす)を愛用し、ク-ラーの冷気にお世話になったり、
ときには団扇(うちわ)を使ったりして、
古人からの伝えの《暑さ寒さは彼岸まで・・》の9月下旬を迎えているのである。


今年は東日本大震災、そして福島原発の事故もあり、
東北地方の太平洋側の産業生産基盤が壊滅的になり、首都圏の産業生産地に負担がかかるが、
肝要の電力と水の不安定には、生産がままならず、日本経済はますます低下してしまう。

もとより日本は、経済の復興がなければ、明日の見えない社会となり、
社会保障費などは大幅な削減となり、多くの国民は路頭に迷ってしまうのは明白である。

このような思いがあるので、何よりも現役世代の働いて下さる諸兄諸姉のご家庭は、
節電の中、通勤に暑さを感じたり、それぞれ勤務に奮闘され、多大に社会貢献をして下さっているので、
せめてクーラーなどは、従来どおり享受する資格はある、と私は確信している。


そして私たち社会貢献に乏しくなった首都圏に住む年金生活される方は、
積極的に節電し、多少の貢献をする責務があると思ったりしている。

もとより私たち齢を重ねた多くの人は、敗戦後の貧しかった時代を体験し、生きた知恵がある・・。
たとえば夏の熱っかった時節は、窓を開けて、団扇(うちわ)、扇子(せんす)を活用したりすれば、
何とか生活できるのである。

我が家は毎年、梅雨の晴れ間から秋の彼岸の頃まで、
簾(すだれ)で夏の陽射しをさえぎったりしている。

簾を各部屋に掛け、家内の指導の下で、私は助手となっているが、
のろまな私は役立たずで、家内が殆どしているのが実態である。

洋間の場合は、雨戸、網戸、ガラス戸となっているが、
この季節はカーテンを外して簾とする。
そして和室も同様に、雨戸、網戸、障子であるが、簾をつけたりしている。

朝涼(あさすず)が残る朝の9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾にして、庭越しの風を通したりしている。

このように簾で夏の陽射しをさえぎったしている。


しかし、高齢者となった私たちは、無念ながら体力が衰えてきたので、
昨年のような記録的な猛暑が続くのは困惑するばかりであり、
『今年の夏は・・余り熱くならないでねぇ・・』
と私は秘かに呟(つぶや)きながら、天上の気候の神々に祈願したりしている。


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