私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開いたら、
《 さらば「キャスター」「チェリー」など23銘柄 》
と見出しを見て、やはり淘汰されるの、と落胆したような心情で、
記事を読んだりしたのである。
無断であるが、この記事を転載させて頂く。
《・・
日本たばこ産業(JT)は12日、
全96銘柄のうち「キャスター」「チェリー」など23銘柄を廃止すると発表した。
東日本大震災で工場が被災しており、生産を効率化して安定した供給体制の復旧を急ぐ。
JTは震災後の3月30日から4月10日まで全銘柄の出荷を止め、
現在も出荷を主要25銘柄に絞っている。残る48銘柄の出荷は8月上旬までに順次、再開する。
廃止する銘柄は、人気が落ちているもので、全体の販売量の3%程度となる。
昨秋の値上げでたばこ離れが進んでおり、
JTは、2011年度の国内出荷本数を1000億~1080億本と、
前年度比20%前後減ると見込んでいる。不人気銘柄の廃止で、原材料の種類も減らせるという。
(2011年5月12日18時22分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は『チェリー』をこよなく愛して35年前後になるが、
東日本大震災でJT工場が被災され、生産の大幅な低下、そして銘柄の選定をされていると、
何かのニュースで知ったりしていたが、具体的に淘汰される銘柄は初めて知り、
少し落胆した心情は隠せないでいる。
もとより煙草は嗜好品のひとつであるので、
煙草だったら、どの煙草と同じようなものではないかしら、
と応(こた)えられる方もいると思われる。
しかしながら、極端な例を挙げれば、私は男性であるので、どの女性とならば・・
やはり私の好みもあれば、もとより相手方の女性の男性への好みもあり、
この広い地球の中で、互いに愛(いと)しき恋情が芽生えて、やがて結婚という形で結ばれてゆく、
ケースもあり、
たがが煙草といえども、こればかりはそれぞれの人の好みの世界である。
私は煙草に関しては、1963(昭和38)年の大学1年の時、
ワンダーフォーゲル部に所属し、夏季合宿で喫いはじめ、
この時以来、風邪を退いている以外は、45年前後愛煙している。
何故かしら私にとっては、心身の波長に良く愛煙しているのである・・。
世の中の著名のひとり方が、毎日20本ぐらいを喫い続ければ、寿命が5年短くなる、
と何かのニュースで読んだりしたが、
我が人生は、ときおり煙草を喫いながら、深い思いの思索を重ねながら充実した日々もあるので、
単に健康ばかり気にし長生きしても意味がない、と思ったりしているひとりである。
昨今、本人の健康に良くない、もとより人さまに迷惑、と嫌煙の風潮があり、
そして水戸黄門の紋章のワッぺンのように、
かけがえのない地球を汚染するな、と称して環境問題まで云われる方がいる・・。
私は自動車の方が圧倒的に地球を汚染しているが、現在社会に於いては、
必要悪と認めているひとりである。
このような心情の私は、公共交通機関の利便性にある地域に住む私は乗用車に乗らないように、
2004(平成16)年の秋、定年退職後の免許書の更新の時、破棄している。
ぼんやりと私は日本の社会に於いて、急激に嫌煙の風潮となり、
昨今も加速している状況を思い返したりした。
日本に嫌煙ブームが始まったのも、確か平成になってからである。
これ以前の社会は、喫茶店でテーブルの上には、灰皿と喫茶店独自のマッチが置いてあったりした。
飛行機の機内でも水平飛行になれば、スーモキング・ランプが点(つ)いたり、
そしてJRの長距離の車内の座席の脇に灰皿が設置されたりして、
ときおり煙草を喫う方が見られたりした。
私は1991(平成3)年の春、ギックリ腰が酷く入院生活を28泊29日間で入院生活をしていた時、
整形外科のフロアーの片隅に6畳ぐらいの喫煙コーナーがあり、
煙草を吸わない人でも、松葉杖を伴い、人恋しく、憩いの場として、団欒していたのである。
この後、日本の社会で一軒屋とかマンションのベランダなどで夜のひとときに、
煙草を喫ったりしている人達を蛍族と命名されたのは、
何時頃の時だったか、と想いだしたりした・・。
環境問題が社会の問題となり、室内の空気はクリーンにと叫ばれ、
愛煙家はやむなく、居間から出て、夜のベランダに出て、
煙草を喫いはじめ、夜の闇に光を帯びる蛍(ホタル)からの連想で、
こうした人々を蛍族と命名したのであろう・・。
