夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブログの投稿文、私のささやかな願い、そして留意していることは・・。

2011-05-24 18:30:32 | 定年後の思い
私は定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活をしているが、
たまたま定年後まもくしてブログの世界を知り、
季節のうつろいの中で、日常の思い、感じたことを、あふれる思いとなって、
心の発露として投稿文を綴っている。

随筆(エッセイ)かコラム、或いは日記か、
その日の思いで、綴っているが、出来うる限り随筆風にしたいと思っている。

そして、私は表現方法のひとつとして、
文章で表現する方法で20歳以来からしているので、
写真、動画などの画像表現は、避けている。

もとより心の深淵を表現には、古来より少なくとも平安時代から行われているし、
随筆の場合は、殆ど散文だけで行われ、
ここ50年ぐらいは、ときには挿絵(さしえ)の画が入っているのもあるが、
圧倒的に文章の綴りだけで表現されている。

このような伝統もあるので、つたない私なりに準拠致したく、
私は綴ったりしている。
しかし、無念ながら私の投稿分が読んで下さった方に、
伝わらない場合は、ひとえに私の筆力不足で、文章修行が未熟のせいである。


投稿後、無視されるのは辛(つら)く、出来る限り多くの方に読んで頂きたく、
投稿内容が同じようであると飽きられるので、
なるべく多岐にわたり分野で、最後まで読んで頂けるように、工夫したり、
タイトル名も重視している。

タイトルは、小説、映画、テレビ・ドラマなどと同様に、
内容をすべて集積した短文で表現するので、
程々に魅力あるタイトルにしなければ、星の数以上にある投稿文の中から、
あえて選んで読んで頂くことは少ないのである。


そしてブログの投稿文は、小説・随筆、論文など本の印刷された活字羅列と違い、
パソコンの液晶画面で読んで頂く為に、
あえて改行を多くしたりしている。
昨今に於いては、携帯電話で読んで下さる方もいて、私は驚いたりしている。

私のブログの画面は、文章だけであるので、読みやすくするひとつとして、
背景の黒の色合い、文字の白文字もこうしたことを配慮した結果である。


つたない脳裏の私は、綴るときは苦心惨憺する時もあれば、
楽しく綴れる時もあり、こうしたことは退職後の7年生の今でも変らない。

しかし、後日に過去に綴った投稿文を読み返したりした時、
殆どが駄文となり,赤面しながら、文章修行が足りない、
と我ながら困ったなぁ、と苦笑している。


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小雨舞い降る朝、『城ヶ島の雨』を心の中で唄い、詩人・北原白秋に思いを馳せたりし・・。

2011-05-24 08:29:44 | 真摯に『文学』を思考する時
私は東京郊外の調布市に住む身であるが、今朝6時半過ぎに玄関庭の軒下に下りると、
小雨降っていたので、やむなく樹木の枝葉を洗い清めてくれると思いながら、
煙草を喫ったりしていた・・。

しかし、一昨日の22日の昼下がりまで初夏のような暑さが3日ばかり続いた後、
突然に強い風が吹き荒れ、やがて本降りの雨となり、
昨日の23日は、小雨が降ったりやんだりし10度ばかり気温が低下し、
4月中旬のように気候に戻ったりして、私は戸惑ったりしていた。

早朝に地元の天気情報によれば、
本日は午前中まで小雨が降り、その後は回復して明日の26日までは晴れ間となり、
その後は長らく曇り時々雨となり、ぐずついた日々となります、と報じていた・・。

私の住む地域は本格的な『梅雨(つゆ)』は毎年6月中旬の頃であり、
その前に一時的に長い期間降る序曲のような長雨かしらと思い、『走り梅雨』と解かっていても、
またぁ・・雨かょ、と心の中で思ったりし、小雨舞い降る情景を眺めていた・・。


♪雨はふるふる
 城が島の磯(いそ)に
 利休鼠(りきゅうねずみ)の
 雨がふる

【 『城ヶ島の雨』 作詞・北原白秋、作曲・梁田 貞 】


と私は心の中で唄っていたのである。

♪雨は真珠か
 夜明けの霧か
 それともわたしの
 忍び泣き

【 『城ヶ島の雨』 作詞・北原白秋、作曲・梁田 貞 】


私はカラオケは苦手であるが、ときおり鼻歌を唄ったり、
心の中で唄うことが多い。
このような定年後の日常生活であるが、今日は『城ヶ島の雨』かょ、
と微苦笑である。

私は無念ながら北原白秋のようにこうした詩は、
とても書けないが、あの北原白秋の人生の軌跡も波乱に満ちた人だった、
と思い馳せたりしていた・・。

以前、文藝評論家・河盛好蔵の詩人・北原白秋の評論文を読んでいた時、
《・・
いよいよ旺盛な詩作活動を続けていたが、
明治45年7月、隣家の人妻・松下俊子との恋愛問題のため、
俊子の夫から姦通罪で告訴され、市ヶ谷未決監に二週間拘置、
無罪免訴となったが、深刻な打撃を受けた。

のみならず郷里の家が破産して一家の人々が上京し、
その生活を負担しなければならなくなったために一層困窮した。

大正2年4月、離婚した俊子と結婚。
5月に神奈川県・三崎に転居・・
『城ヶ島の雨』は、このころの作である。
・・》

こうしたことを思い浮かべると、

♪舟はゆくゆく
 通り矢のはなを
 濡(ぬ)れて帆あげた
 ぬしの舟

【 『城ヶ島の雨』 作詞・北原白秋、作曲・梁田 貞 】

私は鼻歌などで気楽に唄えなくなる。

この後は、俊子は肺患療養となり、窮乏の末に、白秋は離婚し、
その後は江口章子と結婚したり、清貧生活の中で詩作を発表したのである。

そして江口章子と離婚してまもなく、佐藤菊子と結婚し、終生つれそった、
と伝えられている。


私の敬愛する作家・嵐山光三郎に寄れば、
《・・
最初の妻はフランス人形のような麗人て、
二番目のの妻は菊人形ような美人、
そして三番目の妻は婚期を逸して三十歳を過ぎ・・

(略)

白秋の名が広く知られるようになったのは、
童謡によるところが大きく、
悪魔的耽美世界から出発した詩人は、少年的抒情世界に転進しました。
これは、ひとえに菊子夫人あってのことで、
菊子との出会いがなければ、糸の切れた凧になって、
白秋は破滅の道を進んだかもしれません。
・・》
と嵐山光三郎・著の『人妻魂』(マガジンハウス)で明記されている。


私は創作者は作品の出来ばえが良ければ、その人の日常の言動は問わぬ、
という哲学じみた暗黙の了解は知っているつもりであるが、
小心者で無力の私さえ、詩人・北原白秋の軌跡に思い馳せる、
と改めてこの人生は大変だなぁ、苦笑したのである。

そして、私はかみ締めるような心の中で読んだりした・・。

♪雨はふるふる
 日はうす曇る
 舟はゆくゆく
 帆がかすむ

【 『城ヶ島の雨』 作詞・北原白秋、作曲・梁田 貞 】


今朝のひととき、雨降る情景を眺めながら、
このようなことを15分ばかり思ったりした。



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