私は数年前に、大村彦次郎(おおむら・ひこじろう)・著の『文壇うたかた物語』(ちくま文庫)を読み、
先ほど、ぼんやりとこの中の一節を思いだしたりしていた・・。
もとより大村彦次郎氏は、
長年『講談社』に勤め、編集の立場、出版社の重責を歴任された方であり、
こうした視線から私の敬愛している数多くの小説家に於いて、
作品から発露されていない言動を知る立場であったので、
私なりの関心があったので深く精読したのであった。
そして編集者と作家の立場の箇所を読むと、
《・・
編集者にとって、作家とは何だろう。
話をしているうちに、なんとなく原稿を書かせたい気分になる相手、
いや黙っていても原稿を注文したくなるような相手、
それが作家の愛嬌であり、魅力である。
銀座通りを素っ裸かであるく覚悟がなければ、小説は書けない、
といったのは、太宰治だ。
ものを書くには、技術もさることながら、生まれついての天稟(てんびん)に負う。
ナルシシズムとある種のマゾヒズム、それがたがいにからみ合って、芸は昇華する。
かって太宰や安吾にのめり込んでいった編集者たちは、
きっとそんな作家の底知れぬ魔力にとり憑かれいったのにちがいない。
・・》
注)ページ208から引用
注)原文にあえて改行を多くした。
こうした部分を読み込むと、私はテラスに下り立ち、
煙草を喫いながら、考え込んでしまうのある。
そして、若き世代で小説家をめざす人、或いは出版社で文藝の編集者をめざす人、
この人たちにとっては哲学書の一冊に相当する集約された明言、と確信をしたのであった。
私は『文壇うたかた物語』を二度ばかり反復するように読んだ限りであるが、
数多くの小説家、編集者の軌跡と言動が明示されているので、
この分野にめざす人の必読書と思い深めたりした。
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もとより大村彦次郎氏は、
長年『講談社』に勤め、編集の立場、出版社の重責を歴任された方であり、
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作品から発露されていない言動を知る立場であったので、
私なりの関心があったので深く精読したのであった。
そして編集者と作家の立場の箇所を読むと、
《・・
編集者にとって、作家とは何だろう。
話をしているうちに、なんとなく原稿を書かせたい気分になる相手、
いや黙っていても原稿を注文したくなるような相手、
それが作家の愛嬌であり、魅力である。
銀座通りを素っ裸かであるく覚悟がなければ、小説は書けない、
といったのは、太宰治だ。
ものを書くには、技術もさることながら、生まれついての天稟(てんびん)に負う。
ナルシシズムとある種のマゾヒズム、それがたがいにからみ合って、芸は昇華する。
かって太宰や安吾にのめり込んでいった編集者たちは、
きっとそんな作家の底知れぬ魔力にとり憑かれいったのにちがいない。
・・》
注)ページ208から引用
注)原文にあえて改行を多くした。
こうした部分を読み込むと、私はテラスに下り立ち、
煙草を喫いながら、考え込んでしまうのある。
そして、若き世代で小説家をめざす人、或いは出版社で文藝の編集者をめざす人、
この人たちにとっては哲学書の一冊に相当する集約された明言、と確信をしたのであった。
私は『文壇うたかた物語』を二度ばかり反復するように読んだ限りであるが、
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