私は定年退職したのは2004(平成16)年の秋であったが、
現役時代のサラリーマンだった最後の10年前頃からは、
職場で禁煙となり、所定の喫煙場所などで煙草に火を点(つ)けて、
愛煙家達の懇親の場所となったりしていた。
私が蛍族の一員に加わったのは、以前綴ったことがあるが、
定年退職の直後、自宅の居間に置いてあるパソコンの脇に、煎茶と灰皿をお盆に入れて、
電子メールなどを盛んに送受信をしていた。
退職後の私は趣味時間で過ごしたかったので、自宅で大半過ごして折、
居間はたちまち煙草の煙が充満し、換気の為に窓ガラスの戸を開け閉めをしたりしていた。
晩秋の時節であったので、暖房の季節もまじかに迫(せま)って折、
室内の換気と暖房の相関のことなどを考えて上、
さすがに何時でも煙草が喫える環境下は身体によくない、と判断した結果、
室内禁煙を家内に宣言し、
これ以降は主庭のテラス、樹木の下、そして玄関庭の軒下などで煙草を喫いはじめた・・。
この結果、室内の空気もクリーンとなった上、煙草の本数も減り、苦笑したりした。
師走の大掃除に家内の指示の基に、私なりに多少お手伝いをした時、
『あらぁ・・汚れが少ないわ・・』
と家内は私に言ったりしていた。
私は四季折々、雑木の多い庭の樹木を眺めたり、草花を眺め、
季節の移ろいを教示させられり、或いは少しぼんやりと考え事ったりし
煙草を喫ったりしているのである。
こうした時、何よりも困るのは、台風の影響などで風は舞い雨は降る時である。
私は煙草を喫いながら、ゆっくりと喫えないじゃないの、戸惑いながら、
早めに退散をしたりしているのである。
そして、私は外出する時は携帯の灰皿を必ず持ち、
所定の喫煙場所がない所では、人混みから離れ少なくとも10メートル前後の所で、
時代だよ・・、と心の中で呟(つぶや)いたりしながら、
煙草に火を点(つ)けたりしている。
最近の私の心情は、過ぎし昨年の7月の初旬に於いて、
喫煙文化研究会・編集の『愛煙家通信 No.1』と命名された一冊の本を読んで、
多々煙草に関して、教示された。
このことは【喫煙文化研究会・編集の『愛煙家通信 No.1』、時代のうつろいを学び・・。 】
と題して、私は7月5日に投稿しているが、あえて再掲載する。
【・・
私は愛煙家のひとりとして、あるサイトに2005(平成17)年の頃、
【 煙草は日本の文化のひとつである 】と題し、
昨今の嫌煙ブームの風潮に憂いを綴ったりした身でもある。
この程度のことは、この本の特集のひとつで、
《喫煙は日本の文化だ》と題され、数多くの著名人が綴られていたが、
私なりに改めて学んだが、何よりも驚嘆したのは、
評論家の井尻千男(いじり・かずお)・著の『集団が生き残るための知恵』の寄稿文であった。
この中で氏は、宮澤政権の当時、
宮澤総理の辞令を受けて厚生省の審議委員になり、
毎月一回、禁煙派の医学関係者と論戦をたたかわせた、と述べられていた・・。
《・・
このときの同士は医事評論家の水野肇(みずの・はじめ)氏だった。
氏は当時人口に膾炙(かいしゃ)するようになったアルツハイマー病患者が
非喫煙者に多いという統計を挙げて、
自分は脳を病んで人さまに迷惑をかけて死ぬより、肺ガンで死ぬことを選ぶと勇ましく宣言した。
(略)
その審議会で面白かったのは、
初回こそ10人ほどいた禁煙派が、厳しい口調で愛煙家を非難したが、
毎回同じ非難をすることの愚を悟ったのか、
次第に愛煙家の弁に耳を傾けるようになった。
水野委員はもっぱら、
痴呆症になって人さまに迷惑をかけながら、
そのことすら認識できず、一日でも長く永生きようとするのか
(タバコの煙の中のなんとかという成分が、アルツハイマー病に予防効果のあることを繰り返し)、
それとも肺ガンになっても、最期まで明瞭な意識をもって生(せい)をまっとうしょうとするのか。
要は死生観の問題であり、徒(いたずら)に永生きすること自体に意味があるわけではない、
と毎回熱弁をふるった。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
この後、井尻千男氏は、
《・・
今日のように禁煙派の差配する文明は、
清潔だけを大事にする衰弱せる文明だと批判しつづけた。
(略)
私は一人でも多くの人に聞いてほしいから、審議会の議論を公表してくれと
厚生省側に申し入れたが拒否された。
委員の身を守る(当然愛煙家の命)ためという理由だった。
・・》
私はこうした審議会の禁煙派、喫煙派の真摯な諸兄の討議内容を封印したのは、
時の厚生省が、喫煙の風潮を更に増長させた諸因のひとつと確信したのである。
そして禁煙の風潮のはじまりをこの本から、学んだのである。
解剖学者の養老孟司、劇作家の山崎正和の両氏に寄る対談、
『変な国・日本の禁煙原理主義』と題され、初出は『文藝春秋』2007年10月号である。
《・・
山崎正和氏の発言
ベトナム戦争の後、アメリカをまとめていた愛国心やピューリタン的な道徳が根本から揺らぎ、
社会秩序も変った。
同性愛も妊娠中絶も、キリスト教以外の信仰も認めなければならない。
そのことに対して、皆、喉に何か引っかかったままだった。
そこで、誰もが一致して反対できる都合のよい”敵”を探し始めたのです。
あの当時、選択肢は二つありました。
たばこかエイズか。
ちょうどエイズが広まった時期でもありました。
しかし、結局はたばこが選択されました。
なぜなら当時エイズの原因とされていた同性愛を好むのは、
ハリウッドスターとか芸術家とか社会の上流層だけれども、
たばこを吸うのは、社会の中流以下が多かったからです。
アメリカ人が大麻に寛容なのもまったく同じ理由です。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
こうした禁煙の始まりがアメリカで発生し、何かとアメリカの属国の日本に飛び火し、
厚生省の音頭で学界の一部の論を拡大させ、日本の禁煙風潮をあおり、
終局的には世界保健機関の採択した『たばこ規制に関する枠組条約』に基づき、
2004(平成16)年に日本の国会で可決され、
決定的な嫌煙ブームとなった、と私は思いめぐらしたりした。
しかし、大麻、エイズの原因とされる同性愛などは険悪する私は、
ひと様の前では煙草を避けて、玄関の軒下、テラスなどで紫煙を楽しんでいる・・。
そして、あと何年か生きられるか判らないが、痴呆症だけは勘弁してほしいと思ったりしている。
・・】
このように私は投稿していたが、
先ほど、小心者の私は我が愛する『チェリー』と名づけられた恋人と、
やむなくお別れの日が近づいてくるので、
私は新たな恋人の出会いを求めて、香りの好み逢う方であれば良いが、
と思ったりしているのである。
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先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開いたら、
《 さらば「キャスター」「チェリー」など23銘柄 》
と見出しを見て、やはり淘汰されるの、と落胆したような心情で、
記事を読んだりしたのである。
無断であるが、この記事を転載させて頂く。
《・・
日本たばこ産業(JT)は12日、
全96銘柄のうち「キャスター」「チェリー」など23銘柄を廃止すると発表した。
東日本大震災で工場が被災しており、生産を効率化して安定した供給体制の復旧を急ぐ。
JTは震災後の3月30日から4月10日まで全銘柄の出荷を止め、
現在も出荷を主要25銘柄に絞っている。残る48銘柄の出荷は8月上旬までに順次、再開する。
廃止する銘柄は、人気が落ちているもので、全体の販売量の3%程度となる。
昨秋の値上げでたばこ離れが進んでおり、
JTは、2011年度の国内出荷本数を1000億~1080億本と、
前年度比20%前後減ると見込んでいる。不人気銘柄の廃止で、原材料の種類も減らせるという。
(2011年5月12日18時22分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は『チェリー』をこよなく愛して35年前後になるが、
東日本大震災でJT工場が被災され、生産の大幅な低下、そして銘柄の選定をされていると、
何かのニュースで知ったりしていたが、具体的に淘汰される銘柄は初めて知り、
少し落胆した心情は隠せないでいる。
もとより煙草は嗜好品のひとつであるので、
煙草だったら、どの煙草と同じようなものではないかしら、
と応(こた)えられる方もいると思われる。
しかしながら、極端な例を挙げれば、私は男性であるので、どの女性とならば・・
やはり私の好みもあれば、もとより相手方の女性の男性への好みもあり、
この広い地球の中で、互いに愛(いと)しき恋情が芽生えて、やがて結婚という形で結ばれてゆく、
ケースもあり、
たがが煙草といえども、こればかりはそれぞれの人の好みの世界である。
私は煙草に関しては、1963(昭和38)年の大学1年の時、
ワンダーフォーゲル部に所属し、夏季合宿で喫いはじめ、
この時以来、風邪を退いている以外は、45年前後愛煙している。
何故かしら私にとっては、心身の波長に良く愛煙しているのである・・。
世の中の著名のひとり方が、毎日20本ぐらいを喫い続ければ、寿命が5年短くなる、
と何かのニュースで読んだりしたが、
我が人生は、ときおり煙草を喫いながら、深い思いの思索を重ねながら充実した日々もあるので、
単に健康ばかり気にし長生きしても意味がない、と思ったりしているひとりである。
昨今、本人の健康に良くない、もとより人さまに迷惑、と嫌煙の風潮があり、
そして水戸黄門の紋章のワッぺンのように、
かけがえのない地球を汚染するな、と称して環境問題まで云われる方がいる・・。
私は自動車の方が圧倒的に地球を汚染しているが、現在社会に於いては、
必要悪と認めているひとりである。
このような心情の私は、公共交通機関の利便性にある地域に住む私は乗用車に乗らないように、
2004(平成16)年の秋、定年退職後の免許書の更新の時、破棄している。
ぼんやりと私は日本の社会に於いて、急激に嫌煙の風潮となり、
昨今も加速している状況を思い返したりした。
日本に嫌煙ブームが始まったのも、確か平成になってからである。
これ以前の社会は、喫茶店でテーブルの上には、灰皿と喫茶店独自のマッチが置いてあったりした。
飛行機の機内でも水平飛行になれば、スーモキング・ランプが点(つ)いたり、
そしてJRの長距離の車内の座席の脇に灰皿が設置されたりして、
ときおり煙草を喫う方が見られたりした。
私は1991(平成3)年の春、ギックリ腰が酷く入院生活を28泊29日間で入院生活をしていた時、
整形外科のフロアーの片隅に6畳ぐらいの喫煙コーナーがあり、
煙草を吸わない人でも、松葉杖を伴い、人恋しく、憩いの場として、団欒していたのである。
この後、日本の社会で一軒屋とかマンションのベランダなどで夜のひとときに、
煙草を喫ったりしている人達を蛍族と命名されたのは、
何時頃の時だったか、と想いだしたりした・・。
環境問題が社会の問題となり、室内の空気はクリーンにと叫ばれ、
愛煙家はやむなく、居間から出て、夜のベランダに出て、
煙草を喫いはじめ、夜の闇に光を帯びる蛍(ホタル)からの連想で、
こうした人々を蛍族と命名したのであろう・・。
私は定年退職したのは2004(平成16)年の秋であったが、
現役時代のサラリーマンだった最後の10年前頃からは、
職場で禁煙となり、所定の喫煙場所などで煙草に火を点(つ)けて、
愛煙家達の懇親の場所となったりしていた。
私が蛍族の一員に加わったのは、以前綴ったことがあるが、
定年退職の直後、自宅の居間に置いてあるパソコンの脇に、煎茶と灰皿をお盆に入れて、
電子メールなどを盛んに送受信をしていた。
退職後の私は趣味時間で過ごしたかったので、自宅で大半過ごして折、
居間はたちまち煙草の煙が充満し、換気の為に窓ガラスの戸を開け閉めをしたりしていた。
晩秋の時節であったので、暖房の季節もまじかに迫(せま)って折、
室内の換気と暖房の相関のことなどを考えて上、
さすがに何時でも煙草が喫える環境下は身体によくない、と判断した結果、
室内禁煙を家内に宣言し、
これ以降は主庭のテラス、樹木の下、そして玄関庭の軒下などで煙草を喫いはじめた・・。
この結果、室内の空気もクリーンとなった上、煙草の本数も減り、苦笑したりした。
師走の大掃除に家内の指示の基に、私なりに多少お手伝いをした時、
『あらぁ・・汚れが少ないわ・・』
と家内は私に言ったりしていた。
私は四季折々、雑木の多い庭の樹木を眺めたり、草花を眺め、
季節の移ろいを教示させられり、或いは少しぼんやりと考え事ったりし
煙草を喫ったりしているのである。
こうした時、何よりも困るのは、台風の影響などで風は舞い雨は降る時である。
私は煙草を喫いながら、ゆっくりと喫えないじゃないの、戸惑いながら、
早めに退散をしたりしているのである。
そして、私は外出する時は携帯の灰皿を必ず持ち、
所定の喫煙場所がない所では、人混みから離れ少なくとも10メートル前後の所で、
時代だよ・・、と心の中で呟(つぶや)いたりしながら、
煙草に火を点(つ)けたりしている。
最近の私の心情は、過ぎし昨年の7月の初旬に於いて、
喫煙文化研究会・編集の『愛煙家通信 No.1』と命名された一冊の本を読んで、
多々煙草に関して、教示された。
このことは【喫煙文化研究会・編集の『愛煙家通信 No.1』、時代のうつろいを学び・・。 】
と題して、私は7月5日に投稿しているが、あえて再掲載する。
【・・
私は愛煙家のひとりとして、あるサイトに2005(平成17)年の頃、
【 煙草は日本の文化のひとつである 】と題し、
昨今の嫌煙ブームの風潮に憂いを綴ったりした身でもある。
この程度のことは、この本の特集のひとつで、
《喫煙は日本の文化だ》と題され、数多くの著名人が綴られていたが、
私なりに改めて学んだが、何よりも驚嘆したのは、
評論家の井尻千男(いじり・かずお)・著の『集団が生き残るための知恵』の寄稿文であった。
この中で氏は、宮澤政権の当時、
宮澤総理の辞令を受けて厚生省の審議委員になり、
毎月一回、禁煙派の医学関係者と論戦をたたかわせた、と述べられていた・・。
《・・
このときの同士は医事評論家の水野肇(みずの・はじめ)氏だった。
氏は当時人口に膾炙(かいしゃ)するようになったアルツハイマー病患者が
非喫煙者に多いという統計を挙げて、
自分は脳を病んで人さまに迷惑をかけて死ぬより、肺ガンで死ぬことを選ぶと勇ましく宣言した。
(略)
その審議会で面白かったのは、
初回こそ10人ほどいた禁煙派が、厳しい口調で愛煙家を非難したが、
毎回同じ非難をすることの愚を悟ったのか、
次第に愛煙家の弁に耳を傾けるようになった。
水野委員はもっぱら、
痴呆症になって人さまに迷惑をかけながら、
そのことすら認識できず、一日でも長く永生きようとするのか
(タバコの煙の中のなんとかという成分が、アルツハイマー病に予防効果のあることを繰り返し)、
それとも肺ガンになっても、最期まで明瞭な意識をもって生(せい)をまっとうしょうとするのか。
要は死生観の問題であり、徒(いたずら)に永生きすること自体に意味があるわけではない、
と毎回熱弁をふるった。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
この後、井尻千男氏は、
《・・
今日のように禁煙派の差配する文明は、
清潔だけを大事にする衰弱せる文明だと批判しつづけた。
(略)
私は一人でも多くの人に聞いてほしいから、審議会の議論を公表してくれと
厚生省側に申し入れたが拒否された。
委員の身を守る(当然愛煙家の命)ためという理由だった。
・・》
私はこうした審議会の禁煙派、喫煙派の真摯な諸兄の討議内容を封印したのは、
時の厚生省が、喫煙の風潮を更に増長させた諸因のひとつと確信したのである。
そして禁煙の風潮のはじまりをこの本から、学んだのである。
解剖学者の養老孟司、劇作家の山崎正和の両氏に寄る対談、
『変な国・日本の禁煙原理主義』と題され、初出は『文藝春秋』2007年10月号である。
《・・
山崎正和氏の発言
ベトナム戦争の後、アメリカをまとめていた愛国心やピューリタン的な道徳が根本から揺らぎ、
社会秩序も変った。
同性愛も妊娠中絶も、キリスト教以外の信仰も認めなければならない。
そのことに対して、皆、喉に何か引っかかったままだった。
そこで、誰もが一致して反対できる都合のよい”敵”を探し始めたのです。
あの当時、選択肢は二つありました。
たばこかエイズか。
ちょうどエイズが広まった時期でもありました。
しかし、結局はたばこが選択されました。
なぜなら当時エイズの原因とされていた同性愛を好むのは、
ハリウッドスターとか芸術家とか社会の上流層だけれども、
たばこを吸うのは、社会の中流以下が多かったからです。
アメリカ人が大麻に寛容なのもまったく同じ理由です。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
こうした禁煙の始まりがアメリカで発生し、何かとアメリカの属国の日本に飛び火し、
厚生省の音頭で学界の一部の論を拡大させ、日本の禁煙風潮をあおり、
終局的には世界保健機関の採択した『たばこ規制に関する枠組条約』に基づき、
2004(平成16)年に日本の国会で可決され、
決定的な嫌煙ブームとなった、と私は思いめぐらしたりした。
しかし、大麻、エイズの原因とされる同性愛などは険悪する私は、
ひと様の前では煙草を避けて、玄関の軒下、テラスなどで紫煙を楽しんでいる・・。
そして、あと何年か生きられるか判らないが、痴呆症だけは勘弁してほしいと思ったりしている。
・・】
このように私は投稿していたが、
先ほど、小心者の私は我が愛する『チェリー』と名づけられた恋人と、
やむなくお別れの日が近づいてくるので、
私は新たな恋人の出会いを求めて、香りの好み逢う方であれば良いが、
と思ったりしているのである。
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